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無色の奇術師  作者: 村上羊
第一部 禁じられた研究
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魔術の扉

 狛犬は志賀トモタカに飛びかかって、その身体に覆い被さった。

 力強い目は獲物をしっかりと見つめ、血液に湿った口はトモタカに噛みつくために大きく開かれた。野性的で巨大な口元からは、規則的に並んだ牙が見える。


 首元を噛まれるのを阻止するために出されたトモタカの右腕に、大きな牙が食い込んだ。彼の泣き声に近い呻きとともに、その腕には一筋の血が伝った。


 そんな一連の動きを見るや否や、トモタカの腰巾着たちは一目散に逃げていった。


 「なあ、あいつ大丈夫かよ」


 ケイはあまりにもグロテスクな状況に、恐ろしくなって尋ねた。


 「所詮テストだ。きっと大丈夫なはず」

 「でも血が」

 「よく見ろ」トウマは言った。「腕に牙が刺さってるだけだ」

 「いや、刺さってるだけってーー」

 「本当に殺す気だったら腕くらい噛み切るだろ」


 ケイは眉間にシワを寄せて、トウマの顔を見つめた。こんな状況でも冷静に、よりグロテスクな事態を考えるトウマの正気を疑ったのだ。


 「お前、やっぱり冷たいのな」ケイは言った。「それで、どうすんだよ?」

 「逃げる以外ないだろ。俺もお前も魔術が使えないんだ」

 「でも本当にあいつ大丈夫?」


 痛みに喚く志賀トモタカを見るつもりだったが、ケイは不意に狛犬と目が合てしまった。しばらく互いに動きはなく、見つめ合うだけの時間が続いた。


 「まずい、まずい」

 「逃げるぞ」


 トウマの声を合図に、二人は同時に踵を返して走り始めた。背後では狛犬が唸り、4本の脚で走る足音が聞こえる。


 ひたすら二人は走り続けたが、次第に息は上がって肩が上下し始めた。昨日の雨によるぬかるみで足場は悪く、足の疲労も蓄積するのが早かった。


 「おい、そこ入るぞ」


 これ以上逃げられないことを察して、トウマは近くの茂みを指して言った。

 二人は虫だらけの茂みに飛び込んだ。それを見過ごさなかった狛犬は、二人を追って茂みに入った。だが、そこには少年たちの姿はなかった。


 茂みに飛びんだ後、すかさず大きな樹木の陰に二人は隠れていた。木の裏側からは、狛犬による荒い息遣いが聞こえる。呼吸が不規則になりながらも、ケイは必死に息を押し殺し、自身の存在を消し去った。


