邪悪滅す秘剣二連
「ほんとに大丈夫かな……」
クラリスとの通信が切れた後、後方から轟く咆哮を聞く。クラリスとの会話によると、この咆哮の発生源は真竜がアンデッド化した屍竜のものであるらしい。心の底から恐怖を呼び覚ますほどの威圧感を、遠くからでも感じた。
クラリスより先行して走っていたエルリンデは、クラリスからこの少女と幼竜を安全な場所まで運ぶことを命令された。彼女らが居ると二人は本気を出して戦えないのだから、賛成ではある。しかし、クラリスの事が気がかりでならない。何せ相手はアンデッド化し知性を失ってはいれど、その肉体はこの世で最も強き真竜の物なのだから。
「急がなきゃね。__我が魂の断片_焦熱の蒼炎と成りて_この身を鼓舞せよ_贄術『殲滅の誓い』__」
彼女は道程を急ぐため、贄術『殲滅の誓い』を発動する。しなやかな肢体が蒼炎に包まれたかと思うと、速度が爆発的に上昇した。腕に乗った少女らが吹き飛ばないように、胸に引き寄せて走る。
わらわらと何処からか集まってきた多様な姿のリビングデッドを、神風の如き健脚で追い抜いていくエルリンデ。
目指すはクラリスが築いた宿営地だ。あそこなら堀と柵で囲まれていて森からも離れており、知能を持たないリビングデッドには侵入できないはずだ。
◆◇◆
落鳥樹の森には自然の屋根があったため分からなかったが、落鳥樹の森や近くの平野にはしとしとと弱い雨が降り始めていた。
草木を揺らす風が吹き抜けて雨雫を攫ってゆく小さな宿営地に、鋭角の軌道で柵を飛び超える青い影が着地する。青い影は足裏を柔らかい地面にめり込ませる勢いで急停止をした。両手に少女を抱えるその影は、ここまで最速で走ってきたエルリンデだ。
「ふぅ」
少し息を整えてから少女を抱えたまま自分のテントに入り、そこに少女を寝かせる。強烈な加速に耐えるために尻尾をエルリンデの胴回りに巻き付け、服に爪を立てしがみ付いていた幼竜を、身体から引き剝がして少女のお腹に乗せる。
「ここで待っててね、直ぐに戻るから」
エルリンデは幼竜にそう伝えて一撫での後、再びリビングデッド犇めく森へと走り出した。
グェァーー
走り出したエルリンデに向かって、人ではない言葉が手向けられる。真竜の言語の意味は分からずとも、その言葉に内包された感情を感じ取ることは出来た。
「ふふ」
その声に、言い表せない幸せな感情が湧き上がる。足を止めて振り向くもこちらを向く顔は無く、テントの中から幼竜の尻尾がはみ出しているだけだった。
足を止めた時間を埋めるように、前を向いて再び足を速める。彼女の顔は何時もの仏頂面であったが、少しだけ口角が上がっているように見えた。
「生まれたての竜に呼ばれて来てみれば……」
平野に点在する一本の広葉樹の軒下で雨宿りをしながら、エルリンデの姿を盗み見る男がいた。
その長身の男は白に近い銀髪を携えていこと以外に特徴の無い顔をしているが、眼光は虹色の輝きを零していた。
「………竜と人間が友になる、か。何時か聞いた話だ」
そう呟く不審な男は木を背もたれにして座り込み、枝葉の隙間に見える小雨が降る曇り空を見上げた。
◆◇◆
「ふっ、はっ!」
エルリンデは少女らを抱えて疾走した道を、森の中央にある庭園へと逆走する。道を塞ぐリビングデッドの群れを、跳躍し大きく飛び越えたり落鳥樹の幹を蹴って回避しながら、森の奥へと急ぐ。
先程は少女に負担を掛けないようにするために出来なかった、アクロバティックな動きで回避することにより前よりも進行のペースが速くなっている。
エルリンデがリビングデッド達を相手にすることは無い。彼らは例外を除いて、基本的に足が遅く頑丈だ。神聖術で一掃することは出来るが消耗が激しく、この数を相手にするには焼け石に水である。
「うん……?」
彼女に迫っていた前方のリビングデッド達が後ろ、エルリンデにとっての前を一斉に振り向く。その様は兵隊のように統一されていて不気味であった。振り向いた彼らはその方へと四肢を振り回して走っていく。
彼らを追い抜くこともできたエルリンデであったが、その行動の変化を不審に思い、速度を落として行く末を見ることにした。
行動変化の理由は直ぐに判明した。
ズドン、ズドンと森の奥から巨大な何かの足音が聞こえてきた。次に薄暗い森の中から巨大な、天然の屋根に届きそうなほどの人型のシルエットが現れる。分厚い手には屍が握り潰され、全身が焼けた鉄のように赤黒く筋肉質であった。顔には中心に張り出した大きな一つ目と目の下にある大きな裂け口がある、特徴的な怪物だ。
一つ目と呼ばれる、凶暴なモンスターがエルリンデの方へと走ってきていた。成程確かに、エルリンデよりも一つ目の方が生命力に溢れていて、アンデッドがそちらを狙うのにも納得できる。
オ゛オオォァァァァァ゛ア゛アァァアァーーー
「はー…急いでるのに」
