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(短編版)大正銀狼物語

作者: 河杜隆楽

 つけられている、と男は感じ取った。

 男が身に着ける革靴の堅い靴底とステッキの音に混じり、石畳の道を踏む音が聞こえる。この音は下駄(げた)だろうか。カランと乾いた音が、彼の足音に寄り添うように響く。彼が止まると、その音も止む。なんとも分かりやすい尾行だ。


(真夜中で良かった)


 大東京の昼間の雑踏(ざっとう)の中では、その音は聞こえなかっただろう。いや、この時間になるまで、この追跡者は待っていたというべきか。

 もうすぐ襲ってくる。男の勘が告げる。

 人通りのない真冬の道。空には雪を降らせそうな雲が覆っている。男は大きな白いため息をついた。


(折角の読書日和が台無しだ)


 男は先ほどまで日本橋の丸善にいた。閉店で追い出されるまでの数時間、彼は小説を物色し、ニヤニヤとしながら立ち読みしていたのだ。誰かが本の上に置いた檸檬(れもん)の香りを嗅ぐ。梶井基次郎先生の影響は絶大なもので、先月から丸善で、檸檬(れもん)を見ない日はない。

 彼の手には芥川龍之介先生の新作を持っていた。店員の厳しい目に耐えかねて買ってしまったのだが、帰ってから読もうと思っていたところだった。

 もしかしたらその時からつけられたのかもしれない。こんな尾行にも気づかない、自分の本好きにも困ったものだと、男は黒いコートと山高帽の奥で忍び笑いをもらした。

 カランカランと、下駄(げた)の音が近づく。


(いよいよだな)


 男はスッと息を吸い込む。最近は工場の排煙のせいで不味くなった東京の空気だが、冬の寒さがその味を消す。

 暴れるにはちょうどいい日だ。


「フッ」


 男は勢いよく振り返り、持っていた本を投げつける。その瞬間、銃声が鳴り響き、穴のあいた本がボトリと石の地面に落ちた。


「源三だな」


 暗がりから追跡者が現れる。男は顔をしかめた。


「その名前はやめろ。気に入っていないんだ。……女か」


 追跡者は若い女だった。小柄な体の背中まで伸びる長い髪に、毛糸の帽子をかぶる。そして長い(はかま)縞模様(しまもよう)の着物を着て、肩に黒くて短いコートを羽織(はお)る。女学生に化けているのかと思いきや、不格好な高下駄(たかげた)を身に着ける、奇妙な姿だった。

 そして何より、右手に持つリボルバーが全く似合わない。

 だが、最も目を見張るのは、その格好ではない。源三は冗談交じりに指摘する。


「その歳で白髪とは。随分と苦労したんだろう」


 ぼんやりとしたガス灯の光に、女の髪が光る。彼女はムッと表情を変える。


「違う! これは水色だ」

「水色? それも珍妙なことだ」

「フンッ、言ってろ。これから死ぬ奴の戯言(ざれごと)に付き合うほど、僕は気が長くない」


 自分のことを『僕』と呼ぶ。ますます奇妙だ。


(やれやれ。変わった奴に狙われたものだ)


 源三は、彼の高い身長に合わせて特注したステッキを持ち直す。そして女に尋ねる。


「お嬢ちゃんの目的はなんだ。金か?」

「つまらない冗談を吐くな。『死にぞこない』め。理由は分かっているだろう」

「じゃあ質問を変えよう。誰の指図だ?」


 女はニヤリと笑った。三日月が急に現れたように、口角を大きく上げる。


「お前の死体に教えてやるさ」


 女は銃口を向ける。そして引き金を引き、銃弾が発射される。闇を裂く高い音がこだまする。

 彼は体をひねってよけようとした。しかしながら、その反応もむなしく、銃弾は彼の右腕をかすめる。


「チッ」


 舌打ちと同時に、源三はステッキを打ち込む。女は器用にリボルバーでその攻撃を防いだ。


「さすがの剣術。腕を撃たれた直後に、そんな攻撃が出来るなんて」

「褒めてくれて感謝するが……その拳銃、改造してあるな」

「よく気づいたね」


 女はリボルバーを自慢げに、見せつけるように振る。銃弾を発射したばかりの銃口からは、まだ煙が上がっていた。男はその異様さに気づく。


「火薬の量を増やしているのか」

「ご名答」


 水色の髪をかき上げながら、女は答えた。源三は右腕の痛みを感じながら、冷静に分析する。


(だから避けられなかったのか)


