第1章〜広報部のある企画について〜③
「ボクは、今回の企画の目標として、最後に配信する動画では10万再生を狙いたいと思っている。白草さんの情報拡散力と動画作成者の高校生が謎の失踪を遂げたとなれば、この数字も夢じゃないと考えているんだ」
自信あり気に語る親友だが、オレ自身も、前日にこのアイデアを聞かされたとき、たしかに、
(これは、面白そうな企画だ! さすが、壮馬!!)
と、感じたものだ。
ちょうど、夏休み期間に入るということもあって、オレたち数名がしばらく音信不通状態になっても、学校の出席などを気にする必要は無いからだ。
オレ以外にも、アイデアを耳にしたばかりのシロは、興味を持っているようで、
「それじゃ、心霊スポット探索の企画を盛り上げる予告動画を作らないとね」
と、企画に前のめりになっている。
そんな風に、シロと壮馬が協力体制に入ることを確認し合う中、少し所在なさげに顔を見合わせていた文芸部員のメンバーのうち、オレたちと同じ二年生の石沢はるかが遠慮がちに手を上げながら質問を行った。
「白草さんのSNSの発信力を活用するのは、わかったけど……私たち、文芸部は何をすれば良いのかな?」
ここまで活動内容に触れていなかった文芸部員からの質問にうなずいた壮馬は即答する。
「さっきも説明したとおり、ファウンド・フッテージの作品については、リアリティの追求が重要なんだ。ドキュメンタリーのような演出で、『これは実際に起こったことかもしれない』という感覚を視聴者に与えなきゃいけないんだけど……このリアリティを追求するのに必要なのが、モンスターもしくは、怪奇現象の設定にある、とボクは考えている」
「モンスターや怪奇現象の設定、ですか……?」
プレゼンターの言葉に、文芸部の部長である天竹葵が質問を返す。
「うん、『クローバー・フィールド』と同じく、今回の企画のお手本にしたいと考えている『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のスタッフは、作品を盛り上げるために、物語の根幹となる『メリーランド州に伝わるブレア・ウィッチ伝説』という架空の設定を事細かに作り上げているんだ。詳しくは、このページを見てほしい』
天竹の質問に答える壮馬は、そう言って、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のウィキペディアのサイトを画面に表示させた。
サイトには、ブレア・ウィッチの伝説が語り継がれるようになった『ブレアの森の魔女』の誕生の逸話から、近隣の村の子どもや捜索隊が失踪する印象的な事件が時系列順に記されている。
以下は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のウィキペディアのサイトからの引用だ。
◯ブレアウィッチの誕生
1785年02月、子供達の血を抜き取ることを目的に家に誘い込もうとしたとしてエリー・ケドワードが、数名の子供の証言により訴えられる(いわゆる魔女狩り)。ケドワードは魔術を使ったかどで有罪となり、寒さのとりわけ厳しい冬のさなかに木に縛られたまま森に放逐されたため、死んだものと憶測されていた。
1786年11月、ケドワードを告発した者たち全員と町の子供たちの半分が、真冬の頃までに姿を消してしまう。町の人々は呪いを恐れ、ブレアの地から逃げ出し、以後二度とエリー・ケドワードの名を口にしないことを誓いあった。
◯アイリーン・トリクール事件
1825年、11人の目撃者によると、青白い女の手が水中より上がって来て、10歳の アイリーン・トリークルを川に引きずり込んだ。アイリーンの遺体は発見されなかったが、彼女の溺死後13日間にわたって、油にまみれた木切れの束が小川に多数浮かび、流れがよどんだ。この時、川の水を飲んだ牛が死んだ。
◯コフィン・ロック事件
1886年、8歳のロビン・ウィーバーが行方不明となり、捜索隊が出される。ウィーバーは無事に探し出されたが、捜索隊の一つが帰還しなかった。数週間後、別の捜索隊により内臓を完全に抜かれ、手足を縛り合わされた行方不明の捜索隊の全裸の遺体が、ひつぎ岩で発見される。それらの遺体の手足、顔には奇怪なシンボルが刻まれていた。しかし発見した捜索隊が戻ったとき、遺体は消失していた。又、ウィーバーは森で宙に浮いた女を見たと証言した。
◯ラスティン・パー事件
1940年から子供の行方不明が相次ぐ中、1941年05月、ラスティン・パーという名前の中年の隠遁者が、町に現れ「ついにやり遂げた」と語った。不審に思った警察が徒歩で4時間かけて到着した、彼が隠遁暮らしをしていたブラック・ヒルズの森の家にある地下の貯蔵庫で、行方不明だった7人の子供の遺体を発見する。儀式めいた殺され方をしており、内臓を抜かれていた。
パーはすべての犯行を認め、森に住む「年老いた女の幽霊」のためにやったのだと当局に語る。生き残った少年カイル・ブロディの告発もありその後、バーは裁判で有罪を宣告され、絞首刑に処される。その後、村人の放火によりラスティン・パーの館も焼失した。
壮馬の言うように、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』という作品は、映像単体ではなく、これらの架空の事件をあたかも実際に発生した事件のようなリアリティでを語り継ぐことでで、映像を目にする前の観客に、「これは実際に起こったことかもしれない」と思わせる効果を狙っている。
正直なところ、映像作品単体としての『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は、画像そのものもカメラワークも編集も、グダグダの駄作と言って差し支えない代物だ。
壮馬と一緒に、この映画を初めて観賞したときは、
「なんだ、このク◯映画は!? カネと時間を返せ!」
と、二人して憤ったものだが……。
すぐに、映画制作の背景を調べてみると、映像作品単体としてではなく、インターネットなどを介した情報発信の方法としては、面白い仕掛けがいくつもあることに気づいた。
「超低予算のクオリティー底辺の映像でも、情報発信と設定のリアリティーで作品を盛り上げることが出来るんだ!」
それが、壮馬とオレが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』から学んだことだった。
そして、このことは、現在の広報部としての活動にも大きく関係している。
「つまり、この『ブレアの森の魔女』の伝説のような設定を文芸部で考えれば良い、ということですか?」
確認するようにたずねる文芸部の部長に、親友は、
「さすが、天竹さん! 理解が早くて助かる」
と、おおきくうなずく。
そんなメンバーのようすを鳳花部長が、後方で腕組みをしながら、興味深そうに眺めていた。




