30 竜学舎④
「つまり、翼竜とは全く違う生き物なのか」
食事後の談話室でテスがセレニウスについて説明すると、バシルは幾度も首を振った。
「とっても長い身体で足は四本で短くて、鬣と角があるの。翼もないのにどうして飛べるのか分からないけど」
「自然の摂理を越えた生き物という訳か。銀月から地上にやってきたのならあり得るな」
好奇心に満ちた顔で教授は頷き、テスは溜め息をついた。
「竜学舎で朝から晩まで祈れって言われて、理由が分からなくて学舎長と言い合いになっちゃって」
「セルギオスと?」
声を上げて笑ったバシルは、戸惑う少女に言った。
「奴とは昔、帝都の大学で共に学んだものだ。優秀だが退屈な男だったな」
厳格という言葉を体現したような学舎長と、目の前の破天荒な老人が学友だったなど、テスには想像付かなかった。
「怒ってるだろうな、あの人」
「当然だ、竜祀院の仕事を放棄して来たんだからな」
アーケイディウスに痛いところを突かれ、テスは口ごもった。
「だって、セレニウスなら酒の方がいいって言うに決まってるのに」
「月の竜を称えるのは当然だ。皇帝の即位を祝福するのだから」
「それって、月の竜をありがたがることが皇帝陛下をありがたがることになるってこと?」
「そうでなければあんな大層な学舎などわざわざ作らないだろう」
感心した様子のテスを見て、アーケイディウスはさも馬鹿にした視線を投げつけた。
「あれだけ歴史や科学の資料の宝庫にいて、何も調べようとしなかったのか?」
少女が反論できずにいると、彼の背後に立っていたスタファノスがとりなすように言った。
「そもそも竜学舎が何であるかも知らなかったのだし、不勉強と罵るのは酷でしょう」
ふん、と鼻であざ笑い、少年皇帝は自室にこもった。
――相っ変わらず可愛くない…。
歯ぎしりする思いでテスは彼の背中を見送った。
竜学舎に帰るには夜中になることやビーチャの体力を考慮して、テスはベニゼロス城に泊まることになった。急遽用意してもらった部屋は居心地良かったが、それでもあれこれ考えると寝付けなくなってしまった。
セレニウスを幾度か呼んでみたのだが、声は聞こえずじまいだ。気まぐれな竜は気配を消すことはあっても、常に見守るような空気があったのに。
テスは起き上がり、飛行服の上着を羽織って城の庭園に出た。窓から漏れる明かりを頼りに散策してみる。城壁の外は所々が薄明るく、厳重な警備が想像できた。
――本当に頑丈な守りの城なんだ。
警護はディグニス将軍が厳選した竜騎兵達だ。アーケイディウスは煌宮にいるより安全かも知れない。ぼんやりと考えながら歩いていると、何かにぶつかった。
「いたっ」
額を押さえて見上げると、簡素な櫓のようだ。
「…何でこんなとこに」
戸惑っていると上から光が照らした。
「おや、竜祀院の嬢ちゃんか」
バシル教授の声がした。テスは身軽に櫓の梯子を登った。
「何やってるの、先生」
「ただの天体観測だよ。これから星がよく見える季節だからね」
テスは頷いた。
「寒くなるほど空気が透き通るから」
「よく知ってるね、さすが運び屋だ」
「テスって呼んでくれる? 先生」
「先生、か。親しげで『教授』よりよっぽどいい」
バシル教授は楽しげに小太りの身体を震わせた。
「ここにいると陛下が普通の子供っぽく見えるの、先生のおかげでしょ」
「いやいや、それは陛下が楽しく学んでいるからだよ」
バシルの言葉が罪悪感を刺激した。自分が飛んできた方角に顔を向け、テスは呟いた。
「意味が分からないからって逃げて来ちゃいけなかったのかな」
「考える時間を作るためで、それで建設的な答えが出れば充分意味がある」
「あの呑んべ竜の居場所も分からないのに」
「何にだって理由がある。それを知ることは無駄にならない」
竜学舎の人々が頭に浮かんだ。重傷で療養中の叔父、厳しい学舎長、もしかしたら心配してくれているかも知れないメライナ達。
「竜学舎に戻ってもう一度考える」
導き出された決意に、バシルは笑顔を浮かべた。二人は夜空の星をしばらく眺めてから櫓を降りた。
部屋に戻ったテスがようやく訪れた睡魔の中でうつらうつらしていると、誰かが乱暴に彼女を揺り動かした。
「…ビーチャ? まだ早いでしょ」
寝返りを打つと、呆れた声が浴びせられた。
「夜明け前が都合がいいと言ったのはお前だぞ」
テスは跳ね起きた。寝台の側に建っているのはアーケイディウスだった。
「何でいるの?」
薄暗がりに慣れてきた目に、彼がいつもと違う服を着込んでいるのが分かった。
「それ、もしかして」
「侍女達に急いで作らせた」
少年は革のズボンと上着姿だった。運び屋の制服とも言える飛行服だ。よほど、テスの予備の服がぶかぶかだったのが腹に据えかねたのだろう。
ぼんやりとする彼女をせかして着替えさせ、アーケイディウスは城の庭に出た。夜明け前のひんやりとした空気にテスは首をすくめた。
「しょうがないなあ…」
階段で壁の上に上がると、彼女は首に掛けた笛を吹いた。珍しそうに少年が見ているのに気づき、説明してやる。
「これは竜笛。プテロにしか聞こえない音が出るの」
「犬にも同じようなのがある」
「運び屋は最初の給料で自分の竜笛を買うの。好みの材質や形を選んで、名前を入れてもらって」
考え込むアーケイディウスにテスは言った。
「帝都じゃ売ってないから」
「どこなら買えるのだ?」
「運び屋の中継所のある街や、竜舎の近くだけど」
飛んできたビーチャが彼らの会話を中断させた。
「よく休んだ? 疲れは取れたようね」
首を撫でてやり、テスは手早く飛行具を装着した。
「じゃ、乗って。風防眼鏡は」
「持っている」
眼鏡の上から掛けると、少年皇帝はしっかりと固定具を掴んだ。テスは彼の後ろに乗り、相棒に上昇の合図をした。
「行くよ、ビーチャ」
翼竜は翼を広げ、力強く地を蹴った。
次の瞬間、彼らは朝日に照らされるベニゼロス城の上空にいた。
「竜学舎はあっち、煌宮はもっと東。西にまっすぐ行けば国境」
テスが説明すると、少年は興奮気味に幾度も頷いた。こんな時は年相応なんだけどと思いながら、運び屋の少女はゆっくりとプテロを旋回させた。
「まだビーチャの筋肉が完全に目覚めてないから長くは飛べないの」
煌宮より遙かに規模の小さな城を数度回るだけで彼らの飛行は終わった。アーケイディウスが降りるのに手を貸すと、彼の膝が震えているのが分かった。
「長く飛びたいなら、足の筋肉をつけないと」
「分かっている」
悔しそうな声に、昨夜の意趣返しができたとテスは内心意地の悪い感想を抱いた。
「じゃ、そっちの宿題ね。ビーチャに食餌させてから竜学舎に戻るから」
「せっかくの学び舎を無駄にしないことだな」
「そうよ、学びに行ってやるんだから」
そっちはせいぜいヒョロヒョロの身体を鍛えろと、視線でテスは反論した。
相手から顔を背けた子供達は、それぞれの場所へと別れていった。




