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第三章 迷走する黄金列車 その3

 ……迂闊だった。

 日向は後悔していた。

 近衛兵から本作戦について改めて説明があるから一緒に来てくれ、と帯刀に告げられて、勿論と即答したのは本当に迂闊だった。冷静に考えれば、一ツ橋家の嫡男である彼が徳川葵の護衛として傍に控えていることくらい、予想できただろうに。

 通信車に乗車した直後、白い詰襟姿の春嶽が視界に映って、即座に後悔したが時すでに遅かった。通信車にいる間は、春嶽と視線を合わせないように努力していたが、彼の目を誤魔化せたかどうか自信はない。まだ『井伊』の姓を名乗ることを許されていた頃と比べれば、髪の長さも肌の色も立ち振る舞いも何かも違うはずだが、面影までは隠せないだろう。

 通信車を出た帯刀、柴崎、日向の三人は、雲雀部隊の残りの隊員が待つ後部列車の近くに戻っていた。雲雀部隊用の客車として宛がわれた貨車の外で、帯刀が隊員達に作戦の真相を改めて説明している間、日向は自分の選択をずっと悔やんでいた。

 帯刀が、この列車に黄金が積まれているという事実を告げると、誰もが口を開けている。

 だが、今の日向にとっては、黄金列車よりも春嶽のことが気になって仕方ない。

 あれから、私も随分と変わってしまった。

 軍費を横領したという罪で逮捕された父。それが事実であったかどうか、当時は幼い少女だった自分には分からない。罪人が保有する私財は国が全て接収すると定められた私財拠出令により、日向に残される物はなく、名字すら奪われた。親戚の元を転々とし、最終的には松平家に引き取られ、その姓を名乗ることとなったが、厄介者扱いから解放されることはなかった。

 非国民。華族の恥晒し。

 そうした侮蔑、誹謗中傷を浴びせられた数を数えることはすぐに諦めた。

 何としても自分が一人で生きる術を得なければならないと覚悟を決め、軍に志願した。だが、そこでも文字通り血を吐くような苦労があった。


『いつか好きな男の子が出来た時、その人好みの髪型に合わせられるように』


 母からそんなアドバイスを聞いて以来ずっと伸ばし続けていた長髪は、軍人には無用と判断しバッサリと断髪した。その日の夜は、流石に枕を涙で濡らした。

 髪質が良いと母から褒められたこともあったが、蒸気背嚢の飛行訓練時に使用するプールに何度も落水したせいで、塩素によって髪が痛んでしまった。そして炎天下の訓練の日々で肌は浅黒くなった。かつてのお嬢様はどこ行ってしまったのかと、我ながら笑ってしまう。

 私も、結構、甘やかされて育てられたんだなぁ。

 全てを失ってから、ようやくそのことに気付いたのだった。

 でも、もう取り返すことはできない。今の生活だって決して悪くはない。少なくとも信頼できる仲間や隊長、蒸気背嚢で空を飛んだ時に感じる自由は、かつての自分では決しては得ることが出来なかっただろう。

 だったら、なんで春嶽と顔を合わせることがこんなにも嫌なんだろう。堂々としていればいい。変わった自分を曝け出して、昔から何にも変わらない春嶽を嗤ってやればいいのに。

 もしかしたら、葵の首に掛かっていた涙滴型のペンダントが原因かもしれない。あれは間違いなく、日向が父から誕生日祝いで貰ったペンダントで、春嶽に奪われたものだ。どういう巡り合わせで、あのペンダントが葵の胸元で光っているのかは不明だ。「大事なものだから絶対に無くすんじゃないぞ」と父から手渡された時に言われたが、今なっては惜しいとも思わない。それよりも決別したと思っていた過去が日向を絡め取ろうとしているようで気分が悪い。


「ってことは、機関車に繋がれた貨車のほとんどに黄金が乗ってるのかよ。とんでもねえ額になるんじゃないか」

「何百、ううん、何千億って金額でしょうね。私財拠出令ってホントに何だったのかしら。柴崎副官が怒るのも当然よ」


 帯刀から明かされた真相に、雲雀部隊の面々が顔を見合わせて驚いている。目の前に延々と続いている貨車の数を眺めていれば、そこに積まれた途方もない巨万の富について、頭の中で算盤を弾きたくもなる。


