第六話 621
あらゆる行動が早くなるステータス「すばやさ」上昇に味を占めた俺はさらに「すばやさ」に「PV」を分配していた。懸念としてはステータスは上げれば上げるほど消費する「PV」も増えていくということで、青天井とはいかないようだ。
だがそれでも脱穀というとりわけ面倒な農作業を午前のうちには終わらせ、1時間もせずにナザム村からマクノリアの市場へと辿り着いたのも、「すばやさ」のお陰だろう。
「予定より早かったな。かといって追加の金は払わんぞ」
商人のヤグーは首をコキコキ鳴らして、気怠そうに言った。
「昨日は飲み過ぎちまった。俺としたことが二日酔いだ。何の得にもなりゃしねぇ。じゃあ、早速これを運んでもらうか。割れ物だから気をつけろよ」
欠伸をしながら大きく背伸びをしたヤグーは俺に商品の運搬を命じた。
ヤグーの借りていた宿は旅商人用のもので、商品を置く大きな倉庫や馬小屋、さらには盗難対策の用心棒まで駐在している。
「ここはいい宿だが、ちと割高なんだよな」
愚痴をこぼすヤグーと共に、蚤の市にまで商品を運ぶ。
「お前はこれを見たことがあるか?」
そう言うとヤグーは木箱の中から、ガラス細工と思しき青色のネックレスを取り出した。
「ガラス細工ですか?」
「田舎者なのにガラスを知ってるのか」
ヤグーは驚いた表情を見せて、ガラス細工の数々を机に並べ始めた。
「これはガラス細工だが、ちょっとしたカラクリがあるんだ。今までガラスは魔法の火力がなければうまく作ることができない代物だった。だがつい最近、東の国で魔法がなくても大きな火力を生み出す装置ってのが開発された。詳しくは分からねぇが、それを使えば誰でもガラスが加工できるんだと。ここだけの秘密だが、このガラス細工、一つあたり300ゴールドで仕入れたんだ」
ヤグーは酒臭い口を俺の耳元に近づけてそう言った。
正規の値段というものが分からないが、ヤグーの興奮しようからして破格の仕入れ値なのだろう。
「よし。声出してくぞ。お前は商品が盗まれないか、よく見といてくれよ」
綺麗に並べられた色とりどりのガラス細工は光を反射し、町行く人々は既に幾分かの興味を示しているようだった。
「寄ってらっしゃ。見てらっしゃい。気品溢れる高貴な輝き、価値が分かる真のレディの身だしなみ、これこそまさにガラス細工でございます。これさえ付ければどこに行っても注目の的、男性諸氏にはプレゼントにもうってつけだ。どうぞどうぞ、自由に見ていって。今ならどれも大特価の800ゴールドだよ。早くしないと売り切れちまうよ」
ヤグーの舌は今日も絶好調のようで、あっという間に人が群がり始めた。
我先にとガラス細工に手を伸ばす人々の熱気の中、俺は簡単な計算をする。
300ゴールドで仕入れたガラス細工を800ゴールドで売る。ざっと見てもガラス細工は100個ほどはあるから、全部を売り切れば50000ゴールドの利益を手に入ることになる。
宿代や諸々の経費を払ったとしても、かなりの利率であることは確かだろう。
商人か。ヤグーからノウハウを盗んで商人を目指すのも視野に入れよう。
そうすれば母のドレスを買い戻せる日がくるかもしれない。
そんな事を漠然と考えているとヤグーの叫び声が聞こえてくる。
「おい。マルク手伝え。一人じゃ捌き切れん。計算はできるか?」
「はい」
想像以上の反響にヤグーはたまらず助けを求めたようだ。
俺はヤグーと並んでガラス細工とお金を次々に交換していく。
ようやく人混みが減り始め、一息を入れるようになった頃にはもう商品のガラス細工は残り少なくなっていた。
「よしよしよし。このまま今日で売り切っちまうか」
笑いが止まらないといった様子のヤグーが自分に言い聞かせるように呟いた。
「おい。商人。このガラスはどこのものだ?」
見覚えのある格好をした男がガラス細工を片手に威圧的に話しかけてきた。
この格好は忘れもしない。青黒のチュニックと腰に携えた長い剣。それはオットーが連れていた従者たちと同じ格好、すなわちサルマン家の騎士である。
「ようこそおいで下さいました。騎士様。せっかくですのでこちらでお話を」
ヤグーを俺に目で合図をして、騎士と共に路傍へと消えていった。
緊張した面持ちで商品の前に立ちながら待っていると、しばらくして、ヘコヘコと騎士に礼をしながらヤグーが帰ってきた。
「1000ゴールドも持ってかれたが、無駄に高い関税よりはマシか」
「大丈夫でしたか?」
「まぁまぁ。仕方ない。ここの騎士はタチが悪いと聞いていたから、覚悟はしてた事だ」
ヤグーは恨めしそうに騎士の後ろ姿を見ながらそう言った。
詳しい事情は分からないが、ガラス細工にかかる関税でもちょろまかすために、騎士に賄賂を支払ったといった具合だろう。
そこからヤグーは深呼吸をし、再びお得意の口上を述べ始めた。
「よし。今日はもういいだろう。上出来上出来。売り上げも合ってるな」
金を数え終わったヤグーが頷きながら言った。
「計算ができるなら早めに言ってくれよ。ほれ、ボーナスだ」
そう言うとヤグーは約束の80ゴールドにプラスして100ゴールドを俺に手渡した。
根っからの商人であるヤグーがこんな大盤振る舞いをするなんて、相当機嫌がいいのだろう。
礼を言ってから、残りわずかの商品を倉庫に搬入していると、商人用の宿の前でヤグーが四、五人の騎士に取り囲まれているのが見えた。
悪い予感がする。
立ち止まって見守っていると、ヤグーは両手を広げて必死に何かを主張しているようだ。
だが騎士たちは首を横に振ってそれを無視している。
次第に騎士は威圧するかのようにヤグーへと詰め寄っていき、ヤグーは観念したかのように、懐から金を取り出した。
すると直ぐに騎士はそれを暴力的に分捕り、いやらしく数えながら帰って行った。
下を向いて項垂れるヤグーに俺は恐る恐る近寄る。
「あぁマルクか。運搬は終わったか?」
ヤグーは俺を見て、力なく溜息をつきながら言った。
「また騎士ですか?」
「見ていたか。そうだ。今日の売り上げ全部を持ってかれたよ。東の国のガラス細工はここで売買しちゃダメなんだとよ。誰もそんな事言ってねぇし。そんな法律もねぇのに」
ヤグーの落胆ぶりはすごかった。
売り上げ全てを持っていかれたとなると、大幅な赤字は免れないだろう。
「あの。これ。今日は大丈夫です」
絶望のあまりその場を動こうとしないヤグーに俺は堪らず100ゴールドを返そうとした。
「ダメだ。金の取引は絶対だ。それだけは覆しちゃなんねぇんだ」
初めて聞いたヤグーの怒り声だった。
そこには彼の商人としての意地や矜持といったものが表れているようだった。
「明日も同じ時間だ。もうガラスは売れねぇから、買い出しに行く」
怒鳴り声をあげたことで、少しだけ気力を取り戻したヤグーはそう言うと宿の中へと帰っていった。
俺は、何もできなかった悔しさと100ゴールドを強く握りしめ、帰路へとついた。