第十二話 2083
父とドルビンに書いてもらった地図を元に朝焼けの道を進む。
サルマン領から出るには関所を通る必要があるのだが、遠回りをして森を抜ければ関所を回避することができるのだという。
しかし森にはモンスターたちがおり、夜を越すことなく一日で抜けることが必須となる。
しばらく道を進み、森へと入る手前に俺は初めてモンスターと遭遇した。
スライムだ、と思う。
30cmほどの大きな緑色の粘膜がナメクジのように地を這って動いている。
遠くから観察するが、動きも遅く脅威は感じなかったので、俺は父から貰った剣を持って近付いた。
すると俺の気配を察知したスライムは動きを止めると突然、顔めがけて飛び跳ねてきた。
俺は避けようとして尻餅をついた。
その後もスライムはまるでバネのように跳躍しては、俺に襲いかかる。
「すばやさ」のおかげで避けることは容易だが、倒し方が分からない。
何度か隙をみては剣で切りつけてみたものの、ぬるっという感覚と共に剣はスライムの体を通り抜けるだけで、まるで攻撃が効いている気がしない。
しばらく格闘はしてみたが、体力の無駄だと判断した俺は、スライムに背を向けて森の中へと入っていった。
さっきまでは真昼間の明るさであったが、森の中は薄暗く、どんよりとした湿気に包まれていた。
一旦引き返して森の前で一夜を明かそうかとも思ったが、「すばやさ」だけには自信のある俺は方位磁針を頼りにずんずんと森を進んでいった。
順調に進んでいると木の影からいきなりゴブリンらしきモンスターと遭遇した。
ゴツゴツとした緑色の皮膚のゴブリンもまた俺に驚いた様子で、少しの間の後にキェーという甲高い威嚇音に発して襲いかかってきた。
体長1mほどのゴブリンが鋭い牙を剥き出しに涎を撒き散らしながら、こちらに向かってくる。
ゴブリンの動きは機敏で十分に観察することはできなかったが、後ろ跳びをしながら距離を取り、俺は剣を握った。
ゴブリンの攻撃を避けるために身体をそらしながら、剣を振る。
すると握っていたはずの剣は俺の手からすっぽ抜け、ゴブリンの頭上を飛んでいく。
剣を失った俺の腕にゴブリンは鋭い牙で噛み付く。
だがゴブリンの牙は俺の腕を噛み砕くことはなかった。
念の為に「硬化」しておいて助かった。
多少の痛みはあるが、恐らく血も出ていないだろう。
思っていた感触を得れなかったゴブリンが威嚇の叫び声を出しながら、後退りをする。
怯んでいる今の内かもしれないと、俺は拳を「硬化」させてゴブリンの顔に向かってパンチを放った。
殴ることに慣れていない不器用なパンチであったが、「すばやさ」のお陰でパンチはゴブリンの顔面にクリーンヒットした。
「硬化」させた鉄拳をモロに食らったゴブリンは醜い豚鼻から紫色の血を流しながら逃げ去っていった。
追いかけようとも思ったが、俺は紫の血がついた拳を見て思いとどまった。
憐れみや罪悪感からではない。
ゴブリンを殴った瞬間に、何かを得たような気がしたのだ。
こうした時にするべきことは一つ。ステータス確認だ。
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名前:マルク
年齢:15歳
レベル:5
最大体力:30
最大魔力:2
力:25
魔力:2
すばやさ:47
運:11
魔法:なし
スキル:農作業Lv.14
目利きLv.10
硬化Lv.7
体術Lv.1
ユニークスキル:「PV」
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体術スキルが発現している。
俺は初めて戦闘に直接役立つスキルを得たことに興奮した。
いつか剣術スキルを発現させたいと考えていたが、まずは体術を極めるのもありだ。
俺は明後日の方へ飛んでしまった剣を拾い上げながらそう思った。
