魔術演習試験
「なんで志賀だけが罰されるんですか?」
鯨井ケイは言った。
「魔術演習」のテストを明日に控えた放課後、担任の東郷先生にトウマは呼び出された。なぜか目撃者としてケイもそこへ来たのである。
「志賀、自分がやったことの重大さを理解してるか?」
東郷先生は彼らの担任であり、「感染呪術入門」の担当教諭でもある。
無精に伸びたヒゲと、獲物を探す野生動物のように血走った目が特徴的である。普段は生徒に興味がなさそうな素振りであるが、今回の事件ばかりは例外であるようだ。
東郷先生の大きな目が、トウマを見た。
「たとえ養成所内であっても、非公認魔術師の魔術使用は犯罪行為に相当する。分かってるか?」
「ええ」
「でも先生」ケイが言った。「あっちがずっと虐めてたんです」
「虐められていたら、魔術を使った報復は許されるのか? それはただの能力の乱用だ。仮にも公魔の卵なら、力を使うべきタイミングくらい自分で判断できるようになれ」
ケイは先生の言葉に、何も返すことができなかった。
トウマは、ケイの感情論が先立って、理路整然とした話ができないところが嫌いである。
「まあ、本来ならば退所処分もあり得るが、今回は事情を考慮する」先生は机の引き出しから、金色の指輪を取り出した。「てなわけで、1週間これしてろ」
「……はい」
トウマは渡された指輪を、左手の人差し指にはめた。
突如渡された指輪のに指を通すと、示し合わせたかのように指輪は馴染み、もう力任せには抜けなくなってしまった。
「魔術を少しでも使えば、それが割れる。来週のこの時間、ここに来てその指を見せてみろ」
「分かりました」
「でも先生、明日テストがーー」
ケイの言葉を、東郷先生は遮った。
「それも込みでの罰だ」
***
消灯後、トウマは横になって指輪を見つめた。指輪は決して窮屈ではないのに、外れそうにはない。
そんなトウマに、二段ベッドの上からケイが話しかけてきた。
「明日、どうすんだよ?」
トウマは無視を決め込もうとしたが、余計にうるさくなりそうなので一応返すことに決めた。
「別行動って言ったはずだ」
「でも、お前魔術使えなくなったんだろ? 協力した方がいいんじゃないのかよ」
「じゃあお前は魔術使えるのか?」
トウマの問いに、ケイは黙り込んでしまった。
ーーほら、やっぱり考えなしに雰囲気だけでものを言っていたんだ。
そう思い、トウマはあきれた。
「……でも、ほら、お互い使えないからこそだろ」
ベッドの上からそんな声が聞こえたが、トウマは聞こえなかった今度こそ寝た振りをした。
***
そして、テスト本番の時が訪れた。
天候は昨日とは打って変わって、晴天となった。火曜日の2限目、生徒たちは養成所の入り口にあたる、西洋風の門の前に集められた。
「よし、全員集まったな」出席を取り終えて、成田先生が無駄に大きな声で言った。「それじゃあ先週も話した通り、今日は1時間テストをする。ルールは簡単、森林に入って一つでも多く動く石像を破壊すること」
先生が話している間、トウマは周りを見回した。すると、義理の兄と目が合った。
「あと、石像を破壊したら小さな札が出てくるから、それを今日の最後に提出してくれ。そして先週言いそびれたんだがな、石像にこもっている魂は生物のものだったり、悪魔のものだったりさまざまだ。くれぐれも襲われて殺されるなんてことがないように」先生は笑った。「ちなみに制限時間内にバディとともに帰って来なければ、問答無用で失格だ。説明は以上。それではスタート」
先生の合図によって、約40名の生徒は一斉に森林へと足を踏み入れた。森には多くの石造りのウサギがいる。
しかし、ぞんざいな足取りで森へと入ってくる養成所の生徒たちを確認すると、背中を見せて逃げ去ってしまった.
