悪役令嬢に転生したのですが特に不穏な空気が流れていなかったので、フラグ回避につとめませんでした。結果、婚約破棄されています。
「アナスタシア、君との婚約は本日をもって白紙とする!」
ここは王宮の大広間。事件は学園の卒業パーティーと称して開かれる夜会の最中に起こりました。わたくし、アナスタシア・ネーゲルの婚約者にしてこの国の王太子、コーネリアス・ヴェルテ殿下が突然婚約の破棄を宣言したのです。
彼の優しい紫の瞳は、けれど今はわたくしを非難するようにこちらに向けられています。彼の赤毛が燃えているように見えるのも、その怒りゆえでしょうか。
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時間は少しさかのぼります。わたくしはコーネリアス様に伴われて卒業パーティーの会場、つまり王宮の大広間に入場しました。
皆それぞれに着飾っており、わたくしはコーネリアス様から贈られたラベンダー色のAラインのドレスを着てきました。コーネリアス様はといえば、アッシュグレーの夜会服に、青のネクタイをしています。
会場につくなり、彼はわたくしから離れて行きました。今考えてみれば、この時点でいつものコーネリアス様ではないと気づくべきだったのでしょう。しかし、わたくしは構うことなく、学友の令嬢たちと思い出話に花を咲かせていました。
そして、気がつけば玉座近くに移動していたらしい殿下は、婚約破棄を一方的に宣言したのです。
回想を終えて、殿下の方をよく見れば、彼はその隣にプリンセスラインの桃色のドレスをまとった方を伴っていました。彼女はシェーラ・ソワン男爵令嬢。婚約者はいないと聞いております。その茶色の瞳は恐怖に震えたように、しかしながらこちらをしっかりと見つめております。
わたくしの金髪碧眼は学園でも女神のようと讃えられていた一方、彼女の茶髪に茶色の瞳という見た目は平民のものと蔑まれておりました。しかし、一体どうしてこのような状況になってしまったのでしょう。いえ、理由なんてずっと前から明らかでした。わたくしが悪役令嬢で、彼女がヒロインだからです。
何を言っているのかと思われるかもしれません。しかしながら、事実です。わたくしには前世の記憶というものがあるのです。その記憶によると、この世界は前世のわたくし——というべきでしょうか——がハマった乙女ゲームの世界そのものだったのです。皆の名前が一緒だったがゆえに気づいたのでしょう。
そのゲームですが、プレイヤーはシェーラを操作し、四人の攻略対象と恋愛関係を築いていきます。そして、最終的に誰かと結ばれればハッピーエンドです。ただ、その四人全員が——貴族社会では当然のことなのですが——婚約者持ちなのです。つまり、このゲームのハッピーエンドに到達するには必然的に略奪愛をする必要があるということになります。
前世のわたくしはスチル集めに何なりと。このゲームのすべてを知るレベルまで何度も周回プレイをしていました。夢中だったわけです。
しかし、こちらに生まれ変わってからというものの、はっきりと「あれはない!」と感じるようになりました。なぜですって? そんなことをしたら国が滅んでしまうからです。前世ではたかがゲームだったので、国の状況など一切気にしませんでした。しかし、こちらはゲームのものではありません。まぎれもない現実なのです。この国の常識において、貴族の結婚は政略結婚が普通です。そして、それはもっぱら政治的なバランスをとるために行われています。
簡単にいえば、ヒロインが勝手な行動を起こすことで政治的なバランスが崩れてしまう、とでも言いましょうか。とにかく、国家存亡の危機に立たされていると言っても過言ではないでしょう。唯一の救いは現在の状況がハーレムエンド、つまり攻略対象四人が全員ヒロインに夢中という最悪の状況になっていないことでしょうか。
そういえば、このようにこの世界が乙女ゲームの世界と知っておきながら、どうしてこのような結末に陥ったのかを説明していませんでした。よく物語で語られる「運命の強制力」というものは決して原因ではないでしょう。わたくしが騙された理由ですが、おそらく簡単にいえば、コーネリアス様が攻略されている気配を感じなかったからでしょう。つまりわたくしのせいと言えます。
ゲームのコーネリアスルートでは、彼がヒロインのことを好きになるにつれ、悪役令嬢のアナスタシアのことを疎む様子が見受けられました。それも本人のいる所で、です。
しかし現実には、わたくしの婚約者のコーネリアス様はわたくしとシェーラ様がいる場で、明らかに彼女のことを煩わしく思っている素振りを見せました。
こうしたコーネリアス様のご対応に騙されたわたくしは、このように惨めな立場に追いやられたということです。コーネリアス様はその瞳でこちらを強く睨み付けています。
「アナスタシア、シェーラに謝ってもらおう」
「何のことでしょう?」
「とぼけるな! 君のやった事はわかっているのだぞ。公爵令嬢として恥ずかしくはないのか?」
