4 飛び込みの仕事②
「ねえ、その髪、もう伸ばさないの?」
短く刈り込んだ灰色の髪に触れてアナが残念そうに言った。テスは笑った。
「だって楽なんだもん。飛ぶ時は帽子かぶるから、すぐに汗だくになるし」
「あのふわふわの髪、好きだったのに…」
幼少期の妹に添い寝すると、必ず自分のもつれ髪に埋まるようにして寝たものだと、運び屋になった少女は懐しく思い出した。
彼女達が語り合う間にも、着場には越冬の荷物を運ぶプテロや引き取りに来た馬や橇が幾度も行き来した。
やがて、アナが乗ってきた橇も荷物の積み込みを終えて戻る時刻になった。
「またね、テス。今度近くに来る時は必ず教えてよ」
「うん、元気で。カシア母さんや兄さんによろしく。……父さんにも」
妹に睨まれて、テスはやや不自然に付け加えた。仕方ないなとアナは笑った。
「さよなら、テス。キリルも」
鈴の音を立てて橇が着場から去っていった。テスはふと荷運びの相方を振り向いた。客との雑談が好きなはずの少年が、妙に静かなままだった。
「どうかした? アナとろくに話もしないで。あの子のこと知ってるでしょ?」
「……う、うん…」
彼の紅潮した頬を見て、ははあ、とテスは意地悪くニヤついた。
「ま、この前会った時よりずっと大きくなったし、何より綺麗になったからなー」
「別に、そんなんじゃ…」
必死で否定する少年に、少女は容赦なく続けた。
「あの子は父さんの秘蔵っ子だから、今からきっと結婚相手を厳選してるよ。最低でも森林監督官級かもね」
一介の運び屋には太刀打ちできない相手だ。苦悩する仲間に人の悪い笑顔を浮かべていたテスは、他と違うプテロが飛んでくるのに気付いた。速度がかなり速く、その代わりに荷袋を下げていない。革帯の印を識別して、少女は怪訝そうに呟いた。
「あれ、うちの竜舎よね。何で空なの?」
「ほんとだ。何だろ?」
キリルも不思議そうに新たな到着者を見上げた。翼竜は最短経路で降下し、狭い場所に苦もなく降り立った。
「ニズロ、何かあった?」
イオシフ竜舎の仲間にテスが呼び掛けると、運び屋はプテロから降りる手間も惜しんで告げた。
「間に合って良かった。テス、緊急の依頼だ」
「どこ?」
飛び込みの荷物は珍しくない。陸路では間に合わない物を急いで届けなければならない状況はどこでも起こりうる。だが、年長の運び屋は固い表情を変えなかった。
「アルクト山地。かなり訳ありらしい。とにかく早く来てくれって竜舎連絡網の風ツバメまで使っての依頼だとよ」
「分かった。他には誰が?」
「お前一人だ」
テスは意外そうな顔をした。緊急の荷運びなら、翼竜も人も複数用意するのが通常だ。
「変な物を運ばせる気じゃねえのか」
キリルが確認した。ニズロは首を振った。
「依頼主は真っ当なとこだ。あの竜学舎だからな」
テスとキリルは顔を見合わせた。竜学舎は月の竜を祀る神殿を兼ねた学究の塔で、険しい山脈に建てられている。教会にも大学にも属さない、謎に満ちた独立機関だ。
ニズロは最後に依頼人の名を教えた。
「依頼人は竜学舎竜の塔の書記官、ヴァイロン・セディアス」
「ヴァイロン叔父様?」
驚くテスに、キリルが尋ねた。
「誰? メイネスの人?」
「死んだ母さんの弟。竜学舎に入ったことは知ってたけど随分会ってないし…」
実母マグデイレはメイネスではなく帝国西部の古い家柄の出身だった。遠方に住む彼女の一族で親しかったのはヴァイロンくらいで、彼でさえ母の葬儀からメイネスを訪れていない。
それがなぜ今、自分を指名してまで飛び込みの仕事を依頼してきたのか、全く見当がつかなかった。
