第三章 迷走する黄金列車 その1
停車した通信車の内部は、まるで時までも止まっているかのような静寂が蔓延っていた。
機関車の点検が終わるまでは、一歩たりとも進めない状況。その待機時間を利用し、改めて今後の作戦会議が行われることになった。壁に掛けられた時計は十九時を差しており、点検が終了する夜明けまではまだ時間がある。
雲雀部隊の代表として、隠されていた作戦の真実を聞かされた隊長の帯刀、副官の柴崎、そして日向は、ただ貝のように口を閉ざすしかなかった。所属する部隊こそ違えども同じ作戦に従事している間柄でありながら、肝心の情報を秘匿されていたことに憤りを覚えていた。
「……この列車に積まれているのは、まさしく、この国の未来。……国有財産である莫大な黄金なのです」
徳川葵は地図が広げられた机を挟んだ向かい側に立ち、もう一度、繰り返し雲雀部隊に真実を語り掛ける。
帯刀に積み荷の中身を知られた以上、包み隠さず話すべきであるという葵の意向によって、この場が設けられた。徳川家の当主となられた葵が下々の者の前に立つなど以ての外であると主張していた穂積大佐だったが、結局は葵に跳ね除けられ、今は通信車内の隅で不満そうな表情をしている。
一方、雲雀部隊も葵に面会した直後は、今までの怒りも忘れ恐縮していたが、しかし明らかになった事実を前にして、怒りが再燃していた。
「それだけの金銀財宝が、……この国の、一体どこに……」
帯刀の隣に立つ副官の柴崎が葵に対して物おじせず、誰しもが抱えているであろう疑問を正面からぶつけた。
「中央銀行の地下に国有の金庫がございましたの。そこには我が国が保有する黄金や宝石が資産として蓄えられていました。……黒鉄蜂との戦乱渦巻く現在、国同士の貿易に紙幣などは紙くず同然ですから、価値の崩れない黄金が重宝されます。この列車はそうした黄金を、私と共に京都まで避難させる予定ですの」
葵は憧れの雲雀部隊を前にして、僅かに緊張しているようである。柴崎の真っ直ぐな双眸を受け止められず、彼らとの間に置かれた地図に恥ずかしそうに視線を逃がしていた。
「……いえ、違いますよ、葵様」
ふっ、と柴崎は鼻息を鳴らして笑う、いや、嗤う。
その時の柴崎は、葵を世間知らずの小娘と侮る穂積大佐の厭らしい笑みに似た表情を浮かべていた。
「この国によくそれだけの財産があったものだ、という意味ですよ」
「……え?……」
柴崎から放たれた純然たる悪意に、葵は動揺していた。今まで蝶よ花よと育てられ、自由気ままに生きることを許された彼女にとって、多少の皮肉こそ受け取る機会はあったが、真正面から悪意をぶつけられる機会など今までなかったのだろう。
そんな葵の様子に気付いていながら、柴崎はまたもや鼻で笑う。
「だってそうでしょう? 葵様もご存じのはずです。困窮する軍費を賄うために発せられた私財拠出令があったでしょう。そして、国中の庶民から私財を掻き集めても尚、北部戦線への物資の補給が滞っていた。……だけど、この四十両編成の貨車には黄金がたっぷり乗っている。全く不思議なことですね」
「あ、あの、そ、それは……。わ、私にも、分かり、ません……」
葵が取り留めのない言葉を紡ぐ度に、その視線は自信の無さを現すように下降していく。
言い訳ではない。本当に分からないのだろう。
柴崎の隣で葵の様子をつぶさに観察していた帯刀は、そう結論付けた。
きっと彼女は帝王学など学んでいない。この国の情勢も学んでいない。そもそも、徳川の威光は既に薄れており、政の実務を取り仕切っているのは各省庁の官僚である。金の流れなど、葵はもちろん、葵の父親でさえ詳細を把握していなかったはずだ。
そんな葵の様子についに耐えかねて、柴崎が怒鳴りつける。
「……分からないって、何だよ。……じゃあ、俺の実家のあばら家から一切合財持ち去ったのは何だったんだよ。……御国のためって言われて、親父とお袋が何十年もコツコツと貯めてた金を奪っていったのは何だったんだよっ」
普段は沈着冷静。その知的な怜悧さに帯刀も救われたことが何度もあった。だが今回ばかりは、あの柴崎も感情を露わにしていた。
そんな柴崎を威嚇するように、近衛兵らが軍刀に手を掛ける。柴崎が後一歩でも葵に近づけば、即座に刀を抜けるように。まさしく一触即発。
「わ、私は、……あの、……」
「そこまでにしてもらおう、雲雀部隊。何にせよ、事情は呑み込めたであろう? 貴様らの任務は葵様の御身を守るだけではない、この国の未来である黄金をも守ることにある。名誉なことと誇り給え」