 源三はリボルバーの弾丸のスピードを熟知している。だから先ほどは、あのタイミングでかわせば避けられると思っていたのだ。

 ところが火薬の量が多いことで、弾丸のスピードが上がった。だから攻撃を受けてしまったのだ。


(こいつは本気でやるか)


 彼はステッキを両手で握り、剣術の構えを見せた。息を整えながら、女に尋ねる。


「俺は本気でやる時は相手の名前を聞いているんだ。名前を教えてくれるかな、嬢ちゃん」


 女は一瞬きょとんとした表情を見せる。そして鼻で笑いながら答えた。


「いいだろう。僕の名前はカリン。覚えておけ。それと」


 カリンの顔が厳しくなる。


「僕のことを二度と『嬢ちゃん』と呼ぶな」


 空気が研ぎ澄まされる。互いの息遣いが聞こえるぐらい静まり返る。身長差のあるお互いの視線がぶつかる。

 二人の殺気がそれぞれの肌を泡立てた。


「さあ。新選組直伝の古ぼけた剣術を見せてもらおうか」

「行くぞ」


 源三は目にも止まらぬ突きで迫る。カリンはそれを再びリボルバーで受け流し、今度は高下駄(たかげた)で蹴ってきた。彼女の水色の髪と長袴(ながばかま)が宙を舞う。

 彼は足を組みかえて、その攻撃を長いステッキで防ぎきる。

 カンッ。乾いた音が鳴った。


「若いお嬢さんがはしたない動きをしなさんな」

「そう余裕ぶっているのも、今のうちだよ!」


 カリンは石の道でステップを踏み、再び銃口を向ける。源三は早めによけようとした。


「甘いね!」


 その銃口はフェイクだ。源三が避けた体勢を狙って、カリンは体を縦に回転させ、高下駄(たかげた)のかかと落としを食らわせる。

 ところが彼はステッキで地面をはじき、瞬時に大きな体を横へ転がせた。彼女は攻撃を避けられ、思わず顔をしかめる。

 源三は立ち上がりざまに挑発する。


「どうした。終わりかい?」

「僕をあまり怒らせるな」


 カリンはリボルバーの引き金を引く。大きな目を吊り上げ、源三を睨みつける。彼はニヤリと笑いながら、また剣術の構えをする。


「来いよ」


 それから十分も経たない間、彼らの格闘が続いた。周りの住民が息をひそめる中、銃声が鳴り響き、高下駄(たかげた)とステッキがぶつかる乾いた音が闇夜を斬り裂く。先ほどまで静寂をもたらしていた冬の空気はどこかへ逃げてしまったようだ。

 彼らは息が上がりながら、再び対峙(たいじ)する。命をかけながらダンスするのは相変わらず疲れる、これなら露西亜(ろしあ)人と一緒にコサックダンスをやった方がマシだ、と源三は思った。

