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人生は冒険だ、それでいて美しい

作者: キーラック

 「・・・え? い、今から出張ですか?」

  まずは自己紹介を、僕は青山剛。そしてここは都内某ネットメディアの編集プロダクション。そして今僕の目の前に居るのは、苦労の象徴のように若白髪の目立つ僕の上司。

 「いや、言いたいことは分かる。急な話で本当にすまない。ただ、もう君にしか頼める人がいなくてね」

 「何があったんです?」


 数時間後、僕は東北新幹線の座席で揺られている。未だに急な出張の話に頭は追い付いていない。とりあえず、上司から伝えられた話を頭の中で整理してみた。

 上司の話はこうだ。うちの会社に属している人気漫画家の甲斐力という作家がいる。その甲斐力の連載している漫画のおかげでうちのメディアは持っているようなものらしい。しかし、作家としては優秀でも性格に問題があるらしくいつも彼の担当は泣きを見ているのだとか。そんな彼が突然癇癪を起こして編集が巻き込まれるのは珍しいことではないのだが、今回は特に重症らしい。

 彼の担当はそんな彼の我がままに耐えきれずいよいよ上司に泣きついたが、その上司も交渉に失敗し、今度は僕の上司が交渉に出たがそれも失敗し・・・そんな風に回り回って来た最後の順番が僕だったという事だ。なぜ僕なのかというと全く面識のない人の方が彼は心を許すから、らしい。何とも納得しがたいがともかく僕は社運のかかったこの案件を無下にすることは出来ないので、こうして彼の住む仙台に向かって一人新幹線にて輸送されているのだった。


 急な長距離移動の頼もしい味方である新幹線だが、数分で移動が完了するわけでもなくやはり車内は退屈だ。僕はうとうとしながら座席にもたれ掛かる。すると仕事用の携帯にメールの着信があったたため、僕は慌てて中身を確認する。

 『まだ移動中だろうに突然すまない。甲斐力からの連絡で彼は仙台駅で君を待つらしい。君の容姿の事は伝えてあるので、駅に着けば新幹線出口で彼から君を見つけてくれるだろう。よろしく頼む』

 やたら申し訳なさそうな口調なのが僕の上司の特徴だ。僕は『了解しました』とだけ返信した。心地よい眠気からは完全に引き戻されてしまったので窓の外を眺める。東京とは違い、田畑や山の見える風景が次々と連なる。個人的に田舎は好きだが、住みたいとまでは思わない。東京は便利だ、それに娯楽も腐るほどある。自然豊かでも、利便性には敵わない。


 仙台には1時間半近くの所要時間で着いた。仙台駅は大きく、賑わっている。平日の昼間なので、辺りには僕のようなスーツ姿の人が多い。彼らは足早で僕の側を過ぎていく。そんな僕も彼らと特別変わりはしないだろう。

 新幹線口を出て、一応辺りを見回してみる。彼は僕の容姿を知っているらしいが、僕は彼についてなぜか殆ど教えてもらえていない。一体どんな人なのだろうか。ひたすら内気な青年か、いや案外思ったよりも陽気な人かもな、想像ばかりが膨らむ。

 「ようこそ仙台へ。僕が甲斐力です」

 声のした方向に目を向ける。そこには高身でスラッとしたモデルのようなスタイルの青年が立っていた。年は二十歳前後だろうか、清閑な顔には若い大学生のような幼さが伺える。髪は短髪とも長髪とも言えない丁度中間のような長さで毛先は少しクルっと跳ねている。髪自体は薄く茶色に染めているようだがパッと見ただけでは殆どよく分からない。

 「あ、えっと・・・ わ、私が青山剛です。お会いできて光栄です甲斐先生」

 想像よりもずっと爽やかな青年が姿を現したので、僕は正直驚いてしまった。そんな僕の戸惑う様子を見て彼はにこりと微笑む。

 「そんな堅苦しくなくて大丈夫ですよ、青山さん。あなたの方が明らかに年上だし、俺の事は呼び捨てで構わないですよ。というか、呼び捨てで呼んでください。その方が人間打ち解けやすいですから」

 どこまでも人の良さそうな爽やかな笑顔を向けるこの青年は、僕の中にあった緊張を幾分かほぐしてくれた。なんだ、思ったよりも仲良くやれそうだ。僕を胸を撫で下ろし、彼に笑顔を向けて答えた。

