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第二章 緋色の黄金 その3

 帯刀には、携帯無線電話機トランシーバーの向こうで相手が息を呑んでいることが雰囲気で分かった。

 防衛任務前のブリーフィングの際に出会った、髪を真ん中でキッチリと分けた偉丈夫の顔を思い出す。まるで能面のように表情の変化がなく、無機質な印象を与える男だったが、今は少しは驚いた顔をしているのだろうか。

 もしそうだとしたら、電話越しの連絡なのが非常に惜しいな。

 確か、一ツ橋春嶽と名乗っていた。年齢的には二つ三つ上という程度の違いだろう。近衛兵という大層な身分のせいか、とても大人びていて近寄りがたい印象だったが、電話に出たのが彼で良かった。少なくとも、あの穂積とかいういかにも高慢ちきな大佐でなくて助かった。話の速さも多少違うだろう。

 帯刀の予想通り、電話口から無音が鳴り響く時間は僅かで、すぐに返事が来た。


『……了解した。蜂の距離は?』と、焦燥を感じさせない淡々とした声だった。

「一キロも無いかな」


 ちょっと焦らせてみたくなったので、目算よりもやや短めに報告する。


『なるほど。それは一大事だ』


 しかし返事は素っ気ない。


「ええ、それで大将、どうですか? 雲雀部隊のご入用は?」

『無論、出撃を許可する。蜂の駆除は君らに任せよう』


 よしよし、すんなりと許可が下りた。やはり話が早い。


『しかし、一つ伝えておく。この列車は速度を落とさず、このままの速さで走行させる。蜂を一匹残らず喰らい尽くしたものの、乗り遅れたなどということがないように気を付けたまえ』


 これも予想した通りである。

 戦場に巣立った雲雀部隊が全員帰還するまで列車の速度を落とす、なんて配慮をするはずがない。徳川葵には、雲雀部隊の全員の命を失っても尚余りある価値があるのだから。

 むしろ、春嶽がわざわざ忠告をしてくれたことが驚きだ。


「サンキュー、大将。あんたの期待に応えよう」


 帯刀は冗談めかしつつも本音で感謝を告げ、携帯無線電話機の通信を切る。


「隊長、どうでしたか? 近衛兵のクソッたれ共の反応は?」


 日向が毒づきながら帯刀から無線携帯電話機を受け取って、貨車の壁際に積まれた木箱の中に放り入れる。

 日向の声色は敵意に満ち溢れており、妙に刺々しかった。


「ああ、出撃許可は下りた。だが、列車の速度はこのままだ。青空に置いてけぼりを食らわないように注意しろ、とさ」

「……ま、そうでしょうね。私達の命なんてどうでもいいでしょうし」


 日向が皮肉というよりも、さも当然と言った口調で答えた。

 彼女が抱える過去に何かがあったのだろうということは帯刀にも分かる。彼女の華族や近衛兵に対する憎悪は常に感じ取れた。だが必要以上に追求することはしていない。雲雀部隊の隊員達は互いの過去を知ろうとしない、そんな暗黙の了解があった。


「さて、蜂の駆除といくか。柴崎、お前は居残り組をしっかり統率しろ。例え、俺達が戻れなかった時には、お前が残りを纏めるんだ」


 帯刀は、副官である柴崎を見つめながら告げる。黒いフレームに縁取られた眼鏡レンズの奥にある柴崎の瞳が、不安に揺れている。


「……隊長……、どうか、気をつけて」


 共倒れを避けるため、雲雀部隊は二班に分かれる。帯刀と日向が含まれた迎撃班、そして柴崎を中心とした列車防衛班。帯刀達迎撃班の背には既に蒸気背嚢が装備されており、肩からは突撃銃のガンベルトをぶら下げて、戦闘準備を整えている。


「大丈夫よ、私も付いてるんだから、皆、無事で帰るわ。あなた達も気を抜かないで」


 日向が仲間内にだけ見せる柔和な微笑みを浮かべ、防衛班の面々の顔を見回した。各々が頷きを返す。


「さあ、行くぞっ」


 帯刀は声を張り上げ、隊員を一喝する。空気が一気に引き締まり、弓の弦がピンッと張り詰められるような音がした。

 同時に、貨車の側面の扉が重々しい音と共に全開された。車内に入り込んだ夕焼けの陽光は雲雀部隊の顔を照らし、吹き荒ぶ強風は彼らの髪を激しく揺らす。

 帯刀は首から紐でぶら下げていた金属製の笛を唇で咥える。意匠も何もない、筒状の鈴の塊に複数の穴を掘って作られた単純な構造の笛だ。同じ笛を、迎撃班の面子も同様に咥えた。これは空戦中に連絡を取り合うための唯一の通信手段である。空を飛ぶためには少しでも身軽になる必要があり、無線機器の類は重過ぎて使用できない。そのため笛を用いるのである。