穂積大佐が怯える葵を背に隠し、雲雀部隊の面々を冷ややかに見据えた。
「……確かに、此度の任務は我々が考えていた以上に重要かつ名誉なことでした。……もっと早くに教えて頂ければ、我らもより奮起できましたのに」
帯刀は皮肉に口端を歪めて言い返す。
「……これは失礼した。積み荷を正体を安易に教えるわけにはいかなかったものでな。だがこれで互いに憂慮すべきことはなくなったわけだ。今後の粉骨砕身の働きを期待しているぞ」
穂積大佐も嫌味たらしく返答し、これまでの会話を強引に打ち切る。暗に、もう雲雀部隊に告げることはないから、さっさと出て行けと言いたいのだろう。
これ以上、庶民の不満を代弁したところで取り付く島もないだろう。
そんな諦観を抱えた帯刀は、両脇に立つ二人に視線で合図してから葵に一礼。そして背を向けて通信車を降りた。その背中には、常に近衛兵らの視線が突き刺さっていた。
「……柴崎、お前の気持ちも分かるが、徳川の御前で感情的になるのはいただけないな。一応、お前の気持ちもわかるから、俺は口を挟まなかったが。……あんなに怒りを露わにするなんて、お前らしくもない」
帯刀は通信車から十分に離れ、近衛兵達に聞かれないことを確認してから、隣を歩く柴崎を窘める。
「……すみません。田舎の両親のことを思うと、つい…………。ウチの実家は田舎にある貧乏な小作で、そのくせ大家族なものでいつもいつも飢えてばかりいました。それでも、両親は俺や兄弟が将来苦労しないようにと、少しずつ金を貯めてくれていたんです。……それなのに」
そう話す柴崎は珍しく悲嘆な表情を浮かべていた。その眼の端に何やら光るものが見えたのは、涙か、あるいは眼鏡レンズの反射によるものか。
柴崎の身の上話を聞くのは初めてのことだったので、帯刀は口を挟まずに耳を傾ける。そもそも雲雀部隊では、互いに過去を明らかにしないことが暗黙の了解になっていた。戦場でいつ死ぬか分からない仲間同士、その死に余計な感傷を抱かないための知恵だった。
「……結局、口減らしと出稼ぎのために、俺は軍に入りました。……ウチの両親は、せっせと蓄えていた貯金を私財拠出令で奪われても、愚痴を零すことはありませんでした。『御国のためならば』と諦めていたんです。……でも、これだけの黄金が江戸にあったのなら、両親や俺達の惨めな暮らしは、一体何だったんでしょう」
柴崎は隣で聳え立つ鉄の竜の胴体に視線を向けた。その胎の中に一体どれほどのお宝が眠っているのか、目算するように。
「…………そうか、」
柴崎の独り言のような問いに、帯刀は答えられなかった。
柴崎の苦慮に対する共感の思いだけが、胸の内に募る。
帯刀もまた、両親のことを想った。今も、きっとこの国のどこかで生きている、そのことを願うしかない。何処かにいると信じることしかできない現況の両親のことを。
『……帯刀。人間だって、空を飛べるんだぞ』
家屋の軒先で、幼い帯刀に熱く語りかけていた父親のことが脳裏を過る。
庭の隅の枯れ木から力強く飛び立つ雲雀を眺めた帯刀が、ふと零した子供らしい他愛のない願望を、偏屈な父親は力強く頷いて肯定した。
この父親は変わっている、と子供なりに常々感じていた幼少期の帯刀だったが、その時に限っては父親が何だか頼もしく見えた。そして、その時の父親の言葉が真実となったことを、今の自分は知っている。それは父親が望んだ形では無かったかもしれないが。
……らしくない。
感傷に浸った自分に自嘲し、帯刀は父親の幻影を追い出す。いつか父親と再会する日まで、思い出に浸るのは止めよう。
現実に帰った帯刀は、ふと、両隣を歩く部下の一人が妙に神妙なことに気付く。
日向が妙に大人しい。思い返してみれば、葵に呼ばれて通信車に足を踏み入れた直後から物静かだったような気がする。近衛兵や華族などの身分の高い者を毛嫌いしていた日向が、今回は一言も口を開いていない。
今までは日向が感情的になり、柴崎がそれを押し止めるという役回りだったはずだが。
傍らを歩く日向は、視線を爪先に落としながら能面のような無表情を貫いている。驚きの余りただ呆然としているような、そんな印象である。
日向の横顔を盗み見ながら帯刀は、彼女にも柴崎と同様、過去に思いを馳せる出来事が起こったのではないかと考えていた。
しかし、日向が幼馴染との突然の再会に愕然としていたとは、流石に知る由もなかった。




