第3話・四女神のやらかし
天界の浮遊庭園に、妙な沈黙があった。
炎、水、風、大地、光。五柱の女神が円卓に座りながら、視線をどこか遠くへ。炎の女神はおにぎり頬張りながら、無言。水の女神や大地の女神は、お茶まで淹れ始めて飲む始末。光の女神と風の女神は茶菓子の準備。天界菓子が円卓の中央に置かれて、女神達はそれぞれ飲食しながら気まずい顔。
ちら、と各々が各々の顔を見る。責任の所在を探る視線。女神達が「自分の事」を棚に上げて、一番の戦犯を探る。
やがてその瞳は……運悪く、炎の女神イグナリアに固定された。
「は、はあ!? あたしじゃねぇだろうが!? お前らだって大概やらかしただろ!?」
「いいえ、被害の大きさだけなら貴女は群を抜いていた筈よ。どれだけ燃やしたと思ってるのよ。当時の人間が哀れで哀れで」
「お前が言うなナイアディス! てめぇこそ、どれだけ流したと思ってんだよ!? 痛みを流します、とか言って街ごと洪水で洗い流す馬鹿が!!」
「だ、誰が馬鹿ですって!? 丘を三つも四つも焼き払った貴女が言えたことですか!? 私の水は……まあ確かに少しやり過ぎた事もありましたが、被害規模は炎ほど悲惨ではありません!!」
「なにおう!?」
「なんですか!?」
ぎゃあぎゃあと、醜くも言い争う炎と水の女神。今にも取っ組み合いが始まりそうな勢いだ。
呆れたように眺める大地の女神アルドナが、お茶を飲みながら叱責。
「黙れ。喧しい。私からすればどちらも同じだ。神代の頃は、神というより放火魔と洪水狂。あの争いの仲裁をしたのが誰だと思っている。炎も水も、最終的には拳で殴り合っていただろうが」
うぐ、と苦悶の声を上げるイグナリアとナイアディス。過去の「ヤンチャ」だった頃の振る舞いを思い出したのだろう。昔のやらかしを指摘されると恥ずかしいのは、人も神も変わらない。二人とも口笛吹きながら、そっぽ向いてる。こっちを向け、炎と水の女神。目を逸らしても過去のやらかしは消えないぞ。
アルドナは語る。過去のハチャメチャな衝突の一部始終を――
◇ ◇ ◇
遥か昔の神話の時代。
まだ、人間の文明が未発達だった頃の話。
女神達も抑えが利かず、己の力を全力で振るっていた時代。地上の人間達が巻き込まれるのも無視して、自身の神威を示す。
炎の女神イグナリアも、思うがまま地上で猛威を振るっていた。鍛冶の炉に火をいれる「ついで」に、周囲も焼く。邪魔な者を焼く「ついで」に延焼させる。炎が、丘全体に広がり、逃げ回る人々まで出る。あたしの炎が世界一だー、と叫びながらメラメラ燃える。ぼうぼう燃える。
水の女神ナイアディスは、そんな炎を水で諫める。燃え盛る焔を、濁流のような水で静めた。炎が世界に栄える事は許さないと、行動で示す。ちなみに、その際に巻き込まれた人間の数は多数。というか無数。家ごと流されて違う家の子になった者まで居る。酷い話だ。
無論、水で炎を消されたイグナリアは黙っていられない。流水に負けぬ猛火を持って、神威と神威がぶつかり合う。互いの意志が世界を揺るがす。
……このやり取りは、地上では碑文、古文書、または演劇の題目で受け継がれている。過去に神と神は衝突したと。
だが実際はもっと……野蛮。イグナリアとナイアディスは、拳を振り上げて、ステゴロの激戦を繰り広げていた。
「――シャァ!!」
「がっ!?」
ドゴン、という激音と共に、腰の入ったナイアディスの右ストレートがイグナリアの顔面に入る。
思いっきり吹き飛ばされて、仰向けに倒れ伏す炎の女神。
そんな炎の女神の前で、腰に手を当てて仁王立ちの水の女神。
「おーほっほっほっほっ! ざまぁないわねイグナリア! 無様に大の字で寝っ転がる気分はどう!? 所詮、炎は水に勝てないって訳よ!」
ナイアディスの高笑いが世界に響く。どう見てもその姿は女神ではない。悪の女幹部だ。