襲ってくる個体もいるという先生の言葉がトウマは気にかかっていたが、どうやらほとんどの石像が本物の動物同様の動きをするようだった。襲ってこないとなれば、こちらから攻撃を仕掛けるしかない。
しかし、目視できる範囲の石像たちは魔術の使用が可能な生徒たちによって、狩られるか逃がされてしまっている。この調子で考えなしに動く人間と近くにいると、いつまで経っても石像と遭遇するチャンスにすら巡り合えないようだ。
そう判断したトウマは、帰り道を記憶しつつも人の群れから離れた場所へと向かった。
本当は別行動がしたかったが、バディでの帰還が条件な以上は仕方なくケイがついて来る。
「なあ、どこまで進むんだよ?」
「静かに」
十数メートル先に、ハトのような鳥の後ろ姿があるのをトウマは見つけた。
よく目を凝らすとその質感は生物的ではなく、やけに輪郭がはっきりとしていて無機質的だった。どうやらターゲットはウサギに限らないようだ。
石造りの鳥は身体の向きを変え、こちら側を向いた。トウマは正真正銘の「ビー玉のような目」と目が合った。その腹部には魂の憑依点があり、淡く赤色に光っている。
ーー魔術は使えない。どうするべきだろうか?
トウマはおもむろに足下の石を手に取って、その機械的な鳥の腹部に投げつけた。
しかし、石は目標の小さな頭にぶつかって、力なく地面に転がった。そして、鳥は大きな音を立てながらどこかへ飛んでいってしまった。
その後も鳥を2羽とウサギを1羽見つけたものの、どれも魔術がないため倒すことができなかった。
「なあ」
しばらく歩いていると、ケイが後方から言った。どうせまた御託をグダグダと並べるんだろうと考え、トウマはそれを無視する。
「なあ」
トウマは歩き続ける。
「なあってば」
「なんだよ? 全部逃げていくだろうが」
そう言いながら振り向くと、ケイは何か呪文の書かれた札を持っていた。
「これ」
いつの間にか、ケイは石像を倒していたのであった。
「自慢か?」
「そんなんじゃねえよ」トウマの問いに、ケイはため息を吐いた。「お前が見つけたやつ、こっちに来たから倒したんだよ」
「だからなんだよ?」
「お前が見つけて俺が倒したの。それに結局点数も共有するなら、やっぱ協力した方がいいよ。俺、お前みたいに見つけられないし」
トウマは、別にケイの方が石を投げるコントロールが上手いとは思わなかった。しかし、ケイが協力することで1匹に対する投球のチャンスが2倍になるのは揺るがぬ事実である。そのため、ケイの提案に乗ることにした。
実際、二人で投げると百発百中とまではいかなくとも、それまでよりも倒せる確率は増加した。
テストが始まって約20分が経過した頃には、札が6枚集まっていた。
6枚集めて判明したことが1つあった。ウサギを倒した場合は札が1枚しか出ないのに対して、鳥は2枚出すのである。つまり、その難易度によって得られる札の数は異なるのだ。
「結構集めたな」とケイは言った。
「他の人間はもっと集めてるはずだ」
「なんだよ、もうちょっと喜びをさあ」
「静かにしろ。逃げられる」
そんな会話をしてると、遠くの木々の間から枝が折れる音が、トウマの耳に入ってきた。
振り返ると、そこには4人の生徒が立っていた。その一人には、よく見慣れたトウマの義理の兄がいる。
「ようトウマ、調子よさそうじゃないか」
昨日のことで首を痛めたらしく、そのシャツの襟からは湿布が見えている。
「お前ーー」
「放っておけ」
ケイの言葉をトウマは遮った。
トウマが義兄たちに背を向けてもう一度歩き出そうとした時、背中に鈍い痛みが走った。そして、気づけば地面にうつ伏せになっていた。
背中には義兄の腰巾着の足が乗っている。その状況から、トウマは自身が飛び蹴りを食らったことを理解した。
そんなことを考えていると、胸ぐらを掴まれて顔を殴られた。次第に他の腰巾着もトウマのもとへ寄って来て、笑いながらトウマを押し倒し、蹴り始めた。
「やれ、もっとやれ」
腰巾着たちの背後から、義兄がそう言うのをトウマは確認した。
「普段は傷があると問題になるが、今日できた傷は事故で済むからな」
