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第二章 緋色の黄金 その2

 汽車が江戸駅を経って暫くしてから、穂積大佐と春嶽を含む近衛兵の上官数名、そして葵は車両の一つ、通信車に集まっていた。

 通信車とはその名の通り、無線機器が内蔵されており、外部と交信が出来る機能を有した軍用の車両である。通信車の内部は壁などの仕切りが無く、広い一室だけがある。進行方向に向かって左手の壁では無線設備がランプを光らせており、中央には樫の木のテーブルが備え付けられている。四本の脚は床に固定されており、車両の揺れにも耐えられるようになっている。机上には江戸から京都までの地図がピン止めされていた。地図上には東海道を通る線路が描かれ、その上に置かれた直方体の小さな駒は汽車の現在位置を示している。

 葵はその駒を興味深そうに眺めている。


「葵様、まだ客車の個室コンパートメントでお休みになられていた方がよいのでは?」


 春嶽は、父親と別れたばかりの葵を気遣って、静かに問いかける。


「ご心配頂き、ありがとうございます。相変わらず、春嶽は優しいですね。でも、大丈夫です。私の作戦会議の場に参加させてください。現状を知らないままというのは嫌です」


 葵が小さな顎を上げて、春嶽の目を真っ直ぐ見つめ返して答えた。

 予想よりもしっかりした返答だったため、春嶽は内心で驚いた。

 春嶽の生家、一ツ橋家は徳川家の分家であり、大元を辿れば同族である。そうした親戚筋ということもあり、家同士の付き合いが多く、祝い事の際に交流することが度々あった。それ故に、葵のことも小さい頃からよく知っている。

 陸軍将校の父親を持つ春嶽は、昔から上流華族の舞踏会の場に連れられることが多く、その場には葵も必ずいた。

 徳川家の次代当主という立場である葵の元には、数々の名家の長男が代わる代わるダンスの申し込みにやって来ていた。だが葵は微塵も興味を持つことはなく、彼女の華奢な手は男の手を取る代わりに、電話帳のように分厚い蒸気工学の専門書を握っていた。

 葵には自分が大江戸連邦の次期の長であるという自覚がなく、為政者としての立場にも興味が無いようだった。彼女の関心事は帝王学や言い寄って来る男よりも、物理学や蒸気工学などの科学分野に向けられていた。


「全く、愛想のない娘で……。いつもこうやって本の虫になっているのですよ。特に蒸気工学に夢中なようで……」


 と、葵の横で当主が苦笑するのがお約束であった。

 春嶽が葵と会話を交わすようになったきっかけも蒸気工学だった。

 陸軍士官学校に通っていた春嶽は、現代の軍事技術の要とも言える蒸気工学についての知識も豊富であった。それ故に、英仏文学やクラシック音楽といった芸能関係の教養しか持っていない華族のお坊ちゃんに比べれば、葵の興味を惹くことができた。だがそれでも、他と比べれば比較的マシ、というレベルだ。

 葵の興味は単なる工学的知識だけではなく、専門書を読んでいるだけでは身に付かない現場の経験則のようなものにも向いていた。流石の春嶽も蒸気機関を動かした経験はなく、葵とはちょっとした話し相手以上の関係性にはなれなかった。

 そもそも、春嶽自身、それ以上の関係性は望んでいない。華族の長男の中には、「葵の心を射止めて徳川家の婿養子となり、ゆくゆくは大江戸連邦の長となる」といった野望を持つ者もいただろうが、春嶽はそういうことには興味がなかった。あくまで武人として、自らの腕や知識を磨き、国土と国民を敵から守ることが望みであった。

 春嶽が利害関係を望まなかったからこそ、葵も気軽に話しかけてきたのだろう。

 自分が興味のあることだけをとことん追求する、という子供のような純粋さを持つ少女。それが春嶽がこれまで葵と接してきた中で抱いた印象だった。

 だが、今の葵は、人の上に立つ立場を自覚し始めているようだ。

 それは父親である当主と離別したからだろうか、あるいは……。


「それでは、今回の任務について、改めて確認いたします」


 けほん、と穂積大佐が咳払いをして口火を切った。護衛対象である葵がいる前で、ブリーフィングを行うのは少しやりにくそうである。葵さえいなければ、穂積大佐こそがこの場で最も権限を持つ立場となり、敬語など使う必要もなかったであろう。


