15 煌宮③
葡萄月 三の八曜日 女帝の喪の儀式四日目。
帝国史の詰め込み授業が終わると、テスは逃げ出すようにして翼竜が繋がれている厩舎へと走った。
「ビーチャ、元気にしてた?」
相棒を優しく抱きしめて、運び屋の少女はプテロの翼の筋肉を確認した。
「ちょっと運動が足りてないかな。日が沈んだら来るから、少し飛んでみようね」
魚肉や穀類を丸めた餌をもらい、若い翼竜は上機嫌で鳴いた。いきなり、その声がより大きなものになった。
「何?」
皮膜の翼を大きく打ち振るビーチャは空の一点に注目していた。テスもつられて晴れ渡った空を見上げた。青の中に点が見え、次第に大きくなっていく。鳥ではない形に、テスは歓声を上げた。
「運び屋! どこの竜舎?」
翼竜は北部の運び屋が使うプテロだった。革具の色や紋章で所属が見当着いた。
「カリカ姐さんのとこだ」
テスは大きく手を振った。翼竜の編隊が煌宮の厩舎前にゆっくりと降り立つ。一番大きなプテロに騎乗していたのは女性だった。竜舎の主、カリカが自ら荷運びをしてきたのだ。
「お疲れ様!」
小姓のお仕着せ姿で駆け寄ってきた少女に、竜舎の女主人は最初驚いていた。やがて豪快に笑うと、カリカはテスの灰色のもつれ毛をかき乱した。
「どこの小僧かと思った! 元気そうじゃない、テス。そっちのはあんたの相棒かい?」
「そうよ、ビーチャ。成り行きで連れてきちゃったけど」
カリカは頷いた。
「まあ、面倒なことになってるようだし、こいつがいれば心強いからね。イオシフから伝言だよ、そのプテロはこのままあんたに貸し出しするってさ。賃貸料は竜学舎からふんだくるから心配するなって」
やり手の親方らしいと、テスも笑った。更にカリカは手紙を渡してくれた。
「あんたの家からだよ」
署名は妹アナと継母のカシアになっていた。思えば生家に報告に行く間もなかったとテスは溜め息をついた。彼女の背中をカリカが叩いた。
「さ、荷下ろしするよ。こんなとこに来ちまった顛末を話してくれるかい?」
「うん、こんなつもりじゃなかったんだけど……」
彼らの作業を手伝いながら、テスは今の状況を説明した。
「へえ、あんたが月の竜を呼んだなんて…」
半信半疑の様子の竜舎長に、テスはこわばった笑顔を作った。
「自分でも何でこんな事になったのか信じられないくらいで」
「まあ、やっちまったモンは仕方ないからね、根性入れてやり抜くだけさ。頑張りなよ」
応援されても、やはり硬い笑顔のままのテスだった。やがて彼女は、本宮のお仕着せの従僕達がせっせと運んでいる荷物の方に興味を持った。
「何持ってきたの?」
「香木だよ。そりゃ高級なのをどっさりと」
葬儀に使うのだとテスは納得した。カリカは飛行帽で短い茶色の頭を扇いだ。
「他にもあちこちから値の張る花だの羽根だのわんさか発注来てるってさ。さすが女帝陛下の国葬だね。ま、あたしらはこんな時でも稼がせてもらってるけど」
冗談めかした後で、彼女は声を潜めた。
「イオシフが心配してたよ。ヤバくなったらとにかくビーチャに乗って逃げな、いいね」
テスは神妙に頷いた。
荷を引き渡してカリカの編隊が煌宮を後にするのを、少女はずっと手を振って見送った。
厩舎から離れた皇太子宮で、新帝となるアーケイディウスは窓越しにプテロの編隊が飛んでいくのを見ていた。
「運び屋の翼竜ですな」
竜騎兵連隊長ディグニスが声をかけると、黒衣の少年は不機嫌そうにカーテンを閉めた。老将軍は生まれた時から見守ってきた帝国の世継ぎに問いかけた。
「陛下は、新しい竜祀院殿をどう思われますか?」
「あの礼儀知らずか」
「確かに、多少礼節に欠けておりますが」
少年は眼鏡の奥で目をすがめた。
「宮廷の日和見連中が何と言っているかは知ってる。子供の皇帝には丁度いい竜祀院だと」
ディグニスは溜め息をついた。
「先帝陛下の時のように、思慮深く義理堅い者が陛下の後ろ盾になってくれればと思っておりました。ヴァイロンが無事であれば……」
アーケイディウスは苛々と指先でテーブルを弾いた。
「姪だったな、全く似ていないが」
「左様、しかし経緯はどうあれ月の竜を降ろし陛下の正当性を伝えたのはあの娘です」
少年皇帝は何も答えないままテーブルに着いた指の跡を凝視した。
空に翼竜の影が消えた頃、テスは厩舎の端に入っている相棒の元に行った。
「久しぶりに仲間に会えたね、ビーチャ」
プテロ用に急遽改装された馬房は馬栓棒を取り除かれ、翼竜が休める寝棚が作られていた。中に入り棚に腰掛け、テスは家族からの便りを開いた。ロウで留められた紐を外し、畳まれた羊皮紙を広げる。半分は妹の字だった。アナは姉が竜祀院になったことを驚き心配しながらも喜んでくれた。兄テレクはなかなか信じてくれなかったようだ。そして父タネクは見たこともないほど怒り、二度と家に入れないとまで宣言したとあった。
――父さん、何でそこまで…。
継母カシアからの便りも同じ事が記されていた。今は父は混乱しているようだから自分たちで宥めるとあり、テスは申し訳なさに落ち込んだ。
――身重のカシア母さんに迷惑かけたくないんだけど…。
手紙を畳んで上着の内側に収めると、溜め息がついて出た。頭の中に竜の声がした。
『親子ったって別の人間だ。認められないことや事情だってあるだろ、あまりくよくよするなよ』
珍しくも慰めてくれているらしい。テスは立ち上がり、ビーチャに飛行具を付けると厩舎から出した。
「運動しようか、しばらくちゃんと飛んでないよね」
プテロは歓迎するように翼を広げた。
皇太子宮にいたディグニスは窓の外に見慣れない生き物が飛んでいるのに気づいた。
「翼竜? 竜祀院殿か」
空を飛ぶプテロと運び屋の少女は庭園上空をなめらかに旋回した。老将軍は目を細めた。
「何とも気持ちよさそうですな、陛下」
アーケイディウスはちらりと窓に目をやっただけで背を向けた。
運び屋の少女の飛行は、煌宮の他の場所からでも目撃された。
水上離宮の一角、窓を囲んだ侍女達が騒ぐのに冷たい声が浴びせられた。
「何をしているの」
びくりとした彼女らは、空を指さし必死で言い訳をした。
「ソフィア様、あそこに妙な鳥が」
「不吉なものかと思いまして…」
薄曇りの空を大きな鳥のようなものが飛んでいる。ソフィアは眉をひそめた。
「人が乗っている?」
顔を見合わせた侍女の一人が、思い出したように言った。
「妹から、新しい竜祀院が翼竜を連れてきていると聞きました」
空に向けた視線を鋭くさせて、離宮の女主人は言った。
「詳しく聞かせなさい」
「ほら、もっと速く。風を捕まえて」
ビーチャとテスは久しぶりの空を満喫した。その下で渦巻く思惑には気づきもせずに。