イグナリアは体を起こす。顔面が痛むが、そんなことはどうでもいい。今は、前方で高笑い上げてる馬鹿女に目にも見せてやらねば気が済まない。
呑気に高笑い上げ続けるナイアディスの懐に――瞬時に踏み込む。眼を見開き驚愕するナイアディスだが、もう遅い。敵を前にして笑い続けたのがうぬの不覚よ。
「おらぁっ!!」
「ごっ!?」
地を這うような軌跡で描かれた、イグナリアのアッパーカットが、ナイアディスの顎を貫く。
天を衝くような華麗なフォームのアッパー。ナイアディスは大きく仰け反ったまま空高く舞って、顔面から地面に落下した。
ドシャアッという音と共に、大地に倒れ伏すナイアディス。
その無様な姿を見て、イグナリアは腰に手を当てて鼻で笑う。
「はっ! あれだけ大口叩いた挙句、自分は地面と熱烈なキスか? はーはっはっはっは! てめぇにはお似合いの恋人様だなぁ!?」
ゲラゲラ笑うイグナリア。とても炎の女神様とは思えない。どう見ても悪の親玉だ。どうなってんだこの世界の女神は。
そんな、笑い続けるイグナリアの前方で、腕に力を籠め立ち上がるナイアディス。その顔は憤怒に染まり、世界を水で沈没させかねない神威が宿っている。
息は荒く、怒りは止まらず、音を置き去りにして、文字通りの神速でイグナリアの懐に入り込むナイアディス。
そして繰り出される右フック。イグナリアは、首がもげそうになる衝撃を感じた。
「がぺっ!?」
目の奥がチカチカする。神だから生きているものの、これが人間だったら存在そのものが抹消されていた右フック。
けれどイグナリアは意識を保つ。根性で踏みとどまり――お返しの右拳を、ナイアディスの鳩尾に。
「おぐぅ!?」
ゲロ吐いてのた打ち回りそうな衝撃が、ナイアディスを襲う。
でも耐える。水の女神がゲロ塗れとか、世界が許しても神の誇りが許さない。
拳を握り締め、更なる反撃を。炎と水。二柱の女神が、ガンギマリの眼光を携えて。
「ナイアディスゥゥゥぅぅッ!!」
「イグナリアァァァァぁぁッ!!」
そうして始まる、炎の女神と水の女神の、足を止めた全力の殴り合い。
お互いボコスカ殴り合っている。イグナリアのガゼルパンチがナイアディスの身体を浮かせ、ナイアディスのチョッピングライトがイグナリアの顔面を穿つ。
どちらも退かぬ全力の拳撃。
被害は主に、周囲に及ぶ。どちらも神の力全開で殴り合っている為――その余波の炎と水が、世界に解き放たれる。
結果として、数多の山が焼け、無数の都市が沈水する。
その戦いは長く続いた。他の女神の介入があるまで、永遠と。
◇ ◇ ◇
「…………まあ、そんなこともあったな」
「…………ええ、若気の至りというやつね」
イグナリアとナイアディスが、全力で眼を逸らしながら茶を呑む。天界のお茶だ。とっても美味しい。
しかしアルドナのジト目が容赦なく二人を射貫く。長い付き合いだ。そう簡単に見逃しはしない。
「そんなこと、か。若気の至り、か。よく言ったものだな。炎の『焼き捨て』。水の『流し』。二つ重なれば何も残らん。家が燃え、記憶が流された。人間達の営みの幾つが消え去ったと思う? ……当時の子らの涙を、未だに思い出すぞ」
「うぐぅ」
炎と水、二柱揃って、円卓に顔を突っ伏す。やめたげて。二人の体力はもうゼロだ。
だが、それだけ神の「やらかし」の被害は大きかった。世界を創る力を持った女神達。その女神達が衝突すれば、必然的に世界を壊す現象が発生する。彼女らの殴り合いは、殴り合いだけでは済まない。余波だけで、人間の生活環境に多大な被害が生まれる。
しょぼん、と小さくなる炎と水の女神。「わ、わぁ……」とか言いながら、小動物みたいになってる。
しかし――そこで黙っていない風が居た。言葉を風に乗せて、ヴェントゥラがアルドナに一言物申す。
