第3章〜汚れた聖地巡礼について〜⑭
「なかなか鋭いですね。そのとおりです」
天竹葵は、満足するように柔らかな笑みを浮かべる。
「邸宅内の奇妙とも言える装飾や間取りについては、次のトピックを見てもらえませんか?」
そう言って、彼女は新しい情報を提示した。
《奇妙な装飾と内装》
誤情報:どこにも通じない階段があり、その階段が設置された理由は「ウィンチェスター夫人だけが知っている謎」だ。二階部分の床に通じる扉もあれば、堅い壁に通じる扉もある。この迷路のような構造は、彼女を悩ます霊を惑わすために作られたものだ。
事実:迷路のような構造は、サリーが建築家として当初経験不足だったことと、1800年代後半には大規模で精巧な家が一般的だったことに起因している。彼女は資金に余裕があったため、ドアや窓の前に新しい棟を増築して出入りを遮断したり、気に入らない部屋があれば改築させたりした。当時、女性は建築学校に通うことが許されていなかったため、彼女は多くの建築雑誌を購読し、大工に相談し、試行錯誤を繰り返しながら独学で学んだ。また、1906年の地震で上層階が崩壊し、ドアは開かず、階段もどこにも繋がらなくなった。この損傷部分は撤去され、できた穴は安全のために板で塞がれた。
「やっぱり、奇妙な間取りは、大地震の影響が大きかったのか……」
オレがつぶやくように言うと、「それだけじゃありません」と、天竹は応じて解説を続ける。
「リャナダ・ヴィラの建築の中で有名な極端に段差が低く何度も折り返す奇妙な階段は、リウマチを患って歩行に支障があったサリーが、無理なく昇降するために作られたものだそうです。今で言うところのバリアフリーの概念も取り入れられていて、これも、彼女が心霊的なものに怯えるような迷信深い考えの持ち主では無かったことを証明していると、私には感じられます。他にも、彼女のオカルト的趣味が否定される内容をまとめています」
彼女は、そう言って、また新しい情報を確認するよう、うながしてきた。
《13という数字にまつわる伝承》
誤情報:サリーは、13という数字に執着していた。邸宅の中にはこんな例がある。
・13のバスルーム
・1つのバスルームに13個の窓
・洗面台に13個のオーバーフロー穴がある
・13段の階段
・交霊会室には13個の色とりどりのローブを掛けるためのフックが13個ある
・元々12本のキャンドルがあったシャンデリアに13本のキャンドルを追加
・温室内の13個のガラスドーム
・車道沿いに並ぶ13本のヤシの木
事実:この土地で長年働いていた大工のジェームズ・パーキンスによると、13に現れる特徴はサリーの死後に家に増築されたものだ。リャナダヴィラに関して13という数字が初めて印刷物に登場したのは、彼女の死後 7 年経った1929 年だった。輸入されたドイツ製の12本のキャンドルのシャンデリアには、今や13本目のキャンドルが雑に追加されている。もし彼女が本当に13本のキャンドルのシャンデリアが欲しかったのなら、それを買う余裕があって特注品を注文できたはずだ。さらに、屋敷を見回ると、13ではないものがたくさんあることに気づく。いわゆる降霊術の部屋に入る前の部屋を通ったとき、無視されていたフックが5つあった。私たちが上り下りした多くの階段のうち、1 つを除いてすべて、13段より多い (または少ない) 数だった。 ツアーにおいて、13段と謳われていた階段も、実際には14段だった(最後の段を降りる前に角を曲がらなければならなかったため、カウントされなかったのかもしれない)。ツアーに同行したジェーン・セルキーという人物は、「どちらのツアーも、何もないところから何かを生み出すという作業が中心でした」と語っている。
「数字にまつわる設定も、あと付けなのか……そう考えると、なんだか、サリーが亡くなったあとの人間たちに作られた怪談って気がしてきたな」
オレが感想を述べると、天竹はこちらに同意したように首をタテに振ったあと、持論を展開する。
「この知的な女性に対する描写や彼女を取り巻くウワサについて、私が深い憤りを覚えたことを、今なら理解してもらえると思います。サリー・ウィンチェスターは、ジャーナリストや彼女を知らない人々によって、狂気じみて迷信深く、罪悪感に苛まれている人物として描かれました。ただ、証拠が示すところによると、彼女は親切で理性的、そして抜け目のないビジネスパーソンだと感じられます。彼女は愛する邸宅の設計者兼プロジェクトマネージャーとして、ステレオタイプ的な枠を打ち破りました。彼女は脚光を浴びようとせず、しばしば匿名で慈善活動に寄付を行っていたそうなのですが、その代償は、奇人変人という人々のウワサ話だったようです」
彼女の言葉の説得力と、そこから感じ取れる憤りに同調して、うなすくと、文芸部の代表を務めるクラスメートは、さらに、言葉を続けた。
「この物語は百年以上も前に始まったものですが、こうした不当な固定観念や虚偽に異議を唱え、フィクションよりも興味深い真実の物語を称えることが重要なのではないでしょうか? 彼女が邸宅の増改築のために職人を雇っていた背景には、当時、差別に遭っていたアジアからの移民を受け入れる、という側面があったとも言われています。今回、参考にした『迷宮の虜』の通販サイトの書評では、私と共通する想いが記されていました」
翻訳された通販サイトのレビューには、こんなことが書かれていた。
『ウィンチェスター夫人がどんな人物だったのかという、私の長年の幻想は、この本によって打ち砕かれましたが、私は嬉しく思っています。彼女の実際の物語は、はるかに感動的で、ジャーナリズムの影響と、知的な女性に対する不寛容さによって歴史が彼女の物語を書き換え、不安定な人物として描かざるを得なかったという教訓的な物語だと感じています』
そして、文芸部員らしく天竹は、自身の調査結果をこう結んだ。
「興味を持って調べてみると、色々と新たな発見がありますね。私自身も、サリー・ウィンチェスターの実像に触れて、この書評家と同じように考えています」
※
天竹葵から、海外の幽霊屋敷に関する調査報告を聞き終えると、太陽は大きく西に傾いていた。
詳細に調査結果をまとめてくれたことと、古美術堂の店主に提示する回答として十分な内容が揃っていると判断できたことから、天竹自身に「ありがとう、恩に着る」と謝意を伝え、同様に文芸部の部員たちに感謝の言葉を伝えてくれるようにお願いした。
自分の気持を素直に語ったつもりだったのだが、文芸部の代表者からは、
「いえ、私たちは、自分たちのしたいようにしただけですから……」
という謙遜の言葉とともに、
「私は、黒田くんのことを、これまで過小評価していたかも知れませんね」
という言葉をもらった。
そんな天竹の言葉の意味を考えながら、一人暮らしをしているマンションに戻り、自室の隣に借りている、オレたちが『編集室』と呼んでいる一室を訪ねると玄関は施錠されていた。




