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第四章 欲望の終着駅 その12

 帯刀は下腹部の毒針を突き出して突進してきた黒鉄蜂を、正確な銃撃で撃ち落とした。バラバラな肉片と化した黒鉄蜂は、無数の放物線を描きながら地面に落下していく。

 今度こそ春嶽達の救援に、と列車に向かおうとしたところに新手が現れる。女王蜂の身体にしがみ付く春嶽の姿は見えているのに、助けに向かうことが出来ない自分の無力さがもどかしい。

 一旦、身体を逸らして蒸気背嚢の噴射孔を地面に向け、急上昇。三匹の黒鉄蜂を自分に惹き付けながら上空に向かう。三対一の空戦だが、この蒸気背嚢の性能ならば旋回軌道力はこちらが勝る。黒鉄蜂が背中を追いかけていることを確認しつつ、帯刀は限りなく半径の小さい半円を描くように急な左旋回、黒鉄蜂の群れの側面を取った。

 ギギギイイイイイッ。

 黒鉄蜂からすれば、帯刀の姿が突然消失したように見えただろう。獲物を見失い、困惑したような鳴き声を上げて、その場で制止しようとする。

 そこに向かって、帯刀は引き金を引く。突撃銃が叫び上げて鉛弾を吐き出した。黒鉄蜂の身体は着弾の衝撃で踊るように激しく動く。しかし銃声が止むと、原形を止めない肉塊となって重力に抱かれていった。

 よし、これで。

 帯刀は蛇のように地面を滑る列車を目視すると、重力に身体を預けて下降する。蒸気の残量のことも考え噴射は進行方向の調整のみに限定し、滑空するための力学は重力と気流に全て任せた。

 しかし、残存の黒鉄蜂も多量にいる。列車全体に散乱する藩兵の血肉に群がっていた黒鉄蜂が、女王の呼び声を聞きつけて先頭車両の周辺に続々と集結しているようだ。薄く広がっていた雲が纏まり始め、一つの分厚い黒雲を形成していく。

 ついに雲雀部隊の迎撃の網を潜り抜けた数匹の黒鉄蜂が、機関車の屋根に取りついた。その目当ては機関車内の運転席にいる葵だ。葵の傍にいる日向が威嚇射撃を放ち、車内への侵入を押し止めているが、それもいつまで持つか分からない。

 帯刀は左手に握る操縦桿を目一杯握って、蒸気背嚢を大きく蒸かした。ここ一番の速度が出る。重力と推進力が合わさり、弓から放たれた矢のように、空気を切り裂きながら機関車を目指した。

 ギギギイイイイイッ。

 しかし、またもや三匹の黒鉄蜂が付け狙われる。今度は相手をしている暇はない。背中に迫る毒針のことは忘れ、機関車に纏わりついた黒鉄蜂を撃ち落とさねば。

 しかも、誤射は許されない。銃弾が黒鉄蜂を外れ、機関車の壁面、そして内部のボイラーを傷つけてしまったら。ただでさえ酷使してきた機関車、外気との圧力差によって爆発する恐れもある。

 かといって狙いをつけるために、空中で制止すれば忽ち背後の黒鉄蜂の餌食となる。

 二律背反。だが、迷っている暇はなかった。自殺行為かもしれないが、一か八か。それに掛けるしかない。

 みるみる迫って来る機関車。同時に、帯刀と地面との距離も狭まって来る。

 その時、帯刀は、雲雀部隊の鉄則である『何があろうとも操縦桿から手を離すな』という教えを破る。

 決死の覚悟で左手を操縦桿から外し、構えた突撃銃の銃身に添えた。無論、左手の支えがあれば突撃銃の狙いは安定し、より正確な射撃が可能となる。

 しかし操縦桿から手を離したことで、蒸気背嚢の噴射も停止、推進力を失った帯刀の身体はあっという間に重力の腕に捕まり、地面に引きずり込まれて行く。帯刀の視界に映る地面が巨大化していき、その存在感を際立たせていく。

 自由落下する中、帯刀は無心で呼吸を整える。迫り来る地面のことなど考えず、自分と黒鉄蜂だけが世界の全てであると信じる。視界に収めるのは、機関車にしがみ付いた黒鉄蜂だけでいい。

 冷静に、冷静に。

 照準を合わせる。否、合わせようとするな。最初から銃口と標的は見えない糸で結ばれている。全ては当たるべくして当たる。

 そして、引き金を確かに押し込む。

 マズルフラッシュと共に、銃声。剥がれ落ちていく黒鉄蜂。それを見届けた瞬間、即座に左手を操縦桿に戻し、全身全霊で握り込んだ。同時に胸を大きく逸らして上半身を空に向ける。