どうしてこうなったのでしょう。こちらのコーネリアス様はゲームと違って、聡明で正義を重んじる方だと信じていましたのに。そう、ゲームの中のアナスタシアはシェーラ様にあれこれ嫌がらせをしておりました。そして、それが原因でコーネリアス様に咎められたという一面もあるにはあるのです。
しかし、今回のわたくしは、本当に何もしていないのです。それなのに、聡明なコーネリアス様に何が起こったというのでしょう。
「ですから、わたくしは……」
「皆まで言わせるな。アナスタシア……君には失望した」
「そうですよ~! わたしのことをいじめたのはゆるしてあげるって言ってるんですよ? コーネリアスは優しいですから!」
呼び捨て。これはかなり不敬なのではないでしょうか。そう思いコーネリアス様の顔を見てみましたが、特に気にした様子はありません。こうした場合、殿下はたとえわたくしであろうと——という言い方はゲームのことを考えれば語弊があるかもしれませんが——注意するのです。
そんなコーネリアス様が注意しない……どうした理由があるのか、わたくしにも見当がつかなくなってきました。
もしかして魅了? いいえ、ゲームには魔法はなかったはずです。そして、こちらでも聞いたことはありません。でも、実は魔法は存在し、ヒロインは意識的か無意識的かはわかりませんがそれを使っているのかもしれません……
「ね~え! 謝ってくださいよぅ! さっきからそう言ってるんですよ! 人に悪いことをしたら謝るのは大事なんですよ!」
シェーラ様がこちらに向かって叫びました。彼女の顔には少々のいらつきが見て取れます。貴族社会においては致命的な気がします。
「その通りですが……わたくしはシェーラ様に何かいたしましたか?」
「いっぱいあるんですよ! 全部言ってもいいんですよ⁉」
「わたくしは何も悪いことをした覚えはございませんが……お教えいただいてもよろしいでしょうか?」
わたくしは頭を下げました。本来、公式な場で公爵令嬢が男爵令嬢に頭を垂れるというのは、貴族社会の秩序という観点からは好ましいものではありません。
しかし、今回は王太子殿下に対するものとも対外的には捉えることもできるので、皆様の勘違いということにすることもできます。
こうして、再び頭を上げると、シェーラ様は得意気にわたくしが犯したという罪状を並べ立て始めました。
「えっとえっとですね。まず、あなたはわたしをバカにしたんです! 自分が公爵令嬢だから~って、わたしが男爵令嬢だから~って。コーネリアスに話しかけるのを許さなかったんです! コーネリアスはこんなに優しくて、わたしが話しかけても嫌な顔ひとつしないんですよ? でも、アナスタシアさんはわたしの邪魔をしましたよね? 嫉妬ですか? 嫉妬ですよね! だって、本当はわたしが王太子妃になることに決まっているのに、どうしてアナスタシアさんが王太子妃なんですか? 婚約者なんですか? ひどいです!」
あの、言っていることが支離滅裂なのですが。そう返せば、彼らはわたくしに向かって更に強い言葉を投げかけてきます。
「この私の前で口答えするのか? アナスタシア、君には期待していたのに、残念だ……」
「そうですよぅ! アナスタシアさんはわたしが王太子妃になるのが嫌なんですよね。だってアナスタシアさんは悪役令嬢なんですから!」
その言葉にハッとなります。彼女もまた、わたくしと同じく前世の記憶を、乙女ゲームについての知識を持っているのでしょう。
ですが、彼女にはいくつか欠けている視点があるのです。この世界がゲームとは違うシビアなバランスの上に成り立っているというのもそうですが、ゲームと考えているとしても、です。
「シェーラ様、聞いてください」
「何? 今さら悪役の言うことなんて聞いても何の意味もないですよ? だって、どうしたってわたしはヒロインですからね! どんなことをしてもコーネリアスと結婚できるんですよ?」
「シェーラ様はこの世界をゲームとおっしゃいましたね」
「何よ⁉ 説教なんて聞きたくないわ」
「シェーラ様の仰るゲームはハッピーエンドだけでしたか? コーネリアス様と必ず結婚していましたか? 他の方と幸せになる未来もあったはずです」
そう言えば、ハッと気づいたようにシェーラ様は言葉を失います。しかし、続く言葉は反省ではありませんでした。
「そうですよ? わたしは攻略サイトを読んで、一回目からずっとコーネリアスと結婚したんですよ! ハーレムエンドなんて興味なかったですから。アナスタシアさんもそうなんですか? コーネリアスと結婚したいからですよね? だからわたしの邪魔ばかりするんですよね?」
「シェーラ様……シェーラ様はコーネリアス様との結婚しか見ていないようですが、この世界は別に決まっているわけではないのです。シェーラ様が攻略サイトを見たように、ゲームですらコーネリアス様との結婚という終わり方を迎えない可能性もあったのです。そして、この世界は紛れもない現実なのです。あなたの前世はゲームとは比べ物にならないほど、たくさんの可能性で満ちあふれていたとは思いませんか?」