「ふーん……何かアルドナさぁ。自分はまともー、みたいな雰囲気だしてるけどさぁ……アンタも大概だったよねぇ?」
「む」
「む、じゃないよ。む、じゃ。……根を張れって言って、神の力で『物理的』に家も城も動かなくさせてさ。確かに家や城は守ったよ? でも、人の商いと学びまで動かなくなった。ひとつの土地に縛り付けて、ありゃただの牢獄だよ」
ヴェントゥラの呟きに沈黙するアルドナ。茶飲みつつ、視線は下。大地の女神にも、掘り返されたくない過去はある。
けれどヴェントゥラの口は止まらない。同僚の、かつての「やらかし」を喜々として語る。
「街の外にも行けなくなった子供の嘆きが今でも耳に残ってるよ。……おかーさん、どうして何処にも行けないの? って。女神のやることかねあれは。炎も水も大地も、あの当時は碌なもんじゃなかったよねぇ」
「……随分言ってくれるなヴェントゥラ。そういうお前はどうなのだ? ん? 砂漠の隊商を『近道』させたアレだ。束縛を捨て、自由な風のように……言葉は綺麗だがな。それで荷物まで捨てさせては本末転倒だろう。積み荷が消えて身軽に『なってしまった』商人達が、どれだけ絶望していたか」
「うっ」
アルドナの鋭い指摘に、今度はヴェントゥラが狼狽する。
そう。大地の女神だけではない。風の女神も案外やらかしてる。自由気ままに風を吹かせて、人間達の大事な物まで飛ばす事もしばしば。
結婚を間近に控えた恋人の、結婚式用の衣装まで飛ばしたことがある。無論、恋人達は嘆き悲しんだ。お通夜みたいな雰囲気で結婚式を挙げる羽目になった。
今は昔、神話の時代の話。
故に、その話なら炎と水も勿論知っている。小動物みたいになっていたのに、新たな標的を見つけて矛先を向ける。
「そうねぇ。さっきは偉そうに講釈垂れてたアルドナも、思えば随分だったわ。ねぇイグナリア?」
「ああ、言われて思い出した。アルドナとヴェントゥラ。てめぇら揃いも揃って天変地異引き起こした二大巨頭じゃねぇか。あたしらをどうこう言う資格ねぇだろ」
そうして炎と水は語り出す。風と大地のやらかしの一部始終を――
◇ ◇ ◇
それはイグナリアとナイアディスが、血みどろの殴り合いをしていた頃と同時期の話。
昔々のお話。風の女神と大地の女神は、その当時地上に降りて、手ずから人間達を導いていた。
土地に根を張れ、と人々に教えを授けるアルドナ。
ひとつに留まらず自由を誇れ、と人々を導くヴェントゥラ。
二柱の女神の意志は両極で、常に意見のぶつかり合いがあった。今の時代ならば、話し合いでどうにでもなる類のもの。
だが、当時は、神話の時代は違う。互いに血気盛んに、人間達を見守っていた若い頃だ。そりゃあもう、口から喧嘩腰の言葉が溢れる溢れる。
炎と水と同様に、このやり取りは、地上では碑文、古文書、または演劇の題目で受け継がれている。過去に神と神は衝突したと。
だが例によって、実際はそんな神々しいものではない――血生臭い肉体言語だ。
「――ふん!」
「うわぁっとぉ!?」
風のように空を舞うヴェントゥラの足首を掴み、大地に引き摺り下ろすアルドナ。
ビターン、と良い音立てて地面に激突するヴェントゥラ。アルドナは、そのヴェントゥラの足に関節技を決める。
相手の両脚を「4」の字に変形させて、脛骨を痛めつける――四の字固め。
「ちょろちょろ鬱陶しい足だ――粉々にしてくれる」
「い――つつつつつ!? キツイキツイキツイキツイ! いた、いだあぁい!?」
冗談抜きで下半身が砕けそうな激痛に、涙目で悶え苦しむ風の女神。大地の女神は平然と無表情で、極め続ける。人間なら、確実に、死ぬ。
ヴェントゥラは涙目のまま右掌の風の神力を集める。とんでもない痛みの所為で集中できないが、それでも軽く樹々を薙ぎ倒す程の暴威。