とりあえず残りの「PV」を体術に割り振ってみよう。
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「PV分配」
使用可能:128
レベル +1 [30PV]△
最大体力 +1 [14PV]△
最大魔力 +1 [3PV]△
力 +1 [18PV]△
魔力 +1 [3PV]△
すばやさ +1 [40PV]△
運 +1 [45PV]△
農作業Lv. +1 [25PV]△
目利きLv. +1 [20PV]△
硬化Lv. +1 [24PV]△
体術Lv. +1 [6PV]△
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なるほど。
「農作業」や「目利き」に比べれば「体術」スキルは初期レベルから「6PV」も消費するようだ。
「PV」によってレベルを上げれば上げるほど累乗的に消費「PV」が増えていくから、流石に一気にレベルを上げて無双するというのはできないかもしれない。
そう思いながらも俺はレベル6になった体術スキルを試すべく、空を殴ってみる。
すると俺の拳はシュッと風を切り、先程のパンチとは比べ物にならないようなスピードが出た。
それもただのパンチではなく、次の動作が導かれるようなコンパクトさで、連動するように身体が動く。
そこから俺はまるで何年も格闘を習ってきたかのように、スムーズにパンチやキックを繰り出す。
「硬化」と組み合わせれば人を殴り殺すこともできるかもしれない。
だがまだオットーやヴァルターなどの未知の力を持つ騎士たちを倒せるほどでは無い。
ともかく攻撃手段を得た俺は上機嫌に森を闊歩し始めた。
そこから俺は数体のゴブリンと出会った。
全てのゴブリンを撃退することはできたが、初めの一体は力余って顔面を半壊させてしまった。
生物を殴る感覚はあまりいいものとはいえず、更に服も汚れるため、俺は力加減しながらゴブリンを殴っては撃退し続けた。
力を付けたことでモンスターへの脅威はさほど感じなくなったが、辺りの霧が深くなり、どことなく冷気が漂い始めていた。
早く森を抜けようと方位磁針を片手に急いでいると前方の霧の中から、ぬっと2mほどの巨大なゴブリンが現れた。
いや、ゴブリンではない。
シルエットや色合いこそは似ているが、近くで見ると頭から生えた2本の角と体を纏う恐竜のような鱗が目にとまる。
ゴブリン退治で気が大きくなった俺は自分の力を試すべく、動きの遅い巨大なモンスターの懐に潜り込み、渾身の右ストレートを打ち込んだ。
ゴブリンの体ならば一発でノックアウトできる威力のパンチを放ったが、巨大モンスターの鱗は厚く、倒すことはできなかった。
しかし硬さと早さを備えたパンチの衝撃にモンスターはよろめきながらも後退する。
今までのゴブリンならばここで逃げ去っていたが、好戦的なモンスターは低い雄叫びを上げると、俺に向かって巨大な手を振りかざす。
巨体なだけあって動きは遅く、俺は身体を横にしてその攻撃を避けようとした。
しかし攻撃を避ける前に、俺の背後から矢が飛んできて、モンスターの右目に刺さった。
モンスターの苦しそうな声が響く中、「逃げなさい」という澄んだ女性の声が聞こえた。
俺は女性の言葉に従って、その場から去った。
モンスターは目に刺さった矢を引き抜こうとしており、追ってくる素振りはなかった。
モンスターから離れ、安全を確認して歩き始めた時に先程の女性の声が「待ちなさい」と俺を引き止める。
辺りを見渡すが霧のせいで声がどこから発せられているのかも分からない。
俺は念の為に全身を「硬化」させて、その場に止まった。
「両手を上げなさい」
聞こえる声に従って両手を上げて待っていると、右手側から大きな弓を俺に向けて構えた女性が現れた。
