26 国葬⑥
いよいよ出発の時が来た。ディグニスは見送りの者の少なさに憤慨と落胆を味わっていたようだったが、テスは気楽に出て行けることを喜んだ。
「国葬の時みたいに見世物の行列になるのは嫌だし」
率直な言葉に老将軍は笑うしかない顔をしていた。そして、改めて若い竜祀院に頭を下げた。
「これからも陛下を支えていただきたい」
彼の背後には末息子のテオドシウスと、叔父と三ヶ月互いの孫スタファノスが控えていた。
「ベニゼロス城では俺たちが陛下の護衛にあたる」
「竜学舎とは山を隔てているが直線距離は意外と近いのですよ」
「そうなんだ」
驚くテスに、少年皇帝は馬鹿にしたように笑った。
「運び屋なら地図くらい正確に見ろ」
「仕方ないでしょ、帝国西部はあたし達の飛行範囲外なんだから」
遠慮なく言い返す少女に周囲は凍り付いた。だが、かんしゃくを起こすかと思えたアーケイディウスはそっぽを向くだけだった。若い騎士たちは顔を見合わせた。彼らの肩を叩き、ディグニスが言った。
「出発だ」
次期皇帝の馬車列を護衛の騎士団が取り囲み、アーケイディウスは静養先へと旅だった。
残されたディグニス将軍は見知った顔が見送りの中にいることに気づいた。
「エウゲン…、いや宰相閣下」
「朝早くからご苦労だったな。見送りが寂しいのは一応理由がある」
「水上離宮のお方か?」
「今日、この時間に園遊会を開くと先日招待状が来た」
ディグニスは顔をしかめた。
「つまり、陛下に味方する者をふるいに掛けられた結果がこれか」
「ここにいない者が敵とは限らん。水上離宮にも参上せず成り行きを見守る者も少なからずいる」
「そんな風見鶏など信頼できるか」
吐き捨てるように言う将軍の肩を、宰相は軽く叩いた。
「皇太子殿下に勝利の目があれば、ある程度は協力が見込めるぞ。それに、ベニゼロス城には別の価値がある」
「ああ、ソフィア様は意趣返しに選んだつもりだろうが」
ディグニスに宰相はあることを告げた。
「ようやくバシルが戻ってきた。先にベニゼロス城に向かうと言って出て行ったぞ」
「あの放浪教授が? それは僥倖かもしれんな」
老将軍は空を見上げ、若い騎士たちと更に若い竜祀院、そして幼い皇帝に思いを馳せた。
馬車の中で、テスは一心不乱に地図を睨んでいた。
「竜祀院殿、あまり根を詰めると頭が痛くなりますよ」
テスが乗る馬車と併走していたファノが心配そうに注意した。彼女は地図から目を離そうともしなかった。
「運び屋が地図の見方にケチ付けられたのよ、大恥もいいとこなんだから」
地図で見ると、確かに竜学舎とベニゼロス城は思ったより近距離だった。
「近いったって、山脈を挟んでる。結局大回りになるんで行き来するのは大変なんだよ」
テオが言うと、テスは馬車の窓から身を乗り出し、天気の様子を見た。所々に雲が浮かんでいるが、天気の急変をもたらすものではなさそうだ。彼女は更に地図を凝視して、窓のカーテンを閉めた。
民家を借り上げては宿泊し、馬車は更に西へと進んだ。やがて午後には道が二手に分かれたスクーパ峠に到達した。竜学舎方面とベニゼロス城へと向かう道。テスとアーケイディウス一行との別れがやってきたのだ。
騎士たちは下馬し、竜祀院を見送ろうとしていた。だが、テスが乗った馬車からは揉めるようなやりとりが聞こえてきた。突然扉が開き、出てきた彼女は革の飛行服を着ていた。
「竜祀院殿?」
驚く周囲をよそに、少女は馬車の屋根に止まっている翼竜を呼んだ。
「ビーチャ!」
すぐにプテロは彼女の側にやってきた。首や肩を撫でながら装具を付けていくテスに、ファノが不安そうに尋ねた。