 身体を引き裂かんばかりの加速度(G)に歯を食いしばって耐えながら、反転急上昇。重力を振り払い、再び空へと舞い戻る。

 視界の片隅で、無傷な機関車と帯刀の急激な反転に追いつけず地面に叩きつけられた黒鉄蜂が映り安堵する。

 運転席の葵が操作しているのか、機関車から噴き出す煙の量が減り、その速度も少しずつ落ち着きを取り戻しているようだった。少なくともカーブで脱線する事態は避けられた。

 ほっとする帯刀だったが、まだ最後の大仕事が残っていることを思い出す。

 向かうは、列車に群がった黒雲の中心部。一際巨大な黒鉄蜂。女王を打ち倒さなければ、この戦争は終わらない。

 女王蜂は列車の頭上でいきり立つように飛び回っていた。背中に取り付いている春嶽が煩わしくて仕方ないのだろう。振り払おうと背面飛行や激しい旋回飛行を続けている。だが春嶽も噛みついたら放さない番犬のような執拗さでしがみ付いていた。

 葵達が機関車に辿り着いた時点で、女王蜂の注意を引くと言う春嶽の任務は十分に果たされている。後は春嶽を無事に列車に下ろすだけだ。

 帯刀は女王蜂を追従するように左斜め後ろを飛び、今度は自分に注意を向けさせるために突撃銃を発砲した。この銃撃で女王蜂の命を取れれば良かったのだが、銃弾は甲高い音を奏でるばかりで貫くことが出来ない。通常の黒鉄蜂であれば身体が蜂の巣になっているはずだが、女王蜂はその巨躯に相応しい装甲を兼ね備えているようだ。

 しかし、気を惹くことは出来た。女王蜂は我武者羅な飛行を止めると身体の向きを変え、その禍々しい赤い複眼に帯刀の姿を映した。今度はお前の番だ、と言うようだ。

 すかさず、帯刀は首にかけていた笛を唇で掴み、春嶽に向けて音を鳴らす。雲雀部隊の間で使われる信号は分からないだろうから、ただひたすらに長音を鳴らし続けた。

 ――今の内に列車に飛び移れ。

 激しく羽ばたく女王蜂の翅の合間から、その背中に乗る春嶽と一瞬だけ視線が邂逅する。

 これで、俺の意図は伝わるだろう。囮役の完遂、ご苦労様。

 だが、女王蜂が動きを止めたこの絶好の機会に、春嶽は動かなかった。帯刀と目を合わせた春嶽は、首を横に振った。

 まだ、やることがある。

 そう答えたのだと、笛の音がなくとも帯刀には分かった。


「……ああ、そういうことかよ、クソッたれっ。なら、今後はこっちが惹き付けるから、さっさと終わらせろっ!」


 春嶽に聞こえるとは思わなかったが、そう悪態を叫ばずにはいられない。

 どうやらあの男は、軍刀で女王蜂の翅を切り落とすつもりらしい。全く馬鹿げているが、その覚悟に頼らざるを得なかった。

 なぜならば、女王蜂は突撃銃の射撃を受けても傷付いた様子がなかった。黒鉄の名に相応しい重厚な体皮を持っている。そうなると帯刀の銃撃では太刀打ちできないことになる。無論、間接部位など比較的薄い部分を射抜ければ可能性はある。だがそこまで正確な射撃は困難で、ならば下手な鉄砲も数撃ち当たるを実践しようとしても、弾薬に余裕がない。

 そのため、背中に張り付いた春嶽による一刀に任せる。

 今まで散々馬鹿にしていた伝統とやらの力に頼るとは。我ながら笑ってしまう。

 だが不思議と不安はなかった。

 それは、幾度の窮地を共にした者だけが得ることのできる信頼。

 彼ならば、実直で、生真面目で、まるで一振りの刀のようなあの戦友ならば、やり遂げてくれるのではないか。


††


 女王蜂の標的が帯刀に切り替わり、その背を真っ直ぐに追いかけるように飛行するようになったため、春嶽の足場が安定し始めた。春嶽は足腰に力を入れると、女王蜂の装甲のように強固な背中を踏み締めて立ち上がった。

 軍刀はこの手にある。そして、完全には僅かな刀傷の入った翅の付け根。今や女王蜂は雲雀の如く逃げる帯刀を追うために凄まじい速度で翅を動かしており、その付け根の部位も激しく伸縮を繰り返している。

 ここを、一刀のもとに斬り捨てればいい。

 この時のために、自分は剣術を習っていたのではないか。そう思うほどに、お膳立てされた舞台である。

 すでに作った刀傷に合わせて、更なる一刀を叩き込む。それで今度こそ、女王蜂の翅をもぎ取ることができるだろう。逆に外せば、女王蜂の注意が再びこちらに向けられる。

 落ち着け、この程度、何てことはない。単なる上段斬り。難しくない。一ツ橋家の嫡男として学んだ剣技を、ここで発揮するだけだ。

 自分に言い聞かせながらも、不安は拭えない。身体に打ち付ける風圧や風の音が、精神統一を妨げる。自分は、黒鉄蜂の背に立ち、空の中にいる。足場は不安定、僅かでも重心がズレれば地面に真っ逆さまである。何か一つでも間違えれば、空は、生来翼を持たない人間を簡単に排除するだろう。細い、細い、綱渡りだ。

 空を飛んでいる。その恐怖感に呑み込まれそうになった時、ふと、真正面に赤茶けた背中が見えた。仮初の翼、吹けば飛んでしまいそうなほどに脆い人造の翼、蒸気の翼で賢明に飛行を続ける帯刀の姿だった。

