第4話・光と戦争の女神のやらかし
四女神の息の合ったジト目が、光と戦争の女神アストラヴェルを射貫く。
先程まで矛先は四女神に向いていた。だが、神話の頃より世界を創生したのは四女神だけの仕事では無い。光と戦争の女神、その名に恥じない働きを行ってきた。
そう、何度も行使した。戦争を、何度も何度も何度も。
アストラヴェルの目が泳いでいる。遥か彼方に遠泳中。けれど四女神は逃さない。全員、眉間に皺寄せて光の女神を見据える。
「い、いや、そのだな。当時は確かに加減が効かなかった。それは認める。だが全ては暗黒神に対抗する為の、止むを得ない戦であり――」
「その肝心要の暗黒神が『ドン引く』ような戦をしたのが、お前だってんだよアストラヴェル。炎のあたしより苛烈に燃えてどうすんだ」
「ええ、あの勢いは私の水でさえ流せない激流。おまけに人間達まで扇動して……血に飢えた暴徒の群れとは、まさにあの事」
イグナリアとナイアディス。炎と水が頬杖つきながら、視線が泳ぎっぱなしのアストラヴェルを呆れた目で眺めている。女神の眺めは、千里に届く神域の瞳。ジト目で見られてるだけで、精神が削がれてしまう。だって過去の『やらかし』全部知ってる瞳なんだもの。逃げられる筈が無い。
で、勿論アルドナとヴェントゥラも、視線は外さない。逃がさない、お前だけは……と言いたげな神の圧力。
「炎、水、風、そして私の大地。確かに我等はやらかした。だがな、人間達まで巻き込んで「光と闇の大戦争」を起こしたのはお前だけだぞ?」
「うんうん。あれはこの世の地獄だったよ。あの頃のアストラヴェルの信者、正直怖かったもん。澄んだ瞳で死出の行軍。一糸乱れぬ『戦争行軍』。わたしの風でも揺るがない。鋼の意志を刃に載せて……本当にさぁ、アンタが今、地上で『正義の女神様』として信仰されてるの奇跡だからね?」
「う、うぅ……そ、そうは言ってもだな、やはり善は悪に負けてはならぬから……」
ぼそぼそと、力無い反論を試みるアストラヴェル。鮮やかな黄金の髪が、今は色褪せて見える。
しかし四女神の追求は止まらない。代表して、炎の女神イグナリアが口を開いた。
「そんなに認めたがらないなら、もっと詳しく言ってやるよ。神話の時代。あの時、お前さんがやった『悪行』を」
「あ、悪行だと!? それは許さんぞイグナリア! 私の行いの何が悪行だったと――」
「何もクソもねぇよ。あの『やらかし』が悪行じゃなくて何だってんだ、この戦争狂」
そして語られる。アストラヴェルが、掘り起こさないで欲しいなー、って常に思ってる過去の『やらかし』を――
◇ ◇ ◇
遥か昔の神話の時代。
善悪の基準が曖昧だった頃。二つの神が、己が法を世界へ刻む為に戦っていた。
ひとつは光。奮い立つ心。秩序と摂理を治め、世界の『善』を示す女神。
ひとつは闇。利を求める心。欲望と契約を抱き、世界の『悪』を示す男神。
二柱の神は戦った。それが相克の理。二柱は、産まれ出たその時から対立することが決められていた存在。即ち、『永遠の宿敵』。
戦う事が定めだった。争う事が真理だった。故に、神話の時代、光と闇の神は持てる力の全てを使い、互いの意を示していた。
ただ、唯一誤算があるとすれば……光の女神の血の気が、闇の神よりも多かったことだ。
夜の名残をかき消すように、地平線が白みはじめていた。
朝焼けの陣地。無数の人間が集まっている。鎧を身に着け、剣を持ち、全員が戦う覚悟で集合していた。
その眼光は、一廉の戦士――を、通り越して、何かもう危険域。ガンギマっている。爛々と輝き、口元には笑み。敵を見かけたら即座に斬り殺しそうな危うさが、集まった人間達全員から漂っていた。
そんな陣地の中央。ひときわ高い丘の上に立つ女の輪郭が、文字通り『光り輝いて』神威を放つ。
光と戦争の女神、アストラヴェル。戦旗の女王。正義の刃。
「……良し」
何が良しなのか、サッパリ解らないが、兎に角アストラヴェルは集まった人間達を視界に納めて、満足そうに頷く。
