59 戴冠式
東方騎馬民族の襲撃を退け、ザハリアス帝国は安寧を取り戻した。
東方辺境候を中心とした戦後処理が終わると国境の騒動が落ち着き、全ては邪な蛮族の竜の陰謀だと発表された。帝国の人々が納得し、若い皇太子が邪悪な竜を打ち倒したのだと噂し合うようになった頃、いよいよアーケイディウスの戴冠式の日を迎えた。
真冬が近づく雪月、下旬一曜日。
朝から雪がちらつくあいにくの曇天となったが、人々の興奮は天気程度では収まることなどなかった。帝都オウレンシアでは帝国旗の黒と紫と金をあしらった装飾がそこかしこに見られ、祝いの酒を振る舞う店は朝から大忙しだった。
酒の肴は、当然帝国を救った月の竜と自ら戦場に出た少年皇帝のことだった。
「本当だよ、東方国境から帰ってきた奴が言ってたんだ。皇帝陛下が竜に乗って戦場に現れたって。竜の声を聞く竜祀院が作戦を授けて大勝利さ」
「蛮族の邪竜が国境を襲って月の竜のせいにしたって言うじゃないか」
「それも皇帝陛下はお見通しだったって。さすがあの女帝陛下の血を引くだけある」
「戴冠式に乾杯!」
人々は寒さをものともせずに杯を飲み干した。
都の喧噪から遠く離れたエオス山脈、そこに建つ竜学舎でも祝いの準備に忙しいことに変わりなかった。戴冠式で重要な役割を担うのは竜学舎の主、竜祀院なのだから。学舎長セルギオスを筆頭に、準備は学者総動員で行われた。
手の込んだ銀糸の刺繍が入った白い正装を着込み竜杖を持った少女に最後に大きな白い帽子をかぶせ、メライナは満足そうに後ろに下がった。
「お似合いですよ、竜祀院様」
感激で目を潤ませる彼女には申し訳ないのだが、テスは賛辞を言葉どおりに受け取れなかった。小柄でやせっぽちな少女には、仰々しい竜祀院の正装は道化の仮装のように思えた。居室に掛けられた先代竜祀院――テスの父方の祖母ベレニスとは威厳も貫禄も比べものにならない。
テスは溜め息をついた。
「医書の塔の叔父様に挨拶してくる」
そう言って若い竜祀院は竜の塔を出た。行き交う学員がことさら丁寧に礼をとるのに出発前から疲れた気分になっていった。
まだ入院中のヴァイロンをテスは見舞った。そこには、本に埋もれた妖精のようにバシル教授が鎮座していた。
「先生、帝都で戴冠式を見ないの?」
「私は一介の臨時家庭教師だよ、ここで読書三昧の方が楽しい」
門外不出の書物を愛しそうに眺める彼にテスは説得を諦め、叔父に顔を向けた。
「具合はどう?」
ヴァイロンは上体を枕に預けて座っていた。顔や腕の包帯はまだ取れていない。片手で姪を手招くと、書記官は満足げに頷いた。
「よく似合うよ、テス」
「…ありがとう」
叔父に毒づく気持ちはなかったが、つい溜め息が漏れた。
「祝いの日なのに浮かない顔だね」
「自分の竜舎が持ちたくて頑張ってきたのに、会ったこともないおばあさんに似てるだけで有り難がられるとこで暮らすのかと思って…」
「諦めるなんて君らしくないな」
ヴァイロンは意外そうだった。
「私の知っているテッサリアなら、ここで竜舎を作る計画ぐらい立てそうなのに」
「竜舎を?」
テスは大きな灰色の目を瞠った。そして戴冠式に翼竜で帝都を訪れる者が急増しているとイオシフが言っていたことを思い出した。
「親方なら戴冠式特需で特別料金取ってそうだけど」
ヴァイロンとバシルは揃って笑い声をたてた。
高名な元大学教授は周囲の本を見回した。
「君から聞かされた月の竜の話を裏付ける記録がないか探しているんだよ。書記官にも手伝ってもらってね」
「先生は、あの呑兵衛の言うことを信じるの?」
「あまり愉快なことではないがね。我々の歴史が月の支配者もどきに操られていたなど。ただ、月の竜の記録が最も多いこの国に竜学舎が作られたことは、何らかの理由があるように思えるんだよ」
「学舎長が聞きつけたらどうしよう……」
さすがにセルギオスに話す気になれず、テスはバシルとヴァイロンのみにセレニウスのことを打ち明けていた。
「その時は竜に倣ってクリマ酒で酔い潰すかな」
茶目っ気たっぷりに片目をつむる老教授は、手がかりを探す意欲に満ちていた。
