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第三章 迷走する黄金列車 その6

「……思い出しました、あなたがあの時の男の子なのですね」


 現在へと浮上した葵の意識が、再び目の前の帯刀を視認する。確かに、帯刀の姿は過去の記憶にある少年の姿と相似している。また、父親の島津良樹の面影も随所に見て取れた。


「ええ。実はあの直後、あなたが徳川葵だと父から聞かされて、とても驚きましたよ。父があなたと会話をした時間はほんの僅かでしたが、父はあなたのことを本当に気に入っていました。あなたのような蒸気工学に理解のある方が徳川家にいらっしゃるなら大江戸連邦は安泰だとね」


 帯刀に真正面から見つめられ褒められると、かぁっと頬が熱くなる。


「い、いえ、そのようなことは……。あなたの御父上と言葉を交わしたことで、益々本の虫となってしまい、今ではこのような世間知らずの娘です。あなたの副官の柴崎様に指摘された通りです、お恥ずかしい限りで」


 柴崎から面と向かって叱責された時のことは、まだ心の片隅に引っ掛かっていた。


「……島津、良樹、……まさか、あの……」


 一方、二人とは過去を共有していない春嶽も、島津良樹の名を耳にして驚いていた。

 春嶽の反応を見た帯刀が口端を吊り上げ自嘲するように笑む。


「……一ツ橋大佐にとって、父の名は蒸気工学者ではなく、大罪人としての印象の方が強いでしょうか? 悪名高き、かの井伊家軍費横領事件の共犯者、ですからね」


 ……まさか日に二度、井伊家の話題が上るとは思いませんでした。

 葵の中で帯刀との再会を喜ぶ気持ちが一気に弾けてしまう。


「……あの、事件の後、お父様とお会いになったことは……」

「……一度だけ留置所で面会しました。ですが、私はすぐに北部防衛線に駆り出されてしまったため、それっきり会っていません。無事であることを祈るばかりです」


 帯刀は微笑を崩さずに淡々と返答する。

 だが怒気を見せないその表情が、葵には何よりも怖かった。

 井伊家横領事件の共犯者として、当時軍部の兵器開発局の局長を務めていた島津良樹の名前が挙がったことを聞いた時、葵は何かの間違いと思っていた。調査が進めば冤罪が判明して解放されるだろうと楽観視していたが、その思惑に反して軍法会議の中で良樹の罪は確定した。


「…………私には、今でも信じられません、島津良樹様があのような犯罪に関わっていたなんて。あなたは、お父様から何か聞いていないのですか?」

「父は、元々軍を嫌っていました。兵器開発局の局長を就任したのは、蒸気背嚢を開発・改良していくことで黒鉄蜂と戦う兵士の生存率を少しでも上げたかったからです。本当は、自分の発明が兵器に転用されることは嫌だったはずです。……けれど、父は如何なる理由があろうとも軍費を横領する人間ではありません。あの事件には、裏があったのです」


 帯刀の口から懇々と語られる言葉には、父親の無実を信じる思いと黒幕たちへの憤りが感じられる。

 そこに、春嶽の冷徹な声が割って入った。


「裏とは、どういう意味か? 当時、私も近衛兵として横領事件の捜査に携わったこともあるが、そのような話は聞いていない」

「それは、そうでしょう。軍の上層部がこぞって真実を捻じ曲げたのですから、近衛兵とは言え、当時は末端であったあなたが知るはずもありません」


 帯刀の口調こそ丁寧だが、言葉の端々に春嶽への揶揄が込められている。

 帯刀に反論しようと口を開きかけた春嶽を、葵は片手で制した。まずは帯刀の話を聞くべきだと考えたからである。


「……兵器開発局長となった父は、兵器開発・改良あるいは増産のための予算を編成する立場となりました。兵士の生存率を僅かでも上げることを設計思想とし、そのために必要な予算は事細かに弾き出し、軍本部に提出したそうです。そして、軍本部から軍費の予算案が連邦議会に提出され、承認されました。ですが実際に開発局に降りた予算は、議会で承認された予算に対してあまりにも少な過ぎました。不審に思った父は、中抜きされた予算の行方を調べ、それが軍の上層部に流れていることを突き止めました」

「…………」


 葵も春嶽も、帯刀の弁舌に言葉もなかった。

 もしこれが事実だとすれば、軍部は議会で決定された予算案に基づかずに、上層部が私的に流用していたことになる。


「そこで父は、信頼の出来そうな連邦議員にこの事実を伝えて、共に軍部を告発することを決めました。白羽の矢を立てたのが、清廉潔白と名高く徳川家からの信頼も厚い重臣、井伊家の当主様でした。父と井伊家の当主様は共に軍部の不正を暴くために動いていましたが……、結局は軍部の方が一枚上手で、横領の罪はこの二人に被せられました。その後のことは、一ツ橋少佐の方がよくご存じでしょう」

「……そんなことはあり得ない。何の根拠があって」

「父の書斎から軍費の帳簿や議会に提出された予算案の写し、上層部の決裁文書の写しが見つかりました。また、井伊家には他の書類もあったでしょう。それらを揃えれば証拠としては、十分だったと思います」


 春嶽の冷静な反論にも、帯刀も同様な怜悧さで対抗する。


「ならばなぜそれらの証拠を持って、軍部を告発しなかったのだっ」

「……するつもりでした。ですが、その前に私財拠出令によって全てを巻き上げられました。父の名義の財産と共に、全て。それは、井伊家も同様に。もはや私達には軍と戦うどころか、明日の米を心配しなければならない有様でしたとなってしまいました」


 つまり、今となっては島津良樹の無実を証明するものは何もないということだ。帯刀の今までの言葉も、果たしてどこまで真実であるのか、分かることはない。


「…………馬鹿馬鹿しい。それでは証拠は何も残っていないと言うのか。それでは貴様の話は単なる世迷言ではないか。全く、今まで話を聞いて損したぞ」


 春嶽が鼻で笑う。


「別に信じてもらいたいわけではありません。ただ、父は私に事件の顛末をそう話してくれました。そのことを葵様にも知っておいて欲しかった。それだけのことです」

「そうか。ならば、貴様の願いは叶った、もう十分であろう。これ以上、詰まらぬ話を葵様に聞かせてくれるな」

「春嶽、良いのです。私は、今のお話を聞けて良かったと思っております。……帯刀様、お約束します。私が徳川家を継いだ暁には、あなたの御父上の名誉を回復するため尽力します」


 これまで葵は、島津良樹が横領事件の共犯者とされたことに疑問を抱き続けていた。自分に青空の夢を抱かせてくれた恩人が、そのような事件に関わっていたなどと信じたくはなかった。その悩みが、今晴れたような気がした。

 帯刀は葵に微笑みを見せる。

 淡く静かな笑みだったが、どこか安堵したような、胸のつかえが取れたような、そんな笑顔だ。それは、葵の記憶に刻まれた島津良樹の少年のような笑みと、どこか似ていた。


「……良かった、あなたに話すことが出来て。……あなたは、やはり、父が評していた通りの人でした」

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