33 竜学舎⑦
昇降機で自室に戻るったテスは書物で山になった机の前に座った。彼女の補助をするメライナが大量の本を前に眉をひそめた。
「あまり無理をなさらないように。日々のご祈祷はそれほど長いものではありませんし」
「つまり、祭事の祈祷は長いって事よね」
助師の慰めはあまり心安らがせてくれなかった。
「えっと、朝の祈祷……。〈 偉大なるメトロファネス帝は竜の祝福を受け登極し、帝国のあまねく全てを治められた〉……メトロファネス帝って、誰?」
ふとバシルが選んでくれた本に目をやると、歴代皇帝のものがあった。
「メトロファネス帝は……あった、ザハロス朝三代皇帝。侵略する騎馬民族を撃退し、ザハロス公国を中心とした帝国制度を確固たるものにし…。あ、この頃に帝都の皇帝領の周りに風の七候を置いて守りの要にしたんだ」
テスは祈祷書と歴史書を交互に見比べた。
「…そうか、この中に答えがあるかもしれない」
熱心に両方を読み比べる少女にメライナは安心したような笑顔を浮かべ、控えていた少女達に指示した。
「コーリ、ディミトラ、竜祀院様のお飲み物を用意して差し上げて」
「はい」
彼女たちはテスの勉学の邪魔にならないよう静かに準備した。
朝の祈祷書を読み終え、テスはほっと息を吐き出した。
「今日は何とか、つっかえずにできた」
祈祷書は古語で書かれている上に一文がやたらと長く、息継ぎをするのさえ大変だ。読む者の身にもなれと作者に文句の一つも言いたい気分だった。
「でも、何とか規則性は掴めた気がする」
朝は竜学舎を築いた皇帝への感謝、昼は帝国の安寧を願い、夜は竜の功績を称える。それが各祈祷書の大まかな内容だった。音信不通のセレニウスをテスは思った。
――何してんだろ。山の中の妙な洞窟のこと調べさせたりして。
あの竜が探していた場所に関する情報はどの本にもなく、手がかりは地図だけだった。
――でも、わざわざ道もないような所に作るからには意味があるはず。神殿だろうが祈祷所だろうがタダじゃできないんだから。
いつかビーチャに乗って探してみようかとテスは考えた。そして、ここ数日運び屋の体力作りを怠っていたことを思い出した。
――陛下には体力付けとけなんて偉そうに言っといて自分が満足に飛べないなんて、どんな嫌味言われるか…。
かといって、ここに訓練場などあるだろうかと祈祷室の窓から外を見る。
「……え? あれって…」
走りながら湖を周回する一団がいた。いずれも若い男性のようだ。テスは大急ぎで塔を降りると橋を駆け出した。走っていた男達は、彼女の服装を見るなり礼をとった。
「これは、竜祀院様」
中の数人に見覚えがあるような気がした。どこでだろうと考え、ある出来事が甦った。崖下で潰れていた馬車。女帝を捜索した時の救助隊にいた者だ。
「もしかして、女帝陛下の馬車を見つけた時に…」
テスの言葉に彼らは嬉しそうに頷いた。
「てっきり、辺境守備隊の人かと思ってた」
「我々は探索の塔に所属しています」
一人が指さす塔に使われている色は黒だった。
「救助とか探検とかをする人の塔なの?」
「竜学舎唯一の実働部隊です」
ここの警備部隊でもあるのだと彼らは説明してくれた。それならこの訓練も納得できた。
「確かに、朝から晩まで本に埋もれてる人だけじゃ、いざって時に頼りないか」
「元は、ここの建造に参加した者たちが自発的に作った組織と言われています」
「じゃ、運び屋だった人もいたのかな」
「あり得ますね。何しろ道もろくにない山脈の中ですから」
建築分野では築書の塔があるが、あちらは明らかに頭脳労働専門で、間違っても大工の集まりではない。
「訓練は早朝?」
「天気が良ければこの時間帯に始めてます」
テスは上機嫌で笑った。
「良かった。朝の祈祷の後にできる」
救助隊の面々は呆気にとられた。
「竜祀院様が?」
「勿論。翼竜に乗るのに足腰の筋肉をなまらせたくないから。また明日ね!」
彼らに手を振り、若い竜祀院は竜の塔に戻っていった。
朝の日課の追加にメライナは苦笑し、学舎長は眉間に縦皺を刻んだ。体力増強を盾にテスは一歩も引かず、祈祷の合間にと言うことで許可を勝ち取った。
救助隊に混じって運動着姿で走る彼女は、見習いの少年にしか見えなかった。
「この格好だと誰も竜祀院だなんて気がつかないから助かる」
八基の塔の周りを走り追え、汗を拭きながら少女は満足げに言った。救助隊の者達はこちらに飛んでくるプテロに目を奪われていた。
「よーし、ビーチャ。今日も元気そうね」
テスが撫でてやると翼竜は嬉しそうに嘴を鳴らした。革帯と鞍を装着していると、救助隊長がしみじみと言った。
「この隊にも翼竜がいれば、偵察や救助に役立つのになあ」
「小型でも飼育や訓練は大変だから、近くを飛んでる竜舎と契約すればいいのに」
「そうか、今度算書の塔に掛け合ってみるぞ」
盛り上がる彼らを置いて、テスは翼竜に乗った。ビーチャは竜笛の合図に従い地面を蹴った。強く羽ばたいた皮膜の翼が山脈の気流を捉え、運び屋の少女と相棒は風に乗って竜学舎上空を旋回した。
最初にここに来た時、竜学舎は無駄な建物としか思えなかった。しかし、それぞれの塔の役割を知った今、テスの見解にも変化があった。
湖の中島に立つ竜の塔。湖畔に並ぶ八基の塔は北から右回りに史書の塔(赤)、 地書の塔(橙)、 天書の塔(黄)、医書の塔(緑)、算書の塔(青)、語書の塔(藍)、築書の塔(紫)、探索の塔(黒)。
――知識を蓄え、残す。か……。
確かに、内戦や帝位を巡る陰謀などで失われた書物や技術は多いと聞く。ヴァイロンなどは、その中に世界を変えるものがあったかも知れないのにと残念がっていた。
――バシル先生はどう思ったのかな。
帰城した陽気な教授を懐かしく思った時、何かが高速で飛んでくるのが視界に入った。
「あれって……風ツバメ」
その姿を追うようにテスはビーチャを庭園に降下させた。
「あたしに伝文?」
風ツバメの飼育担当者は頷いてテスに筒内の紙片を手渡した。薄い紙にはバシルからの言づてが記されていた。
「この前借りた本の返却をしたい。あと追加の貸出を頼みたい」
その後には借りたい本の題名が列記されていた。テスは笑いながら学舎長の元に行った。
「これは門外不出の蔵書も含まれているぞ」
案の定、学舎長は不機嫌に拒否しようとした。
「でも、バシル先生は今はアーケイディウス陛下の家庭教師なんだから、きっと陛下の勉強に必要なものじゃないかな」
テスが持ち出した名前は、さしもの彼をも黙らせた。
「大丈夫、このくらいならビーチャ単独で運べるから」
「まさか、竜祀院が運び屋の真似事など」
「真似じゃなくて、運び屋だから。ここをクビになったらいつだって竜舎に戻るし」
彼女の宣言に学舎長は更に苦い顔をした。テスはさっさと風ツバメの飼育所に行き、自分が直接届けることを書いた紙を筒に入れてもらった




