陽だまりのロサ・フィラ
2章開始です
真っ赤な太陽から直下に降り注ぐ陽光が、クラリス総合研究所の中庭を照らしている。正午を過ぎたお昼時だ。
研究所は上空から見ると正方形型で、建物の外の庭と空いた内側は広い中庭で、合計二つの庭が存在する。外庭はクラリスが研究で扱う植物の内、人目についても問題のない安全なものを育てている。一方中庭は、特に人目に付くと問題があるものや、植物そのものが危険物であるものが生育されている。
そんな中庭は落鳥樹の森の一件以降、新しい住人たちの定位置へと化していた。
地面で寝っ転がらないよう新設したベンチに、緑髪の少女が座ってこくりこくりと頭を上下に揺らしている。うつらうつらと微睡んでいるようだ。その横には緑白鱗の様竜が、顔を少女の膝に乗せてだらんと脱力していた。新しい住人とは、エルリンデが連れ帰った魔族の少女と真竜の子供であった。二人は日の当たるベンチに座り日光浴をしていた。
彼女らはエルリンデに保護された後、聖都エノンへと連れられていた。聖女クエンの代理で依頼主でもあったへカートン司教に、森での出来事を報告するついでで、魔族の少女の保護許可を求めた。少女と今回の事件との繋がりは薄いことを伝えると、意外にあっさりと保護の許可が出た。どうやらクエンの友人だという立場も汲んで信用してくれたようであった。以来、彼女らはクラリス総合研究所で、与えられた自分たちの部屋と民衆の目が届かない中庭を行き来する生活を送っている。
ベンチの近くには、小さな苗が植えられている。それは中庭に植えられており、当然曰くつきの植物だ。この苗はクラリスが森から持ち帰った落鳥樹である。呪いの検証に使っていたこの小さな落鳥樹は、森の大きな落鳥樹と同様に、呪いを操っていた魔族の死亡と同時に呪いが消失した。
今の苗に呪いは宿っていない。呪いの研究は禁忌とされるがクラリスは、この樹には現に呪いを宿していないため持ち帰っても問題ないという屁理屈をこね、こうして実際に育てているのだ。
「ロサ、フィラ、おはよう」
「ー!」
二階の窓から聞こえた挨拶で、少女は跳ねるように微睡みから目覚める。声の主人は少女たちを保護した本人、エルリンデであった。長い銀髪を束ねずに風に靡かせるエルリンデは、探索時に装備していた黒革と魔銀の全身装備ではなく、黒を基調とする身軽な普段着を着ている。
探索時には見えなかった両手足の絹肌には、漆黒の印が末端から胴に繋がるように刻まれていた。それはそれは奇妙な刻印であるが、見る者が見れば黒の刻印が何かしらの魔法陣であることが分かるだろう。
少女ロサは二階のエルリンデに向かって手を振る。それにエルリンデは手を振り返す。幼竜フィラはその様子を左眼で見ていた。ロサからおはようの挨拶は返ってこない。
ロサは聖都エノンに着いてから二日後に目が覚める。一見健康に見えるロサの身体であったが、一つ重大な異常が発見された。その異常というのは、失声症だ。彼女の喉は何らかの要因で変質してしまっていて、発声することが出来なくなっているようだった。
失声症の原因に、エルリンデとクラリスは心当たりが二つほどあった。一つ目はエルリンデが飲ませたエリクセル。二つ目は魔族の女が、少女の肉体に移植した右眼の竜瞳。どちらも未知の事物で原因を特定することは難しく、残念ながら特定に成功したとしても失声症を直せるわけではない。
幸いロサは失声症をそれほど気にしていないようであるし、それ以外は健康面も問題ない。お眠さんの気はあるが、それは育ち盛り故だと考えれば違和感はない。ロサは今日も元気であった。
幼竜フィラは相変わらず、ロサから離れないよう行動を共にしていた。出会った当初からの変化といえば少し身体が大きくなったのと、エルリンデとクラリスへの態度が軟化したことだ。刺々しい態度を保っていたフィラは、この凡そ一ヶ月ほどの研究所での生活に慣れるにつれて、段々と気を許してくれるようになった。嬉しい限りである。
ロサとフィラの名前の由来は、簡単な連想ゲームによるものだ。
