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第二章 緋色の黄金 その4

 帯刀は続けざまに二匹の黒鉄蜂を撃ち落としたところで限界を悟った。背中の蒸気背嚢の重量が明らかに軽くなっている。残圧計など見なくても残り僅かであることは間違いない。


 ピーッ。


 自分が帰還することを笛の音で周囲に告げてから、操縦桿のレバーを握る力を緩める。蒸気背嚢の排煙の勢いが弱まり高度が少しずつ下がっていく。上空ではミミズのように見えた列車が、見る見る大きくなり鉄の竜へと戻っていく。しかしその背中はまだ遠い。

 もう列車があんなに遠くに。空で戦い続けている間に随分と離されてしまったのか。

 レバーに込めた握力を少しだけ強め、再び加速して竜の背を追う。

 貨車の屋根には柴崎達防衛班の姿があり、列車に近づく黒鉄蜂に銃撃を浴びせていた。誤射を避けるべく帯刀は自分の位置を知らせるために笛を鳴らす。

 屋根に立っていた防衛班の面々が降下する帯刀の存在に気付くと、安堵するように頬を緩めながら、帯刀の着地点を作るべく移動する。帯刀は開かれたその地点に向けて、ゆっくりと降り立とうとした、その時、柴崎の顔色が変わった。


「隊長っ、後ろですっ!」


 帯刀はその言葉の意味を考えるよりも早く、操縦桿のレバーから左手を放して蒸気背嚢の噴射を完全に停止させた。重力の腕があっという間に帯刀の身体を捕らえて、強引に地面へと引き寄せる。

 だがそれが良かった。

 一瞬の後に、頭上を黒鉄蜂が旋風のように通り過ぎていく。あのまま着地点を見極めるため緩慢に降りていれば、毒針に背中を貫かれていただろう。降下速度が速まったおかげで、背後から迫っていた黒鉄蜂の突撃を間一髪のところで回避することが出来た。


「まさか、俺の影に隠れて……」


 ズンッと足の裏に奔る貨車の屋根の硬質な感触を味わいながら、愕然とする。あの黒鉄蜂は、降下する帯刀に合わせて高度を下げていた。帯刀の身体に背後に隠れながら接近することで、防衛班の死角を突いたのだ。偶然かもしれないが、まるで人間のような戦術だった。

 その結果、たった一匹の黒鉄蜂が雲雀部隊の防衛線を突破し、列車の先頭に向かって飛んで行く。まさか、先頭列車にいる徳川葵や近衛兵を狙っているのだろうか。あるいは、機関車で燃やされている血晶炭の匂いに釣られているのかもしれない。


「クソッ、誰か、一人、ついてこいっ!」


 このまま逃がすわけにはいかない。帯刀は、蒸気背嚢の残量を理解していながら、しかしレバーを握った。

 再度、蒸気を噴射。竜の背に沿って飛翔し、頭部へと向かった黒鉄蜂を追いかける。


「自分も行きますっ」


 防衛班の一名が随行を願い出た。彼は蒸気背嚢を装備していないため、列車の屋根伝いに駆ける。連結部分の間隙を跳躍で飛び越えつつ、帯刀に後れを取らずに付いて来ていた。

 黒鉄蜂の姿は列車の中腹に差し掛かったところで捉えることが出来た。即座に突撃銃を撃とうとしたが、貨車に誤射した場合、積み荷である弾薬に引火する危険性があるため、やや銃口を上向きにして発射、随行の隊員もそれに合わせて撃った。

 二方向からの射撃。だが黒鉄蜂をやや逸れる。相手もこちらの存在に気付き、少し高度を上げて向き直った。

 ギギギィと、羽音か鳴き声か判別できない、金属を擦り合わせたような音が黒鉄蜂から漏れる。更にその複眼が赤く輝き、帯刀と随行の隊員を映し出す。

 帯刀は蒸気節約のため、一旦、列車の背に着地。隊員と肩を並べて黒鉄蜂を見上げる。

 間髪を入れずに射撃。だが、黒鉄蜂が螺旋状に旋回を繰り返すため、直撃しない。それどころか、黒鉄蜂が毒針を突き出して切迫される。

 前転にて回避。毒針は帯刀の立っていた貨車の屋根を掠めただけだ。だが針の先端から分泌された強酸性の毒液が屋根に付着しており、それは湯気を立てて屋根の表面を溶かしていた。炭酸水のような音を上げつつ、溶解していく銅製の屋根。

