8 月の竜②
彼らの近くに降り立ったのはイオシフ竜舎の翼竜たちだった。
「キリル! 親方!」
テスはプテロたちに駆け寄った。仲間の運び屋と一緒にいれば、厄介な問題から逃れられるような気がした。しかし、既に話は彼らにも伝わっていたようだ。
「テス、何があった? わざわざ竜学舎が緊急用風ツバメ使ってまで呼びつけてきたぞ」
「お前、泥だらけじゃん。それにあちこちすりむいて…叔父さんと穴掘りでもしたのか?」
竜舎の主親子に尋ねられ、テスは答えようとした。しかし言葉より先に涙が出てくる始末だった。意地っ張りで負けん気は人一倍の少女のただならない様子に、彼らは慌てた。
「俺はあっちの連中に訊いてくる。ここ頼むぞ」
「頼むって、オヤジ、逃げんなよ!」
息子に丸投げして一抜けした父親を怒鳴り、キリルは少女が涙を乱暴に拭うのからばつが悪そうに顔を背けた。
どうにか気持ちを立て直し、テスは簡単に事情説明をした。
「…色々予定が狂って、叔父様は大ケガしたの」
「大丈夫かよ」
「分からない。すぐにでも竜学舎に運ぶって」
「そっか。緊急で呼び出すわけだ。俺たちが飛ぶからお前は先に戻ってろよ」
「うん…」
珍しく歯切れの悪い物言いをする少女に、キリルが不思議そうな顔をした。
「お前もどっかケガしてんのか?」
彼女が首を振っていると、イオシフが呆然とした顔で戻ってきた。
「冗談だろ、お前が竜祀院って…」
「オヤジ、何言ってんだよ」
胡乱な目で父親を見たキリルは、彼の視線の先でテスが溜め息をつくのに気づいた。
「…まさか、本当だなんて言わねえよな」
「だから、色々予定外だって」
「何でそんなことになってんだよ! 竜祀院ってあれだろ、竜学舎の一番でっかい塔でふんぞり返るお偉いさんで」
「代理よ代理、叔父様が良くなるまでの」
テスは必死で言い訳した。唖然とした後で、キリルは好奇心に駆られた顔をした。
「てことは、お前見たのかよ、月の竜を」
「ああ、アレね……」
「どんなだった? やっぱでっかい翼竜みたいな」
「全然違う。凄く大きいけどやたらと長くて、いい加減で酒好きで…」
神聖なはずの竜を容赦なくこき下ろすのに、キリルは引き気味だった。
混乱の極致にある息子に比べ、海千山千の父親はさすがに立ち直りが早かった。
「こいつは特急料金が発生するな」
「こんな時にぼったくりかよ」
「プテロを長く飛ばせりゃエサ代だって余計にかかるんだ、真っ当な料金設定だろうが」
言い合いをする親子の側で小さな笑い声がした。二人が声の主を振り向くとテスが泣き笑いの顔をしていた。
「あ、ごめん。何か訳の分かんないことばかり続いて、親方のいつもの言葉聞いてたらほっとして」
「…そっか、お前の叔父さんは一番速いプテロ使って送ってやるから心配するなよ」
「うん、頼むね。親方もお願いします」
翼竜使いの運び屋親子は大きく頷いた。彼らが飛び立つのを見送り、叔父の無事を願いながらテスは帰り支度をした。
「じゃ、竜舎に戻ろうか、ビーチャ」
相棒にまたがろうとした彼女を、竜学舎の学員たちが止めた。
「どこに行く気だ、竜祀院」
「どこって、帰るんだけど」
「先ほども説明したが、月の竜を呼び出した竜祀院は竜の塔に住まうことに」
「言ったでしょ、あたしはイオシフ竜舎に登録してる運び屋だから。叔父様の代理はするけど、荷運びの予定だってあるし」
「それは変更してもらわねばなるまい、竜祀院殿」
別人の声が割って入った。思わず振り向いたテスが見たのは風格のある老人だった。学員たちがざわめいた。
「ディグニス将軍」
馬上の老将軍は竜の意匠の装備を身につけていた。配下の男たちも同様の武装だ。
――竜騎兵? って確か……。
『皇帝の直衛連隊だよ、お嬢』
からかうような声が頭に響いた。
――ここを見てるの? あんたのせいで話がややこしくなってんだから、さっさと来て。
『俺も色々とやることがあるんだよ』
それを最後にふっつりと竜の声は聞こえなくなってしまった。テスが溜め息をつくと、ディグニス将軍が興味深そうに尋ねた。
「月の竜はどこに? 途中で土煙が上がるのを見たが、無事に降臨できたのか?」
「あの竜なら、酒を探しに行ってそれっきり」
少女の答えに将軍はさすがに言葉に詰まった。そして口ひげを震わせながら笑った。
「伝説の竜はやることが違うようだな。では我々も出発しよう」
「出発?」
呟くテスはいつの間にか周囲を竜騎兵に囲まれているのに気づいた。将軍は穏やかだが有無を言わさぬ口調で言った。
「女帝陛下の崩御は隠せるものではない。玉座を空けることができない以上、可及的速やかに新たな皇帝陛下の即位が必要なのだよ、竜祀院殿」
「あたしは叔父様の代わりにあの竜を呼んだだけで」
「その叔父上が務めを果たせないなら代理になってもらう。それだけだ」
簡単に言ってくれる、とテスは歯がみした。だがこの状況で強行突破は不可能で、できたとしても逃げ込む先などない。
――家も竜舎も、騒ぎに巻き込んじゃうし。
諦めかけると再び竜の声がした。
『賢明だな。この将軍はお前に害意はねえようだし、ここはおとなしくしとけよ』
――あんたも勝手言ってんじゃないわよ。
頭の中で毒づいて、テスはふと疑問を浮かべた。
――名前はあるの?
『・・・・』
少し間を置いて頭に届いた言葉を、テスは理解できなかった。
――…何?
苦笑じみた思考の後、竜は告げた。
『セレニウス、とでもしとくか』
「セレニウス」
鸚鵡返しの呟きを将軍が聞きつけた。
「それが月の竜の名なのか?」
テスは頷いた。
「本人はそう言ってる」
彼の背後には馬車が用意されていた。
「あれに乗るの? ビーチャは入れる?」
翼竜が覗き込んだが、無理そうだと鳴いた。
「じゃ、屋根に乗って。揺れるけど我慢してね」
竜騎兵たちは奇妙な表情をしたものの、運び屋の少女と翼竜を乗せた馬車を警護する配置についた。
将軍が合図し、一行は出発した。
同じアルクト山地で、彼らの様子を苦々しげに覗き見る者達がいた。
「どうするんだ? 竜が出てきちまったぞ」
一人が動揺を見せると、首領格は厳しい目を向けた。
「もう一つは成功してるんだ。報酬はもらうぞ」
男たちは物音すら出さずに下山を始めた。
様々な思惑を呑み込むように、山岳地帯は晩秋の寒冷な空気に包まれていた。