 カリンは息を整え、リボルバーを向ける。汗が彼女の白い手に光っていた。


「もうそろそろお終いにしてやる。限界だろう」


 確かに、源三の最初に受けた傷が酷くなっていた。今もステッキをつかんでいるのは左手だけで、右手はだらんとぶら下がる。その指先からは血が垂れていた。

 それでも彼は笑う。


「限界なのはお前もだろう。リボルバーの反動が強すぎて、手が震えているぞ」


 彼の言う通り、彼女の手は小刻みに震えていた。彼女の細腕には合っていない武器だった。

 さらに源三は指摘する。


「その銃、もう弾が入っていないんじゃないのか。そのリボルバーの装弾数は六発。さっきから鳴っていたその無粋な音の回数と同じ数だ」


 しかしながらその指摘に、カリンは嘲笑(ちょうしょう)する。


「本を撃った回数もいれているだろう。その直後に僕が弾を補充していたら、どうする? それに、もう一丁用意している」


 カリンは羽織っていたコートの裏を片手でひねって見せる。そこには新しい拳銃が潜んでいた。

 源三の表情が苦くなる。それを見て、カリンの笑みが深くなる。


「終わりだよ」


 カリンは引き金を引いた。

 その時だった。バンッと異様な音が響く。


「なっ!」


 リボルバーのシリンダーの肌が弾けて、真横に火花を飛ばす。そしてカリンの右手に火傷を負わせて、地面へと転がった。


「クソッ!」


 カリンは新しい拳銃を取り出そうとした。

 しかし時すでに遅し。源三が目の前に迫っていた。


「終わりは、お前だ」


 彼は彼女の左手をしたたかに打ち、そして彼女の右(すね)に二撃目を加える。骨が折れた感触と強烈な痛みが彼女を襲う。


「ぐわあああああ!」


 カリンは耐えきれず、地面に倒れた。彼女の水色の髪が石畳に散らばる。

 折れた左手を抑える右手にも、火傷の痛みが走る。


「なぜだ? なぜ暴発した!」

「自明の現象だ」


 源三は乱れた山高帽をかぶり直しながら、カリンを見下ろしていた。彼は解説する。


「まず火薬の量が多い。それだけでも負荷が大きいというのに、その拳銃で俺の攻撃を防いでいた。壊れるのは当たり前だ」

「な、なんだと! じゃあ、お前は何度も攻撃してきたのは……」

「それが目的さ。シリンダーを狙って攻撃していた。それも分からなかったのかい?」

「くそっ、くそっ!」


 カリンは何度も悪態をつく。そして何度も立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。石畳の上で、死にかけの虫のように手足を動かしていた。

 源三はカリンの懐からもう一つの拳銃を押収する。そしてそれを観察する。


「正規品じゃないな。日本で作られたものじゃない」

「僕のものに触るな!」

「そしてお前の言葉にはかすかに訛りがある。お前、大陸戻りだな」

「うるさい!」


 カリンは怒りに任せて叫ぶ。源三はハンケチで自分の汗をぬぐい、そして(ふところ)からひもを取り出した。それでカリンの手足を縛る。


「何をする!」

「黙ってろ。さすがに警察が来る頃だ。ここから退散するんだよ」


 源三は長い腕を使って、小柄なカリンを肩に担ぐと、スタスタと歩き始めた。先ほどまで戦っていた疲れは微塵(みじん)も感じさせない足取りだ。


「僕をどこへ連れて行くんだ!」

「お前に撃たれた本代わりだ。お前の話を聞かせてもらう」

「ふざけるな!」

「これ以上喋ると、一回落とすぞ。さぞかし折れた手足に響くだろうな」


 源三がおどけて伝えた言葉に、カリンは抵抗を諦めた。もし縛っている糸が切れたとしても、この足では逃げられそうにない。大人しくするしかなかった。

 カリンは顔を動かし、源三の顔を下から眺めた。街灯に照らされたその顔は、日本人らしくなく、目鼻立ちが整っていた。


(銀髪か)


 山高帽からはみ出る源三の髪は、銀色に輝く。それがまた、彼を日本人だとは思わせない。カリンが彼をすぐに探せたのも、この髪の色と高い身長で見分けがついたからだ。


(僕としたことが、変な奴を狙っちゃったな)


 慢性不況にあえぐ大正東京の冬の空気に、カリンのため息が白く(ただよ)うのだった。

今後、連載に切り替えるかもしれません。その時はまたよろしくお願いします。

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[良い点] 続きが気になります♪ ご無理のない範囲で更新をお願いします。
[一言] 先を書きましょう。気になります、この先が……
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