23 国葬③
霧月上旬二曜日
国葬の日は、朝からどんよりとした厚い雲に覆われていた。
煌宮からヘイローン大聖堂への道は竜騎兵と煌宮衛兵が警備し、棺を乗せた馬車とそれに付き従う皇族、大貴族たちを見物する帝都の人々で早くからごった返していた。彼らの関心事は、誰が馬車行列の先頭を歩くかということだった。それが次期帝位争いで一歩優位に立つことだと誰もが知っていた。
「そりゃ、アーケイディウス様だろう。何たって、女帝陛下のただ一人のお孫様だ」
「いや、十三歳じゃあな」
「宰相も将軍たちも健在なんだから、後ろ盾さえあれば」
「それが、ソフィア様が戻られているらしいぞ」
「ソフィア様が? 女帝陛下が生きてる限り煌宮には入れなかった人がねえ」
「こりゃ、かなり厳しい争いになるぞ」
彼らは行列が見渡せる場所争いに必死だった。
沿道の群衆から一歩引いた場所で、興味深げに観察する老人がいた。子供のように楽しげにきょろきょろする彼に、随行していた者が声をかけた。
「こんな所にいたんですか、教授。早く煌宮に」
「いや、行列を見てからにしよう。国葬なんてそうそうないだろうし」
「あったら大変ですよ。皇太子殿下は病弱と聞いてますが、大丈夫ですかね」
「どうだろうね。珍しいものが拝めるかなあ」
期待に目を輝かせる老人に、付き人は諦め顔だった。
街の喧噪が届くことのない煌宮内では、噂も争いも密かに水面下で行われていた。
「陛下は?」
「侍医が今朝もお熱があるとかで慌てていたが」
「それでは、やはりソフィア様が代行で……」
貴族たちは次の勝者を見極めようと必死だった。そんな彼らをより高見から眺める者もいた。
「まったく、追従する相手を探してウロつくなど、帝国貴族も見苦しい真似を晒してくれる」
いかにも見下したように切り捨てたのは銃兵連隊長タダイオスだった。同じ部屋で出発を待っていたソフィアは、彼を宥めた。
「必死なのよ。自分たちの未来がかかっているのだから」
銃兵隊長は凄みのある笑顔を見せた。
「頼りない子供か、数日前までは宮廷に居場所がなかった皇族か」
「居場所なら、これから作るわ。一番高い場所に」
タダイオスに腕を絡ませ、ソフィアは優雅に立ち上がった。
女帝の亡骸は、帝室の儀式どおり七日の喪を経て棺が閉じられる。その瞬間もまた儀式であり、立ち会えるのは皇族とヘイローン寺院大司教のみとなっていた。
黒鳩の間には、ソフィア一人が先に通された。彼女が身にまとう喪服は国葬に合わせて首元までぴっちりと覆われていた。その胸に付けた星形のブローチを、彼女はレース越しに手に触れた。亡き母、イオルゴス三世の最後の寵姫となったゼナイダの形見だった。かつてこの煌宮で熾烈な権力闘争を繰り広げた女性二人が亡骸と遺品となって対面している。ソフィアは静かに微笑んだ。
大司教ランブロスは現れるはずのもう一人を待っていた。助祭に小さな声で問い質す。
「アーケイディウス殿下は?」
「もう一度見て参ります」
申し訳なさそうに助祭が姿を消すと、大司教と二人になったソフィアは平然と言った。
「殿下はお体の具合がよろしくないとか。私も昨日お見舞いに伺いました」
「色々と災難続きでした。無理もないかと」
「ですから、国葬を欠席したところで誰も責めたりいたしませんわ。喪主の代行は私が務めればいいだけですし」
それは帝国内外に次の支配者が誰かを見せつけることになる。さすがに大司教は沈黙した。
「そろそろ時間ですわね」
大回廊への扉を開け、女帝の時代が終わったことを告げるのだと、ソフィアは黒槐の扉に歩み寄ろうとした。その時、静かな声が黒鳩の間を制した。
「大司教猊下、叔母上、遅くなりました」
喪服に身を包んだアーケイディウスがゆっくりと入ってきた。そのまま祖母の棺の前で一礼し、大司教に頷く。棺の蓋が閉められ、大司教は聖光輪仗を手に回廊への扉に次期皇帝を導いた。
「開けよ」
少年が命じると、黒く渦巻くような凹凸のある扉が左右に開け放たれた。回廊に居並ぶ宮廷貴族、近隣諸国の弔問客たちが一斉に礼を取る。その中をアーケイディウスは進み、女帝の棺が黒い馬車に収められるのを見届けた。
葬列を待つ人々の中で、喪服姿のテスは安堵の息を漏らしていた。
「陛下は間に合ったんだ」
「ああ、なかなかお熱が下がらずどうなることかと思ったが、さすがにイオルゴス大帝の血を引くお方だ」
ディグニス将軍はそう言うと、馬車の警護隊を率いるため馬上の人となった。どれほど体調が悪くても、ここで正当な帝位継承者であることを見せねばならない。自分より年下の少年が、はったりをきかせるために身体を張っていることにテスは少しだけ見直した。
――皇帝なんて、あまり就きたくないけど。
『他の連中もそう思ってくれりゃ楽なんだがな』
セレニウスが同意する声がした。テスは空を見上げ、姿を見せない竜に言った。
――ちゃんと協力してよ、こっちだっておっかないのを敵に回すんだから。
黒い馬車の支度が終わり、寺院に埋葬されるための葬列が始まろうとしていた。棺の馬車に続き先頭を歩くのは当然アーケイディウスだが、その後の順列を巡ってちょっとした騒ぎが起こった。
「殿下、その方は?」
戸惑う大司教に、次期皇帝は素っ気なく紹介した。
「メイネスのテッサリア。竜祠院だ」
ランブロスは数度瞬き、かろうじて動揺を押し殺した。
「失礼しました。これほどお若い方とは…」
「気にするな。皆最初は信じない」
彼の言葉に多少引っかかりはあるものの、テスは大目に見ることにした。大司教に一礼し、アーケイディウスの後に付く。それはソフィアの前に来る位置だった。赤毛の貴婦人は厳しい声を出した。
「控えなさい、これは帝室の」
「いや、ソフィア様。月の竜の代理人ならば次期皇帝と共にあるのが道理。このような国家的儀式であれば尚更」
大司教はテスに恭しく礼を取った。ソフィアが彼女の腕を掴もうとすると、低い声が制止した。少女の目に金色の光が浮かぶ。
「『思い上がるなよ、血の粉屋の末路を忘れたか?』」
新帝の叔母は凍り付いたように動きを止めた。月の竜は少女の口を借りて小さく歌った。
「『血の小麦で倉を建て、金の杯大酒呑んで、粉屋は塔から落っこちた』」
青ざめたソフィアは、若い竜祠院がより若い次期皇帝に寄り添うのを呆然と見送った。
アーケイディウスの隣に来るなり、テスは彼の肩を掴んで毒づいた。
「……あのバカ竜、人の口で喧嘩売るなら前もって相談しろっての…」
必死で呼吸を整える少女と背後で青ざめる叔母を見比べ、少年皇帝はくすりと笑った。
「あの叔母上が口もきけなくなるとはな」
その頬に熱だけでない赤みが差すのを見て、テスは彼の肩を叩いた。
「途中でひっくり返ったら大笑いしてやるから」
怒りを漲らせる少年を、護衛隊の指揮をするディグニス将軍は苦笑気味に眺めていた。