「最終目的地、京都駅まではおよそ二日間の日程となる予定です。途中、浜松藩の浜松駅にて炭水車の補給を受けます。浜松藩主の水野氏には既に無線で通達済みであり、歓迎の準備を整えて待っていると返答がありました」


 穂積大佐の野太い人差し指が、地図の上に描かれた東海道線路の出発点である江戸駅に置かれ、そこからゆっくりと路線をなぞっていき、浜松駅で止める。


「二日間の旅程ですか……、それは随分と長旅ですのね。江戸から京都までそれほど離れていたでしょうか? 今回、私達をけん引している機関車はE51形式ですから、本来なら三時間も掛からないのでは?」


 蒸気機関マニアの葵がすかさず疑問符を頭上に浮かべた。


「ええ、まあ、客車だけならばそうでしょう。ですが、通信車と貨車を含めた四十両という大編成ですし、何より葵様がいらっしゃるのですから、万が一のことがあってはなりません。慎重を期すため、速度を落として安全運転で進んでいくのですよ」


 幼子の質問に答えるような柔らかい口調で答える穂積大佐。その言葉の端々に含まれた、葵を小馬鹿にするニュアンスを春嶽は聞き洩らさなかった。葵が作戦会議中に口を挟んだことに少なからず不満を持っているのだろう。


「……私一人の安全のために、それほど速度を落とす必要は無いでしょう。……真に重要なのは私ではなく、四十両の貨車に収められた積み荷、そうではありませんの?」

「……」


 穂積大佐が返答に困り、言葉を失う。声に出さなくとも、図星を突かれたと叫んでいるようなものである。

 穂積大佐に対して、葵は長い髪を揺らしながら柔らかく微笑んだ。


「隠さなくてもよいのですよ。事情は、別れ際にお父様から聞きましたの。この列車には、国未来が載っている、と。積み荷の具体的な内容についても……」

「……そうでしたか、ならば話が早くて助かります」


 冷や汗に塗れた顔をハンカチで拭きつつ、穂積大佐が安堵の息を吐く。


「ご当主がおっしゃられたことは事実です。貨車にはこの国にとって葵様と同等の価値を持つ荷物が積まれております。そのことを知っているのは、今、この通信車にいる者のみです。そのことをどうか、お忘れなきよう」

「……そうですか、ここいる方のみ……。……おや、そう言えば、雲雀部隊の方々もいらっしゃらないのですか?」


 自身の周囲に立つ軍服が、近衛兵の証左である白一色に染まっていることに気付き、キョロキョロと見回している。


「……ええ、彼らなら列車の最後尾で待機しているでしょう。葵様と我ら近衛兵の後詰こそ、彼らにとって最高の栄誉でしょう」


 穂積大佐の顔が、内心の不快感を隠そうともせず、あからさまに苦虫をかみ潰したような表情となった。


「しかし、重要な作戦会議の場にも顔を出せないのは不憫では無いでしょうか? それに情報伝達にも支障が……」

「作戦内容は彼らにも事前に通達済みです。この場に出席する必要はありません」


 穂積大佐は不敬であることにも気付かないのか、仏頂面のまま否定する。


「ですが、……彼らにも自分達が命をかける対象を知る権利があるのではないですか? むしろ、積み荷の正体を知れば、一層奮起し、彼らの活躍がますます……」


 葵の力説を制するように、穂積大佐の右手が強く突き出される。


「……葵様、失礼を承知で申し上げますが、そんなことは以ての外です。雲雀部隊は卑しい平民の出ばかりです。軍に属しているのも、民間企業に勤めるよりも高い給金が出るのが理由ですぞ。そんな彼らが積み荷のことを知れば、考えるだけでも恐ろしい略奪の嵐が巻き起こるのは明白っ!」

「……穂積大佐、それは些か穿った見方をし過ぎているのではないですか? 我が国と黒鉄蜂との戦争において、彼らの貢献は数え切れないほどあります。彼らの出自などどうでもよいではありませんか」


