5 飛び込みの仕事③
空中でテスは空と山と交互に目をやり、自分の位置を常に把握することを怠らなかった。夜間飛行における心得だ。平衡感覚を失調したりすれば山肌に衝突するか着地点を見失うか、いずれにしても自分だけでなくプテロの命まで危険にさらすことになる。
山の形をさっき見た地図と頭の中で照合させ、道が通る箇所の見当をつける。竜笛を吹いてビーチャに観測の指示を与えると、翼を持つ相棒は素直に従った。
――動く物は見えない。馬車が夜にこんな山道をとばすわけないけど……。
プテロが旋回した時、谷の方で何かが光った気がした。テスは翼竜に降下の合図を送った。音もなく一人と一頭は高度を下げていった。目的地は崖下の谷間だ。
翼竜から降りると背嚢から取りだした松明に着火石で火を付ける。周囲の谷がぼんやりと見渡せたが、人の気配はなかった。やがて、テスは落石が不自然に多い箇所があるのに気付いた。
側に行くと、足が硬い物に当たった。
「……これ、馬車の…」
車軸が壊れ、馬車から外れた車輪が転がっていたのだ。松明をかざして見ると、車輪に残る車軸の破損部は摩耗していなかった。
関連したものを探すうち、何かぬるぬるするものに足を取られた。かろうじて体勢を立て直し、松明をかざした先に倒れた馬がいた。腹から大量の血を流し、首はあり得ない方向にねじれている。馬はぴくりとも動かなかった。思わず身震いし、自分を励ますようにテスは呼びかけた。
「誰かいる?」
声が微かにこだまするばかりだった。その時、彼女の翼竜が驚いたように鳴いた。
「ビーチャ?」
翼竜の方に急ぐと、無惨にひしゃげた馬車が見えてきた。ごく小さなうめき声を耳にし、テスは松明を置くと残骸にもぐり込むようにして話しかけた。
「大丈夫? ケガは酷い?」
薄い光に、中の人物は反応した。目を開けテスを見たのは老婦人だった。
「がんばって。すぐに助けが来るから」
捜索隊に合図を送ろうとした少女の手を、思いがけないほどの力で老女が握った。
「……あなたなの…?」
驚き固まるテスに、彼女は絞り出すように言った。
「……あの子を、アークをお願い…」
骨張っているが豪華な指輪がはめられた手がテスの皺一つない手を痛いほど掴んだ。不意にその手は力を失い、言葉は途絶えた。
「ねえ、何か言って! 眠っちゃだめ!!」
呼びかけにも答えない様子に一刻を争うと判断し、テスは外に出て着火石を取り出すと、叔父が持たせてくれた合図の光弾に点火した。空に向けて光の玉が飛んでいく。うまく発射できたことに安堵し、彼女はプテロに言った。
「ビーチャ、獣が近寄らないように見張ってて」
再度馬車の残骸に入り、重傷の老婦人に呼び掛けたが反応はなかった。じりじりする思いで応援を待っていると、ようやく探索の声がした。
「こっち! ここにいる!」
松明を振り、テスは捜索隊を迎えた。命綱一本でするすると谷を降りてくるのに感心し、彼らが大破した馬車から謎の婦人を救出するのを見守った。
「この谷から引き上げるならビーチャで運んだ方が早い。棒と布で担架を作って、綱で固定すれば…」
翼竜使いの少女が説明すると、彼らも賛同した。急ごしらえの担架をプテロの革具に固定し、テスは相棒にまたがった。
「飛ぶよ、ビーチャ。静かに最短距離でいくからね」
了解とばかりに翼を広げ前傾姿勢をとると、翼竜は谷から飛び立った。頬に受ける風から上昇気流を読むと、テスは相棒を誘導した。
運び屋と瀕死の怪我人を乗せたプテロは苦もなく山を越え、合流地点を求めて旋回した。
祈るように彼らを見上げる捜索隊とは別の者が、翼竜の動きを報告していた。
「奴ら、運び屋の手を借りたらしい。間に合わないと思うが念のために監視しろ」
山陰に隠れて移動する影に、捜索隊は気づかなかった。
竜学舎との合流地点に向かう途中、翼竜より遙かに小さなものが飛び交うのが見えた。連絡文書を運ぶ鳥――夜目の利く風ツバメだ。
「伝令? 何羽もいる」
馬車の発見を知らせているのだろうかと考えるうちに視界の隅に合図の松明が見えた。翼竜使いの少女はビーチャを降下させ、松明の輪の中に彼らは着地した。翼竜が翼をたたみ終えるより先に、白い服の一団が殺到してきた。革具に固定された担架がそっと外され、横たわる老婦人に長老格の学員が呼び掛けた。
「陛下、エストレーリア様!」
テスは呆然とした。彼が口にしたのはザハリアス帝国に君臨する女帝の名だった。白服の一人が彼女の手首の脈を取り、呼吸を確認し、うなだれながら首を振った。
「……何ということだ…」
竜学舎の人々が地面に膝をついて泣き始めた。いつの間にか側にいた叔父に、テスは詰問した。
「叔父様、あの人、まさか……」
ヴァイロンは懸命に感情を押し殺そうとしていた。
「そうだよ。我がザハリアス帝国皇帝、エストレーリア二世陛下だ」
それでは、自分は女帝の臨終に立ち会ったことになる。強大な帝国の支配者が最後に見せた表情、子供相手に縋り付くように掴んだ手。それらを思い出し、テスは言いようのない感覚に囚われた。
「……え? ちょっと待って、じゃ、女帝陛下が死んじゃった…ってこと?」
口にした事実があまりに重く、テスは膝が震えるのを感じた。ヴァイロンは姪の肩を押しやるようにして他の者に聞かれない場所に移動した。
「陛下が焦っておられることは知っていた」
「焦る? 何を?」
エストレーリア二世の治世は三十年に及ぶ。幾度もの内乱や対外戦争に勝利を収め、帝国の繁栄を盤石のものにした名君だったはずだ。
「内密にしていたことだが、陛下は病を抱えていた。それも不治の」
先が長くないことを悟った女帝がとった行動が、無謀な山道の夜間強行軍だったらしい。
「それでどうしてこんな所に来たの? 宮廷で遺言状でも書いてた方が…」
「陛下の最も大きな心残りのためだよ、テッサリア」
何不自由ないはずの女帝の心残りと言われ、テスは街で小耳に挟んだことを思い出した。
「もしかして、皇太子殿下のこと?」
叔父は頷いた。
「アーケイディウス殿下はまだ十三歳。前皇太子だった父君も妃殿下の母君も亡くなられ、祖母の女帝陛下のみが残された肉親だった」
運び屋をやっていればよく聞くお家騒動だ。絶対的な家の主が急死し、幼い跡取りが残される。すぐに分け前を求めて親戚が殺到し、財産を残らず掠め取って子供は路頭に迷う。
それが帝国の玉座を巡る争いとなれば、敗者は追い出されるだけですむかどうか。
「叔父様、女帝陛下は何のためにこんな山の中まで来たの? ここに何があるの?」
彼が答える前に、竜学舎の長老各が書記官を呼んだ。風ツバメの伝文を手にしている。
「ヴァイロン、陛下の馬車から地図が見つかったぞ。こうなった以上は我々で例の場所を見つけ出さねば」
謎めいた言葉に彼は真剣に頷いた。そして不安そうに見守る姪を手招いた。
「すまないが、もう一仕事頼みたい」