 帯刀の隣で、隊員が喉を鳴らす。あのような毒液に触れれば、人体など骨の髄に至るまで簡単に溶かされてしまう。隊員が思わず毒針に貫かれる自分を想像したとしても仕方ない。

 しかし帯刀が隊員を激励する前に、黒鉄蜂の突進が迫っていた。突撃銃を構える暇もなく、回避行動を強いられる。


「うわああぁあああああっ」


 黒鉄蜂が狙ったのは帯刀ではなかった。

 喉を鳴らしたことで格下と見られたのか、隊員が黒鉄蜂に毒針を向けられた。隊員が反射的に突き出した突撃銃が、主人の身代わりとなって毒針に銃身を貫かれる。銃身の先端が高熱に晒した飴細工のようにドロリと溶け落ち、熟し過ぎた果実のように屋根に叩きつけられる。


「伏せてろっ」


 帯刀は自分の命令に隊員が従うことを祈りつつ発砲する。

 幸運にも、隊員は毒針の餌食となった突撃銃から素早く手を放し、身を伏せていた。それ故に帯刀の銃撃は当たらなかったが、黒鉄蜂もまた、空に飛び上がり弾丸を回避する。


「た、隊長、申し訳ありません、銃が……」

「ああ、分かってる。実は俺も予備の弾倉がないんだ」


 突撃銃に込められた弾薬はあと何発だろうか。北部防衛線での苦い体験が嫌でも脳裏を掠める。上層部に兵站が軽視されたことで、武器や食料が足りず圧倒的な敗戦を強いられた。実際には武器も食料も江戸には豊富にあったというのに。

 手の届かない空に漂う黒鉄蜂を見上げながら、無力感を噛み締める。だが即座に閃いた。


「そうか、今はここにあるのかっ!」


 自分の足元を見て、声を上げる。積み荷の内容は作戦開始前の打ち合わせ時に春嶽から聞いていた。来るべき反攻作戦のために、葵と共に物資を京都へと避難させるという話だった。ならば今自分達が立っている貨車の腹の中には、多量の武器が眠っているはずだ。


「……緊急事態だ、この際仕方ないっ。悪い、少しだけこの場を任せられるぞっ」

「り、了解っ!」


 丸腰の隊員を残しておくことに不安はあるが、今はこの手しかない。

 帯刀は素早く貨車から飛び降りて、同時に操縦桿を握って蒸気を噴射させる。貨車の側面を追うように飛行しながら、その扉の取っ手に手を掛けた。扉に張り付き、突撃銃を貨車に掛けられた巨大な南京錠に向けて発砲。甲高い音を立てて封印が外れると扉がガラッと横開きになり、帯刀を内部へと招き入れた。

 貨車の中に転がり込んだ帯刀は、等間隔に積まれた木箱を目にする。木箱の表面には『可燃物注意』『火気厳禁』と朱文字で注意書きがされている。間違いなく、これが弾薬だ。

 一番近くの木箱に走り寄ると、その蓋を強引に持ち上げようとした。だが釘で打ち付けられているためか、素手では開かない。ならばと、突撃銃の銃口を蓋の隙間に突っ込み、てこの原理でこじ開ける。

 メキメキと音を立てつつ、木箱の蓋を破く。

 露わになった木箱の中身を前にし、少しでも使えそうなものがないかと目を凝らす帯刀。

 とにかく何でもいい。突撃銃の弾倉が一番欲しいところだが、それでなければこの際拳銃でも構わない。あるいは手榴弾か。木箱に火気厳禁と書かれていたのだから、少なくとも火器の類は入っているはずだ。


「はっ?」


 だが帯刀の口からは、この場には相応しくない間抜けな声が漏れる。

 虚を突かれ、頭が一瞬真っ白に染まる。

 何だ、これは。なぜ、こんなものが入っている。なぜ、なぜ。


「た、隊長っ! まだですかっ!」


 頭上から屋根越しに隊員の悲鳴にも似た声が降ってくる。そうだ、今は彼を置き去りにしてしまっている。丸腰で黒鉄蜂の注意を惹き付けてくれているのだ。何を呆然としている。

 帯刀はすぐに隣の木箱を乱暴に開いた。帯刀の焦燥を示すように木屑が荒々しく宙を舞う。


「クソっ、何でッ、何でッ」


 しかし、これも外れだった。

 次も、次も、その次も。

 木箱に入っていたのは、目を疑うほどの宝の山だった。

 木箱に隙間なく詰め込まれた金の延べ棒が、帯刀を揶揄うように輝いている。それ以外にも真珠のネックレスや宝飾品、金細工のペンダントなど、たった一個で帯刀の年間の給金を賄えるほどの価値を持つ財宝があった。だが、現状においては弾丸一発分の価値すらなかった。