好奇心旺盛な彼は、しばらくあちこちの塔の者を悩ませるだろう。テスは記録よりも竜の行動で判断したいと漠然と考えていた。
「竜祀院様」
彼女を呼びに来た学員が出立を告げた。二人に別れを告げると、少女は病室を出て行った。枕にもたれるヴァイロンに、老教授が尋ねた。
「陛下の誘拐に関わった山岳民族から事情聴取した警備隊から報告が来たよ、君たちの落石事故を請け負った部族が別にいるが、その後消息が知れないとか。心配かね?」
療養中の書記官は薄く笑うだけだった。
竜学舎の上空に黒雲が立ちこめたかと思うと、巨大な竜が庭園に降り立った。学員達が感嘆の目を向ける中、セレニウスは正装の少女を乗せて帝都へと飛び立った。
『静かだな』
無言の少女に竜がからかうように言った。テスはこれまでのことを振り返っていた。
――何でこうなったのか分かんないくらい、色々ありすぎて。
『疲れが出てきたんだろ。今日の本番でヘマやらないことだけ考えとけよ』
いつものようにからかいの言葉をかけ、月の竜は地上での代弁者を帝都オウレンシアへと運んだ。
帝都郊外で待ち構える竜騎兵連隊に竜祀院を届けると、セレニウスは空へと消えていった。
「さあ、馬車に乗ってくれ」
そこには竜騎兵の美々しい礼装のテオドシウスとスタファノスがいた。彼らはテスを乗せた馬車を警護して隊列を組んだ。一行は帝都に入り、祭りのように賑わう都の大通りを抜けて煌宮へと到着した。
国内の貴族、有力者、国外からの来賓が宮殿に集まるのは国葬の時以来だった。その時と明らかに違うのは、全ての人々が慶事に笑顔を見せていることだ。
煌宮は赤大理石に黒と紫と金が加わった装飾に溢れ、帝国上げての一大行事を彩った。
宮殿に劣らず豪華なのは戴冠式に参列する顔ぶれだった。西方列強はすべて祝賀の使者を送り、王族、それに次ぐ大貴族が天球の間に並んでいる。西部国境で衝突があったリーリオニアは、やや格の落ちる使者を寄越していた。
中央に玉座が設えられた天球の間は、本日の主役である新皇帝の登場を待ちわびていた。
正装した若い竜祀院と更に若い皇帝は、互いの顔に『似合わない』という率直すぎる感想を見てとった。白と銀の衣装はテスを妙にしゃちほこばらせているし、大礼服に掛けた毛皮の縁取り付きの赤いマントは、痩せた少年にはやたらと重たげだった。
「……お世辞言うべき?」
「無用だ」
一応の確認に、うんざりした声で少年皇帝は答えた。おそらく、この控えの間でさんざん賞賛されてきたのだろうとテスは考えた。忠実なディグニス将軍は入り口付近に佇み、子供達を見守っている。
式典開始にはもう少しあるようだ。ためらった後で、これまで言えずにいたことをテスは新皇帝に打ち明けた。
「…あの、女帝陛下の馬車はあたしが見つけたの。酷いケガで少ししか話せなかったけど、あたしの手を掴んだ。とても強い力で。多分、おばあさんと見間違えて『アークをお願い』って。それが最期の言葉。これって陛下の事よね」
アーケイディウスは言葉もなく若い竜祀院を見つめ、彼のこれまでの十三年間をかみしめるように目を閉じた。沈黙する皇帝にテスは怪訝そうに呼びかけた。
「……陛下?」
「『アーク』だ。そう呼べ」
それだけ言うと、少年皇帝は式典長に呼ばれて行った。立ち尽くし彼を見送るテスに、ディグニスがそっと教えた。
「その名は、亡き女帝陛下と母君のみが呼んでおられた」
「あたしが呼んでいいの?」
「呼ぶ者がいなくなるよりはずっといいことだ。竜祀院殿」
老将軍の目には、微かに光る物があった。テスは頷いた。
やがて学舎長が彼女を呼んだ。少女は将軍と共に天球の間に進んだ。
広大な天球の間は人で埋め尽くされていた。最も高い場所に置かれた玉座にアーケイディウスは座り、テスは大司教たち教会の関係者の隣に立った。宝珠と王錫を持つ新皇帝に大司教が宝石がきらめく宝冠を授け、祈りの言葉を唱えながら聖光輪杖を振った。
次にテスが竜仗を手に彼の前に立った。教えられたとおりに一礼し、巨大な丸天井に向けて杖を掲げる。
――セレニウス!
