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named L  作者: はぜ道ほむら
第一章 再誕する竜のアシンメトリ
13/29

回想:はじめまして

 


 ◆◇◆



 クラリスと落鳥樹の呪いを調べていた日の夜中、エルリンデは夢を見た。



『こんにちは』

 旅装束の黒髪の女性が、膝を折り目線を合わせて私に声を掛けてくれる。黒髪の女性は分厚い本を腰に下げていた。何か大事な本だろうか。

 村の外から来た旅人だろう。私はこの人に見覚えは無かった。珍しい。外から来る人もそうだけど、私に声を掛けてくれる人はもっと珍しい。お父さんとお母さんも村のみんなは、私に話しかけてくれなくなった。話しかけても、いつも私を無視する。


 __懐かしい過去だ。これは私と神様が出会った時の記憶。この日は確か雨だったが、変わらず私は広場の長椅子に座っていた。


『こ……こんにちは?』

 もしかして、と思って後ろを振り向く。だけど後ろには誰も居なかった。この人は私に話しかけてきたんだ。そう感じると、嬉しくなった。

 久しぶりに人と話したのもあって、慌てて挨拶を返す。喉を通る空気が少なく、声が小さかったかもしれない。


 __神様はこの時、ある悪魔によって滅ぼされた廃村の様子を見に来ていた。悪魔というのは、ろくでなしばかりだから。そして、私を見つけてくれた。


『どうして此処にいるのですか?』

『どうして?ここは私たちの村だよ?』

 可笑しなことを言う人だ。私はこの村で生活しているのだから、ここにいるのだ。他の理由が必要なのだろうか。


『……そうですか。私のことはイリスと呼んでください。貴方、名前は何というのですか?』

『私の名前……名前…何だっけ…』

 忘れるはずない、私の名前。どうして、私は私の名前を憶えていない?

 頭が混乱する。まるでその部分の記憶がぽっかりと空いた穴のように、覗き過ぎると穴に落ちて帰って来れなくなりそうだ。


 __私はこの時から、本当の名を知らない。そもそも、私に名前など無かったのかもしれない。もう確認する術は無い。


『ごめんなさい……私、自分の名前を憶えていないみたい……』

 目頭から涙がこぼれる。手で拭っても拭っても次々に溢れ出てくる。

 何故だか、心が苦しい。この村で過ごしてきたはずの過去に、霧がかかったかのようにぼやけて、思い出せなくなってきた。


『ふむ、そうですね。では私から貴方に、新しい名前を差し上げます』

『新しい名前……?』

 イリスさんは泣いている私の頭を撫でて、優しい声でそう語りかける。

 新しい名前。混乱した頭に響いてくる優しい声は、私を落ち着かせてくれる。イリスさんの言っていることはよく分からないけれど、不思議と名前を付けてくれるのは嫌じゃなかった。


『名前……欲しいです』

『では、『()()()()()』はどうでしょう。古い友人の名です。彼女はとても優しい方でした』

『エルリンデ……うん、ありがとう。私は、これからエルリンデです』

 そうして再び頭を撫でようとするイリスさん。



 イリスさんの手が私の頭に触れた時、不思議なことが起こった。

 長椅子に座っていたはずが、私はいつの間にかボロボロの長椅子に向かい立って膝を折り、その空間を見つめていた。


『あれ、あれ、イリスさん、どこ?』

 目の前に居たはずのイリスさんが居なくなっている。

 辺りを見回してイリスさんを探すと、今まで見ていた村の様子が一変していることに気づいた。木製の家々は支柱となっていた丸太が腐り全て倒壊していて、更に長い年月が過ぎたように苔や雑草が繁茂している。

 首を回したことで気づく。何時の間にか私は服を着ていた。旅用に仕立てられた雨風を凌ぐためのローブ、その下に着た肌触りの良い白の服が胸元から見える。加えて、私の髪もさっきより明らかに伸びていて、首を振ると髪の重みを感じる。