正直、この人間達を前に満足げに頷ける神経は正気を疑う。だが、残念ながらそれを指摘する者は居ない。この場に居るのは全員が、同じ志を持った同類であるため。
並ぶ人間の列は大きく三つ。
第一列は殉教志望者。
鎧の内側に、すでに簡潔な遺書と殉職届を畳んで入れてある。家族への言葉は短い。「誉れとせよ」「泣くな」それだけだ。
第二列は殉職予備。
運が良ければ生き延びて武勲を語るが、悪ければ前列の穴を埋める……そんな一筆を入れている。
第三列は殉行動管理。
負傷者の処理、撤退路の封鎖、裏切り者の即時処刑まで含めた「戦場維持担当」。紙にはごく冷静に「異端者あらば同胞でも斬る」と署名されている。
はっきり言おう。これは、死出の葬列だ。皆が皆、死ぬ事を前提に集まっている。
だが何より恐ろしいのは、誰一人として震えていない事。むしろ瞳は熱く、笑みさえ浮かぶ者もいる。
その先頭に立つアストラヴェルの瞳は、さらに酷かった。
琥珀色の虹彩が、星光を反射して細く尖る。瞳孔はきゅっと絞られ、しかし輝きは煌々としていた。完全に逝っちゃってる目である。
鎧に刻まれた日輪紋が脈打つたび、周囲の空気が震える。周りの人間達は、実に嬉しそうにその日輪を見つめて。
アストラヴェルの右手に握られた神剣――《星煌剣カリュストラ》は、刃の内側で星々が瞬き、今にも流星雨を噴き上げそうにうねっている。
光の女神は、剣を高々と掲げた。刀身からは、星の燐光が放たれる。
陣地に広がる女神の威光。その光に触れただけで、夜明け前の薄闇が裂け、軍勢の影が一斉に長く伸びた。
同時に、光の女神の声が――人間達に向けられる。
「我は問う。正か否か。その胸にある刃の正当性を――汝ら何ぞや?」
静かな問いかけ。けれどその声は、陣地の全範囲に届く。神の力を宿した語り。それは音量とは別の位相で、人間の心に響き渡る。
反応は雷鳴のようだった。一瞬の静寂のあと、大地ごと揺るがす咆哮が返る。
「我等、正義の刃! 女神アストラヴェルの信徒なり!!」
第一列、第二列、第三列。
誰一人として口ごもらない。
幾千の喉が揃い、声は一点の陰りもなく、ただ眩しく響いた。
近くで見れば目は完全に逝っている。死を恐れぬ、ではない。「正義の名の死を渇望している」に近い輝きだ。
集結している人間全てが――アストラヴェルの名の下でなら、断崖の先へまで飛翔するだろう。
最早、狂気の沙汰。だがその狂気の輝きを、アストラヴェルは満面の笑みで受け止める。それでこそ、とでも言いたげな破顔。
「ならば正義の刃達よ! その手に持つものは刃だけか!?」
更に問いを続ける光の女神。次いで、足元には光輪が走る。星の紋が浮かび、秤の象が淡く浮かぶ。
アストラヴェルの神威が、目に見える形で人間達に示される――当然、人間達はヒートアップ。血走った眼で、己が信じる神への誓いを口に。
刃だけではない、と。自分達が持つのは、決して力だけでは無いのだと。
「否――片手に剣を、片手に秤を! 我等が持つは、正と否を測る、剣と秤なり!!」
「ならば良し!!」
感じ入ったようにアストラヴェルが叫び返す。それでこそ我が愛する人間だ、と全身全霊で表す女神。正直なところ、この眼がガンギマってる人間達を基準にしてもらいたくないのだが……残念無念。この場に諫める者は、誰一人としていない。
全員が、女神アストラヴェルを信仰する狂信者達だ。もう誰にも止められない。
「我と汝ら、共に志を同じくする同士なり!! おお、今ここに、神と人の境は無くなった!! 我等、同じ魂を抱く者なり!!」
しかもこんな台詞を言うもんだから、もう大変。おおおおおおおおおお、と人間達の叫びが上がる。
地面の石が震え、旗がばたつき、空気が震音を帯びる。光と正義を掲げ、「行き過ぎた」者達の、信念の軍が、此処に爆誕した。
だが、止める者はいない。彼らにとって世界は明快だった。正義と悪。光と闇。剣と標的。それだけ。
アストラヴェルは星煌剣カリュストラを一閃させる。
夜明け前の空に、流星の尾が一本、鋭く刻まれた。それが合図だった。
「さあ行くぞ――正義は我等にあり!!」
