13 煌宮①
「そもそも、ザハリアス帝国の興りは獰猛な騎馬民族に対抗する小さな公国だった。ファロス歴六一八年、周辺の小公国を統一し皇帝として即位したザハロス一世は外敵の侵入を防ぎ国内の反乱を平定するという二重の難題に耐えることとなった。彼の玄孫にあたり、帝国内の諸侯をまとめあげて北の蛮国という西方列強の偏見を覆したのが偉大なるイオルゴス大帝だ」
ディグニス将軍の朗々とした声が、帝国の歴史を語った。講義を受けさせられたテスは、既に年代と人名の渦に呑み込まれそうになっていた。
帝国の二百年以上の歴史には同じ名前の皇帝が何人もいる上に、その血統のややこしさはプテロの血統図を書かされる方がましに思えるほどだ。テスは確認するように言った。
「その大帝が前の女帝陛下の夫の皇帝陛下の祖父で、今の陛下の曾祖父?」
「祖父の祖父、だな」
どっちでもいい、とやけ気味にテスは思った。知りたいのは今の宮廷のおおざっぱな血縁関係と相関図で、帝国の歴史に詳しくなる気などさらさらない。
『知っておいて損はねえんだがな』
のんびりした面白がるような声が頭の中に聞こえた。月の竜ことセレニウスの声だ。
――とっくの昔に死んじゃった人の事なんて、何の役に立つのよ。
『色んなことにさ、お嬢』
将軍の講義は続いた。
「大帝の死後、様々な権力争いが起こり、帝位に就いた者も在位期間は短かった。その中で即位したイオルゴス三世陛下は残念ながら病弱な方で、内政や外征において失策も多かった。帝国内の情勢が不安定になり、危機感を抱き軍隊の後押しを得てイオルゴス三世を退位させ、登極されたのが先のエストレーリア二世陛下。その後、対外戦争や内乱はあったが勝利と鎮圧で帝国を繁栄に導かれたのは知っての通りだ」
やっと今の時代に戻ってきたと、テスは溜め息をついた。それを疲労と見たのか、将軍は休憩にしてくれた。お茶を運んできてくれた侍女のモナに礼を言い、テスはひと息ついた。窓辺に立つ将軍は何気なく語った。
「女帝陛下が帝国を治めるのは並大抵の苦労ではなかった。あの方を支持した竜騎兵連隊は当時の連隊長が公認の愛人と噂されていたし、陛下が強力な味方を増やすのに手段を選ばなかったのは事実だろう」
その話は、つい先日に見た光景に重なった。
「あの、ソフィアって人は女帝陛下と同じ事をしてるの?」
子供には生臭い話なのだが、テスは事実をありのままに受け止めて皮肉な連鎖に顔をしかめていた。将軍は苦笑した。
「エストレーリア様は即位時に夫君の勢力を一掃された。ほぼ粛正と言って良いほどの徹底ぶりで。ソフィア様は母君と共に宮廷から追放され、遠い西方国境で監視されながら成長された。あの方が男児であられたら、何らかの理由を付けて生涯幽閉されただろう」
「それで、あんなに皇太子殿下を苛めてたんだ。でも、帝国は陸軍も貴族軍もあるのに、銃兵隊だけで対抗できるの?」
テスの疑問に将軍は頷いた。
「銃兵連隊には独特な絆がある。銃兵の家族、故郷にまで影響があり、特に帝国西方で顕著だ。軽視できない勢力ということだ」
「それを引き連れて殿下に見せつけたってこと?」
彼女を迫害したのはあの少年ではないのだが、女帝の血を引く者というだけで復讐の対象なのだろう。面倒なことだとテスは自分の立場の危険性を痛感した。老将軍の回顧は苦々しさを含んでいった。
「女帝陛下はただお一人の孫であられるアーケイディウス陛下の戴冠に異常なまでに執着されていた。御身が不治の病を抱えたことが明らかになってからは執念と呼べるほど月の竜を呼び出すことを切望されていたよ」
テスは運び屋稼業の合間に寄った街での噂話を思い出した。女帝には三人の息子がいたが全員と折り合いが悪く、皇太子を始めとして三人とも夭折してしまった。彼らの死には常に暗殺の疑惑がつきまとった。
『いつの時代も変わらねえな』
セレニウスのしみじみとした声が頭に響いた。
――あんたが前にここに来た時も、こんな感じだったの?
