第四章 欲望の終着駅 その3
幸いなことに、その後無法者が出没することはなく、何事もなく翌朝を迎えた。更にその日の夜にも同じように警備の者を立てたが、やはり異常事態は起こらなかった。それは近衛兵と雲雀部隊のモラルの高さの現れであるのか、あるいは歩哨がいたために略奪を断念したのかは不明である。
理由は何であれ、結果的に積み荷には一切手を付けられることなく、旅路は順調に進んだ。最初の予定よりも大幅に遅れはしたものの、列車の補給駅である浜松駅まで後僅かの距離まで近づいていた。
浜松駅を抜ければ、最終目的である京都まではそう遠くはない。一先ず折り返し地点が見えたことで、列車の乗組員たちの顔には少しだけ余裕が戻っていた。
貨車の中で揺られる帯刀は、雲雀部隊の面々を見渡して安堵する。
「あー、腹が減ったなあ。浜松駅に着いたら食料も補給されるんだろ? また、カレー食いてぇなあ」
牛肉入りのカレーを食した夜を最後に、その後は乾燥したパンを齧るようなひもじい食事が続いていた。ただでさえ、指揮官の逃亡により士気が下がっている中、食時の満足度の低下も隊員達の気分を更に暗いものにしていた。
だからこそ、隊員の誰かが期待を口にする。
「いくら何でもあの時みたいな特別なカレーはもう出ないでしょ。まあ、それでも温かい食事くらいは望みたいわね」
と、日向が現実的な意見を言う。
「この近辺は漁業が盛んなので、保存のきく干物や塩漬けの魚の切り身が調達できるかもしれません。今の時期ですとハゼなんかがよく獲れますから、ハゼの佃煮などは日持ちもするので良いでしょうね」
柴崎が列車の振動でズレるメガネを押さえつつ、ポツリと呟いた。
浜松周辺の漁業に随分と詳しいので帯刀が不思議がっていると、その視線に気付いた柴崎が照れ臭そうに笑った。
「実は、静岡藩には実家の農村がありまして。そこで暮らしていた時は、弟達と漁港に行って家で収穫した野菜と魚を交換してもらっていたんです」
「へぇ、この辺りなのか? 実家が恋しくなったか? 何だったら、浜松駅で補給している空き時間に、実家に顔を出してもいいんだぞ」
帯刀が冗談めかして言うと、柴崎も苦笑を返した。
「俺ももういい歳ですから、寂しくないですよ。それに実家は山奥の農村なんで、ついでに寄っていけるほど近くありませんし」
「でもせっかくの機会だ。無事に京都まで荷物を送り届けたら、休暇を取って実家に顔を出すといい。親孝行は早い内に限るぞ、墓に布団は着せられないと言うだろう?」
帯刀は少しだけ真面目な表情になって告げる。
今はもう会うことはできない父親の顔を思い浮かべながら、らしくもない感傷を抱きつつ柴崎に助言する。
帯刀の真剣さが伝わったのか、柴崎は観念したように頭を下げた。
「……分かりました。この任務が終わったら、挨拶に行きます。ま、俺の僅かな給金に頼るしかない貧乏小作の実家ですから、俺が帰ったところで食い扶持が一人増えたと面倒臭がられるだけでしょうけどね」
そうはボヤキつつも柴崎の頬は緩んでおり、帰省を楽しみにしているのは誰の目にも明らかであった。
そんな柴崎の様子を眺めていた雲雀部隊は、誰もが遠い故郷を想って目を細めた。
その瞬間、ガクンッと貨車の内部の空間が激しく揺れて、踏ん張りが足りなかった者はもんどり打って倒れる。貨車の外からは女の金切り声のような金属の悲鳴が轟き、列車が急ブレーキをかけたことを知らせていた。この横揺れは慣性の法則によるもののようだ。
「あ、いてて、何なんだ一体」
誰もが口々に突然の制動に対する不満を口にする。浜松駅まで歩みを止めずに突き進むとばかり思っていたため、謎のブレーキに疑念を隠せない。
「……様子を見てこよう、柴崎、日向、後五名ほど、悪いがついて来てくれ。後の者は待機だ。もしかしたら機関車がいかれちまったのか……。あるいは……蜂、か。どちらにしても油断はできない。待機組は、外に異変を感じたら各自の判断で動いてくれ」
二人は頷き、帯刀の傍に立った。蜂の一言に、隊員の間に緊張が走る。
帯刀達は蒸気背嚢を背負い、念のために突撃銃を肩に下げる。まさかとは思うが、黒鉄蜂と接敵した可能性も考慮に入れてのことだ。
そうして帯刀は不穏な考えを抱きつつも部下を引き連れて、列車の頭部に向かって飛び立った。