エルリンデは最初、名付けにとても悩んでいた。毎日悩み続ける日々、早く名前を付けてあげようと彼女は少女と幼竜の関係を観察していると、段々と二人がお姫様と護衛騎士に見えてくるようになった。何時も寝てばかりのお姫様は、常に横に侍る護衛騎士によって守られている。彼女たちの感情を覗いていると、実際は姉妹によく似た対等な関係である様子だが、そう思えてからはエルリンデはそんな固定観念を捨てられなかった。
お姫様と護衛騎士のような相応しい名前は何かないかとクラリスに相談したところ、数日後、買ってきたであろう一つの絵本を手渡される。その絵本は『いばら姫』という題で、エルリンデが知らない童話であった。
童話の内容を要約すると、呪いによって百年もの深い眠りに落ちてしまった姫君を救助するため、一人の王子が茨道を勇敢に進むという、正統派ラブロマンスであった。クラリスに聞くとこの童話は、クラリスの郷国である魔導国家レクタビアでは有名なものだそうだ。そう言われて再度読むと、魔法についての簡単な説明書きが入っていたり、呪いに対しての嫌悪感を助長する物語構成になっていることに気付く。魔法を重要視、神聖視するレクタビアらしい童話であり、子どもの教育用に作られたものなのだろう。
エルリンデは『いばら姫』を始点として連想を始める。
茨を持つ植物で有名なものはやはり薔薇だ。中でも旅好きのエルリンデは野原に咲く薔薇、野薔薇が好きであった。野薔薇は白い花をつけ、野生に自生する薔薇に近い仲間の植物だ。庭師が育てる白薔薇のように本当の純白や、層状に開く美しい花びらは無い。しかし野薔薇には自然を逞しく生きる力強さを感じられ、茨に隠れて咲く、華美とは言えない白い花が儚く美しかった。エルリンデは庭師に育てられた薔薇の高貴な香りよりも、自生し初夏に咲く野薔薇の瑞々しい香りが好きなのだ。
彼女は少女と幼竜の二人に、野薔薇の神創文字訳である『ロサ・フィラ』と名付けることに決めた。何時も一緒に二人でいる彼女らには、二つで一つの名前を付けてあげたかったから、少女はロサ、幼竜はフィラだ。
考えれば考えるほど、エルリンデは名前に込める意味に悩んでしまう。だから、この話はここでお終いだ。
__彼女たちの名前を考えている内に、私は自分の名前『エルリンデ』の意味を、神様から知らされていないことに気付いた。友人の名前だと聞いているが、そのエルリンデという人がどのような人物なのか知らない。神様はエルリンデという名前に、どんな意味を込めたのか、私はその意味を考え続けることになりそうだ。……エルリンデの意味を知る神様は、もういないから。
エルリンデは元気なロサとフィラに朝の挨拶をした後、自分の部屋の扉を開けて廊下に出る。物の少ない廊下を歩いて、階段を下り一階へと向かう。彼女は階段の踊り場を通る際に、無機質で小さな人影とすれ違った。
それは両手両足を生やす人型で、頭部は無貌。身体は石材で構成されて、球体関節を持つ異様な怪物だ。エルリンデは臨戦態勢を取らない。何故なら、この研究所では当たり前のことだからだ。
怪物の名は自律人形。この研究所兼住居の主であるクラリスがここの管理のために何体か自作した、仕事する無機物である。彼らは掃除や洗濯などの家事、研究材料の植物が植えられた畑の管理、研究所の警備などの雑務を今日もせっせと行っている。自律人形は魔力の補充さえ行っていれば、クラリスが研究所を離れても働き続けるそうで、探索者として外出することの多いクラリスは重宝しているようだ。
階段を自律人形とすれ違うように降りたエルリンデは、その足で食堂へと向かう。開けっ放しの食堂の扉を潜ると、そこにはテーブルに本を広げて読みながらクラリスがいた。
「おや、やっと起きたか。もう昼だぞ」
「おはよう、クラリス。昨日は夜更かししててね」
お読みいただきありがとうございます。非常に言い難いのですが……実は2章5話までしか執筆できておりません。もう少しした執筆の時間が取れるはずなので、それ以降の更新はお待ちください…。
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