 「お気持ちありがとうございます。えっと・・・甲斐君、僕が来た理由はご存じだよね?」

 「もちろん、俺が頼みましたから。ただ、立ち話もなんですし僕の車で移動しましょうよ」


 近くの駐車場に行くと、甲斐君は多く停めてある車のなかで一際目立つ車の前で鍵を取り出した。なんと、キャンピングカーだった。

 「驚きますよね。これが僕の愛用車です。ああ、住んでるわけではないですよ」

 「正直驚いたよ・・・ 旅行が趣味なのかい?」

 「いえ、たまに無性に家に居たくない時があるんです。これはそんな時の避難場所ですね」

 やはり、彼は変わり者のようだ。そんな理由で大金を叩いて購入するなんて、僕には理解できない。

 「さて、移動しましょう。青山さんはきっと移動で疲れているでしょうし、後ろでくつろいでもらっても大丈夫ですよ」

 キャンピングカーの中は想像以上に広々と感じた。キッチンのそばには四人掛のキッチンテーブルがあるし、その後方には広々としたセミダブルぐらいのベッドが備え付けられていた。一人でこの空間を過ごすならかなり快適だろう。

 運転してもらっている身で後ろで寝てるのも悪いと思い、僕は結局彼の隣の助手席に座った。

「えっと・・・ それで、どこに向かうんだい?」

「そうですね、俺の家に向かいましょう。離れの田舎なんで、少し時間がかかりますけど」

 仙台の複雑な道路は見ているだけで混乱しそうだったが、甲斐君は慣れた運転であっという間に市街を抜けると、大きな国道に出てそのままひたすら真っ直ぐと走り出した。外の景色は段々と新幹線の中で見たような田舎風景に変わっていった。

 特に話す話題があるわけでもなく、僕と甲斐君はひたすら無言であった。しかし、それは不思議と窮屈に感じなかった。甲斐君は涼しい表情で時折欠伸をしながら緩やかな速度で走り続けており、それは心地よささえ感じられた。そう、心地よく・・・


 「青山さん。着きましたよ」

 僕は甲斐君に体を軽く揺さぶられると、ハッと目を覚ました。

 「ああ! す、すまない。すっかり寝てしまったようだ」

 甲斐君は表情を崩すことなく爽やかに答えた。

 「疲れていたのでしょう? だから後ろで休んでも良かったのに。さ、我が家へどうぞ」

 甲斐君に促され僕は車を降りると、玄関に向かった。それは少し古めかしい長屋のような家だった。祖母方の家を思い出す、いかにも自然の中にあるような家だ。実際、家の回りは目立った建物は無く、田んぼや山に囲まれた中に同じような家が何件か建っているだけだ。

 家の中に入り、玄関先の廊下の右手側にある応接間に通された。ゆったりとしたソファーと二人用程度の小さな机がある。壁側には本棚が並べられており、よく見ると甲斐君の漫画作品がずらりと並べられている。成る程、この部屋に居るだけで彼が人気作家であることを実感させられる。

 「ゆっくり掛けてください。あ、これ手作りのバタークッキーです。おいしいですよ、高カロリーですけど」

 そう言うと、甲斐君は手作りのクッキーとお茶を僕の前に置いて僕の目の前のソファーに腰かけた。しばらく、先程の車内の時のような窮屈でない落ち着いた静寂が流れる。僕は彼の作ったクッキーの味に心から感心しながらも、本題を切り出す事にした。

 

 「あの、甲斐君。もう漫画を描きたくないだなんて、一体何があったんだい?」

 甲斐君は何も動ずることのない様子でお茶を口にしていた。涼しい表情のまま、彼はようやく口を開いた。

 「・・・青山さん、この後時間あります?」

 「え、ああ。大丈夫だよ」

 僕が答えると甲斐君は何故か嬉しそうな表情を浮かべた。

 「それは良かった。実は、最近ここの近くの裏山で面白いものを見つけたんだ。一緒に見に行こうよ」

 あの、漫画の件は・・・とすぐそこまで言葉が出かけたが、甲斐君の期待を宿した瞳になんだか申し訳なくなり僕はそれに付き合うことにした。


 遠くで見ている分には穏やかに見える山だが、いざ登ろうとするとそれは大きな思い違いだと学ばさせられる。急な勾配な坂、整地されていないでこぼこした道、肌や衣服にまとわりつくクモの巣やうっそうとした木々。

 こんな過酷な環境でも僕の先を進む甲斐君は、慣れているのか軽やかな身のこなしでどんどんと先へ進んでいく。てっきり漫画家とはインドアを好むものばかりだと思い込んでいたが、少なくとも彼は僕よりもずっとアウトドア嗜好だ。