先輩の翼竜使いが声を潜めた。
「親方も胡散臭く思ってるんだ。ただ、あそこがらみの仕事は一度断ると二度ともらえなくなるからな」
テスは頷いた。僻地の大きな塔は翼竜にしか運べない物資が多く、契約を取るために各竜舎が競い合っている状況だ。
「分かった、換えのプテロはいる? ビーチャは泥炭を運んだばかりで疲れてるから」
「こいつを使え」
別の部隊が連れてきていた翼竜をニズロは指さした。急いで鞍と皮帯を付け替え、テスは臨時の相棒に語りかけた。
「よろしくね、サンシャ。ビーチャ、急ぐけどついてきて」
二頭は翼を広げて呼応し、テスはキリルとニズロの助けを借りて鞍に乗った。
「気をつけろよ」
「何かあったらすぐ知らせるんだぞ」
「うん、行ってくる!」
妹との再会の喜びもそこそこに、テスはメイネスの森から飛び立った。
合流地点である帝国北東部のアルクト山地に到達した時には、すっかり日が暮れていた。眼下に合図の松明が見え、テスは心底ほっとしながらプテロたちを降下させた。
四本の松明が囲む地点に二頭は無事着地した。翼竜から降りたテスに一人が歩み寄った。
「テス、大きくなったね」
長い金髪を後ろにまとめ、学舎の白い服を着た人物。テスの叔父にあたるヴァイロンが彼女を迎えた。最後に見た時と何も変わっていない彼に、運び屋となった少女は懐かしそうに答えた。
「久しぶり、叔父様」
「もう立派な翼竜使いだな。小さかった頃は気安く呼んでくれたけど」
少し残念そうに、かつての『ヴァイ叔父さん』は微笑んだ。母マグデイレによく似た表情に、テスは誤魔化し笑いをした。
幼かった頃の呼び方を母方の祖母に聞かれた時、厳しく咎められたのだ。竜学舎の学員には敬意を表せと。驚いた記憶が、祖母のいない時でも彼への呼び方を固定させてしまった。
「イオシフ親方のとこに行くのが急だったから挨拶もしないでごめんなさい。アナに会った? びっくりするくらい母さんそっくりになってるから」
ヴァイロンはどこか遠くのものを懐かしむ目をしていた。違和感を覚えたテスが問いかける前に、別の者が書記官に近寄った。彼はテスを手招いた。
「この地図を見てくれ。今いる山を中心に、峠道を捜索してほしい」
「何があるの?」
自分が呼ばれたのが、ただの荷運びではないことがテスにも薄々分かってきた。
「人を探している。馬車でここまで来たことは分かっているが、我々との合流を待たずに出発して、居所が分からない。学舎の捜索隊を周辺に派遣しているんだが」
ならば辺境駐屯部隊に要請するのが筋だろうと少女は思った。
――それができない訳ありなんだ。
自分が呼ばれたのはヴァイロンの身内で、この件を口外しないことが求められている。そうテスは察した。渡された地図を広げ、一帯の地形と山道の形、星の位置を頭に叩き込んだ。ひとたび飛び上がればのんびり地図を見ることなどできない。どれだけ短時間で正確な飛行経路を頭に描けるかが運び屋の真骨頂だ。
彼女は空を見上げた。銀月が満ちて小月も膨らんでいる。馬車がまともに走っているなら走行灯を見つけやすいだろう。軽く頷きテスはサンシャを学舎の者に預けると竜笛でビーチャを呼んだ。
「もう少し頑張ってね。これがすんだらゆっくり休めるから」
首を撫でてやりながら囁きかけ、運び屋の少女は翼竜にまたがった。翼を広げ、数度羽ばたくとビーチャは地面を蹴った。上昇気流を捉え、プテロはゆっくりと旋回し山へ向かった。手を振る叔父の姿が見る間に小さくなっていく。