『まあな、人のやることだ』
人ならざる竜の目には、飽きもせず繰り返される争いはどう見えているのだろう。テスはふと考えた。いつものようにからかいの言葉をかけるかと思えたセレニウスは彼女の思考に反応しなかった。
歴史の授業の後は、更に気の重い勤めが待っていた。新皇帝となるアーケイディウスとの謁見である。広大な煌宮で、新帝は皇太子宮を使い続けていた。ディグニスなどは既に皇帝陛下と呼んでいることを思えば奇妙だった。
「見苦しい格好だ」
再会した第一声がこれだった。テスはありったけの忍耐力を総動員して笑顔らしき表情を作った。彼女の服装は相変わらず小姓のお仕着せで、機能性最優先だった。いざというときのために動きにくいドレスは着たくないという主張を通した結果だ。アーケイディウスは無表情に追い打ちをかけた。
「そのみっともない頭で正装の方が滑稽だから仕方ないか」
仕事のために短く切った灰色のもつれ毛をあからさまに馬鹿にされ、テスは頭の中で必死に数字を数えた。ディグニスが同情的に助け船を出してくれた。
「陛下、竜祠院殿は非常時に備えての装いですので」
新帝は鼻で笑った。何で天球の間でこいつを庇ったのかと、テスは自分を罵りたくなった。少年皇帝は最初に会った時から変わらず黒一色の長衣で、まるで修行僧のようだった。
この部屋付きの侍女がお茶の用意をした。ジャムを挟んだ焼き菓子をテスは手に取り頬張った。さっきのささくれだった気分が多少和らぐおいしさだった。
食欲旺盛な少女に目もくれず、アーケイディウスは突然お茶をガラスの器に放り込んだ。服の内側から出した薬瓶の中身を注ぎ、色の変化を観察する。焼き菓子も同様に検分するのをテスは呆然と眺めた。その視線に気づき、若すぎる皇帝は辛辣な口調で言った。
「何が仕込んであるのかも確かめずに、よく食べられるな」
美味しかったはずの焼き菓子が、一気に味が分からなくなった。少女は老将軍を振り向き、彼は首を振った。この検分が新帝にとってはただの日常なのだと彼女は理解した。同時に素直すぎる感想が口をついて出た。
「毎日そんなことやってるから痩せっぽちなんじゃない」
呆れ声に少年皇帝は顔を引きつらせた。
「口の利き方をわきまえろ」
「お許しください、陛下」
難癖ばかり付ける依頼主に対して使う声と抑揚で、テスは謝罪した。正式に即位するまでは少年の身分は皇太子なのだが、ディグニスに倣って意地でもこう呼んでやると少女は決意した。険悪な子供二人をどうしたものかと老将軍は笑うしかないようだった。
『腹が立つのも分かるが、ちっと大目に見てやれや。いつ誰に毒殺されるか分かんねえなんて生活はかなりきついぞ』
頭の中に竜の声がした。テスは思い直した。これが少年皇帝の習慣になって何年になるのだろうか。彼の両親や伯父達の死について、帝国内では辺境の地でさえ憶測が飛び交っている。
――皇帝ってあんまり楽しそうな商売じゃないってこと?
『しかも、生まれた時から約束されてる玉座だからな、それ以外の生き方はねえんだよ』
豪華で巨大な煌宮で、人目にさらされ危険に怯える生活が続いたのなら、子供らしさなどとっくに消え失せても不思議ではない。最悪な出会い方をした少年を、テスは改めて見た。黒い長衣は先ほどのような道具の携帯を隠すためだろうか。




