第1楽章〜アレグロ〜⑦
〜黄瀬壮馬の見解〜
和歌山駅に到着する直前、紅野さんと下級生の天宮さんを連れて、ボクたちのいる4号車を離れた竜司は、特急列車が駅を出発しても、まだ戻ってこなかった。
ボクは、その間に次のインタビューの候補者を探しておくことにする。同じ学年である2年生のメンバー数人に声をかけて、インタビュー動画の出演の許可を得たあとは、吹奏楽部の真の実力者の元へ向かう。
吹奏楽部のメンバー、十数人に行うインタビューは、副部長の寿先輩に締めてもらうのが良いだろうと考えたからだ。
「寿先輩、いま竜司と一緒に吹奏楽部のみんなに合宿前の意気込みをインタビューさせてもらっているんですけど……最後は、寿副部長に締めてもらって良いですか?」
「私が、トリを務めさせてもらって良いの? 緊張するな〜」
フフッと笑いながら、女子生徒は、心にも無い返答をしてきた。そんな上級生を相手に、ボクも負けずに応酬する。
「寿先輩が、緊張とかないでしょう? 最後にイイ感じのお言葉をもらえたら、あとは自分たちが上手く編集させてもらいますので」
「ふ〜ん、黄瀬くんもなかなか言うようになったじゃん? それより、いま、ちょっと時間ある?」
「えぇ、どこに行ったのかわかりませんけど、竜司が戻ってくるまでなら……」
先輩の言葉に応じるように、ボクが、空席になっていた彼女の隣に腰を下ろすと、吹奏楽部の副部長と生徒会長を兼ねている上級生は、声を潜めて語りかけてきた。
「昨日は、ありがとうね。黄瀬くんが教えてくれた動画、参考になったよ。私も、あの娘に、今回の合宿で動くようにハッパを掛けるつもりだから」
「そうですか。少しでも寿先輩のおチカラになれて良かったです」
彼女の言う動画とは、ボクが前日に放送室を訪れた際に見てもらった過去の日本ダービーのレース映像だ。
2017年に行われたそのレースの動画を再生させながら、ボクは、寿先輩にこんなことを伝えていた。
「これは、現役最高の騎手と言われるフランス人のルメール騎手が、初めて日本ダービーを勝利したときのレースです。ゼッケン番号12番の緑色の帽子の馬に注目してください」
ボクは、そう言って勝利したレイデオロ号を指差す。レースは、前半の1000メートルを63秒2という日本ダービーとしては異例のスローペースで進み、第2コーナーを過ぎたあたりまでは、馬群が一団となったまま進んでいたんだけど……コースの向こう正面に差し掛かったあたりで、後方に位置していたレイデオロが進出を始めた。
「えっ? こんなところで動くの? 競馬のことは良くわからないけど、ペース配分とか考えないんだ」
ゼッケン番号12番の鹿毛のサラブレッドが動き始めたのを見て、寿先輩がつぶやく。
「そのとおりです。普通は、こんなところで動き出すのは、失敗騎乗の典型らしいんですけど……」
そんな付け焼き刃の知識で、解説のようなものを行っていると、レースは早くも終盤である第4コーナーに差し掛かり、スタートから第2コーナーまで後方の馬群にいたレイデオロは、先頭から2番手で最終コーナーを周回する。
広い東京競馬場の最後の直線で馬場の真ん中から敢然と先頭に立ったレイデオロに、外から黒い帽子のスワーブリチャードが食らいつくが、結局、馬体の半分まで迫ったところで、両者の脚色は同じものになった。
動画では、ゴール前のデッドヒートに実況のボルテージも最高潮になっている。
「アドミラブル一番外。追い上げはどうか? 真ん中ついてレイデオロ。さらにはペルシアンナイト。そしてスワーブリチャード、スワーブリチャード! 残り200! スワーブリチャードと粘っているレイデオロ。レイデオロ、スワブリチャード、レイデオロ、スワーブリチャード。2頭ゆずらない! 前も粘っている! レイデオロか? レイデオロか? 身体半分、レイデオロ! ついやった! ルメール、そして東の名門藤沢和厩舎、初めてダービーを制しました!」
レースの実況アナウンサーが、勝ち馬の名を告げると、寿先輩は、「ふ〜ん」と興味深そうにささやいてきた。
「膠着状態のレースからペースを読んで、集団から一足お先に抜け出した判断が素晴らしいってことね?」
「そうですね。まさに寿先輩がおっしゃった理由で、このレースは、ルメール騎手の名騎乗の1つと言われています」
ボクが、そう付け加えると、上級生の女子生徒はニコリと微笑み、「なるほどね……」と、独り言のようにつぶやいていたことを思い出す。
そして、駅に停車中の列車内で隣に座るボクに語りかけてきた。
「今回は、幸いなことに、白草さんや佐倉さんが居ない絶好の機会なのよね。合宿中、吹奏楽部の有志のメンバーで、かわいい後輩ちゃんをサポートするから、良ければ、黄瀬くんも協力してくれない? 先日、ホラー動画を制作していたときのことは、生徒会としても大目にみるからさ」
取り引きを持ちかけるその笑顔には、広報部の鳳花部長とは異なる凄みがある。
「わかりました。でも、ボクはそういう方面で協力できることなんて少ないと思うので、あまり期待はしないでくださいね」
そう答えて、ボクは生徒会長からの無言の圧力をかわすことにした。