 葵にとって憧れの対象であった雲雀部隊を馬鹿にされたことに腹を立てたのか、ムキになって言い返す。


「……葵様は彼らをご贔屓にしているようですが、人の上に立つ者がそう易々と下賤な立場の人間を信用するのは感心しませんな。……いいですか? 民衆の中には、自助努力もせずに不満を周囲や国家の責任へと転嫁する輩が大勢いるのです。特に、あの私財拠出令に対する騒動は酷かった。黒鉄蜂という未曽有の危機に対し、一億の民が一丸となるべく発布された法を、あろうことか国家による収奪などと批判する者が後を絶ちませんでしたなぁ」


 穂積大佐は髭のない鋭い顎を摩りつつ、ふんっと鼻を鳴らした。

 軍費調達を目的に全国民から一部の財産を接収する、私財拠出令。それに反発する民衆が江戸の町中を練り歩く光景は、春嶽の記憶にも新しい。当初は平和的なデモだったが、統制を失って暴徒と化すまでに時間は掛からなかった。鎮圧する警察の手が足りないため軍部に動員がかかり、近衛兵である春嶽にまで官公庁の防衛の任が降りたほどだった。

 当時のことを思い出したのか、葵の表情も沈鬱となる。


「確かに、……そうでした。しかし、人々の怒りも仕方がありません。……私財拠出令の発布後に、井伊家の軍費横領事件が明らかとなってしまったのですから……。私には未だに信じられませんけれども……」


 井伊家の軍費横領事件。その言葉を聞いて春嶽の中で苦い思い出が蘇る。

 華族であり幕臣の一人でもある井伊家の当主が、軍部兵器開発局の局長と共謀して国家の軍費を私的に横領していたことが発覚したのは、私財拠出令の発布から数週間後のこと。このスキャンダルは、国民の間で燻っていた私財拠出令への反感や幕府への不満を一気に爆発させる引き金になった。それこそが井伊家の軍費横領事件である。

 そして、春嶽自身にとっても強く印象に残っている事件である。

 なぜならば、井伊家の屋敷は春嶽の実家の隣近所であり、井伊家の一人娘とも仲が良かったからだ。

 春嶽より二歳年下の井伊家の一人娘とは幼馴染だった。かつて井伊家の屋敷の庭でよく一緒にチャンバラごっこをして遊び、気の強い彼女に負かされては半べそを掻いていた。まさか、近衛兵として井伊家の屋敷を跨ぐことになろうとは、当時は露ほども想像していなかった。

 幼い頃は彼女の方が体格が良かったため、その顔をいつも見上げていた。身長で彼女に勝つ日は来ないという意識があった。だがいつの間にか、春嶽が見下ろす側になっていたことに、あの日、初めて気づいたのだった。


「春嶽君っ! あの人達を止めてっ、お願いだからっ! お父さんが横領なんてするはずがないんだからっ!」


 春嶽の脚に縋りつきながら発せられた彼女の声は、未だに耳朶にこびり付いている。

 近衛兵は、華族への捜査・逮捕の権利を有する唯一の行政機関である。それ故に、横領事件を起こした井伊家の屋敷には、白い詰襟の軍服を着た男達が土足で侵入することとなった。畳を引き剥がし、タンスの引き出しを抜き、ありとあらゆる場所を引っ掻き回していた。

 それは、私財拠出令の行政執行である。

 私財拠出令の法文には国民の財産の一部を接収するだけではなく、犯罪者の財産の全てを取り上げることも明記されている。その対象は本人だけではなく、親兄弟にまで及ぶ連座制である。そのため、井伊家の私財も差し押さえられることになっていた。

 しかし華族は特権階級である。横領事件程度ならば普段であればもみ消されたであろう。

 だが私財拠出令に反発する国民感情が高まる中で、今回ばかりはお目こぼしというわけにはいかなかった。井伊家は、いわば狂える民衆への人身御供として差し出されたのである。

 そのために、井伊家の屋敷から金目の物は一欠けらも残さず運び出された。

 井伊家当主が妻に贈った結婚指輪、当主が趣味で集めていた陶磁器のコレクション、貯蓄されていた金の延べ棒、そして、誕生日祝いとしてつい先日娘に贈呈された、翼の模様が表面に金細工として施されたペンダントですら例外ではない。


