34 幽閉の城①
山脈の谷底を縫うようにして、竜は飛んでいた。
おそらく数万年昔に氷河が削り取った崖に挟まれた隘路も苦にせず、長大な胴体が泳ぐように谷を進む。
『お嬢は怒ってるだろうな』
これまで何度もテスからの呼びかけを無視してきた。少女の怒鳴る表情と声を思い出し、セレニウスは内心苦笑した。
『だからって、あいつを巻き込むのは得策じゃねえし』
ある箇所で竜は動きを止めた。遙か上から大量の水が落下する滝の前だ。竜は自分の中で強力に反応する感覚に囚われた。
『ここか……』
滝の裏側に意識を集中する。確かに向こうに何かが隠されている。だが、竜はそれに触れることは出来なかった。
『遠隔操作は受け付けねえか。この警戒ぶりは当たりかな』
失敗は許されない。二百年を費やした計画なのだから。
『短期決戦で行かねえと、余計な奴を呼び込んじまうし』
決意したように、セレニウスは滝めがけて突進した。谷底に異様な金属音がこだまし、発光現象が沸き起こった。
彼の頭の中に様々な映像が浮かんで消えた。それは遙か昔、まだこの姿をしていなかった頃までに遡るものだった。
『何のつもりだ! 一世紀を経過したロストコロニーへの干渉は憲章違反だぞ!』
ルナベースで主任に詰め寄る自分がいた。目の前に座る男の目には狂気じみた光があった。
『これほど理想的な実験場があるか? 地上の歴史をどう転がしていくのも我々次第だ』
『神様にでもなったつもりかよ。今すぐやめないと……』
言葉は衝撃で霧散した。意識が遠のく中、止めなければという思いが最後だった。
この状況を変えようと何度試みてもその都度強制的に引き戻され、縛り付けられた。
『さすがに二百年も失敗してりゃ、少しは進歩するさ』
岩の壁に鉤爪を突き立て、竜は内部の装置に介入しようとした。爪の先から流れ込む情報を分析し、独立するためのコードを探し求める。
『……もう少し…!』
内部に障壁が作られ、接触が遮断された。
『ちっ』
失敗を悟り、セレニウスは急いで爪を引き剥がした。完全に離脱する寸前に、衝撃が竜の巨体を弾き飛ばした。
直後、谷間は何も無かったかのような静寂を取り戻した。
再度訪れたベニゼロス城でテスを待ち構えていたのは、アーケイディウスの皮肉だった。
「竜祀院は暇なのか?」
そのくらいでは逆上しない程度の耐性を少女は身につけていた。
「陛下の勉学のため、学舎長が特別に貸し出してくれました」
読めるものなら読んでみろとばかりに、運び屋の少女は大きく分厚い書物を荷袋から次々に取り出した。次期皇帝の側にいたバシルは大喜びだった。
「駄目元で頼んだが、よく貸し出してくれたな」
「陛下の名前出してお願いしたから」
テスとバシルは顔を見合わせニヤリと笑った。
「運び屋の交渉術は噂どおりだ」
「値切られたりしたら竜舎の名折れだもの」
意気投合する二人に、少年は不機嫌な声を出した。
「バシル、この前言っていたのはどの本だ」
「こちらです、殿下。あの論文をより発展させたもので…」
談話室の隅に置かれた袋には、竜学舎に返却する本が入っていた。
――これだけの量をたった数日で読んじゃったってこと?
