ワトソン役が犯人はいまさら新しくない
血の臭いがする。
気のせいだろう。この部屋中が臭いのだから、シャルロが近づいてきたからといって変化があるわけはない。
それなのにシャルロの、愉悦に歪んだ目がいけない。血の臭いを嗅ぎ取った獣みたいに、私に食いつこうとしている。
ああ、疑われている。
疑われても仕方がない。私は犯人しか知らないことを知っていて、それに沿って行動した。しかしもちろん、私は犯人ではない。
「生徒が危険だと聞いたからですよ」
「君が? 誰が死のうと嫌な顔をするだけの君が?」
それはひどい理解だが、そうだったかもしれない。でも、仕方がないだろう。私は自分の身が一番大事なので、人の死への悲しみより忌避が先に立つのだ。
「……ナミルはとても優秀な生徒でした」
「うん? 過去形なのか」
私は言葉につまった。
情がないといえば確かにない。だが私の中で、すでにナミルは血に塗れて転がる物体なのだ。
「君は本当に何かを知っているようだなあ? いくら君がとろくさくったって、あれはひどかった。ほんとうにひどかった。誰だってこう疑うぞ、ワト先生は犯人を逃がすために時間稼ぎをしたんじゃないか、と」
確かに、と誰かが呟いたのが聞こえ、世界が冷えた。
そちらを見たくもない。生徒の、カームの声だ。疑いに満ちた低い声だ。
「そんな」
「そんな?」
「……そんなことはありえません」
「ほう!? どうして?」
シャルロの目が視線さえ逃がしてくれない。息苦しい。私はこの男に、この世界の探偵に疑われているのだった。間違うはずのない存在に疑われていて、そして真実を告げることはできないのだ!
私はあの時、確かに扉の向こうに犯人がいると知っていた。知っていたから、あんな行動を取った!
知っているはずがないことを知っていた。探偵が何度も何度も何度も犯人を追い詰めてきた根拠じゃないか。
このままでは私は犯人にされてしまうのか?
いや、違う、シャルロもさっき言ったはずだ。私は犯人に協力したと疑われているだけだ。
「質問を変えようか。ワトくん、犯人は誰なんだろう?」
「犯人、は……」
「先生!」
必死に返答を考えていると、管理塔に行った生徒たちが戻ってきたようだ。
ドラマのようなタイミングだと一瞬思ったが、いつ戻ってきてもおかしくなかったのだ。いつでも、私の救いにはなった。
「鑑識官を呼ぶそうです。それから……ナミルと、その……メイリー以外は全員部屋にいました」
「ふうん」
シャルロが生徒たちの対応をするだろうと思ったのに、その視線は私から外れなかった。
まだ答えを待っているのだ。
「それなら……犯人は、メイリーでしょう」
「なに?」
「だから、犯人はメイリーでしょう?」
「はあ。つまらない例え話はやめたまえよ」
シャルロは言葉の通り、きわめてつまらなそうに私を見た。そんなにおかしなことを言っただろうか?
被害者であるナミル以外で、部屋にいないのはメイリーだけだ。おかしな考えではない。……はずだ。
「……全員の部屋を改めればわかるんじゃないですか。血のついたものを処分する時間はなかったはずだ」
「ワトくん? 真面目に答えてくれ」
「真面目に答えていますよ!」
他にどんな正解があるというのだ。
私は知っている。ナミルを殺したのはメイリーで、メイリーはあの窓から逃げてしまったのだ。それも私のせいだ。少しくらいの罪悪感はあるが、べつに私は犯人に協力したかったわけじゃない。
「メイリー以外に誰が犯人だと言うんですか」
「……!」
「シャルロ先生?」
なぜかシャルロが目を見開き、背後を振り返った。
そこにはナミルの死体があるはずだ。私はそちらを見たくないので、シャルロの耳の後ろを見ていた。
「…………そうか」
くるりと振り返ったシャルロの顔を見て、私は思わず悲鳴をあげそうになった。
ギラギラと輝く瞳、歯をむき出しにしながら釣り上がる唇。社会的な人間としての良識をすっかり忘れてしまった顔だった。
私はいっそ殺されるかと思ったほどだ。
しかしシャルロの視線は私を通り過ぎて、生徒たちの方を見た。彼らはひどく動揺したように、私とシャルロを見比べた。
「わかった。では、君たちは部屋に戻りなさい。じき鑑識官が来るだろうから、質問されたら答えるように」
「は、はい」
「あの……」
「すまないが話はあとにしてくれ。わかっている、今は犯人を見つけることが最優先だ」
カームだけが何か言いたそうにしたが、シャルロはいかにも面倒そうに早口で言った。それ以上引き下がる気力もなさそうに、カームは「わかりました」と頷く。
そして彼らは半分で止まった扉を押しのけるようにして出ていった。