 彼は、今までこの恐怖の中、戦い続けてきたのだろうか。

 死と隣り合わせの飛行を、ずっと続けていたのだろうか。

 そんなものか、一ツ橋少佐。

 そう語りかける帯刀の背。

 ……笑止。君に出来て、私に出来ないはずがない。

 帯刀の背中に励まされているような、あるいは嘲弄されているような錯覚が春嶽の心から迷いを取り払う。

 春嶽は呼吸を整え、意識からあらゆる雑音を締め出す。風鳴りが聞こえなくなった。全身を打つ風圧も気にならない。

 明鏡止水の心域で、軍刀を頭上に掲げた。

 シッ。

 歯の隙間から息を吐き、同時に、軍刀を振り下ろす。紫電が走り、刃の残影が銀色の扇を空中に描いた。

 鼓膜に突き刺さる金属音。だがその音は爽快に響く。女王蜂から噴き出した透明な体液が、春嶽の白の軍服を僅かに濡らす。

 ギギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ。

 女王蜂の背から斬り落とされた片翅は、ガラスのように半透明の表面を輝かせ、風に煽られながら地面に舞い降りた。

 それから僅かに遅れて、飛翔していた女王蜂の身体がぐらりと傾き、万物が抜け出すことのできない重力に囚われた。

 春嶽は落下を始める女王蜂の背を蹴り飛ばし、空中に身を投げた。真下は列車である、うまく着地することは出来るだろうか。いや、高速で運行している列車と衝突して、無事に済むはずがない。着地どころか、弾き飛ばされるだろう。

 それが分かっていながら、心は穏やかである。

 満足感に身を委ねながらその時を待つ。


「……ったく、あんまり苦労を掛けさせないでくださいよ、少佐」


 呆れたような、疲れたような声色が降り注いだかと思うと、春嶽の左腕が掴まれてぐいっと上方に引っ張られる。そのまましばらく列車の頭上を飛行する。列車と速度を合わせたところで、貨車の屋根へと下ろされた。やや乱暴に投げ出されて強かに尻を打ったが、覚悟していたような大怪我には程遠い。


「ふっ、すまないな。無茶をしてしまって」


 照れを隠すために、笑みを口端に浮かべた。


「流石に驚きましたけど、これで、女王様も大人しくなるでしょう」


 そう帯刀が答えた時、二人の頭上に影が差した。瞬く間に、その影は大きく濃くなっていく。

 空を見上げて影の正体を確認するよりも、二人はその場から離れることを優先した。

 ズンッと空からやって来たのは、女王蜂。どうやら片方の翅だけで滑空し、列車に舞い降りたようだ。その赤い複眼に、初めて感情らしき光が宿っているように思えた。春嶽と帯刀に対する憎悪の煌めきだった。翅を切り取られたというのに、女王蜂から立ち上る闘争心の炎は消えていない、むしろ激しく燃え盛っている。


「しつこい女王様だ。そんなに俺達を気に入ったのかね」

「……ふむ。残念ながら私の好みでは無いな。君に譲ろう」


 帯刀に倣って春嶽も軽口を叩いてみる。

『ま、色々拘り過ぎずに、肩の力を抜くことも大切ですよ、一ツ橋少佐』

 いつかの夜、帯刀がそう言われたことを思い出し、実践してみた。


「勘弁してください、俺だってあんな趣味はありませんよ。……しかし、少佐も中々面白いことを言うようになりましたね」


 苦笑が返って来た。

 女王蜂の不屈の生命力を見せつけられ絶対絶命という状況だが、冗談を交わすだけで少しばかり春嶽の気が楽になる。


「私が正面で囮になる。君は飛翔して背中に回り、銃撃で応戦してくれ」

「そうしたいのは山々なんですけどねぇ。ただ、正直なところ残弾が心許なくて、女王陛下を仕留め切れるか自信が無いんですよ」


 帯刀が力なく笑うと、構えていた突撃銃を上下に振った。その銃に中身が無いことを知らせるように。


「ふむ、そうなるとどうしたものか……」

「……一ツ橋少佐、後のことは頼みます。雲雀部隊のこと、葵様のこと。僅かな間とは言え、あなたが上官であったことは、自分にとって幸運でありました。感謝いたします」


 そう言った帯刀に敬礼を向けられた。指を揃えた右手を軽く額に当てただけの、簡素な形式だ。しかしその表情は真剣そのもので、普段の軽薄さは欠片も見当たらない。その双眸には強固な決意が宿っており、紡いだ言葉に真実味を与えていた。

 その意図を問いかける前に、帯刀が飛び立った。あれだけ空戦を続けた直後ならば蒸気の残量にも乏しいはずなのに、残された白煙はあまりにも濃厚で蒸気背嚢からの排出の激しさを伺わせる。

 ほとんど真横に突撃するような飛翔、その向かう先は女王蜂。


「止せっ、帯刀ッ」


 制止した春嶽の声は絶望的なほどに遅く、帯刀の姿は蒸気の中に消えていた。


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