第1楽章〜アレグロ〜⑩
12時ちょうどからの大食堂での昼食が終わると、いよいよ、初日の本格的な練習が始まった。
桜井先生とともに、その顧問の先生とも懇意であるというOBの中村先輩と上田先輩、OGの桑島先輩も加わり、パート練習は、がぜん熱を帯びたものになる。
フルートパートに桑島先輩、クラリネットパートに中村先輩、ユーフォニアムとチューバのパートに上田先輩、サックスパートに久川先生が専属で張り付き、指揮を務める桜井先生は、各パートを巡回しながら、専属の先輩や先生に演奏の仕上がり具合をたずねる、と言ったスタイルを取るようだ。
先生たちが合宿所に到着して早々、オレが練習風景の取材許可を取りに行くと、桜井先生は、
「わかりました。それでは、広報部のお二人は、巡回する私に着いて来てください」
と、微かな笑みを浮かべて答えた。
「えっ? 良いんですか? オレたちがそばに居ると先生の邪魔になるんじゃないかと思うんですけど……」
「構いません。練習とは言え、みんな集中して取り組むでしょうから、各部屋への出入りの回数は、なるべく少なくしたいと考えています。彼らの集中が途切れないよう、私と一緒に巡回しましょう」
ほとんど表情を変えないままでありながらも、有無を言わせぬその発言に、オレと壮馬は黙って従うしかない。
正直、練習の撮影許可さえもらえれば、もう、今日の自分の仕事はおしまいで、あとは、壮馬に撮影を任せて、ゆるゆると練習の見学をさせてもらおう、と考えていたのだが……。
整った顔立ちでありながら、辛辣に演奏のダメ出しを行うようすから、部員たちに『粘着イケメン妖怪』と呼ばれる顧問の教師と午後の時間をともにしなければならないとは、思いもよらなかった。口にこそ出さないものの、壮馬からは、
(まったく、余計なことしてくれちゃって……)
と、ため息まじりの冷たい視線が送られている。
取材対象となる部員の許可は取っているので、あとは、目立たせないように、こっそりと練習風景を撮影する……という方法もあっただけに、自分でも自ら墓穴を掘ってしまった、という自覚はある。
ここまで、なかば観光気分で吹奏楽部にくっついて来ただけのオレのリゾート気分は一気に吹き飛んだ。
(まあ、みんな真剣に練習するんだし、自分たちも相応の気持ちで取材しなきゃだよな……)
そう考え直したオレは、『粘着イケメン妖怪』の顧問と午後の時間を過ごすことになったことについて、気持ちを切り替えることにした。
三十代という年齢にしては恰幅の良い、いかにも低音パートのベースライン担当という上田先輩が、
「今年のスイ部は、密着取材つきかぁ〜。芦宮高校吹奏楽部も、ずいぶんと偉くなったもんだなぁ〜」
と、ガハハと豪快に笑いながら語る。
「えぇ、より緊張感を持って練習に取り組んでもらえると期待しています」
薄っすらと笑みを浮かべながら返答する桜井先生の目から、オレは、自分たちが、吹奏楽部の演奏力強化のために利用されたのだ、ということを初めて思い知ることになった。
(もし、練習のピリピリムードに付き合うとなると、胃が痛くなりそうだなぁ……)
そんな心配をしながら、午後の練習が始まる。
桜井先生が最初に向かったのは、クラリネットパートだった。
メンバーの最前列で演奏し、音域が広いので主旋律やハモリなど様々な役割をこなすこのパートは、各パートの中でも、もっとも人数が多い。
練習の冒頭、中村先輩はクラリネットパートでの演奏の心得を説く。
「みんなも知っているように、クラリネットは、人数もたくさん必要だから、1年生でもコンクールに乗せなきゃいけない。他のパートは2年生でも出られないところもあるのに(笑)。音域も広くて主旋律を担うんだから、モチベーションとしては、どのパートよりも上手く吹くべきだと思ってほしい」
「人数が多くてみんな同じパートを吹く、ということは―――やろうと思えばいくらでもサボれる。一人1パートの楽器に比べると、全然甘い。だから、みんなで『合わせる』意識が大切だ。そして、トップは『合わさせる』。1st、2nd、3rdの3パートとバス・クラリネットがきれいにまとまるように、全員が同じ音楽を奏でるようにしよう!」
「まずは、コンマス。自分が、部内で一番上手いことを自覚し、みんなに実感させること。次に2ndと3rdのリーダーも、それぞれのパート内で一番上手くえんそうすること。これを全員に認めさせせること。他のメンバーは、とにかくソコに合わせる。トップの判断に全員が無条件で従う! 違う動きをしない、違う音を吹かない!」
「演奏を聞いていて、一番わかりやすいのは音量と音程。そして、音色とタイミングの縦の線。この四つが合っちゃえば、全国大会で金賞くらいは取れちゃうよ! みんな、わかったかな?」
朗々と語るOBの言葉に、早見部長をパートリーダーとする全員が、
「はい!」
と声を揃えて答える。
「なんだか、すごく軍隊じみてますね……」
中村先輩とクラリネットパートのようすを黙って見ていたオレが感想を漏らすと、そばに居た粘着イケメン妖怪もとい、桜井先生は、少しも表情を変えることなく答える。
「そうですか? プロなんかはむしろ常識的にこれをやります。合わせるべきなのか自分が主導権を握るべきなのか、楽譜を見れば分かります。合奏をする前に全員がほぼ同じ認識を持っています。上手かろうが下手だろうが、それが役割です。合わせる側なら徹底的に合わせる。それが出来なきゃ演奏者失格ですよ」
このとき、オレは、この顧問教師のプロ意識を肌で感じることになった。