全身に痛みが走って、意識が朦朧とする。嫌がらせを受けるのは慣れていたが、ここまで暴力を受けるのはトウマの人生で初めてのことだった。
目を開いて空を見上げると、こちらに敵意を向けたやつらが笑って、青い空を覆い隠している。
トウマは自分が意外なほどに冷静なことに驚いたが、そのせいで色々なことを考えてしまった。そして、そのせいで感傷的な気分に陥ってしまった。悲しいほどに絶望感だけが湧いてきて、もう涙すら出ないようである。
思えば、こんな光景をトウマはずっと見ていた気がした。
ーー俺の人生は、いつまで経っても頭打ちを食らうんだ。
***
生まれた時、トウマの家には経済的な余裕がなかった。生活に不自由しなくなったのは、苗字が「志賀」に変わってからなのだ。
「奥本トウマ」として育った約10年間、トウマは貧しかったが、それなりに幸せだと感じていた。
当時のトウマは父親の顔も知らず、自分に特異な血液が流れていることは知る由もなかった。ただ、8歳の時に特別な能力が受け継がれていることが判明して、その人生は一変した。
「ワダツミ」と呼ばれるその力は、志賀の一族に代々引き継がれてきた能力で、通常の魔術師よりも強力な水に関する魔術が使えるというものであった。
それが使えると判明してからは、母はトウマに強く言い聞かせるようになった。強い魔術師になって、志賀家を見返すように、と。
志賀の当主に一時の感情で弄ばれ、トウマを身篭ったまま捨てられた彼の母は志賀の一族を恨んでいたのだ。そしてワダツミを継いだトウマは、その復讐の絶好の道具だったに違いない。
「違う、そうじゃない。さっき教えたでしょ!」
「……でも」
「どうしてできないの!」
よく、そんな会話をするようになった。
トウマに対する魔術教育に熱が入るにつれて、母の感情は不安定になってしまったのだ。
母はいつの間にかトウマを復讐のためのツールと捉えて、学校にも通わせずに、家でただひたすらに魔術を教えるようになった。それに対してトウマはなんの疑問も抱いていなかった。
しかし、10歳の折にトウマは母と引き剥がされた。当人たちには真っ当に思われていた関係も、側から見ればとても歪な愛の形を描いていたのだ。
「こんなの間違っている。気が触れたのか?」
これまで見たこともなかった父らしき男が、冷たい声で母にそう言ったことをトウマは覚えている。
そして、トウマは「志賀トウマ」になった。それまで会ったことのない父が彼を引き取ったのは、確実に自身ではなくワダツミのためであった。
トウマが来る前にも志賀家には、父と妻との子どもが一人いたが、能力は引き継がれていなかったのだ。そこで美味しく思わないのが、その妻と息子である。
「本当に可愛くない子」
「お前なんてどっか消えろよ」
そんな言葉を浴びせられた。
別に義理の母と兄から受ける嫌がらせを、トウマは辛いとは思わなかった。鼻から仲良くしようなんて思わなかったからである。
母を狂わせた志賀の人間とは、懇意になんてなりたくなかったのだ。
「ねえ知ってる? あの子、志賀家の子どもなんだって」
「ええ、じゃあ関わらない方がいいね」
外では冷酷な志賀の一族として距離を置かれ、家の中では外の人間として嫌がらせを受けた。
それでも構わなかった。「奥本トウマ」として公魔になって復讐できるならば、彼はなんでも我慢できたのだ。
その志を糧に、トウマはどんな境遇でも静かに耐え続けてきた。
しかし、昨晩母のことを口にされて、つい能力を使ってしまった。そんな一時の感情によって、これまでに積み上げてきたものは今、崩れようとしている。
***
「お前さえいなければ、うちは幸せだったんだ!」
朦朧とする意識の中で、義兄がそう言うのが聞こえた。
たしかに、そうなのかもしれない、とトウマは妙に納得した。
ーーそういえば俺がいなければ、母さんは気が狂わなかったのか。
トウマはそんなことを考えながら、痛みに顔を歪めた。
最悪の場合には魔術を使おうとしていたが、トウマはそんなやる気さえも失ってしまっていた。もはや全身を駆け巡る痛みさえどうでもよくなり、トウマは空を見上げることすらやめてしまった。
