46 帰郷①
竜の飛行速度が鳥や翼竜の比でないことを、テスは改めて思い知った。
「下に見えるの、もしかしてメイネス?」
『そうだ、北方森林地帯だな』
竜学舎の山脈からは、翼竜でも二日はかかる距離だ。しかもほとんど雲の上という信じられない高度で竜は飛行してきたのだ。雲間から故郷を眼下にして、少女はある不安を抱いた。
「家がどうなってるか見てくるから近くで降りて。すぐ戻る」
『分かった』
竜は高度を下げ、器用に森の木々に隠れるように着地した。テスは相棒の鞍にまたがり、竜笛を吹いた。
「飛んで、ビーチャ」
プテロは翼を広げ、森から飛び立った。
久しぶりに見るメイネスの館は、外観は変化なさそうだった。少し離れた崖に翼竜を降ろすと、テスは裏手から生家に近づいた。北方大森林地帯は急激に寒さが増す時期で、森人達が越冬準備に余念なく働いていた。
そっと厩舎に近づき、掛けていた作業用の外套を着込み飛行服を隠した。薪の束を抱えると、テスは裏口から三年ぶりの我が家に入っていった。台所で忙しく支度をする者たちは彼女に気づかなかった。用を聞きに行く振りをして、テスは居間の扉を少し開いた。
記憶と変わらない部屋に、妹アナの金髪と継母カシアの栗色の髪が見えた。先に侵入者に気づいたのは妹だった。
「テス!」
素早く扉を閉め、テスはアナに静かにするよう唇の前で指を立てて見せた。すぐにアナは頷き、部屋のカーテンを閉めた。
「どうしたの、テッサリア」
継母のカシアは椅子に座ったままこちらを振り向いた。ややふっくらした体型から、お腹の子供は順調なのだろうとテスは推測した。
「いきなりごめん、ちょっと面倒ごとが起きたから、こっちに迷惑掛けてないかと思って。父さんと兄さんは巡察?」
「うん、しばらく越冬準備を視てくるって」
まだ父親に会う準備ができていなかったテスは少なからずほっとした。しばらくためらってから、彼女は妹と継母に尋ねた。
「竜学舎で父さんのお母さんが女帝陛下の時の竜祀院だって知ってびっくりして。アナやカシア母さんは知ってた?」
アナは青い瞳を丸くした。カシアはゆっくりと頷いた。
「ベレニスのことは当時有名だったって父や叔父から聞かされてたから」
「じゃあ、おばあさんはおじいさんや父さんを置いて竜学舎に行ったの?」
アナに訊かれてテスは頭を掻いた。
「肖像画見たらあたしによく似てた。何となく、父さんの当たりがきついのが想像付いたっていうか…」
「そんなの、八つ当たりじゃない」
可愛い顔をしかめる妹に、テスは苦笑した。
「置いてかれたらやっぱり捨てられたと思うかなあ。おばあさんは許してもらえない覚悟で竜学舎に入ったみたいだけど」
三十年以上前の事情は、少女二人の手に余った。カシアは義理の娘達に手を伸ばした。
「テス、アナ。タネク…お父さんが時々酷く不安そうになるのをあたしは見てきたわ。まるで今の家族が突然消えてなくなるんじゃないかと思ってるような顔をするのを」
妊娠中の継母は気まずそうな顔をするテスに言った。
「あんたに難癖付けといて、出て行かれて傷つくなんて、馬鹿よね」
姉妹は顔を見合わせて笑った。そしてテスは心配そうにカシアに尋ねた。
「父さんはあんな人だけど、大丈夫?」
きょとんとした後で、継母は声を上げて笑い出した。
「真剣な顔で何を言うかと思ったら、この子は」
涙を拭い、彼女は義理の娘の手を軽く叩いた。
「それもお父さんの一面だけどね、それだけじゃないのよ。あんた達のお母さんだって、お父さんのことを好いてたでしょ?」
しばらく考えてからテスは頷いた。母マグデイレから父に関する不満を聞いたことがなかったのを思い出したからだ。カシアは朗らかに付け加えた。
「それに、赤ん坊が生まれたらあの人もそれどころじゃなくなるわよ」
アナが目を輝かせた。
「テスがとっても綺麗なレースと刺繍の入った布を見つけてくれたの。産着を縫うのが楽しみなくらい」
カシアが満面に笑みを浮かべた時、使用人が廊下から呼びかけた。
「すいません、今、銃兵隊の奴が」
素早く姉に視線を送り、アナが飛びつくようにして扉を少し開けた。テスは帽子を被り直して暖炉に向かい、いかにも薪を補充しているような格好をした。
「銃兵って、何しに来たの?」
「それが…テス嬢さんが来てないかって」
「姉さんなら竜学舎でしょ。何でここを探すの?」
答える間に、騒々しい足音が近づいてきた。拍車の音もする。やがて制止する使用人を振り切るようにして扉が大きく開け放たれた。
彼らが何かを詰問するより先に立ちはだかったのはアナだった。
「何の用?」
不機嫌全開の美少女に、さしもの銃兵も勝手が違うようだった。
「ここに竜祀院が潜伏していないか確認に来ただけだ」
「潜伏? テス姉さんなら竜学舎でしょ? ここはメイネスよ」
「その竜学舎から逃走した。本当に来ていないのか?」
「聞いてないわよ、そんなの」
憤慨したようにアナは言うと、薪を抱えるテスに向けていった。
「それはあっちに持っていって」
隣の部屋に行こうとしたテスに、銃兵が呼びかけた。
「おい、そこの…」
その途端、カシアがお腹を抱えて叫んだ。
「痛いっ!!」
「カシア母さん、大丈夫?」
すかさずアナが駆け寄り、銃兵に怒鳴り散らす。
「ちょっと、出てってよ! お腹の赤ちゃんに何かあったらどうしてくれるの!?」
それからは叫び声と罵りが招かれざる訪問者に交互に浴びせられ、銃兵達をたじたじにさせた。アナは振り向き、薪を持つテスに怒鳴った。
「何やってるの、早くお医者さん呼んできて!」
妹と継母はそれぞれ後ろに片手を回し、逃げろと合図を送ってきた。テスは首をすくめていかにも嫌そうにテラスから外に出た。厩舎に来て銃兵がいないのを確認すると、彼女は薪を放り出した。荷馬車の用意をしていた出入りの行商を捕まえる。
「奥さんが急病で医者を呼べって」
大急ぎで荷馬車が出発した。家の中からは、なおも怒鳴り声が響いてきた。特に止められることもなく麓に来ると、テスは荷馬車から降りた。
「あっちに馬がいたから見てみる、先に行っててくれ」
なるべく低い声で少年を装い、テスは森の中に入った。小川の流れる開けたところに出ると、竜笛を吹いた。すぐにプテロの羽ばたきが聞こえてきた。ビーチャに乗り、テスはメイネスの森から逃走した。




