第四章 欲望の終着駅 その6
雲雀部隊の隊長が突然吹き鳴らした笛の意図は知らないが、想像は出来た。故に、雲雀部隊達が一斉に飛び立ち、蒸気を撒き散らした時も不意を突かれることはなく、その場に置いて最善の行動を取ることが出来た。
身を屈めながら、白い煙幕に紛れ、藩兵に肉薄。軍刀を奮ってライフル銃を切り落とす。あるいは軍刀の柄で藩兵の腹部を殴打し、沈黙させる。命を奪うことはできる限り避けながら、的確に無力化していく。
空に銃口を向けている藩兵は、最優先で排除した。
蒸気で作られた濃霧の中で聞こえる鬨の声から、他の近衛兵も藩兵の軍団に斬り込んでいることが分かる。
藩兵がライフル銃を持っていようと、近接戦闘に持ち込めば軍刀を持つ近衛兵が圧倒的に有利である。
次々と敵を斬り伏せ、なぎ倒し、水野を探す。あの老人さえいなければ、この戦闘もすぐに終息するはずだ。
幸か不幸か、一陣の風が吹いて雲雀部隊が作り上げた濃霧が洗い流された。視界が一気に晴れて、戦場がつぶさに見えるようになった。藩兵に囲まれて小さくなっている水野の姿をハッキリと捉えた。だがそれは逆に、相手からもこちらが見えているということだ。
肉薄する春嶽の存在に気付いた藩兵が揃って銃口を向ける。主を守るために統一された、一糸乱れぬその動きは、風に吹かれて同じ動きをする無数の麦の穂を思わせた。
春嶽は、銃口が唸りを上げる前に跳躍を図るべく、下半身に力を込めた。この距離ならば、地面を蹴って飛び上がり、藩兵の頭上を越えて水野に斬り掛かることも可能だろう。問題は、回避が間に合うかどうか。
屈めた両脚を伸ばして跳躍しようとしたその時、ピーッと雲雀の甲高い鳴き声がした。それは春嶽を制止しているように聞こえたため、躊躇うように脚を止めてしまった。春嶽の勘違いであれば、このまま藩兵のライフル銃で蜂の巣にされてしまう。
しかし、そのようなことにはならなかった。
隊列を組んだ雲雀部隊が頭上より舞い降りて、突撃銃を一斉に掃射したのである。耳を劈く銃声の嵐とともに、藩兵の真上から銃弾の豪雨が降り注ぐ。藩兵の悲鳴と断末魔は銃声に掻き消されて聞こえない。
雨が止んでも立っていることが出来た藩兵は、防弾用の鉄帽に命を救われた者か、防弾盾を頭上に掲げていた者だけである。
近衛兵と雲雀部隊。立場は違うが同じ大江戸連邦の正規軍である。身分格差から衝突することもあったが、一度連携を図れば藩兵など敵ではない。更には装備の質、練度の差も明白であった。
「呵々、どうやら正攻法では儂らに勝ち目は無いようじゃのう」
周りを取り巻く藩兵が掲げた防弾盾に守られた水野が、この期に及んで尚余裕のある笑いを放った。もはや狂人の域ではないかと、春嶽は背筋が凍るのを感じた。
しかし相手は海千山千の老獪である。どんな卑劣な手段を使うか、分かったものではない。故に春嶽は気を緩めず、軍刀を強く握り直す。
「制空権は雲雀部隊にある。神妙にいたせ。大人しく降参するのであれば身柄を拘束し、葵様への申し開きの場を作ってやろう。……さもなくば、この地で果てることとなるぞ」
「そう、急くでない若いの。まだ勝負はついておらぬじゃろう」
「水野殿こそ、この状況がお分かりか? 藩兵の多くが銃弾に倒れ、今や貴殿を守る僅かな兵のみ。空には雲雀部隊、地上には我ら近衛兵。これで逃げられるとでも?」
春嶽は会話をしつつも、更に一歩脚を踏み出して水野との間合いを詰めていく。藩兵の作った血溜まりに爪先が濡れた。
「そこが若いのじゃよ。一ツ橋家の坊ちゃん。そなたはまだまだ、民百姓の扱い方を知らぬと見える。その点、徳川幕府を打ち立てた神君・家康公はよくご存じであった。知っておるか? 家康公のお言葉で、百姓は生かさず殺さず、と」
水野は杖の先端を地面に打ち付けて鳴らし、頭上を見上げた。視線の先には空を旋回しする雲雀部隊の姿がある。