「北部防衛線であんなに惨めな思いをしたのだって、納得いかねえよ。ここにある貨車のたった一両分の金があれば、どれだけの命が救えたか……」

「…………隊長、俺達、このままでいいんですか?」


 不平不満の火種が燃え上り始めた頃合いで、まるで見計らったかのように柴崎が立ち上がり、帯刀に問い質す。


「どういう意味だ?」と帯刀は問い返した。

「……上の連中に、このまま良いように使われていいんですか? あいつら、俺達も庶民のことなんて何にも考えてない。自分がブクブク肥え太ることばかりを望んでやがる。……私財拠出令もそうだし、さっきの戦闘で列車を速めたのだってそうだっ」


 そうだ、そうだと、賛同する声が後に続く。


「俺達は搾取されてばかりだったっ。その反面、奴らはこの列車のようにたっぷりと蓄えてやがったっ。この不正を、見過ごしていいんですか?」


 またもや、賛同の声と拍手が挙がった。それは一人、二人では収まらず、大きな唱和となり、うねりとなり、怒気が燃え広がっていく。


「幸いにして、今の俺達には十分な武器がある。対黒鉄蜂用の装備なら、近衛兵なんて怖くない。何せ、あいつらが持っているのは古臭い軍刀と粗末なピストルくらいだ」


 ドッと嘲笑が弾けた。


「……この列車を乗っ取るつもりか?」

「勘違いしないでください、私欲のためじゃありません。奴らが国民から搾り取って集めた金を、俺達が正しく配分しようってことです。言ってみれば、義賊で」

「馬鹿な考えは止めろ」


 静かに、短く、しかし鋭い、帯刀の一声が喧噪を一瞬で黙らせた。勢い良く燃えあがっていた大火が大津波を浴びたかのように、今までの騒ぎは一瞬で鎮火し、水を打ったように静まり返る。身動ぎすら躊躇われる静謐の中、その場にいる全ての人間の視線が帯刀に集う。


「……戦う理由は、一人一人違うだろう。給金のため、黒鉄蜂への復讐のため、……それでも、誰もが同じく、雲雀部隊としての栄誉を抱いてきたはずだ。ここで強盗に身を落とせば、雲雀部隊の名声は地に落ちる。俺達はまだいい、だが、北部防衛線やさっきの戦闘で華々しく散った奴らの名誉の死まで汚すつもりなのか?」


 淡々とした声色だったが、誰もが黙って耳を傾けていた。戦死者の話を持ち出されると、先程まで膨れ上がっていた怒気は一気に終息する。


「……でも、……それでも、俺達だって、もっと報われてもいいはずですっ。別に金が欲しくて言ってるわけじゃありませんっ。ただ、近衛兵の連中の使い走りになるのは嫌なんですっ」


 ただ一人、柴崎だけが抗っていた。

 その柴崎の想いに、共感しない者はこの場のどこにもいない。


「……それは分かってる。……安心しろ。少なくとも今回の作戦に関しては、信頼のできる人間が近衛兵の中にいる。……一ツ橋少佐、…………それに徳川葵だ」


 徳川の名前を出した途端、周囲の空気が目に見えて張り詰め、背筋を正し始める者もいた。

 かつての威光は衰えたとは言え、徳川幕府を開いた神君・家康公の子孫であり、この国の国家元首である。その名を聞けば、誰もが居住いを正さずにはいられない。


「そんな、まさか、徳川の姫様から見れば、俺達になってそこらに舞ってる埃と一緒ですよ」

「そうですよ。それに、私達よりも年下の女の子って話じゃないですか? そんな人、信用できませんよ」


 当然の如く、疑問の声が湧き上がる。直接言葉にはしないものの、日向も同じような思いを抱いていた。


「皆の言う通り、徳川葵は現実を知らないお姫様だ。だが無知ゆえに、何色にも染まっていない純粋とも言える。今回の作戦に当たって必要な情報を開示すると、俺に確約してくれた。この点から、多少は信じてもいいと俺は思う」


 普段のような飄々とした表情で語る帯刀の様子に、違和感は見当たらない。嘘を言っているようには思えなかった。それにしても徳川葵を信じる根拠としては弱いように思える。今までの帯刀はそんな甘い隊長ではなかったはずだ。何となく、日向の眼には不自然に映る。

 それでも疑問や戸惑いの言葉が上がらなかったのは、これまで帯刀が築いてきた仲間達との信頼関係によるものだ。帯刀が言うなら信用してみよう、という空気が出来上がっていた。


「……ま、隊長のお墨付きを信じることにしようぜ。あのお姫様は、この国のトップだってことは事実なんだし。この作戦が成功すれば、それなりの恩賞も期待できるだろ。…………それに、結構可愛かったしな」