 西洋の神話では、竜は財宝を隠し持つと云う。ならば、この鋼鉄の竜の腹にこれだけ莫大な財宝が眠っていたとしても、何ら不可思議ではないのかもしれない。しかし、今の帯刀にとって黄金も宝石も、無価値の財宝に過ぎなかった。


「たいちょおおおっ、隊長ッ! 助、けっ、助けてっ!」


 頭上からの悲鳴を聞いて我に返る。

 これ以上、この場所にいるのは無意味だ。貨車から飛び出して、屋根へと舞い戻る。

 そこでは、隊員が黒鉄蜂に組み伏せられていた。黒鉄蜂の鉄骨のような六脚が隊員を羽交い絞めにして、その動きを封じている。左右に開かれた黒鉄蜂の顎が隊員の喉元に、刀のような毒針が隊員の腹部に迫っていた。


「たっ、隊長っ!」


 絶望に染まっていた隊員の顔が、帰還した帯刀を見つけて希望に輝く。


「待ってろっ!」


 まだ、隊員は無事だ。まさしく僥倖。貨車の中の無駄な時間が後一秒でも長引いていたら、間に合わなかったかもしれない。

 即座に帯刀は突撃銃を構え、残弾も気にせずに引き金を引く。

 カチッ。

 銃口が高らかな咆哮を上げて、最後の一発に至るまでライフル弾を吐き尽す、ことはなかった。

 突撃銃は、沈黙せり。

 ゾッとするほどに軽くなっている突撃銃。弾は、もう尽きていた。恐らくは、貨車の南京錠を壊す時に使った数発が最後だったのだ。戦場に置いて何の価値もない財宝を目にするためだけに使用した、完全な無駄弾。


「………………たい、ち、ょ、う……?」


 隊員の目に宿った二度目の絶望は、一度目よりも遥かに深く、昏い。


「うおおおぉぉおおぉおっ」


 帯刀が何もかもかなぐり捨てて黒鉄蜂に突進を試みた時には、もはや全てが遅すぎた。


「ギャアァア……」


 黒鉄蜂の顎が隊員の喉に食らいつき、喉笛と首の骨を万力のように圧し潰す。お蔭で断末魔の叫び声は短かった。グシャリッと汁気を帯びた圧潰の音が一瞬だけ響いて、あっという間に列車の速さに置いて行かれる。

 帯刀が全身全霊を込めて放った体当たりは、黒鉄蜂を屋根から突き落とすことに成功した。反動の痛みが帯刀の肩に鈍く奔ったが、気になることはなかった。

 一瞬、列車から転落して姿を消した黒鉄蜂だが、すぐに翅を羽ばたかせて上空に飛び上がった。真っ赤な複眼で帯刀を見下ろしている。そしてその顎は、隊員の返り血で複眼と同じ色に染まっていた。

 この場において、黒鉄蜂に対抗する手段はもう何もない。攻撃をいつまでも回避し続けることもできないだろう。ならば、屋根に仰向けで寝転がっている隊員と同じ運命が待っている。

 それでも、いいか。俺の判断ミスで死なせてしまった部下の後を追えるなら。

 覚悟を決めて、黒鉄蜂を睨む帯刀。


「……来いよ、ミツバチさん」


 それでも最期まで抗う意志だけは絶やさずに。

 帯刀の挑発を理解したか否かは不明だが、黒鉄蜂は小刻みに翅を動かして飛翔し、下腹部の毒針を突き出しながら一気に舞い降りる。位置エネルギーが加速力に変換され、達人の域の突きが繰り出される。それはもはや、人の目で捉えることは叶わないほどの速度。

 決して逃れることのできない一撃、そう思われた。だが黒鉄蜂の身体は帯刀のすぐ脇を、気まぐれな風のように通り過ぎた。

 見逃した? まさか、違う。外した?

