第九話 1472
都市マクノリアの近くに位置するサルマン家の居城は、堅牢な石壁に囲まれ、その軍事力を遺憾無く発揮できるような要塞と化していた。
騎士たちによってサルマン城へと運ばれた俺は、地下にある牢獄へと放り込まれた。
牢獄は酷く不衛生で、死臭が蔓延していた。
ネズミが壁や床を這い回り、ボロ切れを着た骸骨たちが壁にもたれかかっている。
地下水道が近いのか、石壁越しに水の流れる音が聞こえ、湿気によって水溜りができている。
出口は天井にある鉄格子の巡らせれた小さな穴だけで、窓のようなものは見当たらない。
せめてもの救いは手足を拘束する縄から解放されたことだ。
自分の手をさすると小刻みに震えていることに気がついた。
暗くて寒い牢獄の中だということもあるが、一番の原因は死への恐怖だ。
ナザム村では家族のために大見得を切ったが、城へと近付くにつれて俺の恐怖は増していった。
いつ殺されてもおかしくない状況だ。
「若いの。何をした?」
突然暗闇から声がして、思わず俺はのけぞった。
壁に擦り寄いながら、天井から漏れる微かな光を頼りに、声のした方を見る。
すると牢獄の奥で壁に寄りかかっていた骸骨の一つが、のそっと動いた。
「何をしでかしたんだ?」
闇から聞こえる低い声の主は、骨と皮になるまで痩せ細った囚人のものだった。
「な、何もしてません」
俺は震える声で答えた。
「何もしていないのに、こんな所へ来る訳がないだろ。いや、サルマン家のことだ、それもありえるか」
そう言うと囚人は不気味に笑い始めた。
「こっちへ来いよ」
俺はできるだけ距離を保ったまま観察したが、囚人は全く動く素振りを見せない。
害はないのかもしれないと、慎重に囚人に近付く。
暗闇の中から囚人の全貌が見えた時に、俺は込み上げる吐瀉に口を抑えた。
骸骨同然の囚人の身体は腐臭は放ち、抉り取られたかのように破損した片足と片目からはウジが湧いているのだ。
「へへ。お前は運がいい。明日は公開処刑の日だ。俺らみたいに苦しまなくてすむ」
囚人の悲惨な状態に、俺は目を逸らさずにいられなかった。
「酷いだろ。ダグラスのイカれ野郎のせいだ。お前はあいつに目を付けられてないみたいだな」
よく見れば並べられた骸骨の多くは四肢のうちいずれか、あるいは全てを失っていた。
「ダグラス?」
俺は吐き気を抑えて聞いた。
「サルマン家の三騎士だ。知らないのか?」
「知らないです」
「居合のオットー。赤のヴァルター。そして破壊のダグラスだ」
オットーは父の腕を切り落とした貴族風の男、ヴァルターは俺をここまで連行していた赤髪の男だ。
ダグラスという騎士にはまだ会ったことはないが、その通り名と元囚人たちの悲惨な状態を見れば、おおよその姿は目に浮かぶ。
「明日は公開処刑なんですか?」
「ああ。サルマン家の奴らはひと月に一度、見せしめとして公開処刑をする。このタイミングで連れて来られたってことは、お前はそれに選ばれた。よかったな」
「……無実を公表することはできませんか?」
俺がそう言うと囚人は咳き込みながら不気味に笑い始めた。
「お前はサルマン家の事を何も知らないんだな」
牢獄に響く囚人の笑いは、俺が抱いていた微かな希望を打ち砕くには十分だった。
今すぐにここから出なければならない。
俺は牢獄の中を歩き回り、何か脱出の手立てはないかと模索した。
俺が必死になればなるほどに囚人の笑い声は加速し、「早く。早く。奴らが来るぞ。朝が来るぞ」と狂気的に叫ぶ。
半ベソをかきながらも俺は小さな突破口を見つけた。
それは石壁に穿たれた指が一本入る程度の小さな穴で、向こうからは水の流れる音がする。
残しておいた使用可能「PV」を「力」に全振りすれば、この部分から掘り進めて水道の通っている場所まで行くことができるかもしれない。
早くこんな場所から抜け出してナザム村へ戻ろう。
自殺するのと殺されるのは、あまりにも意味が違う。
両親とアリアの待つ村へ戻るんだ。
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「PV分配」
使用可能:226
レベル +1 [30PV]△
最大体力 +1 [14PV]△
最大魔力 +1 [3PV]△
力 +1 [18PV]△
魔力 +1 [3PV]△
すばやさ +1 [40PV]△
運 +1 [10PV]△
農作業Lv. +1 [25PV]△
目利きLv. +1 [20PV]△
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ステータス・ボードを出し「PV」を「力」に分配しようとした手が止まる。
俺が脱獄したと分かれば、村はどうなる。
俺を探しに、騎士たちがやってくるだろう。
オットーやヴァルター、そして残虐なダグラスが大勢の騎士を引き連れて村へ行くはずだ。
俺を匿っている可能性がある家々は拷問を受ける可能性もあるかもしれない。
そもそも俺は彼らを守るために、ここに来たのではないか。
