戴冠式
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ソニアに先導役を務めさせて、彼女は広間へ入った。既に広間を覆い尽くすほどの人々が集まり、戴冠式の始まりを心待ちにしている。その中で女性は全体の二割程度、大半は自らの父親と思われる男性の脇で淑やかにしており、広間全体に散らばっている。肉親の全てが式の主催者であるルーディリートは列の最後尾に着いた。
「それでは私は、これで退出させて頂きます」
ソニアは一礼して出て行こうとした。この場に残るのは、新しい長の指名を受けることを認めることになる。それは一介の侍女には分不相応だと彼女は判断したのだ。その行為についてルーディリートは何も言わなかった。それは個人の判断であるし、強要してまで残す訳にはいかないからだ。
「姫様、是非吉報をお持ち帰り下さいませ」
「ええ、分かっているわ」
そう受け答えしただけで、後は緊張に顔を強張らせる。ソニアの後ろ姿を見送る余裕すらない。
突如、大きな音が鳴り響く。ざわついていた広間内も式の開始を告げるその銅鑼の音で、水を打ったように静かになった。最後尾からではよく見えないが、長が入って来て戴冠式の開始を宣言する。その後で次の長である、ランティウスが入場して来た。後ろにソフィアであるファルティマーナが続く。本来の戴冠式は長だけの秘儀であるから、既に済まされている。これはいわゆる披露宴と考えると理解しやすいだろう。
形式に則って式は進められてゆく。はっきり言って、長の継承を執り行う戴冠式の標準時間や順序など、彼女には分かるはずもない。式が始まってから程なくして彼女は再び吐き気に襲われていた。吐くものはないが、それでも堪え切れない。彼女は我慢の限界に達し、席を立った。
「ちょっとだけ……」
誰にも気付かれぬように広間を抜ける。そして近くの手洗い場に駆け込んだ。胃液を吐き出し、口を濯ぐ。折角の化粧も色褪せてしまった。鏡で自らの顔を見たルーディリートは、思い切って全て洗い流してしまう。
「ゴメンね、ソニア……」
化粧をしてくれた侍女に詫びの言葉を呟いて、彼女は広間に戻ろうと手洗い場を出た。ところが広間の扉の前には、出る時にはいなかったはずの衛兵が佇んでいる。彼女が近づくと、衛兵は手にした槍で行く手を阻んだ。
「お待ちあれ」
言葉こそ丁寧だが、態度はそうではない。
「現在広間内ではソフィア様を選定される重要な儀の最中である。故に何人なりと言えども、儀が終了するまではお通しする訳には参りませぬ」
「そ、そんな……!」
ルーディリートの顔から血の気が失せ、見る見る内に蒼白になった。
「私は用を足しに行っただけで……」
「如何なる理由があろうとも、今は広間へお通しできませぬ」
「通して! 私が入らなければ儀式は終わらないわ。お兄様は私を探しているはずだもの。だから通して!」
「申し訳ありませんが、これは儀式を滞りなく進める為の措置。どうか今しばらくお待ち下さい」
「ああ……」
どうしても通してくれないと分かったルーディリートは、膝からその場へへたり込んだ。石の床に握った小さな拳を叩きつける。
「お兄様、申し訳ありません。私の不注意で……!」
悔しかった。もう少しだけ吐き気に耐えていれば、このような事態にはならなかったはずなのだ。自身の軽率さを呪う。