その暴力的な風を――アルドナの顔にぶつけた。
「――ぐぺっ」
何とも言えない声を上げ、アルドナの顔が歪む。均整の取れた、誰しもが美女と評するアルドナの顔。
その顔が――すっごく不細工に歪む。風に押されて、眼も鼻も口も、潰れた饅頭みたいになった。
そして、世界で一番不細工な顔のまま、アルドナは風に吹き飛ばされた。激しく地面をバウンドしながら、何百メートルも吹き飛んでいく。人間なら確実に爆発四散している威力。だがアルドナは女神なので死にはしない。
ただ、汚れ塗れ土塗れで地面に倒れ伏すだけ。
ヴェントゥラはそんなアルドナに追撃を――する余裕は、今は無い。下半身の痛みが凄まじい。はっきり言って動けない。
「あ、あの土女……よくもやってくれたなぁ……!」
怒りが沸き立つ。自慢の美脚がガタガタだ。あの土女に一発食らわせてやらねば気が済まない。
足は動かせない。痛みが神の身に深く刻まれている。けれどヴェントゥラは風の女神だ。歩けなくとも――空は彼女の領域。
風を吹き荒らして空を舞う。緑風を纏ったまま、流星のような速度でアルドナに迫る風の突撃。
アルドナは身を起こす。身体が汚れ塗れ。全身に鈍痛が走る。けれど痛みよりも怒りの方が大きい。風如きが、よくもやってくれたなと、全身に力が宿る。
迫る風。迎え撃つ大地。そうして二柱は――激突した。
「アルドナァァァァぁぁッ!!」
「ヴェントゥラァァァァぁぁッ!!」
そして風と大地の女神は、手四つの体勢に。互いに両手で、力の押し付け合いが開始される。
空が裂ける。大地が割れる。世界の気候が荒れ狂い、世界の大地が地震で壊れていく。
全世界を呑み込む、風と大地の喧嘩の余波。動物たちは逃げ惑い、人間達は泣きながら祈る。
どうか、世界の嘆きを止めてくれ、と――その戦いは、他の女神が止めるまで続いた。
◇ ◇ ◇
「……過ちは、誰にでもあるものだ」
「……そだね。風も吹かせる場所を間違える事がある」
アルドナとヴェントゥラ。そっぽ向きながら、茶菓子をもぐもぐ。とっても美味しい。
そんな大地と風の女神に向かって、息を合わせて攻め立てる炎と水の女神。
「過ちぃ? そんな言葉で終わらせるなよアルドナぁ? てめぇの地割れが何人呑み込んだんだ? えぇ? 言ってみろよぉ大地の女神様ぁ?」
「そうよそうよ! ……そこの風の女神も同罪よ! 何人飛ばしたと思ってるの貴女は? 思い出も居場所も全部風で吹き飛ばした無慈悲の女神。はっ、自由とはいい免罪符ね!」
イグナリアとナイアディスは肩を組んで「やーいやーい!」とアルドナとヴェントゥラを責める。自分の事は棚に上げて。案外仲が良い。
ヴェントゥラとアルドナは互いに「ぐぬぬ」と歯を食いしばって、その罵倒に耐えている。だって反論できないし。やらかした事の規模が大きすぎて、女神の良心を苛む。良い女神なんです。人を愛している女神様なんです。ただちょっと昔は「ヤンチャ」し過ぎただけでして。
そんな昔の出来事があって――今の女神達が居る。
過去のやらかしを胸に抱き、悔やみ反省し、現在世界を見守る守護者が彼女達だ。遥か遠き天界から、人の住まう地上を見ている。
過ちすら糧に変えて――そんな女神達を見て、光と戦争の女神アストラヴェルは優しく微笑んだ。
「そうだ。かつての罪さえ世界を育てる種にして……我々は、今後も世界を見守っていく――」
「「「「お前だってやらかしてるだろうが!! 他人事みたいに言うなアストラヴェル!!」」」」
「な、なんだとぉ!?」
だが、そうは問屋が卸さない。四柱の女神による一斉唱和。てめぇが責任逃れするのだけは許さねぇと、指突き付けて責め立てていた。
四女神の罪は垣間見えた。ならば次は光の番だ。情け容赦なく、過去の罪業を暴き立てる――。




