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第四章 欲望の終着駅 その4

 春嶽は椅子から転がり落ちた葵を助け起こしてから、通信車内の受話器をひったくるように取り上げた。すぐに機関車に繋がる。


「今の急ブレーキは何だ?」

「……ぜ、前方に軍隊です、ものすごい数です……。な、何なんですか、あいつらは……」と機関士の驚きに満ちた震え声が電話口から飛び出した。

 お前も軍属だろう、と言いたい気持ち呑み込んでから、機関士の報告について考える。

 混乱している機関士から話を聞き出すより、自分の目で見た方が早いか。

 春嶽は通信車から飛び出し、機関車の向こうを眺める。

 確かに、機関士の言う通りだった。

 延々と続く線路の脇を六輪の軍用トラックが十数台並走しており、排気口から白い蒸気を吐き出し、タイヤが茶色い土煙を巻き上げている。地面を鳴らすほどの轟音を立ててやって来たまるでバッファローの群れの如し軍用トラック軍団は、機関車の近くで停車した。

 軍用トラックの荷台を覆う、長方形のテントのような幌の表面に、所属先を知らされる紋章が描かれている。三弁花である沢瀉を意匠とした紋、それは浜松藩の藩主、水戸家の家紋であった。


「……浜松の藩兵か」


 多数の藩の連合国家である大江戸連邦は、各藩に自治を認めている。そのため藩は独自の軍事力を持っている。使用を許される兵器に限りがあるなど制限はいくつかあるが、それは紛うこと無き軍隊であり、藩主の警護や藩内の治安維持活動を行っている、

 春嶽が水戸家の家紋を確認した時、停車した軍用トラックの荷台から次々と歩兵が降りて来た。旧式のライフル銃を担ぎ、近衛兵とも雲雀部隊とも違う黒を基調とした軍服に身を包んだ藩兵は、トラックの前で隊列を組む。黒の軍服の群れはどこか軍隊蟻を思わせる。

 そんな軍隊蟻の隊列の中央には、この軍団の中で唯一軍用車両ではない、黒塗りの高級車があった。明らかに周囲の車両とは趣を異にしており、異彩を放っていた。その車に乗っている人物には、ある程度察しがついた。

 高級車の助手席から付き人らしき人物が降りると、キビキビとした動きで後部席を開いた。

 緩慢な動きで後部座席を降り、軍隊蟻の列の合間から歩いてきたのは、飾り気のない杖を付いた老人である。真白な髪、人生の苦労を感じさせる無数の皺、曲がった腰などはいかにも老いを感じさせるが、顔に浮かんだ朗らかな微笑みは好々爺のそれである。


「お久しぶりでございます、水野様」と春嶽は一礼する。

「おぅ、一ツ橋家の坊ちゃんですな、随分とご立派になられて……。ここまでの旅路、実にご苦労であられた。本日中には浜松駅にご到着されるとは聞いていましたが、つい居てもたってもいられず、お迎えに上がりました」


 春嶽とは個人的な付き合いこそないものの、徳川家の重臣である水野家と一ツ橋家の交流は古くからあり、現在の水野家の当主であるこの老人とも顔見知りであった。


「しかし、驚きました。まさか水野様が直々にお出迎え下さるとは……」

「ほほ、年寄りの冷や水、とでも言いたいのかい? 機関車の不備で到着が予定より数日遅れるとは穂積大佐からの電報で知ってはいたが、つい心配でな、年甲斐もなくこちらから出向いた次第じゃ。なにせ、葵様に万が一のことがあってはならぬ」


 水野は歯の少ない口内を見せつけるようにカラカラと笑う。


「ご心配をお掛けしました。藩主自らご足労頂いて、面目次第もございません」

「気にするでない。葵様もお主も儂にとっては、可愛い孫のようなもの。孫の危機に駆け付けるのは爺の役目じゃ。……さて、道中疲れたであろう、しばらくはゆるりと身体を休められると良い。浜松藩を挙げて歓待するぞ」


