贄術『殲滅の誓い』
「神様、力をお貸しください」
そう呟いたエルリンデは自らの優美な銀髪を一房掬い、剣で切り取る。銀髪を握った左手を前面に持っていき、目を閉じて言葉を紡ぐ。
「__我が魂の断片_焦熱の蒼炎と成りて_この身を鼓舞せよ_贄術『殲滅の誓い』__」
手の内の銀髪が蒼炎と化し、腕を伝って全身を燃やす。いや、蒼炎に実体は無く、これは術が見せる幻影だ。その蒼炎からは神々しさを感じ取れるかもしれない。直ぐに蒼炎は消え、エルリンデの身体は仄かに青みがかる。
「___いくよ」
足元に挿していた奇形の剣を引き抜いたエルリンデは、青色の残像を残して狼達に突貫する。その姿は目で捉えられないほどに高速で走り、その軌跡を一筋の淡い青色が結ぶ。
先頭の狼は追っていたはずの獲物が異次元の速さで近づいてくるのに警戒し、そして警戒した瞬間に既に頭蓋を叩き割られていた。その直後に隣の狼の頭が吹き飛ぶ。神速の二撃が狼を襲い、悲鳴を叫ぶ暇すらない一瞬で二頭の殺戮狼が散る。
「「ウヴォォン!!」」
そこでようやく狼たちは一斉に青い影に向かって襲い掛かる。青い影は大柄な狼達の隙間を縫うように躱し、近場にいる狼の首を両手の剣で刎ねていく。この青い軌跡を目で追うと、クルクルと旋回軌道を取るように狼を躱し、その流れに逆らわないよう、狼の首を一刀で次々に撫で斬りにする。独特の剣技であるが、その動きには洗礼した美しさを覚える。
しかし美しさと対比するように、その惨状は殲滅という言葉がよく似合う。一瞬でこの戦闘の支配者となってみせた青い影の振舞いからは、一匹たりとも逃さないという強烈な意思を感じる。何時の間にか、捕食者であったはずの狼達の立場は反転し、被食者へと成り下がっていた。
◆◇◆
「相変わらず不可解な動きをするものだな」
急造した土の塔の上から、狼たちを蹂躙する青い影を眺めるクラリス。彼女の口から洩れたのは感嘆よりも呆れに近い感情だ。魔術師のクラリスにはエルリンデの高速機動を目に捉えることができない。
エルリンデの『殲滅の誓い』は、自身の身体能力を大きく上昇させる術だ。似たようなものは魔術にも神聖術にも存在するが、エルリンデの用いる『殲滅の誓い』はどこかおかしいようにクラリスは感じていた。
クラリスが見てきたエルリンデの強力な術は『贄術』、正しくは『悪魔の贄術』に酷似している。
悪魔の贄術とは、魔術とも神聖術とも異なる術の一つである。贄術は悪魔によって創られたとされ、人の世には知られていないものだ。特徴としてはとても強力であること、代償が必要であることが挙げられる。悪魔と対峙したことのある冒険者は、贄術の恐ろしさをその身を以て知っている。
贄術はどれも非常に強力であるが、対価としてそれに見合う代償を払わなければならない。具体的には術者の身体の一部だ。エルリンデたちが討伐した悪魔は死に際に、自身の右腕を代償として贄術を発動し超特大の火球を放ってきた。その時は泥による全力の防御によって間一髪生き永らえたが、今もなお苦い記憶として残っている。当然ながら人の手に余る代物であるため、聖都エノンでは贄術の行使、研究その他一切を禁じている。
『殲滅の誓い』を行使する時、エルリンデは剣で髪を切り、髪束を掲げて詠唱をする。その後、銀髪は青い炎となってエルリンデの身体を包んでゆく。贄術の特徴と見事に一致している。
但し、一点だけ悪魔たちが用いる贄術とは異なる特徴がある。それは代償が軽すぎるという点だ。これまでクラリスが見聞きしてきた悪魔は全て、贄術を最後の切り札として、四肢や臓器、更には命までもを代償にして行使している。対して、エルリンデの扱う『殲滅の誓い』は、髪の毛という失うデメリットが少ないものを代償にして行使する。
一度クラリスはエルリンデに聞いてみたことがある。その術は何なのか、どのように習得したのか。エルリンデは何時にも増して真面目な顔をした後、沈黙した。あまり聞かれたくないことだったのだろう。