 黒鉄蜂自身も攻撃を外したことを訝しがるように再び空に戻り、複眼で帯刀を見下ろしている。

 帯刀もまた、黒鉄蜂を見上げ、そして気付いた。黒鉄蜂が横に流されている。黒鉄蜂を空に置き去りにして、帯刀がそれよりも早く移動している。それはつまり、列車が速度を速めたということだ。


「どういうことだ、一ツ橋少佐ッ!」


 帯刀は列車の先頭、機関車や客車のある付近を睨む。機関車の煙突から、まるで火山の噴煙のように激しく白煙が立ち上っているのが見えた。排煙の色合いや勢いから、現在の蒸気機関がどれほどのエネルギーを発しているか予想するくらいの知識は帯刀にもある。これは大量の燃料が継ぎ込まれているに違いない。

 視界に映る景色が激流のように次々と流れ去っていき、その速度は増していく。

 黒鉄蜂が必死に追いつこうと翅を羽ばたかせているが、現在の列車の速さには追い付けずに、その距離が少しずつ離されていく。

 黒鉄蜂すら置き去りにする列車の速度、それは即ち、未だに上空で戦う雲雀すら追いつけないことを意味する。


「クソッ、戻れっ、皆っ、早く戻れぇええっ!」


 帯刀は再び列車の背を駆け抜けて、尾の方へと戻る。貨車の屋根の上で黒鉄蜂を迎撃していた隊員達は列車の異変に気付き、空にいる仲間達に声や笛の音で帰還を呼びかけていた。


「た、隊長、これは一体?」


 血相を変えた隊員達が、親鳥から餌をねだる雛のように帯刀の周囲を取り囲む。だが彼らに与えられる情報という餌は、帯刀も持っていない。


「悪い、詳細は分からん。だが近衛兵の判断で列車の速度を上げたのは間違いない。空で戦っている連中は後何人だ? 日向は?」


 帯刀は列車の屋根にいる隊員の顔を見渡し、雲雀部隊の面子を確認する。共に上空で迎撃に当たっていた日向の姿を探す。


「ここっ、ここですっ、隊長。丁度、補給に戻っていたので、私は大丈夫です。ですが、まだ空にいる仲間が三人残されています」


 日向が手を挙げながら隊員の群れから飛び出し、現状を帯刀に報告する。

 空を見上げると、日向の言う通り雲雀部隊の隊員が三名取り残されていた。列車の異変に気付いて、背中からか細い蒸気を噴き出し、必死で列車を追いかけている。だがただでさえ蒸気の残量がない状況で、爆走する列車に追いつけるほどの飛行速度は出せなかった。

 列車との距離は詰まるどころか少しずつ離れており、それとは真逆に彼らの背後からは黒鉄蜂の黒雲が迫っていた。このままでは黒雲に呑み込まれることは、火を見るよりも明らかだ。


「……彼らを助けるぞ。誰か、新しい蒸気背嚢をくれないか?」


 帯刀は空になった蒸気背嚢を脱ぎ棄てて、周囲に呼びかける。しかし、返事はない。沈鬱な顔で首を横に振る。

 その場にいる者達の思いを代弁するように、副官の柴崎が静かに告げる。


「……隊長、今更彼らの助けに向かったところで、もう間に合いません。機関車はどんどんスピードを上げているんですよ。隊長が空に戻ったら、二度とこの列車には戻れません。……だから、どうか……」


 冷徹な言葉だった。しかし冷静さを見せる柴崎だが、声の震えまでは隠せていない。誰よりも苦渋を噛み締めている声色だった。


「……見捨てるってことか? ……近衛兵が俺達を見捨てるようにか? ……そんな、そんなこと、俺はっ!」


 柴崎の言うことは理屈の上では理解できる。だがそんな冷たい方程式を納得できるほど、帯刀は非情にはなり切れなかった。

 周囲の制止を振り切ってでも空に舞い戻る、そんな覚悟を固めた時だった。


 ピーッ、ピッ、ピッ。


 空から雲雀の鳴き声が響く。声の主は、空に置いて行かれた隊員達の笛だ。列車に追いつくことはできないと悟った彼らが放ったメッセージだ。


「……救援、無用、だって……」


 伝達された決死の覚悟に、帯刀が固めた覚悟は砕かれる。既に彼らの姿は遠く、表情も伺えない。強がって笑っているのか、恐怖に唇を震わせているのか、あるいは置き去りにされた憤怒に歯を噛み締めているのか。彼らがどんな感情を抱いてこの覚悟を伝達してきたのか、帯刀達には知る術すら残されていなかった。

 ただ、小さくなっていく仲間を、見送る事しかできない。

 空に置き去りにされた雲雀の背後から、蜂の黒雲が迫っている。これから起こる惨状を帯刀達が見ないで済むことは果てして救いか、呪いか。

 無力感と罪悪感が重力よりも激しく深く、雲雀部隊の全隊員の心に圧し掛かっていた。


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