 何分経っただろうか。実際はものの数分であったのだろうが、本人たちからすると1時間にも思えるような長い緊張状態が続いた。

 そして、狛犬が別の場所を捜索しに去る足音を聞いて、二人はやっと吸いたいだけ息を吸い込み、普段通りの呼吸に回復した。


 「あれ、なんだよ?」

 「狛犬だろ」


 トウマの言葉に、ケイは首を横に振った。


 「違う、そうじゃなくて野生動物なの?」

 「あいつの肌を見たろ? あれも動く石像の一種だ」

 「でもそれってウサギとか、鳥だけじゃないのかよ」

 「襲って来る石像もいるって言ってた。つまり、このテストは攻撃力だけじゃない、自己防衛の力も試されてんだよ。口の血を見た感じ、何人も襲われてるのかもしれない」

 「そんなのが帰り道に立ち塞がってるのか?」


 ケイは養成所の入り口への帰路に立ち、二人を探し回る狛犬を指した。トウマはその先を確認した後、自身の腕時計を見た。


 「遠回りすれば集合時間に間に合わない。成績が欲しければ、一度あいつに接触するしかない」

 「成績なんてどうでもいいだろ」


 ケイの言葉に、トウマはため息を吐いた。


 「養成所から卒業して、公魔になれるのは年間で成績上位の1割程度だ。テスト1つでも失格になるだけで、ダメージはデカいんだよ」

 「卒業できなかったら?」

 「留年するか、協会のスタッフになるか。何にしろくすぶるハメになる」


 ケイはトウマが多少の傷を受けてでも、時間内に帰ろうとしていることが分かった。無論、その場合にはバディであるケイも共に帰らなければならない。


 「分かったよ。行くよ」ケイは言った。「策は?」


 ケイの言葉に、トウマは深刻な面持ちで自身の指輪を見た。そして、一瞬間を置いてその視線は、ケイに移った。


 「成功の確率は低いが、策ならある。やるか?」

 「どうせそれしかないんだろ?」


 トウマは現状から考えられる、唯一の狛犬を倒す方法をケイに伝えた。


 ***


 数分後、トウマは木の陰から飛び出した。狛犬は視界の隅で動いた生き物の姿を見逃さず、トウマを新たな獲物として見つめた。

 しかし、狛犬はその獣的な見た目とは反して、狩りにおいては冷静な側面を持っていた。狛犬はトウマの魔術を警戒して、すぐには飛びかからなかったのだ。


 互いに睨み合う時間が続いた。静かな森にて、川が流れる音だけがトウマの耳に入ってきた。トウマは魔術を使用するために、右手を上げようとした。


 しかし、すかさず狛犬はそれに反応し、自身に向けられた掌に噛みつこうとした。石製の巨体に体当たりをされ、トウマは倒れた。そして、狛犬の巨大な口が獲物を噛むために開かれる。


 「ケイ、今だ!」


 絞り出すような声でトウマは叫んだ。その合図に応えて、ケイが木陰から現れた。


 ***


 トウマの考える作戦は、ケイが予想するよりも単純明快であった。トウマが囮となって、その隙にケイが攻撃するのである。


 「本当に囮になるのか?」

 「なるさ。魔術を使えないやつは、せいぜい捨て駒にでもなるしかない」

 「お前、自分にも冷たいのな」


 ケイの言葉をトウマは無視した。


 「でもさ、石であんないかついやつ倒せんの?」

 「成田先生が言うには、石造にはどれも赤く光った弱点がある。魂が露出してる部分だ」トウマは狛犬を見た。「あいつには一見弱点がないようだが、まだ見ていない場所がある」

 「どこだよ?」

 「体内だ。トモタカの腕を噛むだけで食べもしないし、消化器官がないのかもしれない。そうなると、口の中にある可能性が高い」

 「でも、それだったらもっと目立ってるだろ、光とかさ」

 「そう思ったが、違うんだ。意図としてなのか自然なのかは分からないが、あいつは上手いこと赤い光を隠してたんだよ。獲物の血を浴びてな」

 「じゃあやつの口の中に光があるんだな?」

 「希望的観測が強いがな。だけど、口の中だったら生徒でも倒せる可能性はわずかにある。なんかテストっぽいだろ?」

 「そこに石を投げ入れればいいのか」


 まるで漫画の戦闘シーンのように練られた要素と、さまざまな賭け引きが入り混じった作戦に、ケイは胸が高鳴った。

 しかし、トウマはケイの自信満々な言葉を軽くあしらった。


 「馬鹿、お前のコントロールに俺の片腕賭けるわけねえだろ」


 二人の間に、以前のような沈黙が一瞬だけ訪れた。


 「じゃあどうすんだよ?」

 「黙って言うことも聞けねえのかよ」


 そう言うと、トウマは自身の口元についた血を指先で拭き取った。そして、それをケイの右の掌に塗り始めた。


 「汚ねえ、何すんだよ!」

 「魔術使えないお前のためにやってんだよ。我慢しろ」

 トウマはケイの掌に、比較的シンプルな魔法陣を描き上げた。

 「これが補助輪になる。魔術であれば石よりもよっぽど柔軟に操作ができる。だが、一つの魔法陣で魔術を使えるのは1回までだ。いいな?」


 「……おう」

 「人様の手に噛みつこうとした口に、ぶち込んでやれ」

 

 ***


 ケイは作戦通り、トウマに覆いかぶさる狛犬へと掌を向けた。そして、少しでも多くの意識を魔術の発動に費やすために目を瞑った。


 半年間、ケイは個人的に見様見真似で魔術の練習をしていた。

 しかし、その結果は何一つ残らなかった。正直、ケイはそれがネックとなって作戦には不安が残っていた。


 「魔術に目覚める瞬間には、ドアが開くってよく言う。だから全神経を集中させて、そのドアを探せ」


 ケイはトウマの言葉を思い出し、持てる限りの意識を魔術の発動に向けた。

 向けると言っても、それは空を切るような作業であった。これまでに使ったこともない機能を、身体から無理やり目覚めさせるのだ。

 たとえるならば、人間が突然生えた尻尾を動かせと言われたようなものである。それまで尻尾なんてなかったのだから、人間はどこに力を入れるべきなのかいまいち要領を得られないはずだ。ましてや、魔術はどこに備わっている機能なのかすら判然としない。