手を止めて自問していると、囚人は口を開いた。
「生きたいか?」
いつの間にか囚人は笑い止んでいた。
「生きたいです」
俺は藁をも掴む思いで答えた。
「クソのような人生だったが、無実のお前を助けたら、俺は天国へいけると思うか?」
何も言えなかった。
片目しかない囚人の目が俺の全てを見据えているようだった。
「物覚えは良いか?」
「…良い方だと思います」
「ならお前に「硬化」スキルを教えてやる。死ぬ気で覚えろ。そうすれば処刑までに間に合うかもしれん」
そこから囚人は「硬化」スキルの発現方法について語り始めた。
囚人は盗賊であった。
親はおらず、彼は小さい頃から食うために盗みを繰り返していた。
大人になり、盗賊団を結成してからは強欲の限りを尽くし、自由を謳歌した。
だがある日、サルマン家の騎士に捕まり首吊り台へと送られることとなった。
首吊り縄を前に、彼は自分の首が鉄のように硬くなる事を強くイメージした。
彼はどこかで聞いた「硬化」スキルを土壇場で発現させようとしたのだ。
縄が首に掛けられ、体重が一身に首に降りかかる最中にも彼はイメージした。
息ができず、思考は止まり、尿を撒き散らしても彼はイメージした。
目が覚めると彼は死体置き場にいた。
彼は死の狭間で「硬化」スキルを発現させていたのだ。
そこから彼は再び盗賊団を結成した。
だが生き返った彼の噂は広まり、もう一度捕まった時は事情が違った。
三騎士の一人であるダグラスが彼の「硬化」を試すかのように、彼に拷問を加えた。
薄暗い牢獄の中、盗賊仲間が次々と死んでいきながらも、頑丈な彼だけが今まで生き残った。
「鉄だ。身体が鉄になっていることをイメージするんだ。触ってみろ」
手を伸ばして傷だらけの囚人の首に触れると、そこに人間の皮膚の柔らかさはなく、硬い鉄のような感覚があった。
「死ぬ気でイメージするんだ」
囚人は息も絶え絶えに俺を鼓舞する。
鉄のイメージ。ただただ硬い鉄。
「ステータス」
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名前:マルク
年齢:15歳
レベル:5
最大体力:30
最大魔力:2
力:25
魔力:2
すばやさ:47
運:4
魔法:なし
スキル:農作業Lv.14
目利きLv.10
ユニークスキル:「PV」
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まだ「硬化」は発現していない。
「休まずにイメージしろ。死にたくなければイメージしろ」
そうは言われても、いきなり身体を鉄にするなんてイメージし辛い。
「自分の身体をイメージしろ。今の身体。そしてこれからどうなりたいか」
目を閉じて、自分の身体を思い浮かべる。
髪の毛からつま先まで、マルクの身体を一から作り上げる。
「欲望だ。生きたいという欲望を持て。美味いものを食う。良い女を抱く。思うがままに奪う。クソみたいな奴を殺す。全部を生きる欲望に変えろ!」
生きたい。
死にたくない。
父と母に会いたい。
アリアとデートしたい。
クソみたいな人生を変えたい。
生きる欲望が肥大化していくのが自分でも分かる。
「硬くなれ。生きるために硬くなるんだ」
「鉄。鉄。鉄。」
暗い牢獄の中で囚人の声だけが響く。
近くにいるはずなのに、遠くから聞こえてくるような声。
それでいて頭に直接入ってくるような低く唸るような声。
「死にたくなければ硬くなれ。生きろ。生きろ…生き…」
生への固執が身体へと乗り移り、身体の奥底から生命の強靭さが横溢する。
全身の感覚が首に集まり、熱を持って硬くなっていくのを感じる。
すぐさま俺は目を開いてステータスを確認する。
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名前:マルク
年齢:15歳
レベル:5
最大体力:30
最大魔力:2
力:25
魔力:2
すばやさ:47
運:4
魔法:なし
スキル:農作業Lv.14
目利きLv.10
硬化Lv.1
ユニークスキル:「PV」
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発現した。
俺が囚人の方を見ると彼は目をつぶり、一筋の涙を流している。
「おじさん。できたよ。硬化できた」
「ウ…生き…たかった。ウゥ…俺は…生きてたかった…だけなんだ」
囚人は咽びながら言った。
「おじさん…名前は?」
「…名前なんていい。ダグラスを殺せ。あいつだけは許せねぇ。ダグラスを殺してくれ。なぁ?」
囚人は消え入りそうな声でそう言うと空に手を伸ばし、そのまま前のめりに床に伏した。
「絶対に殺すよ。生きて、俺が殺す」
返事はなかった。
信じられないほど軽い彼の身体を持ち上げる。
彼は怒っているのか笑っているのか分からない顔で死んでいた。
俺の最後の言葉は届いていただろうか。
ありがとう。
名も無き囚人よ。
「ステータス」
俺は生きるために「PV」を使った。