エルリンデは秘密主義のきらいがある。彼女の過去をクラリスはほぼ知らないし、エルリンデも自分から話そうとしない。
以来、クラリスはエルリンデの過去を探る質問は止めにした。エルリンデは無口でぶっきらぼうであるが、優しい心を持つ者だ。企みを持つことは無いだろうし、それに何より過去を下手に探って彼女に嫌われるのは困るのだ。
ーーーォォオオヲン
「へえ、珍しい。殺戮狼が逃げ出すとは」
狼たちの威嚇する咆哮がクラリスの所まで聞こえてくる。狼たちの殆どは勇敢にエルリンデに立ち向かっている。
エルリンデが狼相手に無双しているその奥。大柄な殺戮狼が一点に集中しているため、戦闘に参加できない狼たち__毛並みに傷が少なく少し小柄な若年個体の幾つかが逃げ出したのを、クラリスは土の塔の高所から目撃する。
__格が違う相手に恐怖したか。まあ、無理もない。万に一つも勝ち目がないことを察したのだろう、賢いな。
クラリスは獣の起こした理性的な行動に感心しながらも、彼らを逃がす気は毛頭ない。
「少し判断が遅かったな、一帯を泥沼で囲ませて貰った。もう逃げ場はない」
そうクラリスは独り言ちる。エルリンデが正面から狼たちと戦闘している間、クラリスは戦場を囲むように魔術で泥沼を拡大させていた。エルリンデが本気を出す以上、彼女を支援する必要はない。クラリスが専念すべきは殺戮狼を逃がさないことだ。
一目散に逃げた狼が泥沼を踏み抜く。泥沼に落ちた狼は直ぐに泥に絡め取られ、身動きが取れなくなる。沼に落ちた狼は口を泥で塞がれる直前、地面が泥沼へと変わっていることに警戒させるように、他の狼に向かって吠えた。しかしその警告は届かなかったようで、恐慌状態の狼たちは次々と無力化されていった。
何時の間にか退路を断つように生まれた沼地に気付いた狼が立ち止まる。逃走個体の中でも比較的冷静さを保っていた彼は、立ち止まった後、沼地は渡れないと感じたのか、逡巡するようにちらりと後方を見やる。目に映ったのは燐光が線を一本描いている様だった。直線はこちらに向かって伸びていて、それは瞬きする間もなく目の前にまで真直していた。次の瞬間、彼の視界はぐるりと回って飛んでいった後、暗転した。
「ふぅ、疲れた」
逃走する最後の一頭__泥沼の前で立ち止まった彼を刎ねたエルリンデの身体から蒼い燐光が散っていく。『殲滅の誓い』の効果が切れたのだ。
エルリンデはさっと血糊を拭って納刀し、酷使した身体を伸ばして解す。『殲滅の誓い』は肉体への負担が大きく、日に何度も使えるものではない。
戦闘いや、蹂躙の最終局面、真っ向から挑んでくる狼は死に、逃走を試みる者ばかりが残った。殺戮狼とは人が付けた名であるが、残った彼らの行動はその名に相応しいとは言えないものだった。殺戮狼の名とは程遠い、圧倒的強者に恐怖する顔、知性を失くしたかのように泥沼に飛び込んでは拘束されていく様、群れという集団を忘れてしまったかのような統率の取れていなかった逃げ様。彼らはエルリンデという特大の脅威の前では誇りを投げ出したようだった。
妨害に適性を持つクラリスの泥魔術から殺戮狼たちが逃げられる筈もなく、泥沼に踏み込んだ者は魔術で絡め取られ、踏み込むのを躊躇った者は背後から迫るエルリンデに斬られる。合計で百頭以上を討伐した日没後の戦いは、こうして意外と呆気なく終結していった。
贄術:存在自体が人間には殆ど知られていない謎の術。恐らくは魔法に分類されるものと考えられている。悪魔たちの間で発展したもののようだ。何故それをエルリンデが行使しているかは誰も知らない……。
贄術『殲滅の誓い』:エルリンデが行使した身体強化の贄術。銀髪が燃やし蒼い炎へと変化させた後、それを纏わせることで身体強化を行う。実は名前とは裏腹に、唯の身体強化であるため逃走や運搬など、戦闘以外にも普通に使える。何故この名が付いたのかは……殲滅を願うものがいたからだろう。
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