その号令とともに、光の軍勢が動いた。
盾が鳴り、槍が斉しく前を向く。光の矢が中空で生成され、軍列全体がひとつの巨大な光条となり、魔界への断崖へと雪崩れ込むように進み始める。
先頭は女神自身。本来なら陣の後翼で全体を統べるべき存在が、一番に丘を駆け下り、星煌剣をブンブン振り回しながら正面から突撃。完全に鉄砲玉である。神である自覚はあるのか。多分無い。誰よりも血気盛んで、悪の流す血を求めているから最前線で剣振り回しているのだ。
地平線の向こう、亀裂だらけの闇の大地――魔界へ向かってまっしぐらに、光の軍勢が攻め込んでいった。
で、一方その頃、魔界はと言うと。
「……ええ……何アレ……? 本当に、人間……?」
黒い翼の女魔族が、攻め込んでくる人間の軍勢を、引き攣った顔で確認した。
魔界の上空で空を舞いながら、その存在を見る。魔界と地上の境界線から、血眼の軍団が武器振り回しながらやってきた。女魔族の目からしても、とても怖い。
彼女は魔界では名の知れた魔族。魔族のなかでも上位存在で、その強さも役割も大きい。今回のように、魔界へ攻め込む軍団の気配があれば、直ぐに察知して防衛軍を敷く程の立場。魔界の平穏を、何度も護って来た魔族の中の穏健派。
そんな彼女が、完全に引いている。ドン引きだ。何だ、あの人間の群れは。全員、覚悟完了してる死兵じゃないか。
「いやいやいやいや……何をどうすれば、ああなるのさ。先頭に立ってるのは……あれは光の女神か? まさか人間扇動して軍率いてるのかい!?」
最前線で剣ブン回してる女神を見て、絶句する女魔族。
それも当然だ。いかに魔族とは言え、あんなあくどい事はしない。確かに魔族は、『悪』を司る混沌の種族だ。地上では悪さをする魔族も居る。
しかし、そんな魔族でも――いや、魔族だからこそ契約と代価には厳しい。決して外道ではない。地上の人間達を扇動して天界に攻め込むような『非人情』な真似をした魔族は一人だっていやしない。攻め込むにしても、もう少し思慮深く攻め込む。
ともあれ、あの軍勢はとても拙い。このまま放置すれば魔界の街に到着する。そうなれば狂信者共が、魔界の住民も皆殺しにするのが自明の理。
……確かに魔界の連中は、地上に居られない爪弾き者ばかりだし、暴れん坊ばかりだし、人間に契約持ち掛けて『破滅に落とすのが趣味です』と言い張る悪党ばかりだ。だが無暗に人を陥れない良識派や穏健派も、端くれの隅っこの出涸らし程度の少数だが存在する。修羅の戦に巻き込むわけにはいかない。
「とりあえず……『主』よ。こちらも軍を編成して応戦するぞ。それで良いな?」
女魔族と同じく、魔界の上空に浮遊する『主』……暗黒神に視線を向ける。
そこに居るのは、壮年の渋みある男。外見年齢は四十代〜五十代。黒に近い深茶の短髪に所々白髪の筋、右頬に古い浅い裂傷の痕がある男性。身長はやや高めで肩幅広く、黒い長コートの下に古びた豪奢な装い。
瞳は深い闇のよう。彼こそは暗黒王。深淵の契約者。変貌する影。光と戦争の女神アストラヴェルの対立存在――『暗黒神ヴェスペリオン』。
「…………」
その彼は、常に余裕のある笑みを浮かべる神である。
誘惑と破壊を楽しみ、秩序を壊すことで新たな可能性を生む奈落の秤。この世界の『悪』を司る者。
そんな彼が――何か、冷や汗垂らしてる。
「おい、主……まさかと思うが逃げる気じゃないだろうな?」
「逃げはせん。逃げはせんよ。だが、な…………あれはないだろう、あれは。何時から正義は、理性の無い暴力言語になった?」
ぶっちゃけると引いていた。ドン引きだ。暗黒神が、光の女神の所業にドン引きしていた。
まあ無理もあるまい。本来、侵略戦争は『悪』である暗黒神側がやるような事だ。人間達を見守り愛する光の女神が、その人間達を扇動してカチコミかますとか理解の外にある。本末転倒だ。護るべき対象を戦の駒にするとか、魔族や暗黒神だってやらない。鬼畜外道の所業だ。
暗黒側の考えでも、沙汰の外。正直言うと、見なかったことにして引き籠りたいくらいに。