「何よ⁉ イイ子ぶって! 誰か! この女をつまみ出して! コーネリアスの結婚相手のわたしを侮辱したのよ!」
その時、あたりが静まり返りました。周囲を見れば、わたくしの正面、玉座の後ろの扉から国王陛下がいらっしゃいました。コーネリアス様とシェーラ様は彼の方を振り返ります。
しかし、ざわめきはそれだけでは収まりませんでした。今度はわたくしの後ろ、広間への入口から縄につながれた一人の男性が兵士たちに連行されて来ました。
「パパ⁉」
そう声を上げたのはシェーラ様でした。よく見れば、縄につながれた男性はシェーラ様のお父君、ソワン男爵でした。それに気づくと、今度は舞台の上から国王陛下がお話を始めました。頭が忙しいです。
「ソワン男爵、申し開きはあるか」
「ございません、国王陛下」
「そういう事だ。父娘共々連れていけ」
「ちょっと⁉ 何するのよ! 放して! 放しなさいよ⁉」
二人が連れ出されて行きます。男爵は落ち着いた様子でしたが、シェーラ様は最後まで騒いでいました。こうして、再び広間は静まり返ります。すると、コーネリアス様がこちらに歩いてきます。
「すまなかった……アナスタシア」
「コーネリアス様?」
「私は、ソワン男爵の悪事を暴くため、娘のシェーラをこちらに留めおかねばならなかった。彼女は私に執着していたようだから、こうするのが最善だったんだ。すまなかった」
「でしたら、わたくしにひとこと言っていただければ……」
「……こうでもしないと君の気を引けないだろ?」
「えっと、今何とおっしゃいましたか?」
「君のことが好きだ。アナスタシア」
「ありがとうございます?」
「一曲踊っていただけますか? マイレディ」
「は、はい」
こうして、わたくしはパーティーの始まりから一時間程度経ってから、今宵はじめてのダンスを踊りました。本来、三十分ほどで始まる予定だったのですが、先ほどの騒ぎのせいで少し遅れたのです。踊っていると、ふたりだけの世界に巻き込まれていく気がします。
「アナスタシア。愛してる」
「はい?」
「君はゲームだとか前世だとか言って、私のことをずっと見てくれなかった」
「そう、かもしれませんね……」
「私の方を見てほしかったんだ」
「はい……」
「うん。だからね、この事件の解決と称してシェーラ嬢とくっついたフリをしてみたら君は私の方を見てくれるかと思ったんだけど……違ったみたいだね」
「先ほどからコーネリアス様は何をおっしゃっているのですか? そもそも、嫉妬の感情に訴えかけるのは悪手ですよ?」
「そうだね。今回の作戦は失敗したから……今度は君にたくさんの愛の言葉を囁くことにするよ。覚悟してね」
そう言うと、彼はわたくしに向かってウィンクしました。彼はゲームの中ではこのようなキャラではなかったはずですが……でも少し恥ずかしくなってきました。
「あの」
「どうしたの?」
「ソワン男爵の罪状とは何なのでしょうか?」
「それ今聞く? 私は君に愛の言葉を送りたいんだけど……」
ソワン男爵の罪は後日聞くことができたのですが、とても人に言える内容ではなく、機密事項という扱いでした。このことは今後誰かに言えば、物理的に首が飛ぶかもしれないので、墓場まで持っていくことになるでしょう。
罰についても、領地のカントリーハウスで永蟄居という処分に落ち着いたそうです。これは犯した罪を考えるとかなり軽いものなのだそうです。シェーラ様が連帯責任を取らされていないと考えればそうなのでしょう。
ちなみに、シェーラ様は彼女のおばの嫁ぎ先の子爵家に引き取られたそうです。彼女はもっぱら厳しい人との噂ですので、二度と今回のような事件は起こらないでしょう。
路頭に迷わなかったというだけでも安堵しました。ちなみに、わたくしはコーネリアス様にそのことを見抜かれてしまいました。それはさておき。
「君のことが好きだ」
「コーネリアス様?」
「何度でも言うよ。君のことが好きだ」
「結婚は政治的な問題ではないのですか……?」
「それもないことはないけど……でも、その中でも君を選んだのは私の意思だ。約束する。そのドレスだって私が……いや、何でもない」
その言葉に息をのみました。言われてみればそうです。このドレスは、コーネリアス様の瞳の色と同じ色をしています。指摘されるまで気づかなかったわたくしは婚約者失格ではないでしょうか。
「そう、ですか……わたくしはコーネリアス様のお側にいてもよろしいのでしょうか?」
「自分が悪役令嬢だからって、そう思ってる?」
「え? 今何と?」
「シェーラ嬢が言っていたこと、気にしているのかなって」
「ああ、そういう……そうかも、しれません」
「自信を持って。私が愛しているのはアナスタシア、君が君だからだよ。愛してる」
この時のわたくしはシェーラ様同様、ゲームの世界に囚われていたのです。しかし、そのことに気づくのはこれよりずっと後のことでした。