しかし女性とは言っても、それは元の世界では見覚えのあるファンタジーの住人、エルフであった。
美しく長い金髪と緑の瞳、すらっとしたスタイルに純白の肌、極め付けは大きくて尖った耳と、一目でそれが人間とは異なる種族であると分かる。
矢がこちらに向いていることなんて忘れてしまうほどの美しさで、俺はただ彼女を眺めた。
「こんな森で一人で何をしている?」
俺に危害がないと判断したエルフは弓を下ろした。
「迷い込んでしまって」
俺は嘘を付いた。
確率は低いだろうが、このエルフがサルマン家の者の可能性もある。
「馬鹿者め。私がいなければフンババに殺されていたぞ」
さっきのモンスターはフンババと言うらしい。
正直なところ、あのまま殴り続ければ一人でも倒せたかもしれないが、俺はエルフに礼を言った。
「フンババを埋めます。手伝いなさい」
エルフが背を向けて歩き出すと、俺は何も言わずエルフの後を歩いた。
後ろ姿だけでも彼女からは気品が溢れ、どこか森と同化しているような神秘的な雰囲気も醸し出していた。
距離を縮めることができないまま後を付けていると、エルフは地面に倒れたフンババの前で立ち止まった。
フンババの死体には目の矢傷以外にほとんど外傷がないため、矢尻に毒か何かが仕込まれていたのだろう。
死体に手を添えて、聞き取れない呪文のような言葉を発した後、エルフは背嚢から小さな鋤を取り出して、その場に穴を掘り始めた。
「手伝います」
俺が近付くとエルフは「疲れたら交代だ」と言って穴を掘り続けた。
「なら僕が先に掘ります」
エルフは俺を見上げて、表情を変えず無言で小さな鋤を差し出した。
俺はそれを受け取ると穴を掘る。
俺の予想は的中し、「農作業」スキルが作動したようで瞬く間に穴は深く広がっていく。
エルフが俺のすばやい動きに驚いているうちにフンババの巨体がすっぽりと入ってしまうような大きな穴ができた。
「は、運びましょう」
エルフは少し狼狽えた様子で言った。
エルフに促されるがまま俺はフンババの足を持つが、フンババの死体は動かない。
なぜなら俺の反対側にいるエルフがフンババの頭を持ち上げようと必死になってはいるが、ピクリとも動かせていないからだ。
顔を赤くして、じんわりと汗を滲ませるエルフをしばらく見ていたい気もしたが、俺はエルフと場所を変わり、フンババを運んだ。
「身体に見合わず力強いのね」
フンババの死体を埋めた後、エルフは冷静を装いながらそう言った。
しかし手を土まみれにして肩で息をする彼女は、もはや俺には可愛いドジっ子にしか見えなくなっていた。
「夜の森は人間には危険よ。焚き火をしましょう」
確かに森の中はすっかり暗くなり、這い寄るような冷気が辺りを漂っていた。
エルフの指示に従い落ち葉や木枝を集め、小さな山を作る。
エルフはその山に両手をかざすと、何やら呪文を唱える。
すると木枝の山から黒い煙が立ち込み始め、しばらくして火が灯った。
「魔法ですか?」
俺が聞くとエルフは急に自信を取り戻したように「そうよ」と答えた。
夜の森に灯った小さな炎は、優しく身体を包むような熱気を放っていた。
一人で森を歩いてから、どこかで心細さを感じていた俺は、話が通じる相手がいることや焚き火の暖かさにホッと一息を付いた。
「家出したの?」
俺が荷物の入った大きな背嚢から水筒を取り出したのを見て、エルフは言った。
「そうです」
怪しまれないように答えるとエルフは「私もよ」と寂しそうに呟いた。
「あなたはエルフですか?」
「そうよ。エルフを見るのは初めてかしら?」
「はい」
「ここら辺にはもう居ないものね」
焚き火を見つめるエルフは物憂げな表情を浮かべる。
俺が焚き火の前に手を出して温めていると、エルフは薄茶色をした四角の固形物をポリポリと食べ始めた。
俺がそれを珍しそうに見ていると「食べる?」とエルフは聞いた。