 空中で甲高い笛の音を鳴らすその姿も、雲雀部隊という名の由来の一つであった。


 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピーッ。


 帯刀は笛に息を吹き込み、長音を四つ続けて鳴らした。それはもっと単純な号令、突撃命令である。

 そして、帯刀が先陣を切って、線路の上を疾走する貨車から飛び出した。

 視界が江戸近郊の街明かりで彩られる。即座に、腰に括りつけられた小箱から生える操縦桿のレバーを、左手で一気に握り込む。レバーは小箱内部のギアを動かし、その動力はワイヤーを通じて背中の蒸気背嚢の噴射孔を開いた。

 こうして、蒸気の翼は翻る。

 蒸気背嚢の内部に圧縮されていた蒸気が爆発するように解放され、大きな推進力となって帯刀の身体から重力の腕を振り払う。

 帯刀の身体は急上昇し、空に向かって飛び出す。全身に絡んでいた重力の鎖が一本、また一本と外れていく。そして外れる度に、身体は加速を増して青空に接近していく。

 それはまさしく、揚げ雲雀のように。

 嗚呼、この瞬間は、何度体感しても心地よい。

 その感覚に、帯刀は思わず陶酔する。戦場に向かっているのだと、分かっているのに。それでも、重力の枷から外れて思うがまま空を飛ぶ感覚は、麻薬にも似た快楽を与えてくれる。悲しみも、怒りも、重力と共に身体から抜け落ちていくようだ。

 そうして、気付けばに江戸の街が帯刀の眼下にすっぽりと収まっていた。

 今しがた乗車していた鉄の竜の如き列車も、上空から見るとミミズのようにちっぽけだ。

 帯刀の後に続いて、雲雀部隊の面々が列車から飛翔する。噴出する蒸気の翼が、空に幾筋も白線を描き出し、それはまるで地上から空に掛かる橋のようであった。

 自分の後を追う部下達を確認してから、帯刀は敵を見据える。

 迫り来る、黒雲。それを構成する、黒鉄蜂の一匹一匹を睨む。一匹の全長は大江戸連邦の男性の平均身長を優に上回る、化け物蜂である。

 蝟集した蜂の羽音は不快な重低音となって、その高鳴りを次第に増していく。

 その耳障りな羽音に負けぬように、帯刀も笛を強く吹き鳴らした。


 ピーッ、ピッ、ピーッ、ピッ。快晴の空に、甲高い笛の音が響く。


 長音と短音の交互の組み合わせは、敵機発見と迎撃準備の合図である。

 雲雀部隊は帯刀を頂点とした三角形の編隊を組み、互いの速度を合わせて飛行する。片腕で抱えた突撃銃の銃口、即ち雲雀部隊にとっての嘴を、肉薄する黒雲に向けながら。

 二つの群れは急速に接近し、衝突する直前に、

 雲雀部隊の銃口が火を噴いた。

 七つの銃口が一斉に声を上げて、ライフル弾を吐き出す。銃身のライフリングによって回転運動を加えられたライフル弾は、空気を貫きながら直進し、黒雲の先頭にいた数匹の黒鉄蜂に吸い込まれていった。

 『黒鉄』の名が示すように、黒鉄蜂の体表は黒を基調としており、それは鉄分が多量に含有されていることを示す。数ミリの鉄板が装甲のように全身を覆っているのと同義の強固さを持つため、ピストル弾では歯が立たない。突撃銃によるライフル弾のフルオート射撃によってようやく打ち砕くことが出来るのだった。

 ギギィッという金属が擦れ合うような黒鉄蜂の悲鳴が、銃声の大合唱の中にこだまする。断末魔の叫び声が残響している間に、黒鉄蜂の肉体は透明な体液を撒き散らしながらバラバラに千切れて、空に散る。

 先頭の同胞の肉体が引き裂かれるのを視認した後続の黒鉄蜂達は直進を止め、各々の軌道を一瞬で変えた。統一された意志を持つように蠢いていた黒鉄蜂の群れが、今度は個々に思い思いの動きを始めたため、雲雀部隊を呑み込むように大きく膨らんだ。

 雲雀部隊は、あっという間に黒雲の只中に置かれたのである。

 それはまさしく黒鉄の鳥籠。


 ピッ、ピーッ、ピーッ、ピッ。


 黒鉄蜂の羽音に包まれる中、帯刀の笛が負けじと叫び声を上げる。

 武器使用自由、各個撃破せよ。

 その命令に従い、雲雀部隊は隊列を崩し、各自の判断で動き出す。ある者は急上昇して黒鉄蜂の囲いを突破し、ある者は旋回飛行をしながら銃弾を撒き散らすことで、包囲網を内側から削っていく。個人行動でありながら決して誤射はなく、連携の取れた隊列行動。血の滲むような訓練と度重なる戦場の経験が、言葉を交わさずとも互いの行動を理解させていた。

 帯刀も操縦桿を強く握り、蒸気を一挙に噴出させて加速力を得る。弓から放たれた鏃の如き速度で、黒鉄蜂で構成された黒い壁の中に突っ込む。隊長であるが故に、最も危険な行為を自ら買って出た。

 見渡す限り、蜂、蜂、蜂。四方八方が黒鉄蜂で満たされた、敵陣の真っただ中。そこに迷い込んできた帯刀を黒鉄蜂の血のような複眼が捉え、獲物を見つけたと言わんばかりに激しく発光する。半透明の翅が擦れて鬨の声の如き羽音を撒き散らし、帯刀を囲い込み始めた。