「おっ、それ、俺も思ってたんだよっ。遠くからしか見てないけど、髪さらっさらで綺麗だったし、幼い見た目なのに出るとこは出てんのな。驚いちまったよ」

「同感っ! 童顔なのに肉付きが良いところがたまらないよなぁ。流石、隊長、良い目の付け所してるぜ」


 そんな話題になると、男性隊員は揃って徳川葵の容姿を褒め始める。反対に、日向を中心とする女性隊員は一気に冷気を増して、そんな能天気な彼らに冷ややかな視線を送る。


「……えぇ、そんなことで簡単に信用しちゃうの?」

「あり得ないでしょ、バッカじゃないの」

「キモ」


 容赦のない罵詈雑言が男性陣に襲い掛かったが、男達は気にも留めない。それどころか、女性隊員達を見回して鼻で笑う。

「お姫様はお前らみたいなガサツな女とは違うからなぁ

「あの長い髪に、着物で抑えつけられた豊かな胸、ああいうのを女って言うんだよな。お前達は単なるメスゴリラ」

「うわ最低っ、この色魔っ」


 雲雀部隊が男女に分かれ、それぞれガンを飛ばす。

 だが、男達の言うことにも一理あるのではないかと、思った日向は、髪を撫でつけて無くした長い髪の感触を思い出そうとした。

 女性らしい長髪は、軍の規範的にも、また飛行時に空気抵抗を受けやすいという効率的にも不要なものである。雲雀部隊の女性は誰もがショートカットにしている。そして、軍務に従事していれば嫌でも脂肪が筋肉に代わってしまう。胸や臀部の脂肪はエネルギーとして燃焼され、女性らしい身体付きが失われていく。

 それに比べて徳川葵は上流階級育ちであるためか、丁寧に整われた長髪を持ち、栄養のある規則正しい食生活で育った健康的な身体をしている。通信車を訪れた時、同じ女性から見ても可愛らしい人だと思ったほどだ。男性隊員が彼女に性的な魅力を感じるのも当然だ。

 ……やっぱり、隊長もああいう娘がいいんだろうか。いや、そもそも、私達のことを女として見ていないのでは。

 何となく不安に駆られて、男性陣と女性陣の諍いを面白そうに見物している帯刀の姿を見つめてしまう。


「筋肉まな板っ」

「この変態っ」


 信じられないほどに低レベルな言い争いを始める雲雀部隊。

 男女真っ二つに割れた陣営の間に、頃合いを見計らった帯刀が入り込んで執成す。


「まあまあ、そのくらいにしておけ。……安心しろ、俺は皆みたいな身体の女性も好きだ。胸が無い方が身軽で空気抵抗を受けにくいし、空を飛ぶ際には色々と有利だろ?」


 女性陣を励ましているつもりなのだろうが、どこかズレている。しかしそれも帯刀らしいので、何となく許される雰囲気になってしまった。


「もぉ、隊長ってば相変わらず何だから」

「ホント、ホント、怒る気も失せちゃうよ」


 和やかな苦笑が零れて、男女ともに有耶無耶に和解する。

 いつもの雲雀部隊の空気が戻って来た。そうだ、雲雀部隊はこうでないと。生死を共にする戦友であるからこそ、互いに近付き過ぎず、衝突し過ぎない、程よい距離感で纏まった部隊。私の大好きな、今の居場所だ。

 雲雀部隊の仲が戻り、談笑に興じ始めたところだったが、唐突に鳴り響いた高らかな電子音が邪魔をする。聞き慣れない音に誰もがキョロキョロと音源を探し始める。

 帯刀には心当たりがあったのか、すぐに雲雀部隊の待機場所となっている貨車に入り、何やらゴソゴソと探している。

 戻って来た帯刀が手にしていたのは、携帯無線電話機だった。前方車両にいる近衛兵との通信用のために支給された軍用機器だが、飯盒程のサイズがあり扱いづらい。その無線電話機が嬉々として着信を訴えている。

 雲雀部隊から近衛兵に対して連絡をすることはあっても、逆はないと誰もが思っていたため、その着信音に皆の注目が集まる。


「……こちら、雲雀部隊、島津帯刀。どうしました?」


 無線電話機を耳に当てて答えた帯刀の声は、電話の向こうを警戒するような色合いを孕んでいる。近衛兵から雲雀部隊に通信など、ロクな連絡ではないはずだ。危険地帯への警戒飛行の命令か、作戦の随行は不要という指令か。

 日向も、雲雀部隊の面々も固唾を呑んで帯刀の反応を待つ。

 相手から返答があったのか、帯刀の目が驚きで大きく見開かれた。そして、告げられた言葉をオウム返しした。その時の帯刀の声は、かつて雲雀部隊の誰もが聞いたことがない素っ頓狂な声であった。


「……雲雀部隊と近衛兵との親睦会、でありますかっ?」


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