『エルリンデ、落ち着いてください。ここにいます』

『イリスさん?』

 心の中から語り掛けてくるイリスさんの声が聞こえる。どういうことだろうか。


『どうやら、貴方がこの身体に入り込んでしまったようですね』

『…え?』

 イリスさんの声音は先程の優しいものとは変わり、少し威圧感を感じる真面目な声音となっていた。

 身体が勝手に動く。グッと拳を握ったり、屈伸してみたりしている。イリスさんの言う通りなら、今のはイリスさんが動いたのだ。


『ふむ、貴方の力に引っ張られているようです。身体が縮んでしまいました』

 この身体がイリスさんの身体なら、今の視界は変に感じる。私の視界と変わっていないのだから。イリスさんの背は私よりもずっと高く、私の視線に合わせるのに膝を折っていた。

 どうやら、私のせいでイリスさんの身長が縮んでしまったらしい。身に纏う衣類はぶかぶかで、地面を擦って汚してしまっている。


『ご、ごめんなさいっ!』

 私のせいで、イリスさんは迷惑を被ってしまった。

 そのことが申し訳なかったし、イリスさんに嫌われたくなかった。心が勝手に謝罪の言葉を紡ぐ。今の私は身体を動かせないから、心を動かして必死に伝える。


『ああ、いえ。別に怒っているわけではないのです。私の不注意による事故のようなものですから。それで、今の貴方は私の中で存在が安定化してしまったようです。この肉体から出ていくのは非常に危険ですね』

『それってどういう……?』

『……少し難しい話になりますから、今は省略しましょう。それより、何か変化はありませんでしたか?見えなかったものが、見えたり。あるいは見えていたものが、見えなくなったり』

『ええと、村の様子が全然違います。前はこんなに寂れていませんでした。私はずっと無視されていたけど、村のみんなもちゃんと居ました』

 大きな変化いえば心当たりがあった。村の様子だ。

 イリスさんの身体越しには、これまでと異なる村の様子が見える。雨でもちらほらとあったはずの人影はおろか、人の営みの跡さえ感じられない程に村は荒れ果てている。


『……ショックを受けるでしょうが、それは貴方だけが見ていた幻です。この村は五年前に一体の悪魔による襲撃を受けて、一夜にして壊滅したそうです。その悪魔は私が直々に住み処に赴き、討ちました。その悪魔の持っていた手記に、滅ぼしたという村の記述があったため様子を見にやってきたのです』

『みんな……幻………』

 その話を信じることは……出来なかった。

 私はその輪の中に入ることは出来なかったけれど、村のみんなが畑を耕す日々、みんなの喜怒哀楽の表情。沢山の情景が、どれも忘れられない大切なものだ。それらが幻であるとは、到底思えなかった。


『信じられない……』

『今はまだ、それで構いませんよ。それと、身の振り方は考えておいてくださいね』

 混乱する頭に、イリスさんの底無しの優しさが沁みる。

 それが本当かどうかはまだ分からないけれど、イリスさんの言うことなら信じてもいいと感じた。


 __『粛清の女神』イリスシア・ベンネッサ様との出会いは、衝撃の連続で混沌としたものだった。私は神様から頂き過ぎなくらい、沢山のものを貰っている。残念ながら、私がお返しをすることはもう出来ない。





『これから色々なことを教えましょう。但し、生きる意味は私からは教えられません。これは人それぞれ違うものであって、自分で見つけるべきものなのですから』


 __懐かしいこの言葉、今でもこのフレーズは心の中に残り続けている。そして、夢を見るたびに思い返すのだ。今の生きる意味は何だろう、と。



 ◆◇◆



 懐かしい夢を見た。

 神様と出会った時の夢だ。


 あの頃から、私は変われただろうか。成長しているだろうか。神様のように、強く優しく、誰かを守れるようになれただろうか。

 今の私の生きる意味は、困っている誰かを守り助けることだから。



粛清の女神イリスシア・ベンネッサ:空亡に、エルリンデという親友の名を付けた神様。一般には存在が知られていない神であり、存在を知る少数には『粛清の女神』と呼ばれている。謎多き神様。

エルリンデ:空亡に付けられた名前。神様によると、大事な親友の名前らしい。空亡はこの時からエルリンデになった。


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