第3章〜汚れた聖地巡礼について〜⑬
「私たち文芸部が行った調査では、主に二つの書籍を参考にしました。邦題にするなら『迷宮の虜』、ゴーストランド:幽霊が出没する場所におけるアメリカ史』と言ったところでしょうか?」
そう言って、天竹葵はタブレットのブラウザで通販サイトに表示された書籍について説明する。
「これって、洋書だよな? どうやって、手に入れたんだ? こんな短期間にアメリカから取り寄せるなんて出来ないだろ? それに、原書を翻訳するのだって……」
オレが疑問を呈すると、「黒田くん……」と、つぶやきながら、文芸部員は苦笑しつつ、
「洋書は、電子書籍でも購入可能なんですよ? それに……詳しい手順の説明は省きますが、電子書籍の内容をAI翻訳にかければ、和訳作業に多くの時間は掛かりません。もっとも、どちらも300ページ以上のボリュームだったので、部員全員で手分けして読むことになりましたけど……」
と、調査の方法について解説してくれた。
(そう言えば、シロもナンパのテクニック集を電子書籍で読んでたんだっけ?)
オレは、数ヶ月前の出来事を思い返して納得する。
ともあれ、こうして、調査結果を報告してくれているのは、部長の天竹だけなのだが、他の文芸部員も文献調査に協力してくれた、ということに対して、あらためて頭が下がる想いだ。
「そ、そうなのか……!? それじゃ、他の部員のみんなにも御礼を言わなくちゃな……」
慌てて、そう返答すると、今度はクスクスと可笑しそうに微笑みながら、
「その言葉は、私から部員に伝えておきます。それより、本題に戻りましょう。今回のファクト・チェックでは、まず彼女の名前の由来を確認して、事実関係を整理したいと思います」
と言って、再度ドキュメントにまとめた内容を提示しながら説明する。
「サリー・ウィンチェスターとして知られる女性は、サラ・ロックウッド・パーディーと言う名前で、この世に生を受けました。生後まもなく、父方の祖母サリー・パーディー・グッドイヤーが亡くなったそうです。その後、両親はサラという名前を『サラ』から『サリー』に変更し、彼女は生涯その名前を使いました。手紙にもサリーの署名が使われているようです。ここからは、彼女のことをサリーと呼ばせてもらおうと思います」
天竹の冒頭の解説に、オレは黙ってうなずく。
「次に、本題の広大な邸宅の増改築についてです。ここに、その真偽についてまとめているので見てもらえませんか?」
彼女が指し示した箇所には、こんなことが書かれていた。
《霊能者のお告げについて》
誤情報:未亡人となった彼女はボストンの霊能者アダム・クーンズを訪ねた。クーンズは彼女に、ウィンチェスター家はウィンチェスターライフルで殺された人々の霊に呪われており、霊を寄せ付けない唯一の方法は家を建てて決して止めないことだと告げた。なぜなら、ハンマーが一度でも空振り(=邸宅の増築を辞めることのたとえと思われる)したら、その日に彼女は死んでしまうからである。この予言は、彼女のその後の人生を決定づけることになった。サリーは、ライフルによる死に対して深い罪悪感を抱いていたため、西海岸に移り、建設中の質素な農家と周囲の何エーカーもの農地を購入した。
事実:サリーの家族はバプテスト教徒だった。カリフォルニアに移住した際、彼女は米国聖公会に所属し、1908年以降はバーリンゲームのセントポール教区に所属した。当時、武器は社会的に悪く思われておらず、むしろ生き残るために必要だと考えられていたため、ウィンチェスターがウィンチェスターの連発銃による死について罪悪感を感じていた可能性は低い。広範囲にわたる調査でも、アダム・クーンズという名の霊能者が当時ボストンで活動していたという証拠や、サリーが霊能者を訪ねたという証拠は発見されていない。「アダム・クーンズ」という名前の由来は、1967年にスージー・スミスが執筆した『著名なアメリカの幽霊』という本に遡ることができる。彼女が人付き合いをしなかったのは、おそらく関節炎による外見の損傷、歯の欠損、神経炎のためだと考えられる。サリーの親族や従業員が、彼女が迷信深い性格だったと主張することはなかった。彼女の親しい仲間であったヘンリエッタ・サーバーズ嬢は、ウィンチェスターは迷信的な信仰を持ったことはなかったと語っている。
「なんだ? そもそも、サリー・ウィンチェスターは、霊能者のお告げを信じた訳じゃなくて、それどころか、会ったことすら無いっていうのか? じゃあ、彼女が屋敷の改築を続けたのは……?」
天竹が示した記述を読んで疑問を投げかけると、彼女は、続けて、
「その点については、この部分を確認してみてください」
と、新たな情報を指さした。そこには、こう書かれている。
《邸宅の継続的な増築について》
誤情報:邸宅の工事は一度も止まらず、1922年に彼女が亡くなるまで、38年間、休みなく続けられた。彼女は建築をやめることを恐れていた。増築をやめてしまうと(一族にかけられた呪いによって)、死んでしまうと信じていたため。
事実:建設工事には、しばしば長期の中断があった。例えば、サリーは休息のため、あるいは建設工事の継続に適さない時期があったため、スタッフを一時的に解雇したことで知られている。しかし、1890年代の経済不況のさなかでも、彼女は労働者に安定した雇用を提供し続けた。1906年のサンフランシスコ地震では、リャナダ・ヴィラ(ミステリー・ハウス)は大きな被害を受けた。必要な修理を除き、建設は事実上中断された。サリーは再建を断念し、財務管理を継続し、不動産を始めとした財産を拡大することに成功した。彼女は賢明な投資家であることを証明している。地震発生時には、サンフランシスコ地域に複数の賃貸物件とアサートンの2軒の住宅を含む、12軒近くの不動産を所有していた。
「なるほど……ある程度、察してはいたが、やっぱり、ミステリー・ハウスの伝承は、かなり盛った部分が多かったんだな? それに、この記述だと、もしかして、幽霊屋敷と呼ばれるこの屋敷の奇妙な間取りは、大地震と関係あるんじゃないのか?」
テキストを読みながら問いかけると、オレの言葉に天竹は、ゆっくりとうなずいた。