目を瞑ると、心地よい暗闇が全身を包み込むようだった。
「お前らいい加減にしろよ」
突然、暴力の輪の外にいたケイが言った。その声に反応して、一時的にトウマを蹴る足が止まる。
ーー何も分かってないくせに、また勢いだけでものを言おうとしてるんだな。
トウマはそう思った。
「お前は黙ってろ」
何も理解していない人間に、トウマは自身を語って欲しくなかったのだ。
「黙んねえよ、馬鹿」
「は?」
「お前も、お前の兄ちゃんも本当馬鹿じゃねえの?」
トウマは意味が分からなかった。
「うるせえな、黙ってろよ」
義兄の腰巾着が、ケイの肩を押した。ケイの身体はその大きな態度に反してすぐに倒れてしまう。
「痛えな」ケイはトウマの義兄を睨んだ。「名門一家とか血統とか、あと特別な力とか? お前らなんでそんなことに固執してんだよ」
手についた枯れ葉を払いながら、ケイはそう言った。
「お前には分からないだろ」
義兄はそう言って、ケイを睨んだ。
「たしかに……なんにも知らないよ。でもな、お前らがどいつもこいつも自分の意思を持ってないってことは分かる」
ーーほら、また勢いだけで吠え始めた。もう正直、放っておいて欲しい。
トウマはそう、心の中でつぶやいた。
「は? 黙ってろよ!」
「うるせえ! たしかにトウマは上から目線でムカつくし、嫌がらせしたいのも分かる」
トウマはケイと目が合った。その眉間には深いシワが入り、瞳はまっすぐこちらを見つめている。
「だけど、そいつはなんにも考えずに群れてばっかのお前らと違って、目標のために毎日飽きもせず読書して、時間を無駄にしないようにしてんだよ!」
その感情と雰囲気だけで発せされる言葉は、内容通り子どもが喚くように発せられた。だが、その言葉はトウマの胸に土足で入ってきて、何かを破壊するようだった。
ケイは怒鳴るように、叫び続けた。
「魔術のことはよく分かんねえけど、毎日目標のために頑張ることの、どこに血統とか特別な能力が関係するんだよ! 努力もしないでそんなもん言い訳にして、八つ当たりしてんじゃねえよ! トウマに敵わなくて悔しかったら、自分の意思持って努力してみせろよ!」
「うるせえな」と腰巾着の一人が言って、拳を上げた。
「それとトウマ!」ケイは目の前に迫る拳を、まともに頬に食らった。「……志だかなんだか知らないけどな、辛かったら誰かに頼れよ、馬鹿。そんなプライドなんて捨てて、自分の好きなようにしろよ!」
ーーめちゃくちゃだ。馬鹿はどっちだよ。
そう思いながらも、トウマの目尻は本人も気づかぬ内に湿っていた。別に悲しくもないのに、久々に視界がぼやける。
本当は、志なんてトウマは持っていなかった。
母から受け続けた、彼を人とも思わない呪いの言葉を、自分のために志へと昇華していたのだ。
自分を支えるために、志に仕立て上げたのだ。そうしなければ、心が折れてしまうから。たとえそれが彼を孤立させるプライドに変わろうとも、トウマはそれを捨てる勇気が持てなかったのだ。
義兄とその腰巾着は、黙ることなく叫び続けるケイへと標的を向けた。
自分のせいでケイが攻撃されてしまう。そんなの、嫌だ。
止めなければならない。
トウマは立ち上がって目を瞑り、周囲にある水の気配を探した。
左手の人差し指にある、指輪が強く締まる。このまま魔術を使えば、壊れてしまうだろう。
しかし、魔術を使わなければケイが襲われてしまう。魔術の使用を決意したと同時に、トウマは森林を流れる小川の気配を感じた。
そしてその水を操ろうとした瞬間、突然義兄が叫んだ。
「おい、お前ら!」
義兄の指す方向を、その手下たちも確認する。トウマもとっさに目を開けると、眼前に佇む生物に愕然とした。
そこには、カバのように大きな狛犬のような石像が立っていたのだ。
その大きな目は陽光を反射して機械的に煌き、鼻から発せられる息は地面に散らばる落ち葉を、高く舞い上がらせた。そしてその口元は、鮮やかな血で赤く染まっていた。
狛犬は大きく喉を鳴らし、志賀トモタカの方へと飛びかかった。