発症
彼は重大な任務を負っていた。
目的地はスーパー。
――週末の特売が俺を待ってる
「卵鶏肉人参じゃがいも玉ねぎ……」
なぜだろう、お得に買い物をすると脳汁が止まらないのだ。
よって彼は義務というより趣味として買い物を楽しんでいた。生きがいと言っても過言ではない。
直向得志中学3年生。
冬休み。
うっすら雪が積もった道をザクザクと歩く。
いかに耳が悴もうと。明日の天気予報がポカポカ陽気の晴れであろうと。
今日行かなければ意味がないのだ。
念仏を呟く得志の隣で歩く影がもう一つ。背丈は彼の胸元あたり、細身の女の子だ。
彼女の名前は直向花蓮。小学6年生。
彼の妹だ。
子供体温は恐れを知らないのか、寒さなど気にも留めずぴょこぴょこと歩く。
そんな彼らはアパートで二人暮らし。共に住む保護者がいないので食料調達をこなす必要があるのは当然だ。週末は2人で買い物に来るのが恒例である。
得志はふと、マフラーに顔を埋めながら同じクラスの友人達に思いを馳せた。
彼らは今頃受験勉強に励んでいる頃だろうか。
まるで他人事である。それもそのはず、彼は高校に進学する気など微塵もなかった。
先生方は親身になって様々な制度を紹介し、進学をサポートしようとしてくれていたが…
彼がやりたいことは進学では無かった。よって先生方の言葉を頑として聞かなかったのである。
本人が頑固だと手の差し伸べようがない。
慎ましやかに生活していく。2人で。
それだけでいいのだ。
彼らは歩みを進めていった。
◆◆◆◆
暖かそうな店内に入る。購買意欲を促進させるような音楽、近所のマダム達のお喋り、店員の賑やかな掛け声。スーパーに着いたのだ。
店内に入る瞬間、毎度テーマパークに入ったかのようにワクワクするのは俺だけだろうか。
カートに買い物カゴをセット。
カラカラ…と押していく。
「お兄ちゃん、カート私が押したい」
目をキラキラっとさせながら花蓮が言う。
じと…。つい目が座る。
「花蓮に渡すとあらぬ方向にフラフラするだろ。ダメだ。」
ぷうっとむくれる花蓮を横目に俺は気にしないふりをした。
あと、押してた方が体 楽だし。
それを言わない俺は悪い兄か。
まあいい、気を取り直して買い物再開だ。
今回のターゲットは卵・鶏肉・豆腐、そして常備野菜をいくつか。
集中するため目を閉じた。
スーパーの全体像を思い浮かべる。入り口付近に野菜コーナー、直進左手に日配食品、そのまま突き当たりに行くと精肉コーナー…
さらに現在の混み具合、人の流れを考えると…
――最短ルートサーチ完了
カッッ!!
目を開くと同時に物凄い速さで進み出した。
「あっ、待ってよぉ」
決して爆走しているわけではないが、動きに迷いが一つも無いためついて行くのがやっとだ。
(少し前はもっと、もたもたしてたのに。こんなに無駄なく動いちゃってさ。もうスーパーのプロじゃん。)
そう、得志は最初から手慣れていたわけでは無い。嫌でも慣れたのだ。
さらにスーパーが結構好きだったこともあり、観察力がぐんぐん磨かれていた事も大きい。
買い物スキルは主婦顔負けとなっていた。
(お兄ちゃん、いつでもお婿に行けるね。)
すこしホロリとする花蓮だった。
そんな事を考えている妹に構わず、得志は買い物を進めていく。
……!
ふと足を止めた。視界の隅に光り輝くあるモノが見えたのだ。
――俺の目は見逃さないぜ
早足でそこに辿り着く。やはり。
黄色ベースに赤い文字。人目を引くポップなそのシールは、得志が大好きな“半額シール“であった。
先ほどの花蓮のように目がキラキラっと輝く。やはり兄妹、よく似ている。
「お兄ちゃん、半額シール見つけたの? いつもより早い時間帯なのに…!」
「ああ、こいつはレアだ。お刺身ゲット!!」
ガッツポーズをしながら、お刺身をカゴに入れた。
――しかも、しかもまだだ! まだお宝があると俺の勘が言っている。
勘とは。経験に裏打ちされ、より磨かれるものである。
昨年の仕入れの傾向、客の流れにから考えだされた“勘”により得志は足を進めた。
――商品入れ替えセールだと…。これはチラシに無かったな…
他にもある。俺の大好きなカニクリームコロッケも半額だ!?
今日は祭りか!?
そっ…と得志の買い物カゴにポテチが置かれる。花蓮だ。
「お願いっ」
……いいだろう、今の俺は気分が良い。思わぬ半額祭りでそれも予算内だし。
頷き了承して見せた。
(やった!)
花蓮もまた、心の中でガッツポーズをした。
予想外のラッキーほど嬉しいものはない。
特に得志は嬉しすぎて体温の上昇を感じていた。しかしそんなことは気にならない。目をキラキラと輝かせながら、2人はハイタッチしていた。
「「今日は宴だ!!」」
家に着き、パンパンになったエコバックを下ろす。
「お兄ちゃん、今日は大量だね!」
ああ、今日は大漁だ。気分は漁師だ。
なんせ半額になった刺身もあるし。フフフ…。嬉しすぎて、目眩がしてきた。
息もし辛い。動悸もする。
――あれ……?
「お兄ちゃん…?」
膝が崩れ四つん這いになる。体が言う事を聞かない。立っていられない…
「え、嘘。どうしたの」
「おでこが、熱い…」
「おでこ…?」
少しでも冷やしたくて額に手を当てる。
ん…?何かぷよぷよしたものを額に感じる。新手のニキビか…?
――花蓮は見た。崩れ落ちる兄、その体の異常事態を。
発熱のせいか火照った顔色。
墨汁を垂らしたように一部染まる額。
そして、そこから星のように放たれる光…。
「お兄ちゃんおでこ光ってるよ…」
まて花蓮。俺の毛根はまだ後退していない…
「お兄ちゃん、大丈夫…? うぅん、大丈夫じゃなさそう。あわわ…」
落ち着け花蓮。泣くな花蓮。声をかけてやりたいが、呼吸をするので精一杯なんだ。
卵が割れていないか心配だ…。早く刺身を冷蔵庫に入れないと…。
いかん、意識が
暗転。
事態を把握できないまま、俺は意識を失った。