だが、そうも言ってられない。ヴェスペリオンは意を決して、指示を飛ばす。
「まず、黒竜と煉獄竜を集めろ。空からブレス攻撃で侵攻を止める。次いで鬼族や邪精霊を街の防衛に当てさせろ。魔族は下位と中位を全員招集して――む?」
指示を飛ばす最中、何か違和感を感じヴェスペリオンは動きを止める。
視線を下に向ける。見えるのは血眼の狂信者軍団。津波のような勢いで魔界を蹂躙せんとする破壊の軍勢。
その軍勢の先頭を走っていた光の女神が――いつの間にか居ない。
瞬間。
「死ねぇぇぇぇえぇぇぇッ!!」
「う、うぉぉぉぉおおおお!?」
上空に浮かぶヴェスペリオンよりも更に上から、神剣で唐竹割りにせんと襲い掛かるアストラヴェルが居た。
反射的に武器を召喚するヴェスペリオン。呼び出される武器は、《滅槍ネメシクルス》。黒曜石のような漆黒の鏃を持つ、銀灰の神槍。
相手の存在そのものに『終焉の印』を刻みつける破滅の槍。
その暗黒の槍と、光の女神の持つ星煌剣が激突し――膨大な神威と、衝撃波を生み出した。
「あ、主――!?」
その暴力的な規模の『余波』に巻き込まれて、女魔族が彼方に吹き飛ぶ。咄嗟に防御障壁を展開したようで怪我は無いようだが……それでも、魔界の僻地まで飛ばされていった。とんでもない、光と闇の激突。
そして真正面から光の斬撃を受け止めたヴェスペリオンは、その勢いに押されて魔界の地表へと。
瞬時に態勢を立て直し、槍を構える暗黒神。
その眼前には――瞳孔かっ開いて、三日月のような笑みを浮かべ、殺意全開の姿で剣を構える光の女神の姿。
すごく、こわい。
「我等が正義を理解できぬ者よ……この暗黒の地平に沈むが良い!!」
「こ、この戦闘狂女神が――!!」
そうして始まる、光と闇の激戦。
この後、戦いは長く続いた。戦線復帰した女魔族の指揮の下、防衛線が敷かれて、光の狂信者相手に一歩も退かぬ奮戦を見せる。
光の攻撃魔法、闇の攻撃魔法。光の武器、闇の武器。あらゆる対極がぶつかり合う、神話の中でも屈指の激しさを誇る戦争になった。
それは長く続いた。最終的に、魔界側から「もういい加減にして貰えませんかね?」と停戦の申し込みがあるまで。
長く長く、続いた。
◇ ◇ ◇
「……どうよ。この『やらかし』聞いてまだ自分はマトモでしたとか言う気か?」
「う、うみゅぅ……」
据わった眼つきのイグナリアの圧に負けて、なんか小兎みたいに縮こまるアストラヴェル。
流石に、過去の『やらかし』を正確に語られた状態で、偉そうに胸張って反論する気はない。それくらいの良識はアストラヴェルにだってある。
「しかも停戦申し込まれてから実際に停まるまで、結構間があったわよね……確か貴女なんて言ったかしら? 『臆したかヴェスペリオン!』とか言って、もう一回剣で斬り掛かったとか?」
「そりゃ臆すでしょ。誰だって臆すよ。こわいもん、普通に」
ナイアディスとヴェントゥラが追い打ちをかける。光の女神の背丈は、ますます縮む。すっかり、しおしおに萎びるアストラヴェル。
そんなアストラヴェルに、冷めた視線を向けるアルドナ。
「あの戦で死んだ人間の数は凄まじい。過去最多だ。よもや女神主導の戦争であそこまでの死者が出るとはな……しかも聞いたぞ? 焚き火の前で殉職届の書き方講座までやっていたそうだな? 正義の行程表、恐れ入ったぞ。本当に」
全然笑っていないアルドナの瞳。その目が語っている。四女神は人間達を巻き込んだが、光の女神は人間達を駒にしたと。正義の駒に。言い逃れは許さんと。
逃げることなど出来ない。改めて過去の罪と向き合ったアストラヴェルは、胸を張り、前を向き、真っ直ぐな瞳で言い放った。
「ついカッとなってやった。ヴェスペリオンの事を考えたら抑えが効かなかった。今は反省している」
「「「「しれっと開き直るな、この馬鹿!!」」」」
四女神が全力で、茶器を光の女神目掛けて、ぶん投げた。
それが今の天界の話。
女神達は過去の『やらかし』を自覚しながら――間違いを犯さぬよう、世界を運営している。




