名門一家の闇
普段は屋外で行われる「魔術演習」の授業が、教室で行われた。
「えー、今日は来週の事前準備のために、教室に集まってもらった」
魔術演習担当の、成田先生が言った。
成田先生はいかにも体育会系の男といったような人間で、タイトなTシャツからは筋肉質な腕が見えている。若者ぶったテンションと、体育会系特有の距離感がケイはあまり好きにはなれなかった。
「まあ、来週何をするかというと、魔術師としての戦闘力をテストする。ちなみに成績に加算されるぞ」
実はケイは魔術がまだ使えない。練習はこの半年間したものの、どうしても使
えなかったのだ。ケイは来週のことを考えるだけ焦り、胃が痛くなった。
「まあ、魔術が不得意な人間も安心してくれ。今回テストするのはあくまで『戦闘力』だ。体術でも頭脳でも、使えるものは使ってくれて構わない。じゃあ実際に何をするかというと……」
先生は教卓の下から、大きな麻の巾着袋を持ち上げて見せた。袋は不規則にうごめき、先生の手元から離れようとしている。
そして先生はそれを教卓に置いて、少しまさぐってから中身を取り出した。なんと、先生の手元には灰色のウサギがいたのだ。両耳を掴まれたウサギは、一心不乱に身をよじっている。
「これだ、これを使う」
暴れ回り、先生の腕を蹴ろうとするウサギをケイは気の毒に思った。
「まあ安心してくれ、本物を使うわけじゃない」
先生はそう言って、ウサギを軽く教卓にぶつけた。すると重いものが何かに当たったような、鈍い音が教室に響いた。
「これは石像に魂を入れた偽物だ。だから半端な攻撃じゃ壊れない」
ウサギはまた机にぶつけられて、脚をバタつかせた。
「だけどここ」先生はウサギの尾についた赤い光を指した。「ここに魂が詰まっているから」
先生が指を鳴らすとウサギの尾に一瞬、小さな炎が灯った。そして、気づいた頃にはウサギは跡形もなく石礫と化して、教卓に転がっていた。
「壊れるわけだ。この弱点を攻撃するためには、さっきも言った通り何を使っても許される。来週はこれを森に放って、制限時間内にどれだけ倒せたかをテストするわけだ」
先生は連絡事項をすべて伝えたか確認するために、手元の資料を見た。
「ああ、あと一つ言い忘れていたが、公認魔術師ってのは基本バディで行動する。なので、同室のやつとバディを組んでもらう。まあ、来週までにそれぞれ作戦でも考えてくれ。成績に関わるからな」
ーー何? 同室のやつとバディだと? つまり、志賀トウマと?
一時的に安心していたケイの心は、またもやどん底に追いやられた。
***
予想外の協力が必要になって、志賀が話しかけてくるかもしれないと微かにケイは思っていた。
しかし、志賀はテコでも口を開かないようであった。
トイレで虐めを目撃した日、ケイは男子生徒4人を止めに入った。しかしトウマは虐めなんて受けていないと主張して、結局ケイはトイレから追い出された。明らかにそこでは虐めが行われていたにもかかわらず、志賀はそれに対するケイの心配を無下にしたのである。
その行為すらもプライドの表れだと感じ、ケイはより一層志賀のことが気に食わなくなった。
「なあ、あいつらって誰なの?」
食堂にて、ケイは志賀トウマを虐めていた生徒を顎で指して、アキラに尋ねた。
「あの4人?」
「うん、なんか嫌な感じの」
「あれは名門一家でつるんでるんだよ」
名門一家だと聞いてケイは驚いた。なぜなら、てっきり志賀トウマが名門一家の子だからこそ妬まれているのかと思ったからである。
しかし、どうやら話はもっと複雑なようだ。
「志賀家と仲悪いわけ?」
ケイの質問に、アキラは笑った。
「仲悪いも何も、あいつも志賀の息子だよ」
「誰が?」
「あの真ん中のやつ」
「は? じゃああいつ、志賀の兄ちゃんなの?」
「さあな、名門一家は闇が深いからな」
そう言って、アキラはカレーを食べた。
ケイの脳内は、混乱する一方であった。
***
その日の消灯後、ケイは二段ベットの下で眠る志賀トウマに話しかけた。
「なあ、この間本当に虐められてなかったのかよ?」
ケイの問いに、案の定志賀は返事をしなかった。ケイは相手の目を見る代わりに、暗い天井を見つめた。
「あのことについて話したくないなら別にいいけど、最低限の会話はしろよ。一瞬だけでもバディになるわけだし」
「別に言いたくないわけじゃない。やつらのリーダーが俺の義理の兄で、俺に嫉妬して嫌がらせをするだけだ」
「じゃあやっぱりーー」
「俺が虐めだと思っていないんだから、ただの嫌がらせだ」
「は? なんだよそれ」ケイは言った。「じゃあやり返せばいいのに」
「相手にするだけ無駄だ」
一瞬間が空いて、ケイは新たな質問をした。
「てか、なんで兄ちゃんがそんなことすんだよ?」
「俺に聞くな。これ以上、生産性のない会話をする気はない」
部屋に夜の静けさが充満した。窓の向こうから、フクロウのさえずりだけが微かに聞こえる。
「1週間後、どうする?」
「別行動」
「は?」