自分より年下の少年は学ぶ意欲は旺盛のようだ。感心しながら、テスはアーケイディウスとバシルのやりとりを眺めた。
やがて、次期皇帝となる少年は彼女がいつになくおとなしいのに気がついた。
「どうした、口先が達者なのが取り柄の運び屋が、妙に静かだな」
いちいち皮肉を言わなければ気が済まないのかと思いつつも、テスは書物が詰まった袋に顔を向けた。
「読書量に感心してただけです、陛下」
黒衣の少年は視線を背けた。
「別に。それしかすることがなかっただけだ」
その言葉は、煌宮での彼を思い起こさせた。皇太子として何不自由なく傅かれながら暗殺に怯え、人を信じず、言葉や物で周囲を傷つけていた少年を。彼は小さな声で言った。
「女帝陛下は余を皇太子に据えた後は興味もなかった。気に入る者ができればいつでも首をすげ替えられる便利な道具だったろう」
「何で? 陛下を即位させるためにあんな危険なことをしたのに? 重い病気だったのに」
「どういうことだ!?」
アーケイディウスはテスの腕を掴んだ。その切羽詰まった表情は、女帝が最後に見せたものと恐ろしいほど似ていた。
言葉を無くす運び屋の少女と少年皇帝を老教授がそっと引き離した。
「殿下、私が竜学舎に赴いたのは本の他に確かめたかったことがあったからです」
「何をだ、バシル」
「探索の塔の救助隊に会って話を聞きました。女帝陛下の馬車の事故の様子を」
テスははっと顔を上げた。暗い谷間で潰れていた馬車の車輪を見た時の違和感。
「車軸が折れてた。鋭い何かで切ったように」
思わず口を突いて出た言葉にアーケイディウスは絶句し、バシルは深く頷いた。
「彼らも同じ事を言っていたよ、テス。加えて落石に不自然なことがあったと。石の大きさが揃いすぎていたとね」
「じゃ、女帝陛下を狙ってわざと…」
「君の叔父上も同意見だったよ。それを恐れたからこそ引き留めたのだともね」
「もしかして、セレニウスを呼び出した谷も?」
「あり得るね」
それならば、自分たちは監視され着けられていたことになる。悪寒が背筋に走るのをテスは感じた。バシルが彼女を落ち着かせるように説明した。
「竜学舎が運び屋に依頼するのは予想外だったかも知れない。竜を降ろす前に君たちを足止めして始末する計画だったとも考えられるよ」
口をつぐんでいたアーケイディウスが意外なことを質問した。
「ヴァイロンは無事なのか?」
「叔父様に会ったことあるの?」
少年は肯定した。
「女帝陛下は竜学舎からの訪問者をいつも歓迎していた」
「前の竜祀院と親しかったって」
メライナから聞いた話を思い出し、テスは年下の少年を見た。自分達が彼女達のような信頼関係を作れるとは到底思えなかった。バシルが子供達の肩に手を置いた。
「ヴァイロン書記官を後見人にしたかったようですね。その代わり、同年代の友人という得がたい人が竜祀院になってくれた」
少年と少女は期せずして同時に互いを見た。誰が友人だと二人の表情はこわばっていた。丸い顔の丸い目をくしゃりとさせて、バシルは笑った。
日帰りの予定だったがビーチャの疲労を考慮して、一晩休ませて翌日に竜学舎に帰ることになった。
テスはほとんど自室同然になった庭に面した部屋で休んだ。
翌朝、陽が昇る前に少女は目覚めた。庭の方から聞き慣れた声がする。窓を開けると、厩舎の隅に入れたはずの翼竜がいた。
「ビーチャ? どうやってここに…」
側にいる小柄な人影で状況が推察できた。少年皇帝が翼竜に乗りたいと望んでいるのだ。
「また飛びたいってこと?」
「悪いか?」
アーケイディウスは既に飛行服に着替えている。テスは溜め息をついた。
「ちょっと待って。飛ぶ前にビーチャに軽く食べさせるから」
彼女は飛行服のズボンをはくと上着を手に厨房に寄った。既に顔なじみの料理人に魚やパンの切れ端をもらうためだ。そこでは何やら深刻な会話があった。
「困るよ、折角の朝市に合わせて用意したのに」
「仕方ないだろ、馬車が故障したんだから」
「市があるの?」
運び屋の少女に尋ねられ、料理人達は理由を話した。
「ここの使用人の棟で作った野菜なんかを自由に売っていいって事になってんだけど、肝心の市の日に馬車が都合着かなくなって」
「葉物野菜と果物…」
置かれた籠の大きさと重量をざっと計算し、テスは提案した。
「ビーチャに運動させるから、ついでに市に運んでくる」
「いいんですか?」
「もちろん、運び賃はもらうけどね」
がめつそうな笑顔を作ると、厨房に笑い声が起こった。
籠を運んで来たテスに、さすがに少年は驚きを隠せなかった。
「何をする気だ?」
「ちょっと計画変更。いつもぐるくる回るだけじゃつまらないでしょ?」
そう説明しながら、手慣れた動作でテスは作物を入れた籠を荷袋に納め、プテロの革帯にくくりつけた。
「これで大丈夫、さ、乗って」
「どこに行く?」
「麓の町の朝市」
出発の合図の竜笛を吹くと、翼竜は飛び立った。ベニゼロス城が遠くなるのをアーケイディウスは振り向いたが、不安そうな顔はしなかった。城のあるフィロマ山から降下していくと、町の大通りに屋台が並んでいるのが空からでも分かった。
外れにある囲い場に馬車やプテロが集まっているのを見つけ、テスはビーチャをそこに降ろした。
「よーし、ここで休んでてね」
荷袋から籠を取り出し、テスは近未来の皇帝に声をかけた。
「そっち持って。店に運ぶから」
「余に下男の真似をさせる気か?」
さすがに面食らうアーケイディウスに、運び屋の少女は当然という声を出した。
「仕方ないでしょ、ここじゃ何もしない者は悪目立ちするんだから」
言われてアーケイディウスは周囲を見まわした。人々皆、朝市の準備で忙しく行き来している。渋々籠の取っ手を持つ少年に、テスは笑顔を向けた。
「着いてきて、迷子にならないでね」




