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第四章 欲望の終着駅 その1

 先頭車両から数えて十五両目の貨車の積み荷が全て消失していた。

 通信車に残されていた積み荷目録によると、十五両車には金塊よりもむしろ貴金属や宝飾品の類が積まれていたようである。恐らく、私財拠出令によって民衆から巻き上げた贅沢品だろう。重荷となる金塊よりも、軽量で運びやすく何より換金しやすい宝飾品を狙って盗んでいったところを見ると、衝動的な犯行とは思えない。

 貨車の近くにはトラックの轍が残っており、線路から遠ざかっていく痕跡がはっきりと地面に刻まれていた。使用されたトラックは、交流会で使用する食材を運搬してきたものだった。

 帯刀と日向は蒸気背嚢で飛行し、しばらく轍を追いかけたがトラックの姿はどこにもなかった。夜中、誰もが寝静まったところで運び出し、それから夜が明けるまで走りっぱなしだとしたら、とても追いつくことはできないだろう。

 結局、手ぶらで二人は帰還した。

 穂積大佐がいなくなったため、階級が最も高い春嶽が代理の指揮官となった。

 一先ず、この事態を何も知らない機関士二名に出発を命じ、再び機関車を走らせる。穂積大佐が積み荷と共に消えたとしても、残った財宝と葵を安全に運搬するのが使命である。穂積大佐の捜索は後回しだ。

 この一件について、春嶽は緘口令を布いたものの、人の口には戸が立てられないことは分かっていた。当然の如く、近衛兵と雲雀部隊の全員が知ることとなった。

 無論、雲雀部隊は烈火の如く怒り、近衛兵は羞恥と困惑に苛むことになる。


「……穂積大佐が、そんな、信じられません。……軍人家系の出身で、陸軍将校としても長い経歴をお持ちで、父上も信頼して私を預けていた、そんなお人が……。……これも全て、私の不徳の致すところです……」


 通信車の中で葵が途方に暮れる。


「昨晩、穂積大佐は妙なことを呟いておりました。『許してくれ』と。今、考えればあの時から財宝と共に逃げ出すことを企てていたのでしょう。未然に防ぐことの出来なかった、私の責任です。申し訳ございません」


 葵の傍ら、この作戦の指揮官だった穂積大佐の立ち位置に、今は春嶽が直立していた。春嶽は下唇を噛み締めつつ、図ったような角度で謝罪の一礼をする。

 春嶽には、穂積大佐が逃亡した理由に何となく察しがついていた。

 穂積大佐は単に私欲に目が眩むような愚かな人間ではない。財宝を盗むことが目的ではなかったはずだ。

 江戸の陥落という悲報が、穂積大佐にとって周囲が思っている以上の衝撃となったのだろう。大江戸連邦の頂点である江戸を失ったことで、既存の体制をも崩壊し、後を担う役割である葵が優しさばかりが取り柄の君主であるということも、穂積大佐が見切りをつける要素となっていたはずだ。

 国家という秩序が崩壊した時に頼りになるのは陸軍将校などという肩書よりも、金銀財宝といった目に見える富だ。だからそれを奪って、逃げ出したのだろう。


「差し出がましいことを言いますけど、責任の所在について一旦脇に置いておきましょう。問題はこれからどうするかということです」


 重々しい雰囲気を晴らすように発言したのは、雲雀部隊の隊長、帯刀である。

 今後の作戦会議には全て帯刀も同席してもらうことになった。それは、穂積大佐の穴を埋めるため、少しでも知恵を出せる人物を欲していたからであり、また、穂積大佐がいない今、帯刀の参加に反対する者がいなかったということでもある。


「我々のすることは今後も変わらない。このまま京都を目指す。まずは途中にある浜松駅を目指し、そこで補給を受ける」

「いえ、それだけではないはずです。出発前に機関士から報告を受けた通り、機関車の損傷を考えると今後は速度を大幅に落とし、かつ、夜間は休ませる必要があります。そのため、浜松駅までは後数日はかかるということでした」


 機関士達は、今は姿をくらました穂積大佐の命令通り、一晩の内に機関車の点検を終えていた。結果、大きな損傷はなかったものの、煙管の一部に煤の詰まりが見受けられ、無理な運用はボイラーの破損を招きかねないことが判明。それ故に、薄氷を履むが如き走行とならざるを得ないとのことであった。


「それは分かっている。旅程の変更はこの際致し方ないだろう」

「つまり、これから数回、この列車は完全に停止し、その場で一夜を明かさなくてはなりません。この意味がお分かりですか?」

「…………また、積み荷の略奪が起こると?」


 帯刀の質問に対して、春嶽は苦々しい口調で問い返した。


「はい。指揮官である穂積大佐が無き今、この列車の乗客のモラルに期待する方が可笑しいでしょう。……我ら雲雀部隊も、近衛兵の方々も」


 近衛兵を侮辱するな、と昨夜までの自分であれば怒鳴っていただろう。しかし、穂積大佐の略奪をこの目で見た後では、とてもそんな自信はなかった。


「隊長としては情けない話ですが、私は、部下がそのような恥ずべき行為をしないと断言できません。ご存じのように、隊員は皆、それぞれ複雑な事情を抱えており、金銭絡みの問題も多い。あいつらが欲望に目が眩んで愚かな行為に走る可能性を、否定できません」


