第十五話 2688
俺はマルコという偽名を使って国王軍へと入隊した。
国王軍としての待遇は仕事量と比してかなり良いものだった。
見張りや城での雑用、町の巡回は労働と呼ぶにはかなり楽なもので、同僚である国王軍の男たちは基本的には良い奴らだった。
さらには個室がある寮と食事が支給され、給料も出るのだという。
「俺たちの本分は訓練だ。いざという時のためのな」
俺の世話役兼指導を務めるトマスは見張り台の壁にもたれかかって言う。
「戦争ですか?」
「まぁそうだな。だが6年前にクローデン国王が即位してから、この国の方針は共存と防衛になった。だから俺たちは訓練さえしとけばいいのさ」
やる気のない言葉と態度とは裏腹に平和を目指す国の方針に対してトマスはどこか誇らしげだった。
「その訓練なんですが、僕の訓練はいつから始まりますか?」
国王軍の仕事をして3日になるが、稽古はおろかまともに剣すら握っていない。
「なんだ、訓練がしたいのか?変わった奴だな」
「剣術を習いたくて」
「そうだった。お前はブラックウッド大将に直接稽古を申し込んだ大馬鹿物だったもんな」
両手を上げて信じられないという仕草をしたトマスは続けて言う。
「ブラックウッド大将はお忙しい方だからなぁ。っと、噂をすれば」
トマスが右手を額に当てて敬礼をすると、螺旋階段を上がってブラックウッドが現れた。
「ご苦労。マルクを借りるぞ」
敬礼を返したブラックウッドは、刃の無い稽古用の剣を二本携えていた。
「マルクを殺さないで下さいね」
階段を降りる間際にトマスが言うと「こいつ次第だな」とブラックウッドは笑ってみせた。
部下と上司の風通しの良い軽快なやりとりではあったが、それは稽古の過酷さを予告するようであった。
「剣術スキルは?」
「持っていません」
「そうだろうな。持ち方もなっていない」
稽古場である芝生で剣を構えてブラックウッドと向かい合う。
「だが却って都合がいい。スキルに頼る者は真の剣客には成れん。その上、癖が付く前に正しい姿勢を身につけられる」
ブラックウッドは俺の後ろに立ち、柄の握り方や重心の置き方から事細かに教えてくれた。
その指導は基本的な剣の構え方に至るまで3時間は要しただろう。
「よし。ではその姿勢を保つのだ。刻はあの木陰が城壁にかかるまで」
ブラックウッドは俺の向かい側に立ち、同じように構え始めた。
相手に対して半身になり、右足を前に出す。右足のつま先は相手の方を向き、左足はやや外側に開く。膝は軽く曲げ、背筋は前後左右どこへでも動けるように真っ直ぐに伸ばす。
剣を握っている右手は地面の方へ下ろし、疲労を最小限に抑える。だが決して剣先は地面に付けず、隙は作らない。残りの左手は相手の剣を受けないために腰の後ろへと回す。
一般的な剣術では左手に盾を持つらしいのだが、ブラックウッド流では片手を空にすることであらゆる状況に対応することを目指すのだという。
剣術の素人である俺にも目の前のブラックウッドの構えに一切の隙がないのが分かる。
そして驚愕すべきは一度構えたブラックウッドが全くの静止状態を保っていることだ。
自分も同じ構えをしているから分かるのだが、腕の下げ具合や膝の曲げ具合、あるいは重心は次第にブレていくもので、少しでも気を抜けば崩れてしまう。
10分も経たずに俺の身体は限界を迎え、ふらふらと揺れ始めた。
もしやと思い身体を「硬化」させて静止を保とうとしたが、その効果は真逆でクッション性の弱まった関節のせいで俺はその場に転げてしまった。
汚れを払って立ち上がると、稽古を遠巻きからずっと見ていた茶髪の男が微笑を浮かべて去っていくのが見えた。
嫌なやつだ。
だが気を取り直して構えよう。
俺の転倒に対しても全く反応を見せず、ただ剣を構えるブラックウッドに習って俺は剣を構え続けた。
さっきの反省を生かし、今度は身体を水のようにイメージする。身体を適度に脱力し、足の裏から地面へと流れるよう力を逃がす。
時間と共に水面が均一になっていくかのように、身体の重心が安定してきたような気がする。
血液の流れや関節のバネ、静止はしていても身体の中で駆動する動きを感じる。
「あっ」
脱力のしすぎで右手から剣がするりと地面に落ちてしまった。
せっかく上手くいったと思ったのに。
溜息を吐きながら剣を拾うと、ブラックウッドが「惜しい」とぽつりと言った。
何が惜しかったのかをブラックウッドに聞きたい気持ちを抑えて俺は再び剣を構え始めた。
どうせ聞いても教えてくれる雰囲気ではなかったし、自分でももう少しでコツを掴めそうな気がしたのだ。
そこからしばらく俺は静止しながら格闘した。
体力の問題もあるが、コツを掴めそうで掴めない焦りが俺を苦しめた。
「影が伸びた。今日は終わりだ」
ブラックウッドの声で気が付いた。
既に日は暮れ始め、辺りは訓練を終えて寮や自宅へと帰る国王軍の男たちに溢れていた。
彼らはブラックウッド大将に敬礼やら挨拶をして、にこやかに去っていく。その中に俺の事を笑った茶髪の男も紛れていた。
「次はいつになりますか?」
帰ろうとするブラックウッドを引き止める。
「構えがマスターできれば次の稽古をしてやる。その時になればまた訪ねてこい」
ブラックウッドは俺に稽古用の剣を渡すと城の方へと去っていった。
早く剣術を習いたいのに、まだ剣の振り方すら教えてもらっていないし、スキルも発現していない。
俺は焦りや悔しさから、その場に立ち尽くし、再び一人で剣を構えた。
身体を水にするイメージはかなりいい線をいっている気がする。
それなのに、惜しい。何かが足りていないのだ。
「おい」
日が沈み、城壁に備えられた松明の光だけに照らされる芝生の上で誰かが話しかけてきた。
もう国王軍たちは全員帰ったはずだ。
声の方を向くとそこには、しかめ面の茶髪の男がいた。
「いつまでやるつもりだ?」
「あなたには関係ないでしょう」
どうせ嫌味を言われるのだと俺は男をつっぱねた。
「関係ある。ここは俺の城だ」
俺は男の言っている意味が分からなかった。