 この作戦において、ケイが魔術の才能を持っているか否かが最大の賭けであった。そう、トウマは噛みちぎられることはないとは言え、自身の腕をケイにベットしたのだ。

 今こそ人を守るために強くなる時なのである。


 目を瞑っていると、真っ暗な海の中をひたすら沈むような心地になった。そう足掻いても何にも手が届かず、闇に落ちる一方だ。

 しかし、トウマに頼ってもらったことや、あの日の悲劇を繰り返さないことをふと考えた瞬間、闇の一部が音を立てて開き、一筋の光がケイを照らしたようだった。

 その光は次第に大きくなり、ケイの周りに広がる闇を消し去った。


 突然のことに驚き、ケイは目を開いた。視界は広く、明瞭になっていた。そして、ケイの頭では脳が軽くなったような感覚があった。

 そのせいか思考は滑らかに行われ、五感が冴え渡っているようだ。まさにドアが開き、本来の力が解き放たれたような清々しい感覚であった。


 ケイは不思議な感覚に戸惑ったものの、今やるべきことを咄嗟に思い出し、狛犬を見た。


 広げた掌の指越しに見える対象は、さっきよりもスローモーションになっているように思えた。そして自身の掌と狛犬の口内が、光によって構成された糸のようなもので繋がっているのに気づいた。


 ーーこれだ、これが魔術の道筋だ。


 そう考え、ケイは掌に力を込めながらタイミングを見計らった。

 狛犬がトウマの腕に向かって口を大きく開いた瞬間、光の道筋が力強く光るのが見えた。


 ーー今だ。


 そう心の中でつぶやくと、ケイは一気に右手へ全力を込めた。

 すると次の瞬間、拳大の火の玉が自分の掌から放たれ、狛犬の顔面に直撃するのが見えた。


 火の玉は狛犬に当たった瞬間爆発し、狛犬の口内諸共顔面を破壊した。魂の接着点が破壊された狛犬は他の動物型の石像同様に崩れ、中からは大量の札が溢れた。倒したのである。


 自らが放った火の玉の反動で倒れながら、ケイはその光景を目にした。腕には鈍い痛みが走る。腕が取れてるのではないかと疑ってしまうほどの痛みに悶えながら、ケイは仰向けに倒れた。

 目の前には、絵に描いたような青い空が広がっていた。


 「おい、やったぞ!」


 賭けに勝ったのだ。トウマの珍しく興奮した声を聞いて、ケイはそう実感した。

 それは初めて魔術を使い、初めての勝利を収め、そして初めて人を守った瞬間であった。


 ***


 テスト終了2分前に、二人は森から養成所に帰還した。その傷と泥だらけの手には溢れんばかりの、呪文が書かれた札が握られていた。


 二人からすれば栄光の凱旋であった。だが、周りからすればその手に握られた札ではなく、その傷ついた身体が真っ先に目に入った。

 そして、二人は朦朧とする意識の中、保健室へと連れていかれた。


 二人の傷はほとんど志賀トモタカたちから受けたものであり、そこまで深刻なものはなかった。

 もげているかと錯覚したケイの腕もしっかりとついており、安静にしておけば治ると伝えられた。


 ***


 そして時は流れ、1週間が経過した。

 放課後の空き時間に、ケイとトウマは東郷先生に呼び出された。


 「凄い成果を上げたそうだな」


 何の話だか要領が掴めず、トウマは反応に困った。


 「演習のテストだよ」

 「まあ、それなりに」


 トウマはそう返した。


 「それでは、約束の指輪を見せて貰おうか」


 先生の言葉に応えて、トウマは自身の左手を見せた。その人差し指にはまる指輪を確認して、東郷先生はニヤリと笑った。


 「おめでとう」


 東郷先生に掴まれると、無理にでも抜けなかった指輪はいとも簡単にトウマの指から抜けた。


 「魔術を使わずに、どうやって巨大な怪物を倒したんだ?」


 二人は説明に困って、顔を見合わせた。


 「えっと、協力して」

 「はい、協力して」


 トウマはケイの言葉を否定せず、そう繰り返した。


 「それにしても成田先生は思い切ったもんだ。去年まではウサギと鳥しかいなかったのになあ。あんまり危険な目に合わせると、上が怒るんだよ」


 東郷先生はそうボヤいた。

 話が終わると、二人は食堂に向かった。


 「なあ」


 長い廊下を歩きながら、ケイが言った。


 「なんだ?」

 「お前に言われてから、自分の志について色々考えたんだ」ケイは足下を見た。「でもやっぱり、具体的には思い浮かばないんだ」

 「真面目かよ」


 そう言ってトウマは鼻で笑った。


 「なんだよ、だってみんな持ってるんだろ?」

 「俺にもねえよ、そんなもん」

 「は?」


 ケイはいつまでもふざけた態度を取るトウマに、また怒りを覚えた。


 「偉そうに言っといてなんなんだよ」


 そう言って、ケイはトウマを見た。すると、その口元には笑みが浮かんでいた。

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