50 奪還③
休憩地の洞窟への乱入者に、火を囲んでいた男達はナイフを手に身構えた。それがテラノの乗り手と分かると、彼らはやれやれと腰を下ろした。
「脅かすなよ、旦那方。そいつは?」
引きずるようにして連れてこられた運び屋の風体の少女に、男達は困惑気味だった。
「こんな金になりそうにないガキ、どうするんで?」
「とにかく逃げないように見張ってろ」
テスをアーケイディウスの隣に突き飛ばすようにして、男達は出て行った。彼らに向けてテスが言った。
「あのテラノ、こんな北部の冬期に無理させたら生きて帰れなくなるよ、分かってんの?」
一瞬足を止めたが、男達は何も言わずに立ち去った。腹立たしげに座り込むテスに、呆れたようにアーケイディウスが呟いた。
「どこでも厄介な所に居合わせる奴だな」
「誰のせいだと思ってんの。でも、竜笛吹いてくれたおかげでここが分かった」
よくやったと言いたげな彼女に、少年は視線を逸らせた。
「お前のプテロは?」
「ビーチャなら逃げるように言ったから、この近くで待機してるはず。風ツバメも飛ばしたし、テオ達が間に合うといいけど」
「さっき、あの者達に何を言った?」
問われてテスは忌々しそうに顔をしかめた。
「あいつらのテラノ、飛んだ直後なのに震えてた。寒くて体力が落ちたから。あのままじゃ死んじゃうかも」
そう言った後で、テスは少年が夜着のままなのに気づいた。外套を脱ぐと急いで彼の肩に掛け、手を取った。
「大丈夫? 熱はないみたい」
迷惑そうに手を振り払い、大人物の外套に鼻をうずめてアーケイディウスは呟いた。
「…馬臭い」
「言うと思った」
しばらく沈黙した後で、テスは唸った。
「あのバカ竜、何で答えないのよ。酒蔵に寄り道してたら首絞めてやる」
怒る彼女の隣で、それは物理的に可能なのだろうかと少年は考えた。
黒い竜雲をまとい、セレニウスは少女の報告を待った。
『遅ぇな、お嬢。無茶してなきゃいいんだが…』
暇そうに揺らめく髭を眺めていた時、周囲の雲が異変を告げた。次の瞬間、竜雲は吹き飛ばされ消滅した。衝撃波の直撃をかろうじて回避したセレニウスは、視界を塞ぐ霧の中にいた。その中に大きな影がある。翼を持つ大蛇を象る影が。
『ケツァルコアトル……期待を裏切らねえ奴だな』
ぼやく竜に、霧に潜む影が呼びかけた。
『何故禁忌の場所に立ち入った?』
『ああ、悪ぃ。やるなと言われたらやりたくなる性分で』
『ふざけるな!』
再度襲ってきた衝撃波を完全に回避できず、セレニウスは視界と平衡感覚の異常を察知した。不具合箇所を遮断し墜落は免れたが、復旧を優先させたため感覚器官が一時的に低下した。彼をあざ笑うようにケツァルコアトルは告げた。
『あの方に従わないつもりなら、東に誕生した新たな王が、お前の皇帝の国を食い潰す。楽しみにしていろ』
唐突に霧は消滅し、何もない空だけが残った。
内心で舌打ちしながら、とりあえず最低限の機能を維持してセレニウスは早急の自己回復に務めた。
『野郎、剣から火器に移行する時代にアッティラでも作り出す気か?』
月の竜は気がかりそうに眼下に広がる山岳地帯を見下ろした。
身体ががくりとして初めて、テスは自分がうとうとしていたことに気がついた。隣を見るとアーケイディウスは身動きもせずに焚き火と男達を見つめている。
「…どのくらい経ったのかな」
「ここにきて二日と半日だ」
解答を期待しなかった呟きに、意外なほど明確な答えがもたらされた。
「何で分かるの」
「長い間、外も見えない場所で時間を過ごした」
皇太子宮のことだろうかとテスは考えた。ベニゼロス城でテオやファノから彼の生活を聞かされたことがある。少年は淡々と語った。
「余が生まれる前に父上が亡くなり、母上は暗殺されたと信じ込んだ。それ以来病的に他人を恐れ、皇太子宮の自室から出ることさえ許されなかった。母上はずっと国に帰りたいと言い続けていた。余がいなければ帰れたのにと」
テスは息を呑んだ。彼の母親だった皇太子妃のことはほとんど知らない。隣国から嫁いできたことくらいだ。長い病で宮廷にさえ姿を見せないまま亡くなったという噂だった。
「変わらず側にいたのは守り役のディグニスくらいだ」
「味方ならもっといるでしょ、テオにファノ、バシル先生に、あたしとセレニウス」