 里帰りに来た孫を喜ぶ祖父のように、顔の皺を更に増やして笑みを浮かべている。


「お言葉、感謝いたします。しかし今は一刻の猶予もありません。葵様が無事に京都に入られて、徳川家の当主を継いだことを宣言してもらい、大江戸連邦の意志を結集することが先決です。血晶炭と食料の補給さえ頂ければすぐに出発いたします」


 春嶽がそう返答すると、水野は露骨に眉尻を下げて残念そうな表情を作った。


「そうか、お主がそう言うならば仕方あるまい。ま、今回は葵様と顔を合わせるだけとするかのお。……そうじゃ、穂積大佐はどこかの? 数日前までは逐一電報で列車の近況を報告してくれていたのじゃが、最近はプッツリと途絶えてしまっての。病で床に伏せっているのではないかと心配していたのじゃが」


 春嶽は返答に窮す。

 穂積大佐が不在の理由を正直に打ち明けるわけにはいかない。水野が今回の作戦に関与しているのは、あくまで補給面のみだ。列車の積み荷の中身までは知らされていない。積み荷の件を伏せつつ、穂積大佐の消失をどう説明するべきか。

 しかし指揮官が列車に乗っていないという事実を、うまく説明できるだろうか。


「…………詳細は言えませんが、現在、別行動を取っておられます」


 春嶽が絞り出した言葉を受け、水野の表情が険しくなる。明らかに疑っている。

 水野が追及のためか、口を開こうとした瞬間、突風と白煙が降り注いだ。藩兵達が即座に反応し、水野の周囲に取り巻き肉の壁となった。ライフル銃の銃口が揃って上空に向けられる。


「ほほぉ、あれが雲雀部隊かぇ。鳥のように空を飛ぶという話は真じゃったか」


 藩兵に守られながら水野が愉しそうに呟く。

 列車が急停車したことを不審に思ってやって来たのだろう、帯刀を含めた五名の雲雀部隊が空から舞い降りる。彼らの高度が下がる度に、藩兵が突き付けた銃口もそれに合わせてゆっくりと下がっていく。

 ドスンッと、五人の着地音が綺麗に重奏する。


「……一ツ橋少佐、彼らは一体?」


 春嶽の傍らに着地した帯刀が、視界を埋め尽くす大部隊と一人の老人を見渡して問う。

 春嶽が答える前に、水野が藩兵の護衛から抜け出して名乗った。


「儂は浜松藩の藩主、水野と言う。彼らは儂の護衛をしている藩兵じゃ。護衛を大勢引き連れたせいで、驚かせてしまったかの? すまないことをしたのぉ」


 相手が敵ではないことを確認した帯刀は警戒を解き、踵を合わせて手本のような敬礼をした。


「失礼いたしました。自分は大江戸連邦陸軍・第一空挺連隊所属、島津帯刀曹長であります」

「おお、知っておる、知っておる。雲雀部隊の隊長じゃな? そなたらの活躍は儂のような田舎住まいの爺の耳にも届いておる。そなたらはまさに大江戸の大英雄じゃ」

「……光栄にございます。……しかし、北部防衛線ではそのご期待に応えることが出来ませんでした。ここに立つのは、英雄ではございません。ただの敗残兵でございます」


 その淡々とした自嘲を傍らで聞く春嶽は、帯刀がどれほどの感情を押し殺してこの言葉を発しているのか想像し、憐憫を覚えていた。同時に、近衛兵を率いる自分が、帯刀と同じ立場に立った時、果たして彼と同じような冷静さを保っていられるかどうか考えた。

 出来る、とは言えない。


「ほほほ、良いのじゃ島津殿。敗残兵、大いに結構ではないか。この戦時で若者が多く命を落としている。だが、そなたのような生き残った者がいるからこそ、戦争の経験を未来に繋ぎ、希望を紡ぐことが出来るのだぞ」