「か、返してよ、春嶽君っ。そんな、悪ふざけ、やだよっ!」


 春嶽は幼馴染の少女を足蹴にし、その胸元にかかっていた涙滴型のペンダントを乱暴に奪う。少女の首に引っ掛かったペンダントのチェーンが一瞬だけ春嶽に抵抗したが、すぐにプツンと切れて外れる。強気な雰囲気が印象的だったはずの幼馴染が泣き顔に染まった。

 いいんだ。これが、近衛兵である僕の任務だ。僕は勅命に従うまで。

 罪悪感が込み上げる前に、心の中で呪文のようにそう唱える。


「それ、大事なものなの。父さんから貰った誕生日の贈り物で……。春嶽君も知ってるでしょ?」


 取り返そうと伸びた少女の手を、春嶽は叩き飛ばす。ペンダントをすぐにポケットに仕舞い込み、空になった右手で軍刀の柄に手を掛ける。抜刀はしない。だが、脅しはする。軍刀の鍔を少しだけ持ち上げ、鞘から刃をギラリと覗かせた。


「……近づくな。公務執行妨害だぞ」


 その言葉と刃の閃光だけで、無力な少女を黙らせるには十分だった。


「……ッ」


 幼い頃、懸想を掛けたこともある、少女の瞳が恐怖で見開かれていた。もう涙は溢れていない、そこには純粋な恐怖と絶望が湛えられている。少女の心を映し出す瞳の水面には、春嶽の無機質な顔が映っていた。

 春嶽は自分の鉄面皮と見つめ合い、そして思いつく。

 そうだ、近衛兵は、僕は、この国の手足なんだ。手足が思考する必要は無い、頭から伝達された指令をただこなせばいい。余計な感情もいらない。悲しみも後悔も、抱いてはいけない。

 そうして、春嶽は心を殺す術を覚えた。

 その翌日、井伊家の騒動の顛末を徳川家に報告するため、父親と共に参上した。その時、偶然、ポケットに残っていた涙滴型のペンダントに気付く。

 幼馴染から奪ったペンダントだった。本来であれば私財拠出令で押収した金品であるため、然るべき場所に届けなければならなかったが、幼馴染との離別に動揺し失念していた。ポケットに入れて持ち帰っていたことに気付いて処分に困っていると、偶然葵に見つかった。


『まあ、鳥の翼を模した紋章が描かれたペンダント。可愛らしいですわね。なぜ、春嶽がお持ちに?』


 あまり物への執着を見せない葵が、珍しく興味を抱いていた。


『……頂き物ですが、私のような無骨者には似合いませんので、葵様にお譲りしましょう』


 そう言って押し付けるように譲渡したのだ。

 その後、井伊家は財産を全て接収され、改易となった。当主は獄死、その妻も共謀罪が疑われて逮捕され、一人娘の少女は遠い親戚に預けられたと聞く。無論、少女の行方を、春嶽は知らない。知る必要もなかった。

 しかし葵に幼馴染のペンダントを渡したことは失敗だった。葵は思いの他、この贈り物を喜んで常に首から下げるようになったのだ。そのせいで、春嶽は葵に会う度に心を乱される羽目になり、忘れようとしても未だに少女の名前が忘れられなかった。

 『日向』、という名前を。


「……春嶽? どうしたのですか? 先程から、どこか呆然としていますけれど」


 聞き慣れたおっとりとした声に、焦点が現実に像を結ぶ。

 春嶽にとっての『頭』、徳川葵がこちらを心配そうに見つめていた。

 葵の首元には、かつて春嶽の幼馴染が下げていた涙滴型のペンダントが光っている。

 胸中だけで焦燥し、これまでの会話の流れを思い返す。

 そう、確か、葵様が雲雀部隊への冷遇に対し腹を立てていたところだった。


「……失礼しました。葵様がご心配されている雲雀部隊についてですが、隊長に小型の無線機を渡しており、この通信車と連絡が取れる体制となっております。彼らから連絡事項があれば我らは受け取れ、また、こちらからの指示も可能です。そして積み荷の件ですが、話したところで彼らに余計な気を負わせるだけでしょう。ならばこのまま秘匿事項としておくべきかと。無論、我らは葵様の指示に従いますので、情報の開示が必要でしたら彼らに連絡いたします」


