続・何事も極端すぎるのはよくないなと思った話。
先に書かせて頂きます。
タイトルに「続」とありますが、前回の話と直接的な繋がりはありません。「ブロック・ミュート」関連の話なので、「続」とさせていただきました。予め、ご了承下さい。
とあるエッセイを拝読しました。
「ブロック」についての考え方等のエッセイです。このエッセイ主は「一瞬でも気に障ったら」、ブロックするそうです。「批判」されたら当然で、「感想欄」の語調ですら対象にされるそうです。
「徹底してる」
とも思ったのですが、理由の名目が気になりました。
「赤の他人」
という言葉です。
エッセイ主曰く、
「書き手は読み手にとっては赤の他人です」
「そんな他人に作品を貶されたくない」
とのことです。
至極ご尤もな意見です。
ただこの意見に説得力を持たせる為には、このエッセイ主はしていなければいけないことがあります。
それは「感想欄の閉鎖」です。
このエッセイ主の、読者を「赤の他人」と呼び、「批判するな」「口の利き方に気を付けろ」という考えを否定しているわけではありません。
このエッセイ主の考え方なので、そこはご随意に。
しかし、「赤の他人にとやかく言われたくない」と言うなら、「感想欄」は閉鎖してしかるべきではないでしょうか。
このエッセイ主の創作作品を確認すると、残念ながら「感想欄」は開放されています。「徹底」されてはいませんでした。
では、なぜ「閉鎖」する必要があるのか。
「感想欄」に「批判」やその類いを書いてはいけないというなら、読者は何を書けばいいのでしょうか。
「応援」メッセージや「称賛」コメントでしょう。
他にも「質問」なども考えられますが、「なんでそんな質問するんだ」と言われたら、即ブロック必至です。書きづらいのは間違いありません。
そう考えると、少なくともこのエッセイ主は「作品に対しての好評価なコメント」を求めて「感想欄」を開放していると推察されます。
このエッセイ主は読者を「赤の他人」と仰っています。
もし私がある人に「お前は赤の他人だ」と言われたら、私にとってもその人は「赤の他人」となります。
では、なぜ、「赤の他人」に「応援」や「称賛」を求めるのでしょうか。
なぜ、「赤の他人」だという人を「応援」「称賛」しなければいけないのでしょうか。
「他人だというなら甘えないでほしい」
というのが私の率直な感想です。
「赤の他人に批判されたくない」
と言う一方で、
「赤の他人に応援や称賛は求める」
と行動で示す。
どう考えても「甘えている」としか、私には見えません。
このエッセイ主が「感想欄」を「閉鎖」していたら、「本当に徹底してるな。すごい。」で終わっていました。
「閉鎖」しているということは即ち、
「赤の他人に意見は求めない。自分は自分の書きたいように書くんだ。」
という強い意志が読み取れるからです。唯我独尊です。きっちりと読者と距離をとっているわけです。
しかし、このエッセイ主はそうではなかったわけです。
残念です。
尖っているように見せかけて、実は、フニャフニャだったわけです。
「赤の他人」という大義名分を掲げずに、単に「批判は見たくないから」としたくなかったのでしょう。理由は「推して知るべし」ということにしておきましょう。
ここで補足を書かせていただきます。
私は「批判」を拒否している人すべてが、「称賛」「応援」を求めてはいけない、と言っているわけではありません。
今回の話は、エッセイ主が読者を「赤の他人」と卑下していたことが原因です。
「卑下」と書くと物言いが入りそうですが、このエッセイ主の「読者」に対する態度はそうとしか思えないので、こう書きました。私の所感なので、お許しください。
話を戻します。
今回の話を踏まえて言えば、「批判拒否」の理由を「読者」に依存しているか否か、ということになります。
例を挙げると、
「当方、メンタルが弱いので、作品への批判等はご遠慮ください」
という書き手の方の場合、「拒否理由」は書き手の方に由来します。読者を貶めているわけではありません。
こう記載されていると、「なら、応援しよう」と考える読者はいるはずです。
(「メンタルが弱い」ことを批難しているわけではありません、あしからず。)
前回も書きましたが、上記の記載があっても「批判」をする人は「読者」ではありません。
この考え方に関して「傲慢」とご指摘いただきましたが、私はそうは思いません。
そのご指摘いただいたご感想の返信にも書きましたが、「批判お断り」と「記載」されているのにも関わらず、「批判」をする人はその件を「読んでいない」ということです。
読めていたら「批判」はしないはずです。
また、作者様が嫌がることをすれば、最悪その作者様は筆を折ってしまうかもしれません。そうなればその作品の「読者」ではいられません。
「読者」とは「(作品等を)読む人」です。
だから、「読者」とはいえない、と私は考えています。
話が幾度も逸れて申し訳ありません。戻します。
「感想欄」の「称賛」「応援」コメントは、その書き手の方の「執筆意欲」に繋がることが高いと、多くの書き手の方がエッセイで仰られています。「メンタルが弱い」と仰る書き手の方もこれは同様ではないでしょうか。
しかし、件のエッセイ主は「読者」を「赤の他人」と呼称しました。
「赤の他人」と言われた側としては、「なんで、そんな風に言う人の作品を称賛しなきゃいけないんだ」と考えるのは必然ではないでしょうか。
以上の説明で、
“私は「批判」を拒否している人すべてが、「称賛」「応援」を求めてはいけない、と言っているわけではありません。”
という私の考えの証明とさせていただきます。
「批判」を拒否する際は、お気を付けください。私のような偏屈な読み手が他にもいないとは限らないので。
最後にですが、
「批判を拒否する」書き手の方の考えに何か言うつもりはありません。
ただ、「批判を拒否する」と書かれていた時点で、それが如何な理由であろうと私はこう考えます。
「この書き手の方は、上昇志向(プロになりたい等)はないんだろうな」
これは私がそう感じ取ったというだけで、それを批難しているわけでは決してありません。
また、他の方々が私と同じように考えるかどうかもわかりません。
あくまでも、「一読み手」である私の推察です。
「批判」を受け入れろ、と言うわけでは勿論ありません。
しかし、書籍化されたりすれば、他サイト等で平然と「批判」はされ、書き手の方の視界に入る可能性は高まります。その内容はこのサイトでの「批判」以上に苛烈になることもあるでしょう。
そんな「批判」に耐えられるのでしょうか。他サイトでは「批判拒否」は通じません。
もし「書籍化」を目指すのであれば、まだ生易しい(かもしれない)このサイトでの「批判」に慣れておくのも、一つの手ではないかと愚考しています。
上昇志向がある書き手の方は、こんな考え方の読み手がいるということを一考していただけたらと思い、書かせていただきました。
「既に書籍作家だが」という方には、既にご周知なことかもしれませんが、「一読み手の戯言」と聞き流していただければと考えております。
一応、前回の話も貼り付けさせていただきます。
よろしければ、ご覧ください。
↓
https://ncode.syosetu.com/n1731hi/