「雲雀よ、そなた達は何を運ばされているのか、知っておるのか? この国が民百姓から搾り取り、蓄えた黄金ぞ。そなたらの親きょうだいの血で濡れた、緋色の黄金よ」
所詮は老人、決して大きな声ではない。しかし明瞭な声色で恐ろしいほどに耳を通る。鼓膜を通過し、直接脳に届いているのではないかと思うほどに、透明感のある声だ。長年に幕府に仕え、浜松藩を統括してきた経験で培われた演説力というものだろうか。雨水が岩石の微細な穴に浸透していくように、水野の言葉が伝播しているようだった。
「雲雀よ、そなたがここで命を賭して戦っても、得られるものは先月と同じ額の給金と葵様からの労いの言葉のみ。諸君らの家族を養うことは到底できまい。……じゃが、そなたらが守る列車の腹には、そなたらの家族が一生遊んで暮らせるだけの財宝が眠っておるぞ」
これ以上水野の言葉を雲雀部隊に聞かせては危険だ。
判断するのが遅すぎた自分を叱責し、春嶽は身を屈めながら血に濡れた地面を駆け抜けた。軍刀を脇に番えて一刀で水野を斬り伏せる体勢を整える。
軍刀が煌めきながら迫り来ている中でも、水野は焦燥する様子もなく、その透明感のある声色で雲雀部隊に語り掛けている。
「よく考えたまえ。儂に協力すれば、この鉄の竜の腹を掻っ捌き、掻き出した黄金を諸君らの手に溢れるほどくれてやろう。……さて、規律を遵守し雀の涙ほどの給金を手にするか、あるいは莫大な黄金を故郷に持ち帰るか。どちらが親孝行になるか、明白であろう?」
その瞬間、空を飛ぶ雲雀部隊の動きが止まったように見えた。無論、それは錯覚だ。飛翔している以上、動きが停止することは物理的にあり得ない。だがこの感覚は、雲雀部隊の心象を反映しているようで、春嶽には恐ろしかった。
雲雀部隊が過ちを犯す前に、水野を黙らせる。水野の甘言を止めるには、その首を切り落とすしかない。
春嶽は一度の跳躍で護衛の藩兵を飛び越えて、軍刀に力を籠めた。未だ余裕綽々としている水野に迫る。萎びた老人の頭を、胴体から切り離すために。
「お覚悟っ!」
獲った。
そう確信した。
「春嶽っ、危ないッ!」
しかし、鋭い声が春嶽の心を刺した。
懐かしい声だった。
それは、記憶に残る幼馴染の悲鳴。遠い過去に置き去りにしたはずの幼馴染から発せられた警告。その一声だけで、春嶽に回避行動を取らせるのには十分だった。
咄嗟に、横に跳ぶ。
その瞬間、春嶽が向かうはずだった空間に銃弾の雨が浴びせられた。弾丸が地面に降り注ぎ無数の弾痕と土煙を作り上げている。もし直進していたら、春嶽の身体がこの地面のように蜂の巣になっていただろう。
間一髪、命を拾った春嶽は空を見上げる。
そこには未だ硝煙立ち昇る突撃銃を構えた雲雀部隊の隊員と、その銃口の前を塞ぐように滞空する日向の姿があった。
「柴崎ッ、あんた、自分が何やってるか、分かってるのっ!」
日向は突撃銃から春嶽を庇うように漂いながら、悲痛な声で叫ぶ。
「…………」
しかし、負けず劣らず柴崎も苦悶の表情を顔に刻んでいる。今にも涙を零すのではないかと思うほどに。
「柴崎ッ!」
再度、日向が詰問するも柴崎は答えない。
「――ッ」
柴崎は何かを振り払おうとするかのように頭を振り、睨むように空を見上げた。そして、左手で腰の操縦桿を握り込み、蒸気の噴射の勢いを増した。排出された蒸気は激しく地面に打ち付けて、地表にいる春嶽達の髪を揺らす。
蒸気の白煙が晴れた頃には既に柴崎の姿はなかったが、その痕跡は二条の雲となって残っている。蒸気の残滓は空に向かって、まるで梯子のように伸びていた。
「……まさか」
柴崎の向かった先を察した春嶽であったが、翼を持たない彼には今更どうすることもできず、ただ無事を祈るように青空を眺めていた。
「し、柴崎ッ!」
慌てて後を追う日向と残りの雲雀部隊の隊員。
裏切りの空は憎らしいほどに晴天であった。