しかしあまり美味しそうではなかったので、「自分のがあります」と俺は背嚢に詰めたパンを取り出す。
「それはパンか?」
「はい」
「一口、くれないか?」
エルフは少し気恥ずかしそうに言った。
ちぎったパンの一欠片を手渡すと、エルフは大事そうに小さな口でパンを食べた。
エルフは囁くように「美味しい」と言うと、嬉しそうに口角をあげる。
見た目の高貴さとは相反する子供のような仕草に、俺はドキッとした。
そこから俺はエルフに対して色々な質問をした。
パンをあげたからか、元々お喋りだったのか、それとも彼女も一人で寂しかったのかは分からないが、エルフは全ての質問に丁寧に答えてくれた。
彼女の名前はイェフェン、年齢は43歳らしいが、エルフは平均で200歳ほど生きるので、まだまだ若者らしい。
エルフの里から家出をした理由も若さゆえで、旅をして知見を広げるためなのだという。
昔は各地に存在したというエルフの里も、人間の住む領域が増えるにつれて少なくなっていった。
無益な戦いを好まないエルフは徐々に大陸の端へと追いやられ、今では大陸の西北端にあるエルフの里が住処の中では最大のものなのだという。
100年ほど前から人間との交流をほとんど失ったエルフたちは、人間たちを嫌い、その文化なども拒否するようになった。
そうした閉鎖的なエルフの里に嫌気がさし、イェフェンは一人で旅に出たのだと言う。
彼女は旅をして2年ほどになるが、いくつかの地域では迎え入れらたものの、ほとんどの国では領土に入ることさえ断わられるらしい。
「なかでもここは最悪よ。関所に近寄っただけで矢を放たれたわ」
イェフェンは怒りと悲しさの混じった表情で言った。
「人間の食べ物が好きなんですか?」
俺がそう聞くと「なんで分かったの?」とイェフェンは目を丸くする。
パンを食べた時の反応を見れば、それは誰の目にも明らかだった。
「私は食べ物だけじゃなくて、人間が好きだったの。だけどこの旅で嫌いになってしまいそう。もちろん良い人もいたけどね。あなたはどっちかしら?」
まるで森の深淵の映し出したかのような瞳で、イェフェンは問いかける。
吸い込まれるような緑の瞳から目を離すことができないまま俺は言葉を失う。
「あなた、不思議な目をしてる。若いのに色んな事を経験していて、どこか達観しているような。まるで他の世界から来たみたいな不思議な目」
長い鼻の先端が当たってしまいそうなぐらいにイェフェンは顔を寄せる。
「…そんな訳、ないじゃないですか」
息を呑んで俺は答えた。
「そうよね。ところで、これは何?」
イェフェンは視線を下ろし、俺の股間の盛り上がりを見つめる。
自分でも気付いていたが、俺は勃起していた。
この身体になって一度も致したことがなかったのもあるが、イェフェンの異世界的美しさを間近に興奮を隠せなかった。
「す…すみません」
俺は股間を抑え、地べたに座ったまま後退りした。
「気にしなくていいわよ。エルフは初めてなんでしょ」
ニヤリと笑ったイェフェンは勝気な表情を浮かべたまま、後退りした俺ににじり寄る。
「あなた。名前は?」
「マ、マルク、です」
「ねぇマルク。一人旅は寂しいのよ」
イェフェンは更に顔を近寄らせ、唇が触れる寸前で吐息を漏らす。
俺は上も下も固まったまま、悪戯な表情を浮かべるイェフェンを見つめることしかできなかった。
「からかっただけよ」
そう言うとイェフェンは振り返り、背嚢から折り畳まれた青色の布を取り出し、広げ始めた。
「朝まで仮眠しましょう。一緒に寝る?」
唖然としている俺にイェフェンは挑発すると、そのまま布に包まって寝そべり、そっぽを向いてしまった。
「まだ子供には早かったかしら」
このまま嘗められたままにもいかないと俺は決意を固めてイェフェンの元へと潜り込んだ。