 さあ、鉛弾のプレゼントだっ。たっぷり食らいやがれっ。

 帯刀は景気づけのため、心中でそう叫び、突き出した突撃銃の引き金を引く。銃口の咆哮と共に、途轍もない反動が右腕を痺らせた。常人であれば銃を取り落としてしまうだろう。例え落とさなかったとしても、銃口が激しく動くため照準は定まらないはずだ。

 だが帯刀は片方の腕力だけで、猛獣のように荒ぶる突撃銃を飼い慣らし、正確無比に黒鉄蜂を撃ち落とす。

 下腹部の毒針を突き出して迫り来る無数の黒鉄蜂だが、近づく度に帯刀の放つ銃弾の餌食となっていた。帯刀の周囲の黒鉄蜂が次々と弾け飛び、まるで散発する花火のように散っていった。そうして帯刀は黒鉄蜂の堤を突き崩し、青い空に飛び出す。

 だが即座に操縦桿を左に傾けて旋回し、再び黒鉄蜂の中に突っ込む。

 ただでさえ、多勢に無勢。一人が一騎当千の働きを見せなければ、この窮地は逃れられない。休む暇など無く、再度、敵陣に斬り込む。

 しかし彼我の戦力の差は確実に雲雀部隊を苦しめていく。

 後から後から湧き出るように現れる黒鉄蜂。しかも彼らの緋色の複眼に疲弊や恐怖という感情は浮かばず、いくら同胞の犠牲を前にしても撤退を始めようとしない。

 更には帯刀の腰のベルトに挟んだ突撃銃の弾倉の残りも十分とは言えない。そして何より、蒸気背嚢に詰められた蒸気も無制限ではない。ただ空中に留まるだけでも蒸気は消耗していく。

 蒸気の残量は蒸気背嚢から伸びるケーブルに接続された残圧計によって常時監視されている。残圧計は腕時計のように右手首に巻かれ、表示盤の針が蒸気の翼の残り時間を示す。赤く塗られた針は左端の『零』に向かって着実に刻まれていく。疲れを知らずに動き続ける黒鉄蜂の翅に比べ、雲雀の翼は儚くて脆かった。


 ピーッ、ピーッ、ピッ、ピッ。


 帯刀は戦場に笛の音を響かせて、補給のために帰還することを部下に許可した。


 ピーッ。ピッ。ピーッ。ピーッ。ピッ。


 各所から囀りが返って来た。そこには『帰還のため援護を乞う』とする長音もあれば、『救援無用』を意味する短音もあった。

 長音の反応があった方向を確認。帯刀は蒸気背嚢を操作し、背面から噴き出す白煙の方向を変える。向かうは帰還を図る部下の元へ。

 進行方向に立ちはだかる黒鉄蜂には弾丸を掃射。空中に残る黒鉄蜂の肉片を全身に浴びながらも駆け付ける。

 見えた。隊員の一人が地表を走る列車に向かっている。確かに、背中から噴き出す蒸気の勢いに些か陰りが伺える。そして、その隊員の周囲には、衰弱したところ狙うように無数の黒鉄蜂が群がっていた。隊員は弾数も残っていないのか、迫り来る黒鉄蜂を振り払えないでいる。

 帯刀は叫声に代わって、笛に思いっ切り息を吹き込んだ。


 ピイィイイイィイイッ。


 笛の音に隊員が気付き、帯刀と視線が合うと顔がパッと明るくなった。そして阿吽の呼吸で残量に乏しい蒸気を操作して一気に急上昇。黒鉄蜂の群れから一瞬だけ飛び出し、帯刀の射線上から外れた。

 帯刀は銃口の先から隊員の姿が消えたのを視認すると、遠慮なく黒鉄蜂の頭上から銃弾をばら撒く。黒鉄蜂の鉄板の如き表皮を弾丸が貫く音、鉄と鉄とが衝突する激しい金属音が心地よく奏でられた。


「……感、謝……しま……隊……長……」


 どうやら隊員が礼を寄越して来たようだが、上空に吹き荒れる風の音が激しくて聞き取れなかった。

 帯刀は苦笑し、ハンドシグナルで帰還を促す。

 列車の最後尾の屋根に隊員が滑るように不時着するのを見届けてから、残圧計に視線を走らせる。

 こちらもあまり余裕がないか。

 微かに焦燥感を覚える。

 だが大空に広がる黒雲は未だ厚く、雲雀部隊の数名が蒸気の補給に戻ってしまったため、迎撃の網が薄くなっていた。網を潜り抜けた黒鉄蜂が、列車のすぐ傍まで迫り始めている。柴崎ら防衛班が列車の屋根から突撃銃を斉射しているお蔭で、何とか撃ち落としている。だがこのままでは列車に取り付かれるのも時間の問題だ。

 ここで引くわけにはいかない。

 不安を振り払うように、操縦桿を強く握り蒸気を解放。再び上空に舞い戻る。

 だが、重力の腕が縋りつくように伸びている。それだけは事実だった。


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