次の瞬間、呼びかけに応じて月の竜が天井をとり囲むように出現した。少女の目に金色の光が浮かぶ。
「『即位の言祝ぎを。アーケイディウス一世』」
テスの口を借りて月の竜が祝福した。
「『月の竜セレニウス、そして竜祀院と竜学舎は陛下を支持し尽力すること誓約する。良き治世のために』」
長大な胴体がうごめき、竜は姿を消した。同時に帝都の人々は我先に煌宮を指さした。
「月の竜だ! 即位を祝いに降りたんだ!」
煌宮の丸屋根から宮殿を見下ろした竜は、戴冠式を祝う人々が見上げる中を空へと飛んでいった。
どうにかよろけることなく我に返ったテスは、やっと戴冠式に集ったお歴々を見回す余裕が出てきた。最前列には宰相を始めとした大臣級と軍の幹部達。そして主立った貴族達が身分の序列に従って並んでいる。他には主要な街や港、産業の代表者達。外国からの来賓。
覚えのある顔が中にあった。森林監督官と並ぶ父タネクだ。
――父さん……!
彼宛てに出した手紙に返信はなく、戴冠式に関しても何の連絡もなかったことからテスは修復関係を諦めかけていたとろだ。
驚き見つめる若い竜祀院と視線が絡むと、メイネスの森人の頭領は静かに目礼した。
彼の隣で森林監督官がそっと囁いた。
「娘御はご立派に役目を果たされたな。さぞ誇らしかろう」
タネクは無言で小さく頷くのみだった。
大きく呼吸をして、テスは動悸を鎮めようとした。宝冠を戴き王錫と宝珠を手にしたアーケイディウスは落ち着いて祝典の儀式を進めている。彼を見るうち、ここにいない人のことが気になってきた。
――このままおとなしくしてくれるとも思えないけど。
その予測を裏付けるように、皇帝の血を引く貴婦人は帝都を遙かに見渡す峠に立っていた。祝砲と花火が打ち上げられる光景に唇をかみしめ、空に飛ぶ竜に呪いの言葉を吐く。
「必ず正体を暴いて、あの子供と一緒に消してやる」
馬車の側で彼女を待っていたタダイオスは、ソフィアに手を差し伸べた。まだ終わりではないと、二人は決意を新たにしながら帝都を後にした。
帝都から遠く離れたエオス山脈に竜は来ていた。
『さて、どうやって月からの歴史干渉を遮断するか……』
その鉤爪には煌宮の酒蔵からくすねてきた樽があった。大きな口にくわえて一気に飲み干し、竜は満足げに尾を揺らめかせた。
『ま、ぼちぼちやってくか』
野生の翼竜が彼の周囲を飛び交った。岩山に身体を巻き付けるようにして、セレニウスは天空の銀月を見上げた。
次回から第二部です。他の連載もあるのでぼちぼちやっていきます。