一つ目は激昂していて、太い足でリビングデッドを跳ね飛ばしながらエルリンデの方向へと向かってきている。大きな一つの眼球はこちらを向いていて、既にエルリンデの存在に気付いている様子であった。
「ふっ!」
背負っていた奇形の剣を素早く一振り抜いて、一つ目に向けて投擲する。『殲滅の誓い』の身体強化状態の剛腕で投げられた剣は、重力を感じさせない直線で大きな瞳へと吸い込まれていく。
鋭い飛翔物に対し咄嗟に腕で顔を覆う一つ目。奇形の剣が左腕に深々と刺さるも、その痛みを意に介さずにエルリンデの姿を探す。それとほぼ同時に右踝の裏にある太い踵骨腱が、バツンと音を立てて切断される。
弱点の目を腕で守ったのはほんの小さな隙だったが、彼女には十分な隙であった。投擲された剣とほぼ同速で一つ目の足元に滑り込んだエルリンデは、クルリと回転して右足の踵骨腱に、全力の斬撃をお見舞いした。
グウヴゥゥゥウ
右足が使い物にならなくなった一つ目は、呻き声を上げながら直立の体勢を崩していく。
エルリンデは既に走り去っていた。足を壊された一つ目の眼前にエルリンデはもうおらず、リビングデッドが群がって集り続けていた。
一つ目との戦闘を最小限で切り抜けたエルリンデは暫く走っていると、地面の揺れと戦いの音を感じ取る。もう直ぐそこで、クラリスと屍竜が戦っているのだろう。
__私に出来ること、それは不意打ちで最高火力を敵に叩き込むこと
「__神聖なる祈りを捧ぐ_」
彼女の柔らかい口が聖なる御言を紡ぎ始める。
走りながら白磁の剣を抜くと、身に纏っていた神聖を刀身に移す。両腕を暖かな光が伝って白磁の剣が輝き始める。
『エル、敵の動きは止めた。口の中を狙え。口以外は鱗で防がれるぞ』
タイミングを合わせるために起動していた耳飾りに、クラリスから反応が返ってくる。どうやったのかは知らないが、クラリスは真竜のリビングデッドの拘束に成功しているそうだ。
「_邪悪を滅す御力_」
剣を包んだ聖光はその輝きを強く増してゆく。両手で下段に持つ白磁の剣は、暗い落鳥樹の森を小さな太陽のように明るく照らす。
走り続けていたエルリンデの目の前に根壁が現れる。抉じ開けた庭園への入り口もすぐに見つけられた。その隙間に彼女は滑り込む。
「_輝く秘剣を願う_」
眩い光は次第に幅広の剣へと変貌する。半透明の白い刀身を覗くと、中の白磁の剣がまるで芯のように見える。
彼女が根壁の先で見たものは一面を覆う泥沼と、そこに伏す屍竜の姿、そして消耗した様子の金髪を泥で汚したクラリスの姿であった。辺りは石塊や壊れた魔法陣らしき物体が散乱しており、激しい戦闘があったのが窺える。
クラリスが泥を操作して真竜の大きな口を抉じ開ける。そこを狙えということだろう。長年の付き合いだ。お互いに、行動の意図は読める。
固まっていた泥の上を跳ねる様に走り距離を詰める。真竜の肉体は沈黙を保っている。その死体の目の前に辿り着いたエルリンデは、詠唱の最後の節を唱えた。
「_神聖術『聖光放つ三日月』__」
詠唱が終わるのと同時に、深い口腔に向けて光刃を振るう。
正真正銘エルリンデの最高火力。生まれた極光が真竜の肉体を内側から分解していく。ボロボロと崩れ出した肉体は塵と化して諸共に全てを吹き飛ばす。
「_重ねて神聖なる祈りを捧ぐ_」
一度終わった詠唱が、再び紡がれる。内容に改変を加えたその追加詠唱は、より早く二度目の発動に移るためのものだ。
「_再び裁きの御剣を_神聖術『聖光放つ三日月』__」
詠唱は直ぐに終わった。竜の口腔に突き刺さったままの白磁の剣から、もう一度光の奔流が溢れ出す。
莫大な光を生み出した白磁の剣は赤熱して、彼女のガントレットの革部分を焦がす。ガントレットで防ぎきれなかった熱によって、その内側でその白い手を焼け爛れていく。手に走る痛みを無視して、剣の柄を握り放さないエルリンデ。
辺りは極光に塗りつぶされる。邪悪も、悪意も、禍根も、悪いものの全てを白の奔流が洗い流してゆく。都合二度の『聖光放つ三日月』が、死してなお動き続ける屍竜を内側から討ち滅ぼす。
「さようなら、彷徨う仮初の生者よ。もう一度眠りなさい」
一つ目:人間と酷使した身体構造と、頭部に大きな一つ目を持つ巨人型のモンスター。手先が器用で、岩投げなどの攻撃をすることもある。銀級探索者パーティでの対処が推奨されるモンスター。高い運動能力を持つことと、急所である目が高い位置にあるのも相まって単独で討伐するのは難しい。
追加詠唱:一度発動した術を、連続して発動する時に詠唱を短縮する技術。一度目の詠唱完了した術の枠組みを再利用することで、枠組みを組みなおすのを省略して発動できる。そこまで難しい技術ではないため、詠唱を主体にする魔術師は大体使える。魔法でも神聖術でも追加詠唱は可能である。
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