 春嶽は先程まで漫然としていたことを億尾にも出さない流暢な返答をしつつ、葵の疑念を見事解消してみせた。

 葵は困ったように視線を落としたものの、この場で唯一の顔馴染である春嶽の回答に納得したのか、コクリと小さく頷く。


「分かりました。春嶽がそう言うのであれば……、そうしま……」


 葵がそう言いかけた時、突如としてけたたましいベルの音が鳴り響き、続く言葉を遮った。

 ジリリッと叫ぶ甲高い音の正体に、春嶽はすぐに気付く。


「これは、雲雀部隊からの入電です。まさに、噂をすれば影が差すというやつでしょうか」


 春嶽の言葉通り、これは通信設備に無線電話が入ったことを告げるベルである。車内の壁に備え付けられた黒塗りの受話器を、最も近くにいた近衛兵が乱雑にひったくる。


「雲雀部隊か? 今は作戦会議中である。徳川様の御前でもあるというのに不躾であるぞっ」


 電話相手の反応も待たずに、言葉を吐き捨てた。

 だが、近衛兵の渋面は崩れず、それどころかますます苦々し気な表情となる。


「貴様っ、失礼であるぞっ。何度も言うように、今は会議中だっ。……貴様、私を脅すつもりかっ!」

「……待て、雲雀部隊は一体何用なのだ?」


 怒り始める近衛兵に、春嶽は静かに問い質す。


「はっ。こやつ、重要な案件を伝達したいから、穂積大佐か一ツ橋少佐に取り告げと騒ぎたてておるのです。しかもこのまま電話を切れば、我ら近衛兵の面目が潰れるとまで申しておりまして……」


 その報告を受けて、穂積大佐が不満げに鼻を鳴らした。


「何と無礼なっ! 庶民の出自の分際で、我ら近衛兵を恐喝するとはっ!」

「しかし、それほどまで申すのですから、余程のことでしょう。……よろしい、私が変わろう」


 春嶽はそう言って差し出された受話器を受け取り、耳に当てる。


「私が一ツ橋少佐だ。火急の要件とのことだが、葵様もご参加されている会議を妨げるほど重要なことなのか?」

『おっと、その声は確かに少佐だ。あんたは話が分かってくれそうで助かりますよ。……こちら、最後尾の豪華客車で優雅に寛ぐ雲雀部隊の隊長、島津帯刀少尉であります』


 電話口の向こうから、軽薄な声が返って来た。

 この声は確かに、島津帯刀少尉だ。防衛任務の同時遂行が決まった際、一度だけ顔を合わせたことがある。その時は互いが乗車する車両の確認と武器弾薬の保管場所の指示を簡潔に行っただけだが、その時の帯刀の言葉や所作の端々に浅薄さが感じられた。

 これが、世間に名高い雲雀部隊の隊員か、と最初は呆れたものだが、作戦の指示を受けている時の眼差しは間違いなく真剣だった。春嶽は、そこに歴戦を潜り抜けて来た者だけが持つ鋭さを感じ、評価を改めた。

 恐らく戦場の地獄を見ているからこそ、平時では冗談を言ったり、粗忽者を演じることで自分と周囲を和ませているのだろう。


「前置きはいらない。要件を言いたまえ」と春嶽は帯刀に先を促す。


 その瞬間、何も返答がなくとも帯刀の雰囲気が一変したのを全身で感じた。そのあまりの変化の激しさに、狐に化かされているのではないかと、自分の感覚を疑ってしまうほどだった。


『この列車に蜂が接近している。大多数の群れは江戸の街を襲っているが、こちらにもおこぼれが来た、というわけだ』


 春嶽の背筋が凍り付くほどに冷徹な声色で、無慈悲に告げられた。


『……さて、どうする、一ツ橋少佐』


 そう付け加えられた一声は、まるで遥か高みに立って春嶽を試しているような響きがあった。


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