 水野は老人とは思えないほど快活に笑った。

 流石、人生の先達は言うことが違う。

 春嶽は内心で目の前の老人に舌を巻いた。


「そのお言葉、心より感謝いたします」

「よいよい。それよりも諸君はよくぞ今日まで葵様を護衛してくれた。こちらこそ礼を言わねば。そうじゃ、他の隊員を呼び集めてくれないか? ぜひ、皆の苦労を労いたいのじゃ。先を急ぐ旅であることは分かっておるが、少しばかり休憩したところで誰も文句は言うまい」


 水野の厚意は有難いが、春嶽としてはこれ以上京都への到着を遅らせたくはなかった。暫定ながらも、この列車を率いる指揮官として水野の申し出に甘えるわけにはいかない。

 下手に出つつも水野の申し出をうまく断ろうとした時、別の声が割って入った。

「水野様ですかっ、お久しぶりでございます。葵ですっ」

 春嶽の帰りを待ち切れなかったのか、葵が通信車から顔を出していた。水野の姿を見つけると安堵した表情で車両を飛び出し、首の涙滴型のペンダントを弾ませながら駆け寄る。

 一方、葵の姿を視認した水野も頬を緩めた。


「ほぉ、まさか葵様とは、見違えましたぞ。奥方様に似てとても美しゅうなられました。最後にお会いしたいのは、五年前のご当主様の誕生会の席でしたかな? いやいや、男子三日会わざれば刮目して見よとは言いますが、女子も三日会わざれば……ですなぁ」


 孫の成長を喜ぶ祖父のような反応だった。

 そう、そのはずである。

 水野は幕府に長く仕えており、当主からの信頼も厚かった。徳川家とは公私ともに親交が深く、葵とは幼い頃から付き合いがある。葵の成長を見守って来た水野は、本当の孫娘のように思っていることだろう。

 だから、水野が皺くちゃな両腕を広げ、駆け寄る葵を抱き締めようとするのも何ら不思議なことではない。

 水野の右手の人差し指だけが立てられ、それ以外の指が折りたたまれた。まるで何かを合図するかのような形になったのも、単なる偶然に違いない。

 葵と自身の護衛のためとはいえ、これだけの大部隊を引き連れてやってきたこと。穂積大佐から列車の情報を逐一受け取っていたこと。どれ一つ取っても確証はなく、春嶽の思い過ごしだろう。

 しかし、春嶽は、もはや常識が通じない世の中になったということを、この旅路の中で嫌というほど知らしめられた。

 その瞬間。思考よりも早く、右足が出ていた。

 一秒が、引き延ばされるのを感じた。世界が途轍もなく鈍く、遅くなっている。あらゆる動きは緩慢で、空気すらも停止してるような感覚。

 視覚が、水野の背後にいる藩兵の不審な動きを捕らえる。まるで水野の合図に応えるかのように、ライフル銃の先端を前方に向けようとしていた。銃口が向かう先、それは……。

 春嶽は地面を踏み切り、同時に軍刀を抜つ。抜き身の刃の鈍い反射光が、水野の皺に埋もれた双眸を撫でる。


「……」


 水野が気付くよりも素早く、春嶽は護衛の藩兵に斬り掛かった。地面と水平になっていたライフル銃の銃身を一刀両断にする。既に引き金に指が掛けられていたライフル銃だったが、発砲の直前に半身を失った。

 が、銃声は止まらなかった。

 乾いた発砲音が耳朶を叩く。その音源は、春嶽が斬り伏せたライフル銃ではない。別の方向からだ。水野の護衛の中に暗殺者がまだ潜んでいたのだ。

 不覚だった。

 しかし、不思議と焦燥感はない。きっと大丈夫だろうという楽観があった。

 自分の傍らにあの少年がいた。この場にあの少年がいるのだから、万が一のことは起こらないだろう。身分も性格も自分とはまるで違うはずなのに、そんな安心感がある。

 なぜだかそんな予感が脳裏を過り、そしてそれが的中したことを、空を見上げて知った。


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