 「大丈夫、青山さん? 少し休める場所に移動しようか?」

 「は、ははは。ありがとう甲斐君。でも僕は大丈夫さ。さぁ、先を急ごうよ」

 「オッケー。無理はしないでね」

 彼に負けたくないという思いからか、僕は音を上げたい思いを堪え彼の後に続いた。思えば、山登りにこんなに精を出したのはいつぶりだろうか。負けたくないと人の背中を必死に追いかけている僕は、今どんな風に映っているのだろう。

 僕は自然と笑みがこぼれた。汗を拭い、呼吸を整え一歩ずつ踏み出す。僕はすっかり夢中になっていた。


 やがて開けた道が現れ、さらにその先には一件の建物の姿が見え始めた。それは恐らく昔の富豪が使っていたであろう、古びた洋館風の住宅だった。

 「はぁ、はぁ・・・ まさか山奥にこんな立派な家があるとは・・・」

 「ね、面白いでしょ? 俺も最初見つけた時は驚いたんだ。ねぇ、中に入ってみようよ」

 「え! さすがにそれはまずいよ! 不法侵入になっちゃうし・・・」

 「こんな山奥に誰も来ないよ。見るからに廃墟だしさ。ね、行こうよ」

 甲斐君は爛々とした表情で僕に問いかける。どうやら彼の体力と好奇心は底無しのようだ。僕は乗り掛かった船だと自分に言い聞かせ、結局は中に入ることに同意した。

 

 ギィっと軋んだ音をたてながら玄関のドアが開いた。外観はまだ立派に見えたが、中は完全に朽ち果てており廃屋と化している事がすぐに分かった。外からの日の光が唯一の光源で中をうっすらと照らしているが、それがより一層不気味さを際立たせていた。

 「はは、思ったよりずっと中は不気味だね。大丈夫?青山さん。怖いんじゃないかい?」

 「だ、大丈夫さ。こんなの、ただの廃墟だろう?」

 正直怖かった。普段僕はこんな不気味な場所に行くことはない。ただ、少しでも甲斐君に格好いいとこを見せようと僕は動じないふりで率先して中に踏み込んだ。

 この家は二階建てのようで、一階は一般的なキッチンやリビングルームが設けられていたが、見るも無惨に荒れ果てていた。僕は埃などをなるべく吸い込まないように、手で口を覆いながら中を探索した。

 「青山さん。ここはどうやら、完全に捨てられてしまった家のようだね。何も残ってなさそうだ」

 「はは、言っただろう? ここはただの廃墟なんだって」


 次の瞬間、二階の方からガタッという物音が聞こえた。僕と甲斐君は思わずビクッと体を強張らせる。

 「な、なんだ? 今の音は・・・」

 「どうやら二階には何かまだありそうだよ、青山さん。ちょっと怖いけど、行ってみようか」

 怖いからもう帰ろう、などと今更言えるわけもなく僕は甲斐君に同調した。幽霊などというものは信じる柄ではないのだが、この生き物の気配すら感じないような場所では、それすら居るのではないかと思い始めている。

 僕と甲斐君は恐る恐る二階に足を踏み入れる。その途中、ガタガタッと今度は連続して物音が鳴った。これは確実に、この建物に何かが居ることを示している。僕と甲斐君は息を呑んで音の発生源であろう部屋の前にゆっくりと近寄った。

 立て付けが悪く、半開き状態のままの扉の前に立つと僕と甲斐君は目を合わせた。

 「よし、青山さん。俺がせーので扉を開けるから、そのタイミングで部屋の中に入って。すぐに俺も続くから」

 「わ、分かった」

 僕の恐怖は頂点に達していたが、深呼吸をし僕は覚悟を決めた。

 「せーの!」


 甲斐君によって勢いよく扉が開かれたので、僕は中に決死の突入を実行した。

 そこはこの家の寝室のようで、古びたベットの上で何かがモゾモゾと動いていた。僕は恐怖に駆られながらもそれに近づくと・・・

 「にゃーお」

 なんと、それは小さな子猫だった。僕に驚いたのか子猫はさっと後ずさり、怯えた目で僕を見つめている。

 「「か、可愛い」」

 後に続いて部屋に入った甲斐君と僕は同じタイミングで呟いた。それがなんだか可笑しくて、僕と甲斐君は思わず声を出して笑ってしまった。

 「成る程、野良猫が窓かどっかから侵入してここのベッドを見つけたんだね」

 「は、ははは。はぁ・・・安心した。こっちにおいで、子猫ちゃん、怖くないよ」

 僕はそーっと子猫に近づこうとすると、子猫は逃げ出した。

 逃げようとしているのは・・・この部屋の窓からだ!