「その翼竜をどうするのですか?」
「竜学舎に行くの」
「そいつでか?」
疑わしげなテオに、運び屋の少女は当然とばかりに言った。
「ビーチャはしばらく本格的な飛行してないし、あの山ならちょうどいい訓練になるから」
「無茶です、竜祀院様。あなた方も止めてください」
竜学舎からの使いの者は半泣きで訴えた。テスは意に介さず相棒に乗った。
「山越えは試しとかないとね」
「本気か?」
割って入った声は、竜騎兵たちの主君だった。
「陛下」
一斉に敬礼する彼らをよそに、少年は少女に底意地悪く言った。
「遭難でもしたら恥どころではすまないぞ」
「ご心配なく、ちゃんと地図で山の特徴は掴んだから」
テスはそう言い返すとにやりと笑った。
「いざとなったらビーチャと飛んでいって、連れて逃げてあげるからね。陛下」
テスは相棒に上昇を指示した。若いプテロは久々に全力で飛べると快活な声を上げた。前傾姿勢から数度の羽ばたきで翼竜は浮かび上がった。見る間に小さくなる一人と一頭は皇帝一行の周囲を旋回し、竜学舎のあるエオス山脈へと向かった。慌てて学舎の馬車が後を追う。
呆気にとられた護衛騎兵団は、少年皇帝がさっさと馬車に乗り込むのを見て、急いで騎乗出発した。
「明日にはベニゼロス城に到着します」
テオに言われ、アーケイディウスは呟いた。
「あの者は、『陛下』 とさえ付け加えれば何を言ってもいいと思っていないか?」
若い竜騎兵は何も答えず、ただ笑顔で馬車に併走した。
帝都オウレンシア。水上離宮では、華やかな園遊会が催されていた。有力貴族や高官が集う様は、アーケイディウスの見送りの人数の比ではなかった。
その様子を離宮のテラスから眺め、銃兵連隊長タダイオスは皮肉げに口元を歪めた。
「皇太子殿下よりも真の権力者に従う方を選んだお歴々は同志の多さに驚いただろうな、いや、ほっとしたか」
客人の中心にいるのはもちろん赤毛の貴婦人、ソフィアだ。青菫色のドレスが魅惑的な肢体を引き立て、胸にはいつもの豪華な星形のブローチが輝いている。
やがて彼女はタダイオスの元へとやってきた。極上のクリマ酒を注いだグラスを渡し、楽しげに微笑む。
「どう? この前まで女帝にへつらっていた人達がご機嫌伺いに集合しているのよ」
「あなたの魅力のおかげだ」
彼女の手を取りタダイオスが指に口づけると、ソフィアは赤い唇をその耳に近づけた。
「あなたの軍事力とね」
客人たちの中で、きょろきょろと誰かを探す者にタダイオスは気付いた。
「今日も来てたのか」
南方領の貴族がソフィアの元に日参しているのは宮廷中の話題になっていた。赤毛の貴婦人は愛人に笑いかけた。
「あの話が本当なら、アーケイディウスは戴冠式に出ることはできない。永遠にね」
当の貴族がようやくソフィアを見つけ、いそいそとやってくるのに二人は冷笑した。
相棒のプテロと共に山越えをしたテスは、いきなり開けた景色に目を奪われた。
「ここ、火山だったのかな」
山々に囲まれた地の中心には湖があり、中央の島と周囲の森の中にいくつもの塔がそびえている。眼下にあるのが竜学舎だと少女は理解した。
「ここが…」
自分がしばらく拠点とする場所であり、傷ついた叔父ヴァイロンが治療を受けている所だ。
翼竜が旋回しながら降下していくと、庭園にいた人々がこちらを指さすのが分かった。気流が複雑でない場所を選んでいると、不意に蠢く黒い物が視界をかすめた。思わず振り返ったが、低く垂れ込めた雲が見えるだけだった。
漠然とした不安が胸をよぎったが、テスは降着に集中した。そして湖中央の島に建てられた竜の塔の正面に彼女は足を踏み入れた。




