あしながおじさん
知らない天井だ。
どうやら病院へ運び込まれたらしい。
ベッドの横を見ると、泣き疲れたのか花蓮が俺の手を握ったまま寝ているのが見えた。
小さい頃は、にいちゃにいちゃって俺の後をよく着いてきたよな。俺にとって唯一の家族。大分不安にさせてしまったな……
「お目覚めの様ですね。なによりです」
どうやらお医者様が来てくれたようだ。
「先生……。俺は、一体……」
先生は、メガネをクイッと持ち上げてこう言った。
「直向 得志さん。単刀直入に言います。あなたのその症状は、"好きが爆発症候群"の典型的な初期症状です」
唖然。呆然。
一体何だって。
「好きが…爆発、症候群。ですか」
「そうだよ。君、倒れる前に何か好きな事をしたとか、感情が溢れるくらいの出来事があったでしょう?」
――あの時のことを思い出してみる。俺はスーパーに買い物に行って、その後倒れたんだった。そう、買い物の時に、俺は…
「スーパーに、たくさんお得なものがあって…。特に半額の割引シールを見つけた時とか、すごく嬉しかったですけど」
とたんに先生がなんとも言えない顔をした。
「君、若いのに渋いね…」
「えっ」
コホン。
「気を取り直して。好きなものを見た後の突発的な発熱。さらに、今君の額には模様のようなあざがある。この病院に運ばれて来た時は強く発光していたんだ。これは好きが爆発症候群…通称ホリック・バンの典型的な初期症状だ」
「ホリック・バン…」
聞いたことがある。俺達くらいの思春期の子供が、ごくごく稀に発症する事があるらしい、と。稀すぎて何が起きるか知る人は少ないが、発症者を知る者は全員こう言うらしい。
「変な人の…、なる病気」
「いやあ、当たらずとも遠からずかな」
先生は苦笑してそう言うと説明を始めてくれた。
「まず、ホリック・バンは特殊な、似通っている症状を起こす人たちを便宜上そう呼んでいるだけで、体に不調がなければ日常生活に支障はないし、"治療"も必要ない。
ただ…。今までと大きく異なってくるのは、君に出来ることの幅が大きく広がるという点だ」
出来ることの、幅…。
「例えば…?」
「そうだなあ、分かりやすいのが動物関連。
動物の言葉がわかったり、その動物みたいな身体能力を得たりする人もいる。
そんなふうに、心の中に眠っている宇宙くらい果てしない可能性が現実になる事象。それがホリック・バンだ」
「………。」
「現在でも原因は不明なんだが、好きという感情がトリガーとなる事例が多いみたいなんだよ。それも胸いっぱいになるくらいのね」
………。
ええ…。つまり、なんだ…
「俺は、超能力者か何かになった…、ってことですか」
「あはは! まあそれに近いよね!
………まずは経過観察をしようか。1週間後、またここに来て貰えるかな。」
――突発的なあざはホリック・バンが起きたことの証。ただ初期段階では治ることもある…。か。
家に帰った俺は、先生から言われた事を整理していた。
1週間後、もし症状が治らなければ、俺は俺みたいな子達を教育する施設へぶち込まれるらしい。
でも、もしそうなったら、花蓮はどうなる…?俺達は、離れ離れになってしまうのだろうか。
そっと、いつもは倒してある写真立てを起こす。写真には砕けた表情の人物が三人写っている。少し幼い俺と、花蓮と…。知らない誰か。
長い髪に同じ色の黒い瞳。愛情を目にたたえ俺達を見つめてくれているのが分かる。性別は…、女性だろうか。
断言するが親ではない。記憶にある俺達の親はもっと厳つい体格だからだ。
俺はこの人を探している。思うに、この人が俺達のあしながおじさんだからだ。
◆◆◆◆
俺達は現在、2LKの手狭な城で2人きり静かに暮らしている。昔は違う家に住んでいたけれど、引っ越しの時の記憶は曖昧だ。はっきりしているのは俺達を迎えにくる大人なんか居ないこと。
俺達の生活は、あしながおじさんのお陰で成り立っていた。
じっと机の上に置いてある封筒を見る。
毎月1日にポストに届けられる金一封。そのお金が入っていた封筒だ。これで毎月の生活費を賄っている。
学費やら、家賃やら、携帯のなんかの費用は"誰か"が払ってくれているみたいだ。
謎なのは、学校の先生やアパートの大家さんに聞いても「大丈夫だ、問題ない」しか言わないこと…。つまり誰か手配をしてくれている人がいるに違いないのだ。
俺達は、その"誰か"の事をあしながおじさんと呼んでいる。
俺はいつかこの人を探し出したい。そしてお金を返すのだ。
さらにどういう魂胆で支援をしたのか問いただす。
だいたい、いつまで続くかわからないこの支援に頼りきりになるわけにはいかないのだ。
だから俺は働く。
ああ、早く大人になりたいな…。
自分で生活を管理できて、欲を言えば好きな惣菜を定価で買えるくらい余力があったら、なんて幸せなことだろう……。
◆◆◆◆
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
はっ。
花蓮だ。随分長いことぼうっとしていたらしい。
とてとてと近づいて来る。
「お兄ちゃん、退院できて良かったね」
いかんいかん、切り替えろ俺。
体を花蓮の方に向けて言う。
「花蓮がいなかったら俺、大変なことになってたかもしれない。ありがとうな」
花蓮はニッと口角を上げた。
「まあね」
……。
何だろう。コイツがニマニマしている時は碌なことが起こらないのだ。
嫌な予感がする。
「ところでだけど。私良いモノ見つけたんだよね」
……良いモノ。なんだろうか。
「お兄ちゃんってさ、その状態で生活しなきゃ行けない訳だよね」
「ああ、このあざか? そうだな。物にぶつけたって言うには特殊すぎるよな。今もラメ程度に光ってるし…」
「という訳で、ハイ!かわいい妹からのプレゼントです。」
テレレッテレ〜
「ハチマキ〜」
ド◯え◯んボイスで取り出したのは、でっかく「根性」と書かれた太めのハチマキだった。
「あ、俺はこれを着けて生活する訳……」
「押し入れにあったから。良かったね!」
妹よ 兄がそんな変な人スタイルで過ごして良いのか
「結構、似合うと思う!」
なあ花蓮…。それは喜んでいいのか…?
兄は複雑な気持ちになった…。