そう言いながら、ケイは下の段のベッドを覗き込んだ。しかし、志賀はもう目を閉じている。ケイは一度ため息を吐くと,眠る態勢に入った。
***
二人があれほど長く喋ったのは、養成所で出会って以来、初めてのことだった。
しかし、それがきっかけによく会話をするようになったなんて現実はなく、また会話のない生活が次の日から始まった。
ケイは虐めの真相もいまいち要領が得られず、魔術演習のテストの対策も思いつかなかった。そんな状況のまま、ただただ時間が過ぎていくばかりである。
志賀トモタカーーつまり志賀トウマの義理の兄は、18歳でトウマよりも3つ歳上である。義理というところが気にかかったが、どうにも兄弟でいがみ合う理由がケイには分からなかった。
そんなこんなで1週間近くが経過して、ついにはテストの前日になった。
その日は雨が激しく降り続けており、朝から空模様も人々の心も、モノクロームに染め上げていた。そんな天候と明日のテストに、ケイはこれ以上となく気が重くなった。
そんな日のことであった。そんな日に、事件は起きたのだ。
朝、半分寝ぼけながらケイは食堂に向かった。一人で朝食を食べて、部屋に戻ると歯を磨いた。
そして制服に着替えて、1限の授業が行われる3号館の教室に向かった。移動中靴底が濡れたせいで、歩くたびに人々の足とタイルの床から、甲高い音が響くのが聞こえてきた。
1限目は「魔術犯罪心理」という授業が行われ、座学であることと天候が相まって多くの生徒が激しい眠気に襲われた。
ケイも無論ゆっくりと眠ることができた。2限目は「魔物生態学」という授業で、幻獣についての授業をケイは受けた。
そして授業が終わって、昼休みに事件は起きたのだ。
ケイは昼食をアキラと食べていた。
「明日、上手くいきそうか?」
「何が?」
「テスト、あいつとバディだろ?」
アキラはそう言って、席を立つ志賀トウマを見た。
志賀トウマは食堂の出入り口前にある、トイレへと入って行った。そして、例の4人も後を追ってトイレへ向かうのが見える。
「ごめん、ちょっとトイレ」
「いや、飯食ってる途中だろ」と言って、アキラは笑った。
「漏れる」
ケイは誤魔化すようにそう言うと、すぐさまトイレへと小走りで向かった。そして今度こそ決定的な証拠を抑えるために、ケイはトイレの入り口前で待機した。
「おい、ふざけんじゃねえよ」志賀トモタカの声が言った。志賀トモタカの声は、トウマとあまり似ていない。「なんか喋れよ、この汚ねえ血がよお」
「汚い血」という言葉が、意味は分からなかったが、ケイの胸に引っかかった。
「なんか喋れよ」
志賀トモタカの腰巾着がそう言った。そして、笑い声がトイレで反響する。
「マジでこいつ喋んねえな」
「なんとか言えよ、おい! 力があるからって調子乗ってんじゃねえぞ?」
また理解できない内容が登場した。「力」という分かりそうでその詳細が判然としない言葉が、ケイは気になった。
先程から所々でさっぱり分からない言葉が使われてきたが、その力というものがトウマへの虐めに繋がっていることは、ケイでさえも察しがついた。
一瞬間があって、トウマが鼻で笑うのが聞こえた。
「しょうもない。自分が弱いのを俺に当たるなよ」
トウマの言葉が発された瞬間、その場が凍るのを壁越しにでもケイは感じ取った。
「てめえ、ふざけんじゃねえぞ!」志賀トモタカは叫んだ。「お前は父さんにもそんな目で睨んで、みんなのこと馬鹿にしやがって。なのになんでお前があの力を持ってんだよ! 全部あの女のせいだ、気の狂ったあいつのせいだ!」
トモタカが平静を失い、トウマへと罵声を浴びせた次の瞬間、トイレの中から爆発音が3回、食堂中へと響き渡った。昼食を取る生徒たちが、トイレの前に立つケイを見る。
ケイは志賀トウマの安否を心配して、急いでトイレに入った。水浸しの床で半ば滑るようにトイレに入ると、ケイはその状況をにわかには呑み込むことができなかった。
トイレにあったはずの小便器と大便器はそれぞれ三つずつ、すべて本来あるはずの場所にはなかった。その代わりに元々は便器であったと思われる、白い破片がそこら辺に転がっている。
便器があったであろう場所からは勢いよく水が溢れ出て、床を水浸しにいていた。
しかし、何よりもケイの注目を引いたのは破損した便器などではなく、トイレの真ん中で浮かぶ、大きな水の塊であった。
丸くまとまったその塊は、一人の生徒を包み込んでいる。その生徒ーー志賀トモタカは巨大な水の塊に身体を持ち上げられ、顔を真っ赤にしながら口からブクブクと泡を吹き出している。
腰巾着たちはその場で腰を抜かして、ズボンを完全に濡らしてしまっていた。
そして肝心のトウマは、毅然とした態度で水の塊の前に立ち、義理の兄のことを睨みつけている。
「お前の汚い口で、あの人のことを言うな」
「おい、何やってんだよ」
「うるさい、お前は黙ってろ」
そう言いながらケイを見たトウマの瞳は青く、嵐の海のような荒々しい色をしていた。