 「! 危ない!」

 窓からなんとかして飛び降りようとする子猫を、僕は間一髪窓際で捕まえた。

 何とかなった・・・と安堵したその瞬間、ギシギシギシと大きな音を立てながら窓枠が僕の体重で軋み始めた。まずい、このまま崩れたら下へ投げ出されてしまうぞ!

 窓枠はとうとうバキッと音をたて崩壊し始めた。もうだめだと目を瞑ったが・・・

 「青山さん!」

 次の瞬間、倒れそうなっている僕の服の袖を甲斐君が掴み、細身の体からは考えられないほどの大きな力で強く引き寄せてくれた。その大きな力のおかげで僕は猫を抱えたまま後方の床に倒れこんだ。

 「はぁっ、はぁ・・・! 今のは本当に危なかったね、青山さん」

 甲斐君が珍しく切迫した表情で僕を見つめる。僕は後一歩でどうなっていたかを想像し恐怖で体を震わせた。両手で抱えている子猫もどうやら無事のようだ。

 「ほ、本当にありがとう甲斐君。君のおかげで猫も僕も無事だったよ」

 「はは、猫を助けたのは青山さんでしょ。それに、危険な目に会わせたのは俺の責任だよ。さ、ここは危険だしその子と一緒に帰ろうか」


 こうして俺と甲斐君は子猫を連れて来た道を引き返し始めた。山を下りきった頃には辺りはすっかり日が傾き始めていた。

 子猫は東京に持ち帰るわけにもいかないので、甲斐君が自分の家で一旦は育てることを提案し僕もそれに賛成した。

 さて、本格的に夜になる前には会社に戻らなければ。僕は電話でタクシーを呼び駅に戻ることにした。どうせ金は会社持ちなので問題ない。

 「甲斐君、僕はそろそろ帰るよ。今日は何て言うか、君のおかげで僕にとって特別な一日になった。こんな気分は久々だよ。ワクワクして、爽快で、ちょっぴり怖かった」

 「俺もだよ、青山さん。今日は青山さんと会えたおかげで充実した一日になったよ・・・」

 甲斐君は初めて見せるような、少し寂しげな表情を浮かべて言葉を続けた。

 「俺はね、青山さん。近頃少し物足りない気分だったんだ。自分で言うのも何だけど、俺は人気漫画家でそこそこ人望もある。でも、それは俺を満たしてくれるものじゃないんだ。今の俺が本当に欲しかったのは、青山さんのような一緒に何かを共有できる友達だったんだよ」

 友達か。甲斐君から直接そう言われると何だか小恥ずかしい気分になる。甲斐君は良くも悪くも子供のような人だ。だからこそ、彼は大人の付き合いというのが苦手なのだろう。彼が会社の担当やその上司とウマが合わないのも今なら納得できる。

 「青山さん、満足できて気が変わったからもう少し漫画続けてみるよ。後で会社の人に俺から連絡するね」

 「そうか、そりゃあ良かった! ・・・・じゃあ、またね」

 「うん、また遊びに来てよ」

 僕は笑顔で頷くと、タクシーに乗り込み仙台駅に向けて出発した。


 後日、僕は普段通りの業務に復帰した。会社からは奇跡の交渉人として誉められたが、あの日の冒険のことはもちろん秘密にしてある。

「青山君、甲斐先生から君宛に手紙が来てるよ。今のご時世、珍しいよな。まぁ見てやってくれ」

 僕の上司はそう言うと僕に一枚の封筒を手渡した。封筒にはとても丁寧で綺麗な文字で『青山剛さんへ』と書かれている。

 封を開けて中を見ると、一枚の写真が出てきた。写真には、甲斐君の家の縁側で例の子猫が気持ち良さそうに寝ている様子が写されていた。ふと、写真の裏を見ると何か書かれている。


 『人生は冒険だ、それでいて美しい。ごきげんよう』


 僕は思わず笑みが溢れた。改めて思い返すと、彼のおかげで僕は童心に帰れたような特別な体験をすることができた。これは僕にとって忘れがたい大切な思い出になるだろう。いつか再び甲斐君と会ったときにも、この日の経験を思い出してお互い笑い合ったりするのだろうなと僕は想像し、心が豊かになる幸せな感覚を噛み締めたのだった。

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