思わずアーケイディウスは隣の少女を凝視した。テスの方は、何を当然のことをと言いたげだ。男達の方は、人質よりよほど切羽詰まった様子だった。
「何で奴は何も言ってこねえんだよ、このガキを押しつけたままで」
「約束の報酬は? 金は本当に貰えるんだろうな」
酒でも入っているのか、わめく彼らが二人を指さした。そこに新たな人物が参入した。
「ガタガタ言ってないで、ちゃんと見張っててよ。こいつらを引き渡さないと金は貰えないんだから」
若い女性だった。焚き火に照らされた顔を見て、テスは思わず叫んだ。
「モナ!?」
皇太子宮で焼け死んだ侍女と同じ顔だった。だが、少女に向けた目は見たことのない憎悪に満ちていた。
「…でもそんなはず……じゃ、お姉さん? 水上離宮で侍女やってた」
テスの前に来た女は、少女の顎を掴んだ。
「覚えていただけましたのね、竜祀院様」
そして、無言で見つめるアーケイディウスに馬鹿丁寧にお辞儀をした。
「これは皇太子殿下、むさ苦しい場所においでくださり光栄です」
その言葉に仰天したのは男達の方だった。
「皇太子ィ?」
「リナ、こいつは金持ち貴族のボンボンだって言ってただろ!」
「どうすんだよ、金取ってすむのかよ」
明らかな動揺を見せる彼らを前に、テスは考えた。これは転機だ。誘拐犯達は獲物の正体が大物過ぎて恐慌状態にある。何とかテラノの男達への不信感を植え付けられたら…。
男達の醜態を前に、呆れ半分にアーケイディウスは呟いた。
「大した連帯感だな」
「うるさい! あたしの妹を焼き殺したくせに!!」
リナは少年の胸ぐらを掴んだ。眼鏡越しに憎悪がたぎるような目を見据え、アーケイディウスは言った。
「あの侍女の死因はナイフの刺し傷だと検分の者が証言した。それに奴らが焼き殺す予定だったのは余の方だ。たとえ成功していても、おまえの妹は口封じで殺されていただろう。叔母上はその辺抜かりないからな」
無言でリナは皇太子を突き飛ばした。少年の身体を受け止めたテスは、彼の左小指が神経質に痙攣するのを見た。その手を握り、少女は力づけるように囁いた。
「ハッタリかますよ、いつもどおり横柄にしてて」
そして、テスは男達に言った。
「いい加減、現実見たら? あんた達は次期皇帝を誘拐して竜祀院まで監禁してるって」
「こっちのガキは竜祀院? 本当かよ、リナ」
「だったらどうだってのよ。やってしまったからには引き返せないんだからね」
「そうとも限らないんだけど」
彼らの興奮したやりとりにテスは割って入った。大きな灰色の目ですくい上げるように睨み上げる。ただでさえ目つきが悪いと言われる顔でやれば結構な迫力になるのを狙ってのことだ。
「よく考えなよ。あんたたちは皇太子殿下が邪魔な奴らに乗せられて、身元も知らずに誘拐の片棒を担いだだけ。でも、端から見れば大逆罪級の犯罪しでかしたんだって」
その隣で、アーケイディウスが尊大に頷いた。
「このような重大犯罪にその方らのような山賊まがいの者を加えた理由が分からないか? いつでも切り捨てられるからだ。煌宮で焼け死んだ侍女のようにな」
リナが皇太子に詰め寄ろうとした。それをテスが片手で阻止した。
「モナはいい子だった。あたしに余裕があったら、何に悩んでるのか怯えてるのか聞き出して止められたかもしれない。それは悔やんでる。あんたは? 妹があんな危険な真似させられたの全然知らなかった?」
リナの顔が次第に下を向き始めた。あとひと押しと、テスは言い募った。
「これを計画した奴らが、どう思ってるか考えた? 消したい人間と、事情知ってる邪魔な奴らがまとめて誰も知らないとこにいる。何をしようと分かりっこない。あとで死体を見つけて大罪人を退治した、助け出す前に皇太子殿下は殺されてましたで全部終わり」
男達がざわついた。
「冗談じゃねえぞ! 俺たちを騙してこいつを押しつけて、まとめて消そうってのか?」
「どうする? このままじゃ…」
「そう言っても、このガキどもほっとくのか? それとも…」
男達の思考がキナ臭くなってきたようだ。テスは内心、呼びかけに応じない竜を罵りまくった。
――どこにいるの、あのバカ竜!
『ヤボ用だったんだよ、お嬢』
頭の中でとぼけた声が響いた。同時に少女は立ち上がった。