 淡々と呟く帯刀。部下を信頼していない冷徹な言葉のように聞こえるが、それだけ部下の内面を知り尽くしているとも言える。


「……そんな、そのようなこと。……近衛兵も雲雀部隊も、我が国が誇るべき、誉れある軍人のはずです。……いくら帯刀様が嘯こうとも、そのようなことは、決して……」


 帯刀を否定しようとした葵の声も、やがて小さく掠れて消える。穂積大佐が姿を消した状況下では、どのような擁護も希望的観測も役立たない。


「よろしい。君の言う通りだ。この積み荷は何が何でも守らなければならない。……走行中は大それたことはできないだろうが、一番危険なのは確かに人目のない夜間の停車中だ。その時、必ず歩哨を立てるとしよう」

「人選は?」

「……近衛兵と雲雀部隊の混交。二つの部隊員が二人一組となって警邏する。どちらか一部隊が歩哨を受け持つよりは、互いに監視し合える方が安心だろう」

「ええ、それが賢明でしょう」


 自分の部下すら信じられず、別部隊と牽制し合うように警護をしなければならない。そんな状況が情けなく、ひたすらに恨めしい。ただ一つ救いなのは、このような想いをするのは自分だけではなく、雲雀部隊の隊長である帯刀も同じであるということだ。


「まずは今夜から。雲雀部隊の人選は君に任せる」

「ありがとうございます。信頼の置ける人物を選出します」


 信頼の置ける、か。

 その言葉は今や鴻毛の如く軽い。指揮官が略奪を働いた後で、信じられる人間など果たしてこの列車のどこに乗っているのだろうか。


「春嶽、私もっ。私も歩哨に志願いたします。皆様が寝ずに番をしている中、私が呑気に眠っていることなどできません」


 鋭く右手を突き上げて意気込む葵。


「なるほど。確かに。葵様ほど黄金を盗む欲のない方はいらっしゃいませんな。これ以上無い適任ではありませんか、一ツ橋少佐?」


 春嶽は、おどける帯刀を睨みつけ、言葉を介さずに窘めてから葵に向き直る。


「葵様。夜間の警邏は葵様が思われている以上に苛酷で、高度な技量が要求されます。冷たい夜風に耐えながら、緊張を決して絶やさずに不審人物を見つけなければなりません。葵様には少々荷が重いかと思われます」


 明確に言語にはしなかったが、葵が警邏に立ったとしても春嶽達にとっては護衛対象が余計に増えるだけである。葵には余計なことをせずに、客車の中で大人しくしてもらうことが一番有難い。

 そのことを葵も察して、口惜しそうに目を伏せながらもこくりと頷いた。


「……分かりました。…………どうか、積み荷にも皆様の身にも何事もありませんように」


 手を合わせて祈祷した葵のか細い声が、とても寒々しく聞こえた。


††


 その日の夜。

 帯刀は隊員の内の何名かを選び出し歩哨の任を命じた。

 信頼の置ける人物、とは言ったものの、帯刀自身、誰を信用して良いのか分からなかった。そのため選出の基準は信頼度というよりも、仮に狼藉を働いた時に自分が取り押さえられる相手かどうかを見極めた。端的に言えば、帯刀が徒手でやり合って勝てるような隊員ということである。

 帯刀は完全に停車した列車を降り、隊員を引き連れて先頭車両で白い詰襟の近衛兵達と合流する。真白な軍服は暗闇の中では、月明りを受けて幽霊のように朧げに浮かび上がり、これ以上無いほど目立っている。


「来たか、雲雀部隊」


 近衛兵の中で一際背の高い春嶽がこちらを向く。


「ええ。雲雀部隊の仲でも選りすぐり、俺が心から信頼している奴らを用意しましたよ」


 心にもないことを飄々と言ってのける。戦場での長い経験が、このような不要な技能を身に付けさせた。良心の呵責などとうの昔に感じない。


「それでは、これより二人一組となって積み荷の警護に当たる。巡回経路は事前に説明した通りである。ここに紙縒りを用意している。一人ずつ引いていき、先端に書かれた数字と同じ人物が今夜の相棒となる」


 春嶽は紙縒りが握られた拳を突き出す。

 近衛兵、雲雀部隊の隊員はそれぞれ一本ずつ引く。

 最後に残った二本の内一本を帯刀が取った。

 帯刀の引いた紙縒りに書かれた数字は『六』。


「……全てはくじ運だ。こういうこともあるだろう」


 苦々しく呟いた春嶽に握れた紙縒りには、帯刀と同じく『六』と書かれていた。


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